地平に立って僕は知る。君の優しさだけを【掘り起しアーカイブ】

はじめに:いきなりアイマスの話

 要するにクソ長い(うえに言い訳してるのでさらに長い)ので覚悟してねって話。10年前chYの事を受けて書いて、今年10周年だから再アップしてるというのはあって…そういう作品なので、自分としては面白いとは思うんですが、前置きなしにお付き合いいただくのもちょっとしんどいな、という、言い訳です。

 この作品は2010年、当時僕はリビアのトリポリにいた際に書いたものです。暇すぎた…というのが正直なところです。形式としては、2010年の当時は未来だった「2017年頃の東京と、アイドルの姿」を男二人が語るというものです。まぁ、当たったり外したりしてます(なんでこんな中東移民が増えると思ってたんだろう?あと流石に新聞社が消えるまでが早すぎる)。

 はじめに、として、なぜアイマスと絡めたのか?そしてなぜそれを今回アーカイブ復活させたのか?の話をします。

 僕は初代アイマス(アーケード)をちょっとかじり、「これはとんでもない事になったぞ」と思った人間です。「プレイヤーがどこまで鍛錬を積んでも、ライバルがいなくならず、そしてアイドルが自分のものにならないギャルゲー」というものへの衝撃です。そんな辛口の世界があるの?アイドル推すのしんど過ぎない?と当時思いました。

 その後アイマスがXBox360に移植され、挙句グリーンバックコマンドがある事が発覚し、ニコニコ動画でアイマス(を素材にした)動画が無数に上がってきた時も「これはとんでもない事になったぞ」と思いました。まさしく前述の「誰のものでもないアイドル」が「家庭に入り、プレイヤーのもの」となった瞬間でした。「二次創作」というにはあまりにも「一次エクステンド」な作品たちだった事、そしてこれらを通じてアイマス本編をプレイしていない「アイマスファン」が増えた事、それがプレイヤーおよび新規ファンに許される事の衝撃です。それは、今でいう「推し」の在り方の変化の可能性にも見えました。

 最後に2010年(この作品を書いた年)のアイマス2発表記者会見…これは要するに(今のように男女別に作品が分離されていない段階で)男性アイドルが出てきて発表会がお通夜状態になったという事件があったのですが…で、もう一度「これはとんでもない事になったぞ」と思いました。先のようなプレイヤーにとっての蜜月の終了を多くの人が嘆き、「推す」事の難しさが議論の的となっていました。結局は言うほど難しくならなかったのですが。

私は今のいわゆるソシャゲ・スマホゲーのアイマスは一切やっていないですが、良い意味でアーケード時代のような「プレイヤーのものにならず、プレイヤーからの応援を受け止める、という"正しいアイドルの姿"」にアイマスはなっているようだな、と傍から見ていて思います。「推し」の復権ですね(今の日本語で話しているので簡単ですが、当時からすると結構この変化は大変でした)。スマホという、「どこにいてもソーシャルになるツール」によって、「『自分だけの秘密基地としての家』でアイドルと触れ合う」という概念自体が壊れつつある事を、残念ながら10年前の僕はあまり想像できていませんでした。故にこの作品で話している事はちょっと画角がずれたかんじとなってしまい、以て再アップは不要という整理でした。

しかし先週、大きな一撃が来ます。

 わぁ!…いや、私が星井美希を推しているという事ではないです。新日本プロレスのEVIL風に言えば「アイマスがぁ、扱っているものは、ただの女の子じゃねぇ、お前らに、手が出せない、お前らでは、作れない…そういう、アイドルだからな!よく、覚えとけ!」というバンダイナムコエンターテイメントからの強烈なメッセージに驚きました。よくよく考えれば、恐らくアイマスのキャラクターたちはそう簡単に「引退」宣言しないでしょう(ゲームシステム上はした事がありますが)。つまり、この物語は(そう簡単に)終わったと自分から言わない。それなのに、しかし商業的な都合で更新や供給は止まる事がある…これはファンにとって厳しい現実です。そこに、今回、星井美希は「アイドルとして、やっぱり、いてくれた」訳です。「公式が最大手」という言葉がオタクの世界にはありますが、それ以上の「公式以外は公式に非ず」「公式に会わなければ、原典に非ず」「公式が更新する事が世界の更新」という強い力の顕現。これ自体は、僕がこの話で書いている話にかなり近く、(やり方は違えど)星井美希は僕の文章に出てくる「綾瀬ユウ」と同じ出現をしたという驚きがありました。

 途中は違ったけれど、この話のテーマは間違ってなかったのだろうな、という感触が生まれました。この話は、こういう「公式が最大手」である事と、「友達と会うのは大事だよね」という事は、根底で繋がっているというテーマのもと、ダラダラダラダラと野郎2人が酒を飲みながら話をして友達になっていく、そんな文章です。奇しくも、昨今の外出が難しい世相で「会う事は大事」と言い出しているのも、まぁ、タイミングとしてもありなのかな、と。

