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「私の身体」という思い込み

以前から私は、このブログや拙著『グッドバイブス 安心力で生きる』などで、「私たちの本体は身体ではなく意識である」と主張してきました。

こうした考えに慣れている人はともかく、現代では一般に

「私」とは私の肉体に根ざす何か

と考えられています。もちろんそうは考えないという人も少なくはないでしょうが。

ただ、このように簡単に「私の肉体」というものの、これがいったいなにを指すのかは、じつはかなりあやふやです。

「幻肢」という概念があります。なんらかの理由から四肢の一部を失っていても、存在しない腕や指を脳が「存在するもの」として扱ってしまうことがあります。

「腕のない人が幻肢をもつ」ことがあるのなら、どうして私たちの身体感覚そのものが「幻肢のようなもの」というわけにはいかないのでしょうか?

実際わたしはよく必死に走る夢をみます。夢の中で走っている私は幻です。現実には誰もそのように走ってなどいないのです。

ラマチャンドランという高名な脳科学者が「幻肢」を詳しく研究し、それを紹介しています。たとえばジョン・マグラスという人は腕の切断手術を受けてもなお「テニスのサーブをし、電話の受話器を持ち上げ、レストランではボーイに勘定の合図をする」というのです。

私はコーヒーカップをジョンの前に置き、つかんでほしいと頼んだ。そして彼が手がとどいたと言ったとたんに、カップをぐいと引き寄せた。
「うわっ」と彼は叫んだ。「やめてください」
「どうしたんですか」
「やめたください」と彼はもう一度言った。「カップの手に指をかけたとたんに、あなたが引っぱるから。すごく痛いんですよ」
ちょっと待て。本物のカップを幻の指からもぎとったら、この人は痛いと叫んだ。もちろん指は幻覚だが、痛みは本物だ

私にはこのやりとりも、ラマチャンドランの書いていることも本当だと信じられます。しかしそう信じてしまうと「私の身体が私が感じているとおりに在り、見えているとおりの姿をしている」とは信じにくくなってしまいます。

あなたの身体イメージは、持続性があるように思えるにもかかわらず、まったくはかない内部の構築であり、簡単なトリックで根底から変化してしまう。身体イメージは、あなたが自分の遺伝子を子どもに伝えるために一時的に作り出している外形にすぎないのだ。

以上をふまえてもう一度、冒頭の倉園さんの主張を読みなおしてみましょう。

「私たちの本体は身体ではなく意識である」

いかがでしょう?