「無意識」の好き嫌い
先日の記事でこんなことを書きました。
これはまったく架空の話です。しかしこれから紹介する漫画家の高階良子さんの話は、おそらくは「実話」だと思います。
高階さんは「牛乳嫌い」に困っていたそうです。それほど困る話でもなさそうです。私の友だちにも牛乳が飲めない子はたくさんいました。
「牛乳が嫌い」というのはふつう「飲めなくて困る」ものです。牛乳を「見るのもイヤだ」というのは不思議です。
しかしもっと不思議なのは、こんなに牛乳を「見ただけで吐く」人が、昔から嫌いだったわけではないというのです。
「大好きだった牛乳」を「見ただけで吐く」ようになるのはいったい何なのでしょう?
これは高階良子さんの自伝的作品です。一読者として驚かされるほど「亮」さんは自分史の細かなエピソードを覚えていて、しかし「どうしても思い出せない」ちょっとしたフーグも相当あります。
いささか申し訳ないものの見開きでまるまる引用させていただきました。そうしたくなるくらい、ここには「好きだった牛乳を嫌いになり、しかもそれを忘却してしまうメカニズム」がギュッと凝縮されているのです。
昭和とはいえちょっとこの先生はひどいですね(笑)。しかし私が子供のころもまずこんなものだった気がします。
高階さんには「牛乳を嫌いになるメリット」がじゅうぶんにあったのです。
彼女は牛乳が嫌いになるのが「かっこいい」とまで思っていました。昔はそれほど高価だったといえます。
その気持ちに「応える」ようにして身体は、または無意識は「牛乳が嫌い」な高階さんを作りだしていきます。「意識的に嫌いになった」と覚えているのも、ここまでくれば不都合です。だから「忘れてしまう」のです。
「無意識」と「忘却」というのは精神分析では頻出のワードといっていいと思います。高階さん自身もそのことに言及しています。