「枯れ尾花」にも1%くらいは責任があるのかもしれないが
私が「精神分析」の理論についていけなくなったときに必ず戻る有名な文句があります。
幽霊の正体見たり枯れ尾花
という有名な七五調です。
今年で五十歳にもなる私でも、あいかわらず「夜道」は少なくとも「真昼」よりは「怖い」のです。
べつにイノシシに突進されるとか、さいきん話題の「クマ」に襲われるとか、そういったことを恐れているわけではありません。それなら早朝でもあることです。
もちろん暗いところから幽霊が出ると信じてもいません。私の実家は寺で、裏庭には納骨堂とお墓があって、それらに隣接した部屋で寝ていたものです。それでも一度も「霊」に出会ったことはありません。
夜道の「怖さ」は外部の「襲ってくる脅威」のせいで抱く感情ではないのです。私が勝手に内心で「沸き上がらせてしまうもの」なのです。
私はこれを「内心で」抱いていると知っています。だからかりに「ススキ」に「何か」を見てしまっても、それをすぐ「幽霊」とはみなしません。
怖いから「見えて」いるのであって、見えたから怖くなったのではないと知っているのです。
しかし私があまりに「内心」に無自覚で、つまり自分の感情に対して「無意識」になってしまうと「幽霊」は「私の内面」から一人歩きしてしまうでしょう。つまり「ススキ」に「幽霊」を「見て」しまうのです。
もちろん「ススキ」が「幽霊」に多少は似ているところがあると思います。「何もない外部」に「見る」よりは「投影しやすいオブジェクト」に「見る」ほうが無意識だとしても容易でしょう。
このコミックには作者の「あらいぴろよ」さんがそのまま主人公として登場します。
あらいさんはせっかく家族で水族館に来たのに、お子さんが体調不良になって、イライラしてしまいます。そして苛立つ自分に罪悪感を抱きます。
だからイライラしている姿を、ご主人に見られたくないわけです。
荒井さんは内心の強烈な罪悪感と恐怖のせいで「夫」という枯れ尾花の上に「自分を責める男」という幽霊を見ます。夜道が怖くて幽霊を見るのと基本的には同じです。
しかしよく見ればススキはススキです。「自分を責める夫」は「本当の夫」とそっくりだったかもしれません。でもそれは空想なのです。