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イリュージョンの恐怖

イリュージョンというのは、おそろしいものです。というより、おそろしいものとは、もしかするとすべてがイリュージョンなのかもしれません。

たとえば私がずっとおそれていた

油がはねて目に入る

といったことなどは、昨日実際に起こったことなのですが、起きてみると、想像上の恐れよりははるかにおそろしくなどないことでした。

もちろん痛いから不快ではありますが。

倉園佳三さんがひんぱんに「それは本当におそろしいことなの?」と尋ねている様子を目にするようになってから、いつしかこれを私も自問するクセがつきつつありますが、

もしかすると、空想上の恐れは、現実の出来事よりもずっとおそろしいものかもしれない

と思うようになったのです。

私は朝に散歩するのが好きなのですが、このへんはハチがいます。私はあの羽音を聞くだけで震えてしまうほど嫌いなのですが、

「それは本当におそろしいことなのだろうか?」

と自問してみると、少なくとも私は生まれて一度もハチに刺されたことすらないことに気づき、それでもおっかなびっくり羽音の中の散歩を恐慌中、しつれい強行中です。

恐れとは、本当にぜんぶがイリュージョンではないのだろうか?

この世に、恐れていることほどおそろしいことは、ほとんど何もないのでは?

私は、「先送りがやめられません」といったご相談を、定期的に受け取ります。

そうした方のために、いろんなライフハックとかタスクシュートとかマインドハックを、ずらりと並べ立ててきたわけですが、そもそも、これからやろうとすることをすることをそんなにおそろしがらなければ、先送りなどひとつもしなくなるのではないでしょうか?

ホネの折れそうな、分量の多そうな、そして高いレベルを求められる仕事は、一見したところおそろしいものです。

膨大な時間を失う恐れがある。

気力を消耗してしまう恐れがある。

大変な苦労をしたあげく、さんざんこき下ろされる恐れがある。

けれどもよく考えてみると、以上のようなことが仮に本当に生じたとしても、それほどおそろしいことなのでしょうか?

といったお話はでも、倉園さんの肉声を通じて聞いた方が、はるかに効果があります。この記事の下のビデオで、イリュージョンの問題を扱っていますので、お好きなものをお選びになってみてください。

けっきょく「売り込みなのか!」と思ったでしょう。つまりそれが警戒心というもののはずです。

こんなものを「もし本当に買う」とすれば、ある種の人にとってはとてもおそろしいでしょう。

ネット上で2000円以上のお金を失うのはおそろしいことです。本屋さんで2000円を失うのはおそろしいことではなくても、です。

倉園佳三だとか佐々木正悟だとか、そんな人たちの動画に2000円も払ってしまったら、親にばれたとき、何と言い訳したらいいのでしょうか?

実におそろしいことです。