 長くなりましたが、まだ「はじめに」です。本文、もっと長いです。それでも、なんとなく、「友達と会うのは大事だよね」という事が伝わるといいなぁ、と思います。

本編1:テクノロジー

 「いやまぁそんな緊張しなくていいって、アンタは言ったんだから。貴方に会いに来ました、ってね。もしアンタがその発言の意味をちゃんと分かってるなら、酒飲んでても飲んでなくてもどっちだっていいはずだ。どっちにしろ俺なんだからな。そうだろ?」
 2017年5月18日夕刻、初夏らしく昼は暑くとも夜は冷えるはずだったのに、3時過ぎからにわかに曇り始めたせいで気温は下がらず、蒸し暑さが私たちを包んでいた。カフェ…と言っても、ここ数年で急激に増加したイスラム系移民向けでないカフェは、「集客力を高めるため」(要は「お断り」をするため)大抵はバールを兼ねていたわけだが…カフェで待ち合わせようと言われて乗ったのは失敗だったのだろうか。私が会いに来た男は「賞金稼ぎ」という特殊な職業であり、伝聞では対面を重視するとの事だった。それゆえ、この男が席についてすぐさまウェイターに向かってハートランドを2本頼んでいるのを見た時には自分の目を疑った。付け加えるなら、私は既にコーヒーを頼んでいる。2本…?
 「アンタが聞きたいことあることぐらい、百も承知さ。アンタが何かを記事にしようとしていることも知ってる。なんで記事にしようとしているかは知らないがね。」
 これを質問だと判断して答える事も出来たが、私は曖昧に相槌を打ちながら皆月と呼ばれているこの男をひとしきり喋らせる事にした。彼はまだ頼んだものがテーブルにも運ばれていない、これはまだ戦闘ではないはずだ。
 「…もっとも今や記者なんてものがどの程度社会の役に立ってるのか分かったものじゃないし、記者が貰ってる給料だって低いってことは容易に想像つくよ。大体がそもそもレポートになってないんだけどな、そういうのは。アンタはそういうの書いていないみたいだけど、あれ、酷い値段らしいね。1本500円とかだって?まぁそりゃ、オレや、ひょっとするとアンタが大学で誰かのレポ書いてあげた時だってもっと貰えてるけど、実際今の記事なんてそれ以下だろ?結局広告が入るように目立つ記事、センセーショナルっぽい喧嘩を売ること、そして売った喧嘩は売りっぱなしで責任を取らないこと。ありゃぁ下賎だよ。しょうがないんだけどね、要はポータルサイトとかで如何に目立つかってだけだもんな。アンタ…は知らなそうだな、昔見世物小屋ってあったの知ってるか?蛇女とか、あの手だよあの手。5年位前まで生き残った最後のヤツは本当の芸っていうか、まぁよく出来てたけど、30年くらい前までのはマジで詐欺みたいな出し物でさ…まぁいいや、この話はやめよう。ともかく、アンタの記事さ。ちったあ骨がありそうだと思ってるよ。」
 皆月はこう言いながら私の右後ろを見上げた。ビールが来た事に反応したのだろうし、また私にとってもチャンスだったので
 「いやそんな。でもどうしてそう思ったんです?」
 と、ウェイターからハートランドの瓶を2本受取る(コップは拒否していた)皆月氏へ質問をした。
 「ああ、それは簡単だよ。あ、その前に、ええと、どうも。」
 皆月氏が乾杯の要領で瓶を持ち上げた。私も一応コーヒーカップを少し持ち上げて会釈したが、会話は特に止まらず進んだ。
 「そういうどうでもいい記者はまず会いには来ない。会っても金になる記事を書けないからな。今は結局、ネットで何でも情報が入る。リークサイト、業界ポータル、総合掲示板、ソーシャルネットサービス、ソーシャルとリアルの関係を暴くサイト、あと何がある?いやまぁいいや、何をやるにもネットで調べるのが一番早いよな、はっきり言って。昔で言ういわゆる取材記者は個人の発信者に成り下がっちまったし、その発信を繋ぎ合わせれば新聞なんか要らなくなってしまうのは当たり前だった。ただ、逆にライター記者はもう何をするも無駄になっちまった。だって、メンヘル抱えてるカワイイ女の子の落とし方だってそうだろ?まずやばそうな子をネットで探す。顔写真も見つかる。いい感じの子なら、その子の日記を適当にweb相談やってる医者に投げつけちまう。何を言うべきか答えが分かって、後は連絡取るだけさ。」
 笑い所なのだろう。私は軽く笑った。しかし笑うほどの事でもない事実だった。我々の業界は半分もう無用の長物と化していた。事実として、報道を売りとする新聞社は消え去り、我々も契約記者ではなくなった。その代わり我々記者は全て業界ポータル、ニュースサイトへ投稿する一個人となり、有用となりそうなデータを発信する。ポータルの管理人があとは閲覧数などから金額を決めて報酬を渡してくる。情報は…まさしく情報そのものの価値によって計られるようになったと言われるが、悪い冗談にしか聞こえない。足で稼ぐ情報よりネットで適当に拾った情報を繋ぎ合わせて、あとは皆月氏の言うとおり、センセーショナルそうなタイトルを付けて閲覧回数を稼ぐ方が効率がいいのだ。ソースが「○○ちゃんねる」な事が直ぐに分かる様な記事を書いて小遣いを稼ぐ「記者」とは一緒にして欲しくないというのが本音だが、そんな事は皆月氏には関係のない事だろう。瓶をテーブルに置いて皆月氏はまた喋り始めた。
 「ともかく、アンタはオレに会いに来た。それに、さっき理由を聞くようなオレの発言に対しても黙ってたからね、ああアンタは見栄っ張りのそこらの記者とは違うなと思ったのさ。」
 驚きを隠せなかった事は皆月氏がすぐにニヤリと笑ったので自覚できたが、戦いは既に始まっていたのだ。
 「メールやDMとは違って、そしてまぁ、電話やチャットとも少し違って、対面ってのはリアルが出る。空気…とでも言えばいいのかな。間違ってもオレはプロファイラーではないし、アンタの動きや表情の癖は知らないけど、なんだろうね、空気とでも言えばいいのか…分かるんだよ。そういうのが大事というか、それを武器にするのがハンターだからさ。」
 「なるほど…(と少し呼吸を置く為だけの相槌を私はした)…文字や言葉じゃない痕跡ですか。」
 「そうだな、結局それを追っていく事になる。」
 賞金稼ぎ(ハンター)は、入手を依頼された情報を手に入れて依頼主に渡すという、一昔前なら探偵と呼ばれていた業種である。これがハンターと呼ばれるようになった由縁は、「ある所に隠されている情報を探しだす」から「真偽織り交ぜ多量に存在する情報から真実を抜き出す」という性質の変化、そして事務所を構えなくなったフリーランスが増えた事による(探偵に限らず大抵の職業は事務所を構える必要はなくなっていたが)。社会そのものも、人間個人もネット社会でのコミュニケーションに埋没している中で、ハッキングだけでなくネット外での情報をもかき集めて真偽を見極めるその様は、確かに狩りと言えるかもしれない。
 「痕跡…というのは良い表現だな。アンタもハンター向いているかもしれないね。」
 私ははぁ、とだけ相槌をした。
 「情報、ってのはネットに出回ってる。そりゃぁ出回ってるさ、何でも。嘘でもね。でも問題は、情報じゃないもの、あるいは情報になりきっていないものさ。新宿駅が人でごった返しているのは誰でも知ってる。それ自体は確かに情報かもしれないけど、そんなことを今さら発信する阿呆もいない。次に、じゃぁ例えば、そのごった返しの中で綺麗なお嬢さんを見掛けたとする。ちょっと嬉しい。でもこれもあまり発信されない。綺麗な人を見たなんてこと自体はしょっちゅうあるからな。ネットに呟く中毒野郎でも昨今は呟かんよこんなこと。でもじゃぁ、これ、お嬢さんを見た人がその事を忘れてるかと言えば多分忘れてない。そして例えば、このお嬢さんがオレが探してた人の可能性は無いと思うかい?」
 「そんな漠とした痕跡でもヒットした事があるんですか?」
 「いや、さすがにない。だけど、究極はこういうことさ。情報化されていないことはいくらでもある。情報を整理して、その穴を埋めるために痕跡を探す。そうすると分かるのさ。」
 「痕跡の探し方というのは…?」
 「とにかくのインタビュー、そしてその準備となり得るよう、とにかく顔を売ること。知り合いを作り、知り合いから噂を得ること。だからアンタは向いている。とりあえずはオレに会おうとしたからな。名前も覚えたよ、田上さん。」
 最後の言葉は挨拶であり、こちらが喋る番だと暗に示していた。
 「はぁどうも。しかし、私は今日はハンターとしての心得ももちろんお聞かせ願いたいのですが、それ以上に綾瀬ユウ事件を解決されたハンターである皆月さんがその、アイドルというものをどうお考えなのかという事を知りたいのです。」
 「…というと?」
 ハートランドを瓶から飲ながら、皆月氏はこちらを見ていた。ここの答え方にしくじると後がややこしそうだ。
 「つまり、ハンターが重視する、いわゆる情報でない部分の痕跡と、この世の中で生身のアイドルが必要とされる理由が、何かリンクするはずではないかと。人、という中に、何かその…」
 やめよう、これ以上を言うのは危険だし、実際言葉もまとまっていない。
 「それを聞きに来たのです。そしてそれを見つけられれば、綾瀬ユウ事件の記事の中心にできると思っています。」
 聞いている皆月氏の視線を感じ、言い終えた瞬間に自分でも宣伝だけで空っぽだと思ったが致し方がない。分かってない事を聞きに来ており、こちらはどの道どうやっても下手なのだ。これ以上押しても仕方がないのは明らかであり、後は判断を待つしかない。
 皆月氏は変な…と言うと失礼だが、事実変な表情をしていた。参ったようにも見えたし、予想の範囲内という風にも見えた。「ふぅ…ん」とため息のような声を出し、その後、ハートランドを一口飲むと、おもむろに口を開いた。
 「まぁ、会いに来たってのが、正真正銘会いに来た訳じゃないのは分かってたし、その目的が早めに分かったのはいいことだが…アンタ少し正直すぎるね。ビリヤードでもバウンスショットさせないタイプだな。いい狙いで打ってるからいいんだろうけど。いやともかく…難しいことを聞くアンチャンだな。応えられる…とは思うけど、長いんだよな…アンタのそれに応えるには。」
 「はい…」
 「そう、どうやっても長くなる。というより、アンタの質問は凄く良くて、アンタやっぱハンター向きだよ。ってのも、その質問に答えようとすると、オレが綾瀬ユウに会うまでを全部話さなきゃならない。それは要は、綾瀬ユウ事件の全容って事だからね。オレが話す量が多すぎるよ。ビールだけじゃ無理だわな。」
