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レミゼラブル 極私的番外編『30年後のマリウス』

1832年のあの日からすでに30年。
マリウスもすっかりいい年になり、人権派弁護士として金にならない仕事に追われる毎日である。
家では難しい年頃の娘3人と息子1人に振り回され、ここ数週間、最愛の妻コゼットとゆっくり話をする暇もない。

世の中は10年前の2月革命によって遂に王政が消滅し、ナポレオン3世の第二帝政絶頂期である。
束の間の安定経済を享受し、パリ改造による新たな大通り敷設や2回目のパリ万博の出し物などが飲み屋の話題の中心である。

そんな中、今年も6月6日がやってくる。
いつもは時間に追われる彼も、この日だけは止まったまんまの時間と1人静かに向き合うことにしている。

早朝まだ暗いうちに家を出た彼は、街区改造でランビュトー通りと呼ばれるようになった旧シャンブルリー通りとモンデトゥール通りが交錯する場所で1人静かに夜明けを待つ。

徐々に白んでいく空を眺めているうちに、30年前のあの夜明けの光景が蘇ってきた。

かつてこの角にコラントという古めかしい居酒屋があった。口うるさい亭主と労働者、学生、安酒。
その店先に築いたバリケードの上で、気高くも尊い命を散らして行った大勢の仲間たち。

アンジョルラス、グランテール、コンブフェール、クールフェラック、そしてガヴローシュやエポニーヌ。
まぶたに焼き付いた彼らの笑顔と最期の勇姿...

市場に通う人が出てくるまで小一時間ほどそこで立ち尽くしていた彼は、静かに十字を切ったあとセバストポール通りをセーヌ河シテ島方面に向かって歩きだす。

できたばかりのサンジャック塔スクェアには目もくれず、オーシャンジュ橋から見えるノートルダム大聖堂を一瞥した彼は、そのままサンミシェル橋を渡っていく。

カルチェラタンの入り口にあたるサンミシェル広場は、数年前の改装で見事な噴水ができ、いつも学生たちで賑わう活気あふれた場所となっている。

その先の小さなカフェに入った彼は1番奥の薄暗く陽があたらないテーブル席に座る。
出てきたエスプレッソをひとくちすすった瞬間、彼の中で止まっていた時間が動き出した。

かつてこの場所にミューザンというカフェがあり、その奥まった一室がABC結社の溜り場となっていた。

その頃のマリウスは政治思想も青く、恋も知らず、真の友情という意味もおぼろげな20歳過ぎの若造であった。

その彼に革命の意義を教え、背中を押し、彼の目と心を開かせたのがABCの仲間たちであった。
共に笑い共に泣き、酔いながら大声で論じ、激昂し喧嘩もしたが、いつも最後は肩を抱き、声高らかに革命を歌い合った。

みないつか必ず自由で平等な世界が来ると信じていた。

しかしあの日、あの時をもって彼らの時間は突然止まってしまう。
ただ1人マリウスだけを除いて、彼らの人生は永遠に動き出すことなく歴史の中に葬り去られてしまった。

マリウスはテーブル席に座ったまま人気のない店内をぼんやりと見ている。
もう一口エスプレッソをすすったとき、そこに精悍な顔つきのアンジョルラスが仲間と共に現れた。彼はジャーナリストとして第二帝政を批判し、真の自由とは何かを訴え続けている。

大学教授となり哲学としての自由を教えているコンブフェールも居る。
赤ら顔をしたグランテールは医者となり貧しい者の生命を助けている。
姉弟仲良く居酒屋を切り盛りするエポニーヌとガヴローシュも居る。

マリウスはしばらくの間、彼らとの再会を楽しんだあと、いつもの問いを彼らに投げかけた。

『私たちは今、あの日夢見た自由で新しい世界の中に生きていますか?』

その瞬間、彼らの姿は消え、店内は空のイスとテーブルだけが残る元の薄暗い世界に戻った。


あの日以来、ここで何度も何度も嘆き悲しんだことを彼は忘れない。
ひとり生き残ったことを悔やんだことも一度や二度ではない。
そのたびに彼を叱り勇気づけてくれたのがアンジョやコンブやグランや散って行った仲間たちであった。

いつしかマリウスは、その痛みと悲しみを抱えたまま、彼らの分まで精いっぱい生きていくことを決意した。
そして毎年6月6日は、その彼らと、今も生きていればそうなったであろう彼らとここで会い、共に語り、共に歌い、共に過ごそうと決めたのである。

カフェにはもう彼らの歌声は響かなくなってしまったけれど、彼らの魂は今もマリウスと共にある。
そしてマリウスもまた彼らとともに新しい世界を夢見ながら懸命に生きている。

パリに真の自由が訪れるのはまだ先のことかもしれないが、それでもいつかその日が来ると信じて、共に今日を生きているのである。


終わり。

(1862.9.17。パリ)

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