昔話①仕事のルーツ

おじいちゃんは筆豆だった

おじいちゃんが残してくれた手紙はたくさんある

お小遣いや荷物を送ってくれる時は必ず超達筆な字で手紙が届いた

おかげで達筆な文字を解読するのが得意になった


手紙の中には、日常の話しから仕事の話し、社会情勢に対するじいちゃんの思い、私への励まし、お父さんとおばあちゃんの昔の話など色々だ


時にはファックスで送られてきた


今も年に一度くらいは読み返している

たくさんの手紙は今でもじいちゃんと私を繋いでくれている


じいちゃんは庭師だ

横浜で「桔梗園」という屋号で造園業を営んでいた

そこに至るまでの紆余曲折も、もちろん、手紙に記してある


父がひとりっ子で、初孫

まだ若かったおじいちゃんは私に「ダディ」と呼ばせるのだと意気込んでいたが、生まれた私を見た途端「おじいちゃんでちゅよー」とあっさりおじいちゃんになったというのは母からよく聞かされた笑い話だ


そんなわけで、可愛い初孫の私はしょっちゅう横浜に遊びに行っていた


おじいちゃんはハイカラで、ベレー帽をかぶったり、木彫りのクマの紐ネクタイをしたり、パイプを吸ったりしていた

そして、造園業だけあって腕力も強く、公園の吊り輪の遊具で、体操選手のように腕の力だけで体を持ち上げ、足を上げてL字になって浮いている写真が残っている


おじいちゃんは私に「仕事とは」「商売とは」という話もよくしてくれた


事務所も家も同じだったから、その風景や背中でも、働く姿を見せてくれた

庭を剪定してるところは見に行ったことが無いのか心残りだが、写真をたくさん見せて話してくれた

庭師になる前は、宝石商をしたり、台湾の商社で働いたり、球場でビールを売ったり?職を転々としてきたそうだ

色んな話を楽しそうにしてくれるおじいちゃんの話を聞くのはとても楽しかった

あぁ、もう描き切れないくらいのエピソードが溢れてくる

とにかく、私にとっておじいちゃんは、優しくて、面白くて、力持ちで、頭がいい、スーパーおじいちゃんだった

じいちゃんの息子である父は料理人で、私が小学4年の時に店を構えた

母方の実家も自営の船乗り

自営業の辛さが身に染みていて「絶対自営業の人とは結婚せん!」と言っていた私だが、現在は自分がフリーランスで活動

2020年10月に個人事業主となった

そういう血筋なのと、やはり仕事に対するおじいちゃんのマインドが、私をこの選択に導いたと思っている

そして今、私は押し花の美しさに魅せられ、作品を作ったり、学んだりしている

なぜ押し花なのだろう、と考えた時

これはおじいちゃんの血だなと思った

植物つながり

ハンドメイドで色々作ってるのは、おばあちゃんやお母さんと一緒

これもまた、いつか書きたい


ここに出てきた、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、とても大好きな4人は、とっくに私と弟を置いてこの世を去っている


死んだ家族の話はなかなかしにくい

でも、確かに私を作ったのは彼らだった


愛されていた自信がある

今も見守ってくれているだろう

でも、もう新しい話はできない


彼らと別れてから10年以上、どこで聞いたか忘れたけど、ずっと共感している言葉がある


人はニ度死ぬ

一つは本人が死んだ時

もう一つは、彼らを知るこの世の全ての人が死んだ時


私の中で、大好きな人たちはずっと生きている


今でも、初孫、初曾孫に合わせられなかったのは心残りだし、寂しいし、会いたいし、話したいけど、私が生きている限り心の中で生きているなら、大丈夫だとそう思えるところまで来た


じいちゃんの話からオールスター登場になってしまった


なかなか破天荒な家族だった思う

もういないのに、ネタが尽きない


また書きたくなったら、他の家族のことも書くかもしれない


最後まで読んでくれた方、ありがとう

娘が寝なくて、めっちゃ筆が進みました

一晩中起きずに寝たいよぅ🤣

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