 そう言って皆月氏は笑った。仕掛け時だった。
 「では、この後飲みにでも行きますか。」
 「そうね、まずは残り一本のこれ(と、ハートランドを手にし)を開けている間に、アンタのアイドル論っていうか、疑問点の整理をしていこうかな。」
 試されているが、ここで何をしても仕方ない。私は正直に話し始めた。
 「2013年頃を境に、アイドルのあり方…というより、アイドルの愛され方というものに変化が出てきたのではないかと私は思っています。」
 「続けて。」
 「アイドルが自宅にいるという状況の変化です。つまり、リアルタイムトレースが出来る3Dモデルは言うに及ばず…私が言っているのは、いわゆるアイドロイドについてです。一部Vtuberに関する3Dモデル販売の影響があった事は否めないかと思いますが、ファンの間で偶像としてのアイドルに立体性がより強く求められ、それが消費されるようになりましたね。ポリゴンデータ化とそれを動かすソフトは2009年頃からありましたが、ついに生身への応用が効くようになり、お人形遊びとしての生身のアイドルという新しい可能性が出た事、しゃべっている生の声を分解し、文章読み上げソフトや自動歌唱ソフトの素材としてしまう事。アイドルが、まさしく一種のアンドロイド化され、ファン一人一人にとってのアイドルとして存在する事が可能になった。」
 「(ハートランドを口に持っていきながら)それで?」
 「そうして、PCモニターの前だけでなく、スマホのAR(拡張現実)やヘッドマウントディスプレイを組み合わせて、言わば動き喋り反応する自分だけのアイドルを家のそこかしこにおけるようになった事。まず私は、この時点でアイドルとは一つのカタログになり下がってしまったのではないかという疑問を持っています。」
 「ん?」皆月氏がハートランドを口から外し"待った"をかけてきた。
 「カタログって、何のカタログ?」
 「ええと…本末転倒な表現になりますが、アイドルはアイドロイド化されるための女性のカタログではないか、という意味です。玄関を開けると廊下から走ってくる女の子がいる、続けて部屋に入るとサーバとなるPCと連動し天気予報の話や雑談を用意してくる。ある意味でこれは、アイドル達が君臨したステージという非現実空間から最も離れた姿、現実に所有された姿ですよね。」
 「ああ、まぁね…」
 「もちろんこれは側面的な見方です(皆月氏の反応を見て私は作戦を変えた)。その一方でファンは今だステージに駆けつけ、いわゆるヲタ芸を覚え、捧げている事をアピールする。所有と崇拝がごっちゃになる…のは宗教的な意味での偶像とは明らかに異なる事です。もちろん、所有と崇拝の両立性はアイドルという世界では古くから見られる問題です。グッズにしろ何にしろ、ですよね。ああポスターのセイコちゃんが僕を見ている、といった具合に。ただそれは、ああマリア様私をお助けくださいとすがる信者がマリア像からの視線に何かを感じている事と同レベルで片付ける事が、昔なら可能だったかもしれないけれど、今やそれは不可能に思われます。あまりに偶像は、信者のためのものとして私物化もされている。」
 「なるほど。で、それのどこが疑問なんだい?」
 「その違いは技術的な原因…つまり先ほど述べたようなテクノロジーによってアイドルの私物化が可能になったからなのか、それとも…何かが思想として変わってしまったからなのか。実際、アイドル側の露出の仕方も変わってきていますからね。」
 タイミングよく皆月氏が瓶を置いた事もあり、私は一旦ここで間を置いた。
 「アイドルの露出の仕方と言うと…結局は"Fillmore"の話になるのかな。それとも今は別の話?」
 「(しめた、うまい進み方だ)"Fillmore"の話には…当然綾瀬ユウの話もする以上必要になりますが、今はそれ以前の話を。"Fillmore"以前の、所謂物量式…というより、まさしくカタログ式アイドルの話をします。プロデューサーの"佃、"や冬木清志さんが完成させた大人数型アイドルはまさしく所有に拍車を掛けつつ偶像化を狙うという意味では野心的かつ的確でした。」
 「まぁね、客に買いたいものを選ばせる夢という意味で、よく言えばデパートみたいだ。」
 「ああ、そうですね。大人数の女の子がいるという現実自体の持つ魅力、そこからお気に入りを一方的に選んでいいという、非現実的なアイドルだから出来る優位性。この二つを見る側に与え、プロデューサー側としては結果選ばれた者を残せばいい。アイドルに振り回されるのではなく、アイドルを皆で私物化するという特殊な状況下で、アイドルを振り回して抽出する事に特化していました。」
 「楽な商売考え付くよなぁ、冬木のなんてキャバクラと紙一重だぜ?」
 「まさしくカタログなんですよ。選ぶ楽しさが大人数型の要です。そもそも論からして偶像としての神話性に欠けている。何せもともとone of themなものを、応援して露出を増やさせて、そうしてファンが育てるんですからね。神話はなく、応援という形でステップアップし、そして最後には、私物化される。アイドロイドが作られる。」
 「似たような事がゲームでもヒットしていた。」
 「"iDolm@ker"(アイメク)ですね。」
 「うん、それそれ。」
 「アイメクも結局は選び育てるゲームでした。あのゲームこそ真のアイドルメーカーというか、キャラクターはアイドル化しましたね。ご存じなんですか?」
 「オレもやったもん。怜子が好きだった。」
 「アイドロイドの元祖と言っていいかと思います。もとよりポリゴンだったため、疑似の二次創作3Dデータによるダンス、映像編集や声を加工して"新曲"を歌わせたり。そうこうしているうちにゲーム本体で背景を消すコマンドがある事が判明、コラージュや加工がしやすくなり、アイメクのキャラクター達は動画サイト等に遍在するようになりました。怜子ファンは製作に熱心な方が多かった印象があります。疑似会話する動画とかありましたよね。」
 「"すえまつ"とかの作品だな。」
 「アイメクのキャラはアイドルそのものでしたよね。ゲームをやってないけど誰々のファン、というファンも現れ始めましたが、その原動力は、ファンがそうやって自分達の楽しみのために、敢えて言えばゲーム外のところで勝手にやった行為ですよね。原典に関係ない所で神話が創作されなおし、ファンが増えていく。」
 「痒いところに手が届いていたというより、背景削除コマンドからも分かる通り、痒いところを意図的に残していたと見るべきだろうな。」
 「その状況、つまり本家以外が本家と同等のものを作れるという状況が、いまや生身のアイドルでも出てきたように思います。はっきり言ってしまえば、しっかりと物理計算されたモデルを用意できれば、アイメクに近い状況に成り得るのではないでしょうか。精巧な二次創作が元のアイドルを補強、いやそれどころか一人歩きを始める事もあり得る。逆にこうしてアイドルは発信する存在ではなく、各人が楽しみまた発信する為の素材にまで落ちてしまうのではないかという危惧も可能かと思います。あと足りないのはAI程度でしょうか?」
 「なるほど…」
 皆月氏は二本目のハートランドの最後の一口を飲みきると、こちらを見つめて聞いてきた。
 「それが綾瀬ユウ事件に近づく鍵だと思うか?」
 答えはノーだ。皆月氏もノーと思っているに違いない。だが、答え方を間違えると皆月氏が次の店に来てくれるかすら怪しくなるだろう。私はまっすぐ前を見て答えた。
 「いいえ。それでは失踪する意味が…すいません、正確にはギブアップする意味がとでも言えばいいのかな、それがありません。テクノロジーによってファンによる私物化が進んできた事に対して、それに対して抵抗心が見てとれる失踪では、意味を持った対抗ができないからと考えるです。何かもっと、根元的なところで彼女の失踪はあったのではないかと考えます。アイドルとファンの間の何か…」
 突然私はハッとした。答え方にこだわりすぎて途中から的を絞り込めていなかった事と、皆月氏がこちらをまっすぐ見ていることに気付いた事とに自分で不意を突かれたような格好だった。
 「ふむ…」
 皆月氏は空になったハートランドの瓶の口を見ていた。私は緊張のあまり声も出なかった。
 「オレも似たように感じたことがあるよ。でもそこまでじゃ全然彼女を捕まえられなかった。綾瀬ユウを捕まえれたのは全くの偶然だったしね。とりあえず、これから歴史を話していくに当たっての準備ができている段階ではあるよ、アンタはね。」
 安心する間もなかった。難題はこれからという事ではないか。
 「"Fillmore"のやり方は変わっていた。そこから演繹されることを考えなくちゃいけない。アンタもあと一歩だよ。ほぼ見えてきてる。よし、次の店行くまでに話し方考えるから、アンタそのコーヒー飲んじゃいなよ。」
 「あっハイ」
 しまった。どうしてこんなにコーヒーが残っているんだ。温くなっていたから一気に飲むことは可能だが、何となくただ見られているのは気恥ずかしく、私は質問を投げた。
 「話は逸れますけど、何で皆月と名乗ってらっしゃるんですか?ハンドルですよね?」
 皆月は少し間を開けた。ハートランドの瓶をテーブルの上で少し傾け、底にわずかに溜まるビールが揺れるのを眺めていたが、やがてそのまま喋りだした。
 「ああ、それは…何でもよかったんだが、オレがやろうとしてるのは何なんだろうと思ってね。夜でも月は見上げないと分からない、ああ、つまり、昼ってのは外の何処に突っ立ってても、日陰に居ても、まぁ大体昼だって分かるし、それは要は太陽が出てるって分かるだろ?(はい、と返事もおろそかに私はコーヒーを飲んでいた。)夜はそうじゃない。夜なことは分かっても、月があるかは分からない。見上げないとね。知ろうとして初めて分かることなんだよ、月って。だから…賞金稼ぎやろうって時、自分は何になってしまうんだろうと思った時、オレがこれから調べようとしているのは皆の月なんだなって思ったのよ。」
 「なるほど(と私はカップを置いた)。ハンドルでお仕事されるって、なんか屋号みたいですね。ある意味、ナニナニライターなんて肩書きよりいいかもしれないな。」
 「それはどうだかね。さて、さっきも言ったけどオレは考え事しながらアンタについていくから、アンタ適当なベルギービール飲めるところ探してくれ。」

