第七回: MP節約の原理を打ち破りたくなったら
この連載のスタート時に提起されていた課題というのは
連休などで時間ができたときに、なぜずっとやりたかったことやずっとやるべきだと思っていたことをせず、みすみすスマホいじりに時間を費やしてしまうのか
といったことでした。
それへの答えは
人は、時間や気力をもったいながるから、時間がかかりそうなことには着手できない
でした。
スマホはこのようなときに持ち出される代表的な事例ですが、人がスマホいじりに時間を費やすのは、極限まで「小分けされた行為」であるため、習慣化されやすいのです。
前回の倉下さんの記事中に登場した「心理等式」によれば
スマホいじりのコスト = ほぼゼロ
といった「思い込み」があるからです。この判断は必ずしも正確ではありませんが、この種のすばやい判断は、時に不正確であるとも倉下さんが指摘しているとおりです。
「MP」という考え方をここで登場させます。
「MPとは?」について今回はあえて省略しますが、前回倉下さんが「脳にはスローな判断をする部分と、ファストな判断をするところとがある」といったとき、「スローな判断をする部分がMPをたくさん使いがち」という法則があります。
しかし、脳全体として、トータルでのMPの消費を控えめにしておきたいという都合があります。なぜかを説明するにあたり「MPは有限」といった説明をすることが多いですが、もう少し踏み込んだところで「MP消費は脳に有害」という仮説もあります。
いずれにしても、MPを多大に消費することについて、心理的負担を強く感じることは確かです。多大でなくても負担です。
3657 ÷ 139.998
(答えは小数点第4位を四捨五入のこと)
この問題、解けないという人はたぶんいないと思いますが、解く気になる人もほとんどいないでしょう。これがスローな脳部位が活動するに当たって必要なコストに対する脳の自然な反応なのです。
一般的に言って、脳は「システム1だけ」を動かしていたい。ただそうすると「不正確な判断による行動の集積」になってしまい、人生が危うくなるやもしれないから、時間とMPを多めに消費する「システム2」をやむを得ずムリヤリたたき起こす、というのが実状です。
人生がそれほど危うくならないなら、時間があってもMPがあっても、「すでに小分けになっている行動」をシステム1だけで乗りこなしていくように、私たちはデザインされているのです。
それではいけないのか?
それでいいとも言えますし、いけないとも言えます。いけないとする理由としては、システム1の判断がどんなに効率的で有効だったとしても、ある種の錯誤があまりに多く紛れ込むからです。
たとえば、休日にたくさん時間があるという判断は、非常に「システム1」らしい判断ですが、実際にはその「たくさん」というのがあえて言えば「雑」です。そんなにたくさんはありません。
また、脳はトータルとしてMPを節約したいから、時間もMP消費も少なそうな「スマホいじり」への許可を甘く出しますが、システム1の行為といえど、「一瞬」ですむわけではありません。わずかであっても時間もMPも消費するのです。
私たちは「ちょっとだけ」と言うとき、あたかも時間を止められるような、体力を使わずに行動できるような、錯覚を起こしがちです。その錯覚が、休日1日を失う結果につながります。
システム1は「だいたい正確」かもしれませんが、人生を任せるには、頼りなさ過ぎるのです。連休をどう使うかといった、人生の問題としてはさほど難しくない問題ですら、望まぬ結末へと個体を送り込んでしまうのですから、優秀なサポーターとは言いがたいところがあります。
ですから理想を言えば、時間もMPも豊富にある休日などの朝こそ、システム1任せにするのをやめて、システム2がやるべきことを小分けにして、計画を綿密に立てるべきではありますが、何度も述べているとおり、それが難しいのです。
人生が危うくもないのにシステム2に活動させたくない、というトータルとしての脳の「方針」があるからです。
で、スマホいじり。
このパターンに飽き足らなく思ったら、どうしたらいいのか?
というのは
・やるべきことを小分けにして、1日の計画をしっかり立て、それに沿って動くのは、心理的負担が大きすぎる
・だからといってスマホいじりで連休を過ごしてしまうのは残念すぎる
と、どちらも選びたくないとしたら、どうしたらいいのか、ということです。