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相手の言っていることがどうにも意味不明なとき

なんど読んでもわからない、けれどもじつに不快になる「レビュー」や「メール」をもらったとき「だからいったいなにが言いたいんだ!」と叫びたくなることが一度や二度はあるでしょう。

これこそが相手の伝えてきていることなのです。

「何がいったい、言いたいのだ?」

と私が言われているわけです。でもこれと違った複雑怪奇な表現が採用されているにすぎないのです。

ずっと腹を立てていた。あなたにはピントのずれた発言が何度もあった。ほかの人と会っていることだって、どうこう言われたくなかった。
それでも、自分は我慢して、あなたの言う通りにやってきた。それなのに、あなたは私が我慢していることに気づこうともしなかった。
「意識してなかったけど、そうかもしれない」
と私が言っていたときがあったでしょ? 

あれは「違う」と言っているの! 
カウンセラーなのにそんなこともわからないなんてありえない。あなたにはひとの心がわからない! 

ずっと絶望していた。そもそも私はただ眠りたかっただけ。恋人が欲しかったわけでも、友達が欲しかったわけでもない。あなたのせいでこんなことになった。

いくら臨床心理士とは言えこうまで言われれば

「いや!ちょっと待ってよ!」

くらいは言いたくなるでしょう。これが、相手のいわんとしているセリフの中身なのでしょう。

ひどくみじめな気持ちでした。自分が長い時間をかけて大失敗した能無しのように思えました。でも、不本意な気持ちもありました。あまりに一方的すぎる。

「あまりに一方的すぎる!」と言いたくなる気持ちというのは、相手からの「あなたはあまりに一方的だった!」という訴えなのです。

ただこれはカウンセリングの中での話です。そのため「あなたはあまりに一方的だった」の「あなた」が、必ずしもカウンセラーその人を指しているとは限りません。

というより、どんな場合でも、およそ誰かを激しく罵っているようなとき、罵られている相手こそ、罵られている内容の責任者であるとは限りません。

本当は夫にぶつけたい憤懣を、手近で聞いてくれるからという理由で目の前の息子にぶちまけるというのは日常茶飯事です。そういえばうちの母もよくやってくれました。いまから見るとかわいい話です。

カウンセラーなどというのは「憤懣のぶつけ先」としてはまさにうってつけとも言えます。

彼女は怒鳴り、僕は言葉を失ったまま。そういう一方的な時間が終わりなく続くかのように思われました。  
そのとき、ふと気がつきました。  
これこそ、 彼女がされてきたことなのでは

だからこれが大きなヒントになりえるのです。一方的に言いつのられて自分が思わずいい返したくなる言葉こそ、相手が伝えてきている内容です。

必ずしも「私に」言いたいことではなく、その人が誰かに言いたくても言えない内容を、代理人として「自分がかぶっている」というわけです。

私はこれに気づいてから、家庭でも、仕事の関係者とも、とてもやりとりがしやすくなりました。

何か厳しいことを言われ、傷ついて、気分が悪くなったとき、これを思い出すとよいのです。

  • 相手はほとんどの場合「私に」言っているわけではない。(わたしだけに言っているケースなど皆無に等しい)

  • 私がそうならされた「気分」こそ、相手が抱いてしまった「気分」だ

  • この線に沿って相手とコミュニケートすれば、だいたい何とかなる。放っておいてもいいケースも多い