本編2:劇場

 適当にベルギービールが飲めるところなど数えるほどしかないので、程なくして私たちが着いた店は皆月氏の行きつけでもあった。メニューを考えるなんて雑な事に気を使いたくなかったので幸運と言えた。
 「さて、それ…(乾杯もなく皆月氏はグラスに口をつけた)…で。そう、"Fillmore"について。彼女達はアンタの言うカタログ大衆型じゃない。メンバーはたった3人。バラ売りは徐々に増えたが、初めはとにかく3人セットでしか出てこない。試しに聞くけどアンタの中じゃこれはどう用意されてるんだ?」
 「私も確信がある訳じゃないのですが(口をつけたグラスを置いて話をつづけた)"Fillmore"という名前、Fill moreという挑戦的なメッセージがあるように思います。それはアイドルの、偶像性の再発見です。その為にバラ売りをやめる事。各アイドルが3人というシチュエーションでしか見せない立ち位置を確定させる事で、ステージ上のアイドルを私物化させない事。言うなればボケとツッコミがいる漫才をボケだけ見る訳には行かないように、アイドルを一人だけ見る事は出来ないようにする事、ですね。そのうえでこうしたアイドルを私物化するには、こちらも相応のキャラにならなければならない。高浜天音、ハマハマに対してはこちらもツッコミやフォローをするロール、役割を用意しないと私物化できない。しかしそれを私物化と言えるのか。私物化するというより、舞台をこちらに降ろしてこちらも参加すると言った方が正しいかもしれないですね。」
 ちょうどいい区切りだったが、皆月氏がグラスに口をつけていたのでそのまま喋る事にした。
 「それは"アイメク"がゲームで成功した事であり、キャラ付けの濃さに対応するには私物化ではなく舞台化で付加価値を与える事、これらはカタログ式アイドルではできない事です。あるいはカタログ式で濃いキャラを売るには、その濃さに耐えられるようにそもそも全体的なキャパシティーを広げる必要があり、そんなタレント性が揃えられるなら"Fillmore"みたいに少人数で見せた方が合理的です。」
 一気に喋り、グラスに口をつける。皆月氏は私の方を見ずに
 「そこまで分かってて何が聞きたいのか分かんないな。」
 と呟いたが、拾わない事にした。ここで押しても仕方がない。
 「…もっと言えば、"Fillmore"は当初からキャラ付けがされていたかは疑問、という程度だな。恐らくバタ(田畑洋子)が仕切り役、ハマハマが抜けている役、ユウが傍観する役、というのはもとからあった性質なんだろうが、例えば高浜天音がデビューしてまもなく自己紹介で噛んだ時に、番組ではツッコミがなかったがネットでは放映2時間後にはハマハマとかハマハマネとかハマネとか言われるようになったこと。これなんかはラッキーだったんだろうと思う。プロデューサーには後に会うんだが、当初想定していたあだ名はヨーコ、アマネ、ユウだったそうだからね。」
 「なるほど。」
 「アンタ、十分な下調べが出来ていると思うよ。もう一回聞くけど何が分かんないんだい?」
 「…強いて言えば、"Fillmore"がそうして強化された舞台化をファンに迫る事でファンの私物化に対抗するのに対して、ファンがそうした舞台化を通じた私物化を行う…あー、言い換えれば、テクノロジーの進歩によって舞台から単品だけを複製して私物化するという事が出来るような時、それはアイドロイドの完成度を高める事になる一方、アイドルグループの価値が…価値というと語弊がありますが」
 「損なわれる?」
 「ええ、近い感覚です。ある意味でハマハマファンは、バタとユウのポジションに自分が立つ舞台化や、その舞台からわざわざ抜き出したハマハマの私物化を行う訳ですから、残りの二人は不要という感覚に陥るファンがいてもおかしくないのではないかと。パラドックスなんですよ、組織内のキャラを強化したせいで、組織自体の魅力が下がりかねない。こうなると、ある時を境にバラ売りに特化した方が売りとしては強いかもしれないのでは…」
 「実際途中からバラ売りを始めるよね。3人のときは」
 「ええ、ですが…実際はバラ売りもしつつ、あくまでメインは3人売りでした。舞台化という抵抗はやはり捨てない。何故か。それをどう捉えるかで、綾瀬ユウの発想が変わってくるんじゃないかと…」
 順調に思われた会話だが、私には次の言葉が出てこなかった。皆月氏も考え込んでいるようだった。私は思いきってグラスに口をつけ、公然と助けを要求した。酔い始めていたのかもしれない。
 「そう…少し、なんて言うか…(皆月氏も今までとは変わって言葉を選んでいるのが見てとれた。箸で茄子のジンジャーソース和えをもてあそんでいる。)…いや、言いたい事は分かる。アプローチは分かるし、ここまでは順調なんだが、だからというとおかしいが、ここから先が根本的に違うんだ。」
 「と、言いますと…」
 「綾瀬ユウは逃避した訳じゃない、という事だな。」
 「え、いやいやいや」
 「分かるけど聞いてくれ。」
 「…失礼しました。」
 少しの静寂が訪れた。私は反省すると同時に、しかし、と皆月氏への反論が沸き上がるのを押さえきれなかった。当時人気絶頂であったアイドルユニット"Fillmore"の一人である綾瀬ユウはある日突然"消失"した…引退でもなく、忽然と消え、露出が無くなったのだ。一切の事務所コメントもなく、探しているの一言もないまま残り二人がコンビで露出したりバラ売りを多くしはじめる。当然ファンは騒然としたが、この二人はどこ吹く風だ。そして…7ヶ月後に綾瀬ユウは何事もなかったかのように復帰する。綾瀬ユウは周囲に保護されて「いなくなっていた」。これが逃避でないとすればなんだ。反発か、ストか?馬鹿馬鹿しい。言葉遊びをしているに過ぎず、それは(言葉遊びに止めを刺すなら)広義の逃避に過ぎない。しかも、彼女の発見にはハンターとして一流の皆月氏が3ヶ月をかけたのに、ハンターへの依頼主は、つまり今日の私より先にハンターから真実を聞いた人物は、一人としてネットに名乗り挙げてくることがなく、真実を語ったことがない(偽物なら枚挙にいとまが無いが、その程度なら私ですら分かる)。誰かが口止めしているのだ。この情報開示社会で、偽物に紛れて本物を流出させる事に誰もが憧れ、その為にハンターが雇われているというのに!ひとかどの真実すら公表されず、ただ理由なき休暇だけが残った。そして皆、それに甘んじた。この魔力は綾瀬ユウに存在するのか、それともこのハンター皆月氏に存在するのか。それを暴かなければならないのだ。ここで引く理由は存在しない。だが、聞かなければ穴は見えてこない。
 「アンタの発想はすこぶるマトモだ。普通は何も言い返せないよ。」
 皆月氏はまた話し始めた。
 「だが、実際綾瀬ユウが失踪して、誰がマトモだった?調べたはずだ、如何に多くの人間が虚言を吐きあってこの騒動を大きくしていったか。アンタも綾瀬ユウ事件を調べようとネットのログをさんざ見て思っただろう?無駄な資料がどれだけ出てきた?どれだけ時間を割いた?無駄と思って飛ばし読みしていたら、アンタは綾瀬ユウ事件にたどり着けない。あれが狂気だよ。狂気は正気から生まれるんだよ。本当に正気に由来しないのは、遊びさ。そう、これはファンという狂気に対しての遊びなんだよ。」
 この男は酔っているのか、私は彼の飲んだ酒量を一瞬思い出した。しかし、手も目も声も正気のままだ。
 「遊びだ、試しにアンタの知っている膨大なログの中で印象に残っているモノを挙げてみてよ。」
 酔っているかどうかは別として遊ばれている事には間違いない。しかし付き合わなければ続きはあり得まい。私は覚えているログを反芻した。
 「大きく3つ、挙げられると思います。ユウのファン自身、バタ・ハマハマのファン、そして、昔のアイドルファンという一見すると無関係な集団…」
 「ふん、それで?」
 「やはり驚きだったのは昔のアイドルのファンでしたね。一つには発言の全体的な統一論拠である…"Fillmore"に対して言うならnevermoreという論調。そして根拠が同じでありながら彼らの発言自体は二つの傾向に別れる事」
 「それはオレも記憶している。結局その、もうアイドルがいない事、アンタがカフェで言った、捧げられないこと…これが、むしろ彼らに余裕を与えている場合と、嘆きを与えている場合と言えばいいのかな」
 「そうですね、彼らは鑑賞をしている。(皆月氏が驚いた顔を見せた)ああ失礼、関わる方の干渉ではなく、見る方のカンショウです。古典を読んだりビートルズを聞くのに近い。安定したクオリティ、というより歴史に保証されている事が売りとも言えます。」
 「今保証って言った?」
 「言いました。」
 「じゃぁ現行のアイドルは何も保証されていないとアンタが言うかい?」
 「あー…(私は少し考えた)…現行のアイドルを応援する事はあらゆるリスクの下にさらされていますよね。」 
 「スキャンダルとか?」
 「そうですね、喫煙、恋愛、結婚、クスリ、大コケ、あるいは…突然の引退も。いずれにせよ、その他にもあらゆるリスクを負っています。究極的には、一部のファンには売れ過ぎという事すらリスクとして存在する。私有化の邪魔になりますからね。」
 「オレのなになにちゃんがー」
 「そうです。」
 「ええっと、(皆月氏はウェイターを呼び止めた)もう少し飲もう。今日アンタと会えたのは良かった。だがまだ、遊びを理解するにはアルコールが必要だ。ここまではアンタの回答はオレの結論と違うところがないよ。たぶんアンタは、最後の詰めが甘いのさ。あ、ウールエール2つ。」
 「詰めですか。」
 「そうだね、例えば今の話。2点突っ込んでいいかな」
 「どうぞ。(と、答を身構えて聞くために、私はグラスを開けた)」
 「まず(と、グラスを開けた皆月氏はそのままグラスを置く勢いで切り出した)現行のアイドルにリスクばかりが付き物であるという事。言い換えれば彼らはリスクをとってまで何をしているのか、って事。それは一つのギャンブルだよね。アンタの言う全てのリスクを負ってでもこの子が成長し露出を増やしていき、言わば成功する事を賭けている。アイドルの応援は、消費形態に名を借りたパトロン行為であるとオレは思うけどね。(ええ分かります、と私は相槌を打った。)。問題は…というかこれが2点目の指摘なんだけど、じゃぁパトロン行為には保証がないのか?結論から言えばノーだ。パトロン行為というのはその対象、この場合で言えばアイドルがこちらの投資応援行為を受け止めてくれることに魅力がある。つまり…今アンタがシェイクスピアをいい作家だから応援したいと願っても無駄ってことさ。本を買っても何をしてもアンタの好意…失礼、コウイってする方の行為もだけどこの場合好きな気持ちの方ね、その好意は届かない。しかしアイドルは?」
 「売上が、応援が、主観的に見ればアイドルの支援になっているという保証がある、と…」
 「今主観的って入れたのは性格悪いねぇ(と皆月氏は笑った)。迷惑ってこともアイドルにはあり得るけど、そこはまぁ逆にファンの間の議論の華だから、まさしく主観的にはそう、やってることにフィードバックがある。」
 「でもそれでは…」
 遮るようにビールが二つ来た。私たちはウェイターがグラスに注ぐのをじっと見ていた。泡がやたらにたつタイプのビールだった。ほとんど泡ばかりの一口を口に含むと、口の中で泡から香りがたち鼻にアルコールが抜けていくようだった。
 「つぁ、来ますねコレ。」
 「うまいよね。それで?」
 「ああ、それで、つまり、それでは私の…カフェで言ったような疑問点が解消されません。」
 「というと?」
 「アイドルがそうした保証をしパトロン行為を楽しませる産業である事と、私物化される二次創作作品の関係性です。株主優待の一種ととらえる事も出来るかなと今一瞬考えましたが」
 「それは面白いけどなんか違うね」
 「ええ、そうではない。」
 「でも彼らは二次創作しかできないことは重要なファクターだとは思わない?」
 「原典が必要という事ですか?あるいは…ああ、そうか、一種の農業とでも言えばいいのかな。作物を栽培し、収穫し、そのまま食べてもいいし」
 「加工して食べてもいい。でも、そう、種もなしに一から食べ物は作れない。」
 「なるほど。」
 「付け加えるなら、ファンにとってアイドルが売れなければならないのはそうした原典としての保証がある程度必要なんだと思う。つまり、加工する前の原料としての品質保証がね。(ええ、と私が相槌を打つ間に皆月氏はビールを一口すすった)一からデザインするのは…ああ違うな、一から妄想することは可能だけど、それをデザインとして確立するのは難しいし、なにより、何というか…」
 「閉鎖した?」
 「そう、閉鎖した感じがある。俺が俺の女神を、誰も知らない女神を立像した、ってのはただのカルトか、そうでなくても気持ち悪い感じがする。この構図は宗教や神話的でもあるね。解釈は無限…とまでは行かなくても幅を持てる原典・神話を用意することで人々の気持ちに整理をつける訳だ。アイドルは各人の持つ理想の女の子という神を理解するための神話・経典でしかない。だが、それなしに神は見えない。」
 「まさしく偶像崇拝であり、私物化は避けられない命題だと。」
 「じゃないかなぁ。オレはそう思うよ。そして原典は広く流布されるほどいい、というのも構図として近いよね。逆説的に、生身のアイドルという存在は永遠な気もするね。みんなが理想の女の子を二次元に求めなければだけど。実際、存在しない素敵な女の子という妄想は希薄だよね。迫力に欠ける。」
 「貴女がいてくれるから存在する私の理想…」
 レヴィナス的だな、と思ったが私は黙ってビールに口をつけた。皆月氏もそうしていた。ここまで来た、という思いが場を支配していた。これから、いよいよ綾瀬ユウ事件の追跡をはじめるのだ。

