自己肯定感を今すぐあげる

この本を読むといい、という話ではありません。もっともこの本は名著なので、読んで損はないと思います。

この本に書いてあることはほぼ一文に集約できます。

他人に興味をもとう!

これだけです。

ネタバレよくないじゃん!と思われるかもしれませんが心配無用です。

なぜならこの程度のことでは私たちは「他人に興味をもてない」からなのです。この本がこうも分厚くなって何度も同じことが繰り返されているだけなのに何度も改訂され何百万部と増刷されているのは何のことはありません。

私たちは自分自身にしか興味をもっていないからなのです。

私も倉園佳三さんとYouTubeを収録していてつくづく昔のことを思い出しました。

そういえば「こくちーず」などでセミナーの告知をする際にも、他人にことにいっこうに興味をもてなかった私は

「大橋悦夫って人のタスクシュートはすごいんだぞ!このツールについてイチから説明するすばらしいセミナーが開催されるぞ!そもそもこのツールの歴史は…」

という私自身が100%満足する「告知文」を書いて心の底から満足しきっていたものです。結果として集客は決してかんばしくなく

「どうして世の中の人はこんなに見る目がないんだろう!」

と憤慨しきりでした。

その後カーネーギーの上の本を読んで開眼させられた私は、告知文を書く前には必ず本書を通読したものです。おかげでずいぶん変わることができました。

それでも告知するたびに本書を読み返さなければならないほど、やっぱり他人のことに自然の興味をもつというのは難しいのです。

カーネギーは書いています。

魚釣りをする人は、自分の好物をエサにつけないでしょう? ミミズをつけるでしょう? あなたがミミズを食べるわけではないんでしょう?

他人は、あなたになんか興味はないんですよ。あなたが他人に興味をもってないように。他人に興味をもって欲しければ、あなたが他人に興味をもつ必要がまずあるんです。

すごく簡単な話なのです。

「自己肯定感」はこれよりもさらに簡単な話です。

大前提として、他の人は私やあなたに興味をもっていません。人が興味をもっているのは何よりも誰よりも「自分自身」なのです。

なのにどうして私たちは「他人の評価」をそんなに気にすることがあるんでしょうか?

他人はすごくいいかげんに私たちのことを評価します。なぜなら、興味をもっていないからです。

カーネギーが百回は「他人に興味をもて!」といっているだけの本を百回読んでもなお読み足りないほど「他人に興味がない」のが人間なのです。

そんな「他人」が「褒めてくれた!」ら自己肯定感が上がって、「けなした!」ら自己肯定感が下がってしまう。自己肯定感なんて、そんな産物です。

このメチャクチャな仕組みを今すぐ自分自身から切り捨ててしまったらいいのです。

私の価値を、私に本質的な興味をもっていない人の手に委ねていいことはなにもないということです。