『ギヴァー』シリーズの「見ようとする力」について

注:この記事はロイス・ローリーのギヴァーシリーズ(『ギヴァー 記憶を注ぐもの』、『ギャザリング・ブルー 青を蒐めるもの』、『メッセンジャー 緑の森の使者』、『ある子ども』)のネタバレを含みます。

この一連の作品では「見る力」――特に人の存在や人の心を――が重要視されており、大まかに分類すると以下のようになる。

・『コミュニティ』の「逸脱した精神をもつ者」を発見するシステム
(他と違うものを排除する)
・『ギヴァー』『レシーヴァー』の記憶を与え、受け取る能力
(同じ経験を共有する)
・ジョナスの『彼方を見る力』
(いま目の前にある範囲でない、遠くを見る)
・キラの『どこかを織る力』
(見たものを再現し、織られるべき空白を見出す)
・キラの村の「才能をもつ者」を発見するシステム
(他と違うものを選別し、独占する)
・クリストファーの見えずに見通す力
(見た目のごまかしを無効化する)
・トレードマスターの『欲望を見る力』
(脅迫し、思い通りにした相手の心を食べる)
・ゲイブリエルの『のりかえる力』
(他者の感情や感覚を自分のものとして味わう)

ギヴァーの世界では(現実でもそうだが)、人にはそれぞれ心の飢えがある。正確に言うと、心の飢えを自覚してしまう。キラやジョナスは心の飢えを知ってしまったがために自分の故郷から抜け出し、トレードマスターは心の飢えを指摘することで相手を誘導し、ゲイブリエルはトレードマスターの飢えを理解することでトレードマスターを打ち倒した。そして『癒す者』であったマティは、「自分の世界そのものを守りたい」という最大級の心の飢えを自覚して――力を使い果たし、死んだ。
心の飢えを知ってしまうと、死に近くなる。
それは少し入れ替えると、『心の飢えを満たすために人の心を見ようとする』こと自体が死に近くなる、ということだ。実際にトレードマスターはゲイブリエルによって飢えを指摘されるごとに弱っていった。飢えを満たせていなかったと知ったときに、飢えは最も激しくなる。
『見る』というのは、人の心を食べようとすることだ。
だから人は人を見るとき、食べずにいようと思わなくてはならない――そして、食べさせようと思ってもいけない。人同士が見たり、心のやり取りをするときに飢えのパラメータに変換してはいけない。それは絶対に満たされないパラメータになってしまうから。

とりあえず、情操能力に乏しい私がギヴァーを読んで思ったのはこれぐらいだろうか。多分この『食べようとしてはいけない』が社会性のスキルツリーを伸ばす上で重要だし、だから人は理性と獣性だとかそういう対比をしたがるんだろう。脳と胃袋はそれぞれに独立したOSのようなものがあって、ネットワークで繋がってるだけなのだけれど、人間はたぶんしばしばそれが混濁して、脳なのに胃袋のつもりで考えたりしてしまう。作中に出てくる『チャンス・マシン』は、まさにその混濁を促すための装置だった。

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