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「誰のおかげで食えていると思っているんだ!」は防衛

誰のおかげで食えていると思っているんだ!

というのは俗にいう「昭和のお父さん」の決め台詞でした。いまでは非難されますし、たしかに聞いている側にしてみれば感じのいい言葉ではありません。

つまり言われた側は「攻撃された」としか思えないでしょう。
しかし「お父さん」はきっと「防御」のつもりで言ったのです。

「攻撃してでも自分を守りたい」と思う人はいつも、責められてつらい思いを抱いています。

自分の収入ではやっと生活を回すので精一杯だ、というところでしょうか。「そのうえ」を要求してくるなんて、どれほど自分に苦労を強いるつもりでいるのか、と悲鳴を上げているのです。

だれよりも「余裕」が欲しいの当の「お父さん」なのです。

奥様の「昭和の専業主婦」には好きなものを買ってあげて、子どもたちは私立の学校に通わせられて、なお「ありあまる余裕」をもっていたら自分もどんなに心おだやかでいられるか、と夢想しているのです。

その意味で、「余裕」もまた、私たちの頭の中だけに存在する幻想のひとつだと私は考えます。なにかの好条件でたまたま得られることはあっても、私たちの思惑どおりにいつでも確保できるような代物ではありません。

ただ、今はこういう時代ではなくなりました。「昭和」の「高度経済成長期」のようにはいきません。もはや現実の状況のせいで「お金の余裕」は一部ではあきらめられつつあります。

それでもなお「余裕」を求められ続けているのは「お金」よりも「時間」でしょう。

上の「誰のおかげでうんぬん」を「お金」から「時間」に変えてみたら、私たちみんなにあてはまる話になると思います。

「私の時間を奪わないで! 私がどれほどみんなのために時間を費やしていると思っている?」

こんなふうに叫び出したい気持ちになっている人であっても「もっと時間に余裕」があったらこんな対応をしたくないと思っていることでしょう。

けれどももし、引用した倉園佳三さんのブログ記事の通り、お金であれ時間であれ

余裕などは幻想にすぎない

としたらどうでしょう?

そのようなものをほしいと思う代わりに、

「ギリギリでも、いまなんとかなっていること」

に対する評価をもっと大幅に上げてみてはどうでしょう。