本編3:喪失・回帰

 「悪い、ちょっと便所」
 「あ、ハイ」
 皆月氏が席をたち、一人残された私はこれまでの会話の整理より綾瀬ユウ事件の詳細に記憶違いがないかのチェックを行うことにした。携帯を取り出し、主に日付情報に間違いがないかを仔細に見ていこう。綾瀬ユウの行動及びハンター皆月氏の行動は(当然ながら)日一日と変わるのだから、これを間違えては会話が成り立たない。
 2015年5月8日、綾瀬ユウがWebストリーミング「双方向型情報番組『もーとっ!Fillmore!』」に出演せず、その点について出演者の誰も触れなかった事に端を発する失踪事件は、その番組中からファンの間では大事件となり、目撃談(特に病院が目立った)が後を絶たず既に情報から真偽を嗅ぎ分ける事が困難となっていた。結論から言えば恐らくはほぼ全てがデマであり、綾瀬ユウはファンにも発見されないまま3日が過ぎる。3日目の5月10日、警察関係者のファンにより、所得プロダクションから捜索願が出ていない事が判明、いずれにせよこれまで所属プロダクションから何ら釈明が無かった事と、信憑性ある発見に至らなかった事(もちろん発見を主張する書き込みや写真は存在したが、悉く嘘がバレる形となった)等から、ネット上での話題は「いない」事そのものよりも陰謀論めいた「なぜ」がネットでは流行る事となる。これはいわゆるコアユーザー、ファン全体の変化と言うよりは興味本位で流布をする多くのライトファンないしファンですらないネットユーザーによる影響が大きく、コアなファン達がどういった様子だったかは一部の有名なファン(私設ファンクラブやオフ会の主催者等)しか分からない点も多いが、こうした人々はそのポジションから混乱の抑制に力を注いでいた事が伺える。いずれにせよ、ネット上の情報の85%は嘘だった事は私にも分かっている。残りの15%は、基本的には自発的な捜索を始めた者の「手がかりが見つからない」という情報および他の書き込みの嘘を暴いているもので、要するになんら有力な情報が無いと示すものだった。
 もちろん、皆月氏への依頼も殺到していた、はずだ。はず、というのはその後の皆月氏へのネット上での評価が割れたからだが、ともかく皆月氏が発見したという報告も無かった。この後聞かなければならないが、おそらく本当に、少なくとも数日間は発見できていなかったと私は思っている。
 「よう、悪いな」
 皆月氏が戻り、私は携帯をポケットに戻した。
 「過去ログを少し読んでいました」
 「うん、それで?」
 「私は…お分かりいただけるとは思いますが、アイドルが存在しなくなる事の恐怖という事を認識したのは先ほどです。つまり、原典が必要という意味で。」
 「居なくなっても、既存の作品で私物化は可能…というより、ある意味でコンプリートというゴールは明確になる。でも多分、私物化するにしても居てくれないと困るよ。」
 「ええ、理解できない原典は危険です。なぜ消えたのかが分からないと私物化すら出来ない。ある意味で、こう、フラれた理由が分からないのが一番キツいというような…ネット上で陰謀論や理由探しが流行ったのはゴシップ的要素での流行と、そうした探さずには居られない彼らの衝動がある。」
 「さっきさ」
 「はい?」
 皆月氏が割り込んできた。
 「議題は3つって言っただろ。原典論以外にあるの?」
 「ああ、スイマセン(と謝ったものの、何がいけないのか良く分からなかった。ひとまず論点を変える必要があるのだろう)…バタ・ハマハマのファンの動揺を挙げていいですか?」
 「どうぞ、続けて。」
 「Fillmoreという舞台として強化されたアイドル…ある意味で芸人トリオに近いのかもしれませんが、綾瀬ユウがいなくなった事でファンたちはFillmore自体がなくなってしまうのかという恐れを当然抱いていました。彼らの論調は、アイドルというものは生かされているという当たり前の事への驚きに満ちていました。」
 「うん」
 「当人たちのコンディション・ポテンシャルと、業界全体のバックボーンが必要で、それはいつか必ずや終わりが来る。綾瀬ユウ事件はその終わりが猛烈な勢いで来た一つのケースであるという風に彼らは考えていた。ある意味でユウのファン達と違い彼らは自分のアイドルに対して何故と言う事も出来ず失わなければならない。ユウのファンに比べて天災による店じまいといった様相が強かった。」
 「そうね、Fillmoreのファンは全体的に、アイドルはお前たちのものじゃないという事を突きつけられていた。これは原典論と少し背反するポイントだけど、アイドルは究極的には個人のものではない。」
 「ですが、供給を受けるだけで我慢が出来るのは、古典を読むような手法であり、現行のアイドルを応援する行為とは異なります。言うならば、私物化はしたいけれど…みんなのものとして、というより一人では無理があるから、かもしれませんが…とにかく、応援してフィードバックも得たい。そこのバランスなんでしょうが…綾瀬ユウ自身の行為はこうしたバランスと関係があるのですか?」
 
