「できなかった自分」はどこにいる?
この3者対談によるインターネット・ラジオの中で「できない自分をむやみに反省しない」がテーマにあった。
「できない自分」というよりも、正確には過去の振り返りであるから「できなかった自分」である。この言葉は精神分析の「不在の母親」と似たおかしな響きがある。
たとえば「毎朝2キロ走ることによって健康が保たれる」と信じている人がいるとする。しかし前の日はたまたま大雨で「走ることができなかった」。その人は「これでは不健康になってしまう」と不安に思うかもしれない。
これは「できなかった自分」によって何か被害にあったと感じていることになる。
しかし現実をよく考えてみると「走らなかった」ということはつまり「なにもなかった」だけだ。なにもしないということはそこにはなにもなかったわけだ。なにもなかったところから「被害がもたらされる」というのは奇妙ではないだろうか。