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アニバーサリー

おもちゃと同じだよね。“やがていらなくなる為に”、それは必要なんだ。

榎戸洋司「少女革命ウテナ脚本集 薔薇の刻印」より

建設工事のために組む足場のように、最終的には解体され、最終成果物には一切関係ないが必要な工程は存在する。だが、最終成果物が見えない中で組む足場はどうあるべきか…エンジニアの夢を考えるとき、我々が目指すべきは錬金術か、あるいは玩具か。

ところで、錬金術とおもちゃに共通するのは、秘密の遊びだということかもしれない。

無責任さを振り返る

何度でもいうけれど、僕は基本的にいつか来る未来は明るいと思っている。だが、その道筋はまっすぐではないと感じている。今正しいと思われている道筋※1は、そもそもその正しさが限定的なものである通り※2、その先に明るい未来があるのではなく、逆転的に「他よりましなディストピア」※3にたどり着くための徒労※4であると言っている。

何度もリンクを貼り続けたので、もうデカい窓ではなく小さく貼る。
※1:僕が言う「正しいと思われている」という社会性についてのエントリはこちら
※2:正しさが限定的であるというエントリはこちら
※3:ディストピアらしいユートピアに関するエントリはこちら
※4:徒労を説明したエントリはこちら

今社会が目指し、それに向けて邁進しているつもりでも、その邁進した先のものは解体され、目指したものではないものが建立されている。まさしく、私たちが作っていたのは建設現場の足場でしかなく、足場が出来上がった時には自分たちが作りたかったものではない建物がその完成を待っている。

だから僕は、最終的には人が作るんだったらなんでもよくて、馬鹿デカい墓でもあるピラミッドでも作っておけばいいと言っている。(これは最近のエントリなのでちゃんとした窓で貼る)

現代は苦しいし、辿り着く先はろくでもないけれども、いつか人々は救われると思う。問題は時間的制約から僕たちはそこに行けず、未完成な足場を組むだけで終わることだが、前進さえしているのであれば僕はそれでいいと思っている。そう思える理由は単純で、この世にはそういう足場でしかないものが多くあるからだ。例えば石油産業は、いつか(少なくとも今のボリュームで)あってはならないものではあるけれど、脱炭素を推進するために石油産業は必要だ。そういうものはあると僕は思っているし、それが現代社会全体であっても不思議はない。

しかし、どうしても、自分たちに救いがないことは辛いし、この思想は広まっても人々の気持ちは明るくならない。僕のこのシリーズも「面白いけれど、何も救われない」と直接言ってきた人もいた(面白いし興味深いと言ってくれた人もいたが)。

そしていよいよ僕の無責任さの核心を突く質問がやってきた。

これからの「システム」はどうしたらいいのか?

改めて、最終成果物の建物として作られたもののそれは実は足場でしかなく、足場として転用し真の最終成果物を作ったあとは壊す必要がある…というミッションに対して、僕は実際にどうやるかという点に触れていない。一生懸命ビルだと思って作ってきたものが実は足場でしかなく、そこから本人たちが想像してなかったビルが出来上がる…としか言っていない。まるで作っていた建物が魔法陣の形をしていて、その結果無から何かが生えてくるかのような言い草だが、実際には方向転換と指示出しをする人々がいて、新しいミッションに対応して仕事をしていくことで辿り着く世界だ。錬金術や魔法ではない。そして、そこまで見えているなら、そこまでを見据えたシステムを作らなくてはならない。それがエンジニアリングというものだろう。僕に対してこの小見出しタイトルの質問をした人は、社会に対して極めて誠実で前向きな人だ。

この質問を整理すると、ポイントは2つある。

・現在進めているプロジェクトは、いずれ解体される定めにあり、解体時のインパクトが大きいこと
・現在進めているプロジェクトを踏み台にして至る最終成果物の詳細は未確定であること

システム設計をするにはあまりにも最悪なプロジェクトだ。だが個人の人生においてはよくあることのようにも見える。個人のあり方を、社会のあり方やましてやシステムのあり方にしてはいけないので、このコメントは虚無に等しいと考えられるが、あるいはそういう一個の(そしてまるで大人数で構成されているかのように)気まぐれな人格の問題として捉えるべきだという可能性もある。

試しにそういう思考実験をしてみる。気まぐれな人格が、それでも総体として真面目なミッションを長年続けるつもりであるが、ある時それを踏み台に全く視点の違うことを行う可能性があるときにどう生きるか…なんて卑近な話だろう!こんなものはオチが見えていて、「仕事だけ打ち込んでいるとロクなことがないぞ」の一言である。遊べ、視座を広げろ、冗長性を持て、知らないことを知れ、そうして仕事にも余裕を持つことが人生の秘訣だ…ありふれている。ありふれていて、とてもこんなものから魔法のような転換が生まれるとは思えない。

だが人生は魔法であり、流転し、訳の分からないことが起きるし、それを許容できるように普段から幅を持っていることが「豊かさ」になるのであれば…システムに「豊かさ」を用いることで、この無責任さを内包できるのであれば…

残念なことに、システムに豊かさをもたらすには、システムという目的に効率よく進んでいくことを目的とする尖り切ったものに豊かさを「混入させる」しかないわけだが、そのためには、システムに嘘を混ぜていくしかないということは以前書いている(既に一度前段でリンクを貼っているが、これは改めて貼る)

これは、かっこよく言えばマトリックスの話をしている(Red pillの話の先にある、「Blue pillに内包されない世界をBlue pillの世界に持ち込むこと」だ)。豊かさを担保するために、遊ぶこと、体を動かすこと。

…あれ、結局、これって秘密基地プロジェクトなんじゃないのか?

秘密基地プロジェクトとは?

秘密基地プロジェクトとは、都内の飲み屋に現れる流浪の組織である。
大本は社会人3人が始めた、土曜日だけのイベントバーだ。飲み屋のハコを借りながら、自分たちのフード・ドリンク・イベントを別個用意し、誰のためでもある部室、誰のためでもある基地を標榜するチームだ。

この組織に特に崇高な目的は無い。面白いことが起こる余剰を作るのが目的の組織だ。それだけをやってきて、11月で10年目になる。

理解できないほど豊かな時間があった。当人たちが想定していないお客さんが来たり(僕の本職で関わる他社のフランス人がフラっとやって来たりした)、全く分からないイベントが始まったりした。流れで人の結婚式の二次会を請け負い、30人を迎えてオールナイトをやったこともあった。人の人生を変えることがいくつかあった。閑古鳥の回もあったけれど、嫌だと思ったことはない。何かが始まる可能性が常にある。そういうものを生活に組み込むことで、僕は豊かな時間を過ごした。それは恵まれたことだし、こうして僕が無責任な未来を恐れなく抱けているのはこうした自由に支えられている可能性がある。そして実は「システムはどうあるべきか」と聞いてきたのはこの秘密基地の代表である執事さんだ。そもそも僕たちは答えを見つけていたのかもしれない。

あらためて、秘密基地はふざけた場所だけれど、社会に向けて誇るべきシステムなのだと思う。僕の人生の中の1/4近くを占める秘密基地が10年目を迎えるにあたり、アニバーサリーとして。思ってたのと違う未来へ向かう組織として、秘密基地は間違ってなかった。

秘密基地は、未来のシステムに組み込まれるべき遊び、いずれ卒業するにしても(そして卒業したお客さんもいるけれど、皆懐かしがってくれている通り)、これは最高のおもちゃなのだと、胸を張りたい。

ご来店、お待ちしております。


↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。