 ピタッ、と空気が止まった感じがあった。質問が早すぎたか?しかしそれ以前に私はなぜ今スッと飛び出してしまったのか。
 「…結論から言えばそうなんだが…なんというか、あー…いや、分かるかもしれないが、綾瀬ユウのことを喋るのは苦手なんだ。苦手というより、やったことが無い。避けてきた。」
 グラスを軽く持ったまま皆月氏は止まってしまった。私は待てなかった。酔っているとも違う、突然分かった事が口をついて出るようだった。
 「…現役復帰は7ヵ月後、対してあなたが発見されたのは失踪から3ヵ月後と言われていますね。もちろんこの3ヶ月に関してもお伺いしたいのですが、それより4ヶ月のブランクを皆月氏はどう思われますか。」
 皆月氏はこちらを一瞥し、グラスを口に運んだ。
 「どう、とは?」
 「そもそも発見されなければそのまま綾瀬ユウは芸能界に復帰しなかったのではないか、今私は直感的にそう思っています。今日の会話が私に与えたところは大きいでしょう、私は彼女が逃げたと思っていた。しかし今の私からすると、彼女の失踪はFillmoreを通じて明らかなメッセージ性がある。」
 「それで?」
 「そのメッセージ性に気づくことに3ヶ月、気づいた上で彼女に与えた影響が4ヶ月、そう判断することは可能ですか?」
 「もう、凄いよアンタ。すごい。楽だ。今まで話そうとか、あわよくば本にしちまおうと思ってた。もちろんそりゃ、ね。特ダネだった。キツさで考えればどう考えても一攫千金の仕事だったさ。でも形にならないんだ。文字に起こしきれないと思っていた。(私はビールを飲んだ。次に言うことが謝辞だと分かっていたからだ)これは一種のゲロり、刑事に基本的なラインを抑えられたからこその供述だ。アンタだから喋れる。アンタだから文字に出来るかもしれない。」
 「文字では起こせないというのは、分かります。」
 「基本的には文字で起こせない部分を探すのがハンターって奴だから、自分が書けないこと位分かってたんだけどね」
 そう言うと皆月氏はケラケラと笑った。この自虐が面白かったのか、これから喋る事を意識してかは分からなかったので、私は雑談から続けることにした。
 「ハンターの方は、文字情報からは情報の真偽を見ないのですか?」
 「ある程度はね、でも、やっぱり…いやむしろ文字があるからこそ、確認で話に行く。見に行く。文字で起こせない事はたくさんある。誰かが、誰某から聞いた話だけど、って情報を書く。こいつが嘘言ってるかどうかは勘で分かるんだけど、こいつが信じちゃった誰某が本当言っているかは分からん。そこで会いに行く。突き止めてね。」
 「ええ」
 「聞きましたよ?なんて言って警戒するような奴の情報はもう当てにならない。目線の動き、手の動き、そういう気配ってのが、俺らには必要な事。文字情報を起こしただけだと、街にはならない、人にはならない。今日はじめに言った気もするけど、何となく感じている事が街の大部分なんだ。よく考えれば当たり前の事だったし、綾瀬ユウはその点において物凄い敏感だったんだろうけど、街は…その、ハコとしては商業的にこちらへのアピールを前提としているけど、生きている人間はまずそれを受け取りきっていないし、広告なんて意味も無いといえば無い。ニューヨークのコカコーラやカップラーメンの馬鹿みたいな広告も、道頓堀のグリコも、広告としてはある意味で役に立っていない。道頓堀行ってキャラメル買うか?」
 「ハハ、買わないですね」
 「でもそういうものがあって、みんな覚えている。人に関しても言える事で、あんなに大量に人が居て、最近はイスラムの奴らの移民とかも馬鹿みたいに増えて、変になってるけど、意識はしてない。そこを、その、気付かせると変な事が分かる。」
 「街で知り合いが彼氏と居る所を見るって話がありますけど、あれを意図的に掘り起こすような仕事ですね。」
 「ああ、それビンゴ!」
 「…でも…」
 私はまたよく考えないまま喋りだしていた。焦っていたのだろうか、それとも何かが分かってきているのだろうか。
 「それは、逆に言うと、本来一番ハンターが突き止めやすいのは逃げている人なんじゃないですか?(皆月氏はこちらを見た)監禁されているなら話は別ですが、隠れるように街にいる人を探し出すのは、その、空気として最も探りやすいのではないでしょうか?」
 「そうなんだよね。」
 責めるような事を言ったのに、皆月氏がさらりと同意した事に私が逆に驚いていた。
 「オレもはじめそう思っていた。アイドル嫌になって逃げるような奴すぐ捕まるってね。ところが、要するに逃げてたんじゃないんだよな。それが捕まらなかった理由な訳。」
 「と言いますと?」
 「アンタなら考えれば分かりそうだけど、少しだけ続けよう。彼女は私物化のカタログとして、原典として、あるいはただのアイドルとしての自分に疑問を持っていた、というスタートはいい。これはFillmoreが舞台化という形で抵抗していたことにも通じる。」
 「でも逃げたわけではない、という事でしたね。」
 「そうすると、何が残る?」
 「逃げた訳ではないけど、関係を変えるというか、再構築を目指したわけですか?」
 「アンタいくつだっけ?」
 「は?…32です。」
 「脱構築って知ってる?」
 「えぇと、スキゾキッズとかですか?」
 「こんな事言っていると年かな、オレも。やめよう。」
 二人ともビールを口に運んだ。皆月氏はポケットからタバコを出した。高いのによく吸う…いやよく見るとアラビア文字の入ったマルボロだ。ともあれ、それだけ彼にとって会話が佳境なのかもしれない。
 「関係性をとりあえず壊す…という表現が正しいかは分かりませんが、(いや、合ってると相槌が入った)綾瀬ユウとファンの間の関係性それ自体を一度、その…そう、復帰しているから完全な破壊ではないんですよね」
 「そうだな」
 「取っ払う、とでも言えばいいのか。でも、彼女の目論見は上手く行っていませんよね?」
 「というと?」
 「ファン自体は彼女に対しての距離感、原典へのまなざしを変えていない。だからこそ失踪に対して理由を求め、貴方への依頼もあったわけですから。当たり前ですが、関係性というものは、無にすることは不可能ですよ。」
 「でもオレにも見つけられなかった。3ヶ月もね。」
 「…とすると、私の思っているほど彼女は簡単じゃないか、あるいはそもそも皆月さんに読み取れる痕跡を作るほど恣意性が無いかのどちらかでしょうね。」
 きり良く終えたつもりが皆月氏がタバコを口にしていたので、返答に数秒待つ事になった。皆月氏はタバコを不味そうにしかめ面をして吸う。
 「後者なんだよ、袋小路に付き合う趣味はないから言うけどね。」
 タバコを灰皿に置くのを待ったが、皆月氏はそれ以上を言わなかった。
 「特に何も考えてなかったという事ですか?」
 「だろうね。っても、多分方向性は一つあったと思う。俺も含めて、探せるのか、という答は求められていたからね。一つ言えるのは、アンタの言うとおり誰かに見つからなかったらそれっきりの予定だった。これは本人から聞いた話だ。そうでなければ、探している限り会えない、綾瀬ユウの失踪はそう出来ていた。」
 「探さない限り、でしょう?」
 皆月氏は笑ってタバコを手にとって、顔の高さまで持ってきて言った。
 「探している限り、だ。オレははっきり言って、偶然綾瀬ユウに会ったんだぜ。(そう言ってもう一口タバコを吸った)逃げ方が掴めなかった。まぁそも、分かっていると思うが前提から話をしよう。長い冒険話になるけどね。」
 同意の意味で私はビールをすすった。
