コミックで精神分析を考える
タイトルからは「漫画で学ぶフロイト入門」といった内容を連想されそうです。
でもこちらの記事で書きたいのは
精神分析という「世にもわかりにくいもの」を「漫画の表現技法」の力を借りて理解していくプロセスです。
たとえば「精神病」とか「精神障害」とかいった用語があります。
これを「精神分析」ではどう定義しているのでしょう?
どうしたら人は「精神が病んでいる」と言えるのでしょうか?
実はこれについてジークムント・フロイト(いわゆる有名なフロイト)はかなりハッキリさせています。
彼によれば
ただひたすらに快を求め、とくに苦痛や不快から逃れるためなら現実などどうでもよくなる
と、私たちは「精神病的」になるのです。
ここでちょっと漫画から引用しましょう。
私たちはもちろんおおむね「快を求め苦痛からは逃れよう」とします。
しかしだとしても「苦痛から逃れるためなら現実の認識を捨ててしまおう」とはあまりしません。
ハッキリと書いていないものの、おそらく吾妻さんは漫画家としての現実に嫌気がさしたのでしょう。ひどいことがたくさんあったのでしょう。それで朝から晩までひたすらアルコールを痛飲し、「快を求め、苦痛を逃れ」ようとされたのだと思います。
しかしそうしても「苦痛な現実感」や「不安」は心のなかに残ってしまいます。同時にアルコールの力によって「現実」がよくわからなくもなってしまいます。
吾妻さんが見た「恐ろしい女子校生」は彼の空想です。幻覚といってもいいでしょう。枯れ尾花の上に幽霊を見るように、女子校生の上にホラーを見てしまうのです。
そして彼にそんなおぞましい空想をさせているのは彼の「無意識」です。精神分析でおなじみの「無意識」はきっとこういうふうに作動するのです。もっともこの場合には「酒の力」を借りて「無意識」を作動させているともいえると思います。
最後のコマのところで吾妻さん自身が「気が狂う」のをひどく恐れています。ということは彼はまだ「狂って」はいません。正気なのです。
彼はまだ「現実」の何たるかは手放していません。「女子校生」は本来は、いまの彼が見ているようには見えないはずだ、と知っています。
それすらわからなくなる状態を、精神分析で「精神病水準」というのだろうと思います。