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いつも「生産」していないと気が済まない人

オコンクウォという架空のキャラクターがいます。アフリカ文学では有名な男だそうで、なるほどこうした「男」は世界のあちこちで好感が持たれるのだな、という「わかりやすいキャラ」です。

おそらくオコンクウォは、心の底から冷淡な人間というわけではない。だが、彼の人生は恐怖に支配されており、失敗したり、弱さを見せたりするのではないか、という不安にとりつかれていたのだ。
これは非常に深く内に秘められた感情であり、邪悪で気紛れな神々を恐れたり、呪術や森を恐れたり、悪意に満ち、牙と爪を血に染めた自然の猛威を恐れたりするのとはわけが違った。
この恐怖はそんなものとは比べようもない。対象が外側にあるのではなく、己の内面の奥底に潜むものであったからだ。
つまり自分に対する恐れ、父親のようになってしまうのではないか、という恐怖である。

内面の奥深くに沈んでいる「恐怖」は、感情としていつも「怒り」を表すようにします。オコンクウォはとても怒りっぽく、怒り以外の感情を出したがらないのです。

オコンクウォでさえも、この子をたいへん気に入っていた──もちろん、心の中での話だが。
オコンクウォは怒るとき以外に、おおっぴらに感情を見せたりしない。愛情を見せるのは弱さの表れ、はっきり示すに値するのは強さだけだ
だから、イケメフナに対しても、他の者とわけへだてなく、つまり厳しく接した。
だが明らかに、オコンクウォはこの子が好きだった。

この「イケメフネ」という「人質」としてオコンクォの元によこされた「利発な少年」が、大きな悲劇の元となりますが、当面はうまくやっています。しかしこうした「日本のお父さん」も昔はよく描かれていたように思います。一言でいえば、不器用なのです。

オコンクウォは年少のころから、父の無能ぶりと弱さに憤りを感じていた。遊び仲間に、お前の親父はアバラだと言われて、どんなに傷ついたか、いまだに思い出す。そのとき初めて、アバラが女だけでなく、称号のない男も意味すると知った。だからこそオコンクウォは、ある情熱にとりつかれた──
父のウノカが好んだものなら、なにもかもを憎んだのである。優しさも、それに怠け癖もそうだった。

こういう人は、「無為に過ごす」ということができなくなります。だんだんと「タイプA」になっていくのです。昔の日本のお父さんによくいたタイプです。怠惰では決してなく、生真面目で、超生産的です。しかし、その成果を楽しむことができません。

しかしオコンクウォは、たいていの人とは違って、どうもお祭り騒ぎが好きになれなかった。彼はよく食べるし、かなり大きなひょうたん一、二本分の椰子酒を空にできる。だが、来る日も来る日もぶらぶら過ごして、ただ収穫祭の日を待ったり、無事やり遂げたりすることに、いつも居心地の悪さを感じていた。オコンクウォには、畑に出て働いているほうがよっぽど幸せな時間だったのである。

この、昭和時代によく見かけたような男が、アフリカ文学で大いに人気を博しているという事実に、興味を惹かれます。ラストでも、いかにもこの人にふさわしい、哀愁の落ちぶれた武士のような最期を遂げるのです。