 「まずそも、彼女の失踪には協力者がいる。少なくとも、プロデューサーと社長は誰がどう見てもグルだわな、何も発表出さないんだから。というより、Fillmoreは行くとこまで実験しちゃったんだな。お前らのものにならないアイドル、としてどこまでやれるか。もっとも、失踪まで当初計画だったのかは分からないけど。多分違うんだろうな、綾瀬ユウが天才過ぎたんだろう。ともあれ、一切発表が出ないまま失踪してプロデューサーも社長も一切動かないんだから、こりゃ普通隠蔽だし、そうするとオレに仕事もバカスカ来る。ところが何も出ない。ビックリするほど皆シロとしか思えなかった。まずそれで依頼主にどう考えてもシロです、もうプロデューサーも社長も多分何か知ってるけどあいつ等が自分で隠せる場所に彼女はいませんって答えた。ボロクソ言われたね(と皆月氏は笑った)。」
 ここまではネットで知れた情報だった。付け加えれば、(皆月氏は自分からは言わないだろうが)、この件で皆月氏は無能という書き込みと、それ以上に彼が今回の綾瀬ユウ事件で「黙っているという形で関与している」、社長やプロデューサーの一味だという書き込みが多かった。
 「監禁はあり得ないとなると、彼女は放し飼いされてるって事になる。逃げ方はプロデューサーも社長も関与しませんよ、と。じゃぁそれを探すしかない。これでコケたらもうオレ依頼来ないから、必死で探した。でも全く見つからない。気が狂ったよ。本名ももう知ってたから、海外には行けない事は分かってた。偽造パス屋も当たったもん(はは、と私は笑った)国内でこんなに人々の目を欺ける理由が分からなかった。しかも時の人だしね。悪いけど生きている人間なんて普通見つかるの…最長ケースで8日。それ以上かかった事なかった。死んだって事見つけるのだってもっと早い。それなのに、こんな有名人で、もうヤキが回ったかどうかしてるかって思っていた。」
 皆月氏は一息ついてビールを口に運んだ。
 「それで、どうしたんですか?」
 「諦めちゃった」
 「…は?」
 さっきとは別の形で空気がピタッと止まったのが分かった。私にはどういう事かさっぱり分からなかった。
 「もう引退だって思って、無理ですって依頼主に連絡しようかと思ったら、なんか中に無茶苦茶怒ってるっぽい人がいて、他のハンターにオレ探させてるのね。オレも黒幕扱いでさ。あ、これ殺されるかもしれないぞ、逃げようと思った。けど、そう思ったんだけど、よく考えたらオレの事知ってる人なんて殆どいないから、まぁ逆に、あえて逃げたりしだしてハンターに分かりやすい痕跡付けるんじゃなくて、ダラッとしようと思って。」
 「痕跡を残さないって、綾瀬ユウみたいにやるって事ですか?」
 「アンタが答に先回りしちゃうのはもう慣れたけど、要はそういう事。でもはじめからそう分かってたら綾瀬ユウだって捕まえられる。これは結果論だよ。で、じゃぁその結果に行く方法だよな。(皆月氏が身体を乗り出してきた)逃げてちゃいけない。好きな遊び繰り返してても目立つ。手堅い事も出来ない。そうすると…まぁ要するに毎日気まま気の向いた事するんだよ。(はぁ、と私は応えた)金はあるけど単発バイトとか入れたり、あ、なんか善光寺行ってみるか、とか、そんな風にぴょいぴょい遊びまわってるとさ、ある日松山でパッタリ会った。」
 「は、はぁ…」
 もう驚きを隠す気もなかったが、あまりにもいい加減な話で私はからかわれているのかと本気で考え始めた。
 「からかわれていると疑い始めてるな。悪いけど、もう数時間話してるんだ、大体の表情の癖は分かってるよ。」
 私は黙っていた。
 「相手を求めない事、彼女もオレもやっていたのはそれだ。逃げるというのは追う者がいる。アイドルにはファンがいる。手堅く篭るには周りの人がいる。旅人にはもてなす人がいる。せいぜいそうだな、散歩する人ぐらいが相手がいない普通の人だ。オレは嫌になったからそうなったんだが、まぁまて、綾瀬ユウは違ったし、これはFillmoreの実験としては完璧なんだ。要するに、今日の話の復習なんだ。」
 「復習、ですか」
 「まぁそう怒るな。気持ちはわかるが、おさらいしよう。現行アイドルのファンというのはあらゆるリスク下にいる事で変化成長する原典、神の声が聞こえ続ける偶像を持つ事が出来る。一方、アイドルから言わせりゃ、ファンはどんなリスクも甘んじて受け止めなければならない。究極、突然引退されたら、遊びを中止しなければならない。ゲームオーバーだ。そこまではおそらくFillmoreのファンなら合意できてる。そこまでFillmoreはやってきた。だがそもそも、システム自体がフリーズする、みたいな可能性を考えているか?突然賭けの対象がなくなるリスクは?…そうしたら、もう何を言っても無駄だ。ゲームで例えるぜ。プレイヤーは一定のルールの下楽しみを享受するが、さまざまな要因でゲームオーバーになる。あるいはクリアまでできるかもしれない。この時、ゲームオーバーは後悔の念を生み出して結末までもってくれるし、プレイヤーはそこまでは覚悟が出来ている。が、さて、では、ゲームのフリーズとなると…」
 「(仕方なく私は応えた)なんでだよ、という気持ちになりますね」
 「まさしく綾瀬ユウの事件と同じだ、みんな理由を求めた。だがフリーズなんだから、反応が無くてもしょうがない。電源入れなおさないと始まらない。32って言ったけど、ファミコンやったことあれば分かるだろ。あの、」
 「本体蹴ったりしちゃうと、プーッ、って音がして止まっちゃう奴ですか」
 「まさしくそれよ」
 「やむなく、リセットボタン押しますね。あるいは電源を切って一度ソフトを本体から抜く。」
 「それそれ。オレも電源切ってソフトを本体からぬいた状態だったから、たまたま会えた訳」
 「偶然ですよね。」
 自慢げにビールの最後の一口を飲もうとしたところにすかさず切り替えしたので、皆月氏の反応は少し遅れた。
 「(グラスを置いて)必然狙っても誰も会えなかったんだから、偶然を引き出すだけでも十分な証明にならないかね?」
 確かにその事実には反論が出来なかった。
 「アンタの言うとおり、FillmoreはFill moreだったんだと思う。私物化にあらがう事で実態に対する経験を高めていくアイドル。でもまさか、引退という形でなく、そう、ゲームオーバーやエンディングを見せず、いきなりフリーズさせちゃう事で私物化から抜けだしてみるという実験まではおそらくはじめは考えられていなかったと思う。Fillmore自体が思ったより実験、つまりカタログ型アイドルを止めるために劇場型でやるって事が上手く行って、そこからどうするって時に、綾瀬ユウが天才だったんだな。彼女のやった事は確実に一つの事実を見せ付けたからね、つまり、何らかの最終回まで原典が更新され続ける事に意味があることを。」
 「芸能界に復帰したのも、その実験の副産物である、ファン・ハンターを問わず会いたがらない事、求めない事というハードルを越えた皆月さんがいる以上…あれ、上手く話が合わないな。」
 「おそらくは、もともと復帰する気は無かったと思う。文字通り手の届かない地平に偶像を追いやるとどうなるか、という意味での最後の実験だったはずだ。だが、まぁオレに見つかってある意味で手の届かない地平じゃなくなった事や、そもそも社長やプロデューサーの発案じゃないだろうから、もう一度復帰して、敢えて原典が必要な事をアピールする方針に変えたんじゃないかな。実際、ファンはいなくなった間なぜを求め続け、戻ってきた時には安堵したんだ。居てくれなきゃ、応援できなくて、困る、というアイドルの条件は完璧だよな。」
 私もビールの最後の一口を飲んだ。二人とも少し黙っていた。皆月氏はタバコを最後一口吸うと、火を消した。

