元に戻るということはない
起きたら、驚いたことに停電でした。しかも、きわめてローカルに限定された地域での停電。
テレビをつけても、そんなニュースはまったくやっておりません。いや、テレビはつきません。
この猛暑の中、停電の何が恐ろしいかといって、冷蔵庫です。
クーラーがつかないのも怖いものです。
そのわりに、シャワーをひねっても水しか出ないというのも不便なものです。
それから、忘れてはいけないのがウォシュレット式のトイレにうっかり用を足すことの危険!大だったらもう!
というわけで、「文明のありがたさを再認識」しました。文筆業でなくても、こんなありきたりの文章を書くことは恥ずかしいことかもしれません。でもここをひねってもろくな文章にならないものなのです。
いつ「文明のありがたさを再認識」したのかといえば、もちろん電源復旧のその瞬間にです。
そして同時に思いました。
やった!元に戻った!
そんなふうに思ってしまう。これが記憶のワナというものです。この世の中は、決して元通りに戻ったりはしないものです。
調子を狂わせると私たちは、いまはスランプだ、早く調子が「戻ればいい」などと考えてしまうのです。
体調でもなんでも同じです。「元」という記憶の中の基準値があって、「それ」に戻ることが本当にあるかのような錯覚を抱いて生きています。
元に戻るということは、過去に戻るということであり、タイムマシンがないので、それは不可能です。私たちは前へ前へと進む一方です。それをあえて「進化」などという人もありますが、進化は世代をまたがなければ起こりません。よくて進歩でしょうか。
でも進歩というのはやはり、記憶のワナにだまされているだけのようにも思えます。あるのは、進化ではまったくなく、進歩でも成長でも向上でもなく、変化だけのはずなのです。