「私の身体」という思い込み
こうした考えに慣れている人はともかく、現代では一般に
「私」とは私の肉体に根ざす何か
と考えられています。もちろんそうは考えないという人も少なくはないでしょうが。
ただ、このように簡単に「私の肉体」というものの、これがいったいなにを指すのかは、じつはかなりあやふやです。
「幻肢」という概念があります。なんらかの理由から四肢の一部を失っていても、存在しない腕や指を脳が「存在するもの」として扱ってしまうことがあります。
「腕のない人が幻肢をもつ」ことがあるのなら、どうして私たちの身体感覚そのものが「幻肢のようなもの」というわけにはいかないのでしょうか?
実際わたしはよく必死に走る夢をみます。夢の中で走っている私は幻です。現実には誰もそのように走ってなどいないのです。
ラマチャンドランという高名な脳科学者が「幻肢」を詳しく研究し、それを紹介しています。たとえばジョン・マグラスという人は腕の切断手術を受けてもなお「テニスのサーブをし、電話の受話器を持ち上げ、レストランではボーイに勘定の合図をする」というのです。
私にはこのやりとりも、ラマチャンドランの書いていることも本当だと信じられます。しかしそう信じてしまうと「私の身体が私が感じているとおりに在り、見えているとおりの姿をしている」とは信じにくくなってしまいます。
以上をふまえてもう一度、冒頭の倉園さんの主張を読みなおしてみましょう。
いかがでしょう?