 「おそらく、最初の話に戻っちゃうんですが」
 私は口を開いた。
 「うん?」
 「原典が必要なのは、それでも最後は、私物化のためですが」
 「うん」
 「私物化したキャラクターが完全に生きた人間並であれば、ひょっとするともう原典は必要ないんですよね。」
 「ああうん。それはそうなんだけど…本当にそうかな。自分が持っている私物化した相手だけで満足できるのかな。例えば、欲を張るのが人間の常だからこそ、彼女や奥さんを私物化したと思いこんだ男が不倫するんだろうね。」
 「ああなるほど。なんか、ええ、この流れだと分かる気がします。」
 「くだらない事言ったね。これ以上何かある?」
 皆月氏はタバコに火をつけた。明らかにまだ帰る気は無いのだろう。
 「いや、無いけど、皆月さんと普通に飲みたいです。」
 皆月氏はニヤリと笑うと、ウェイターに手を上げた。
 「最高だよ、アンタ。綾瀬との松山の話してやる。」

終わりに:当時のを一部書き直し

 chYが亡くなった事を、上手く考えられなかったのが2010年の私の一番大事な考え事の対象だった…気がします(正直10年前なので覚えてなくて、当時の「終わりに」を見ても自信が無い。当時、少なくとも仕事はちょっと落ち着いてた)。そんな中、更新可能性というのが人との関係におけるkeyなのではないか、そう思って思い出の人に会いに行ったりしていました。やっぱり、思い出の中で素敵な女性でしたが、会ったりメールしたりした方がより素敵でした。こんなの、当たり前なんですけどね。

 スピッツの「君が思い出になる前に」という歌が、結構「もう無理」と言っている割に甘えた綺麗事言いやがって、と昔はあまり好きじゃなかったんですが、この頃(2010年、私が25歳の頃)は「少し欲張ってていいな」と思えるようになったりしていました。

 当たり前だけど、友達は会える方がいい。会えないことは悲しい。それだけを、chYをはじめ、亡くなった全ての友達へ。Fillmoreのキャラ名なんかは、本名とハンドルが混じってますが彼・彼女らに由来します。ユウについて行動の理由がよく分からないのも、僕はそうした、彼/彼女らの選択を理解できていない事の表れです。

 アイドルに限らず、友人の思い出とは私物です。でも、友人は必ず「存在している」。思い出が卑近で歪められたものだ、という事ではなく、思い出も大事だけど、人間はやっぱり会うのがいいと思うよ、更新可能性は夢だよ、という事を書きたかったんですが、どうだったでしょうか。

 やたらめったら男同士の飲みっぽくしてるのは、chYとの思い出もその辺に多いからですが…今読むと読みにくいですね。でも、実は情報が(会話風に)小出しにされたり前後したりしているので、読み返すと発見があったりするギミックを仕込んでいたはずです(10年前なのであまり思い出せない)。そういうギミックや、「原典」「翻訳」とか言っているのは、胎界主のせいなんだろうな、と読み返して思いました。ちょうどその頃にはまったはず。

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。