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レオナルド・ダ・ヴィンチ

今日は、私が敬愛しているレオナルド・ダ・ヴィンチについて少し書こうかと思います。

レオナルド・ダ・ヴィンチと言えば、モナ・リザや最後の晩餐が有名でイタリア・ルネッサンス期の芸術家としてのイメージが強いですが、レオナルド・ダ・ヴィンチは万能人と呼ばれるほど画家としての才能の他に彫刻、建築、科学、数学、工学、解剖学、植物学と多岐な分野で後世に影響を残しています。

1452年 4月15日フィレンツェ共和国のヴィンチ村の公証人の長男として生まれたが、非嫡出子であった為にまともな教育を受ける事が出来なかった。

※彼の父セル・ピエロ・ダ・ヴィンチは、レオナルドが生まれた年にドンナ・アルピエーラとういう貴族の娘と結婚しており、この結婚に子供が出来なかったために、レオナルドは父親の家、おそらく祖父の家に引き取られていたレオナルドを子供として受け入れ記録されたのが五歳の時だった。

簡単に説明するとお母さんは、実の母では無い

そんな不遇な環境で基礎学力が欠如しているのにも関わらず好奇心旺盛なレオナルドは、既成概念を超えた発想を持ちその創作的な活動は、美術、音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学に及びその手稿には、動力機械の設計図、脱獄の道具の発明、起重機、水流計、ヘリコプター、工翼設計図、石弓木のデッサン、ガトリング砲、距離測定車などが残されている。

レオナルドが残した構想は、当時の工業技術が彼の構想を実現するレベルにまで発展していなかった為、存命中に実行されたものは、僅かだったと言われてます。

レオナルドが約40年間にわたって書き綴られた手稿は、書き残した全手稿のうち約3分の2が失われ、現存するものは、約5,000ページ程

失われた手稿なにかドラマが出来そうですね!

14歳の時、画家のアンドレア・デル・ヴェロッキオに弟子入りするもレオナルドの絵が上手すぎて師匠のアンドレアが自信喪失し絵を書くのを辞めてしまうなどの逸話が残っている。

30歳の時にミラノのスフォルツァ家に自薦状を宛て軍事技師として雇われてもいる。

58歳、解剖学の研究を行い生涯で30体以上もの死体解剖を行っている!

ちょっとサイコパス入って来ましたね~

思い返せば、私も幼小期に買って貰った昆虫標本セットの注射器で防腐剤をオタマジャクシ30匹位に麻酔だと思って注射しまくり罪のない命を奪ってしまったものです・・・。

子供の発想・・・注射器=麻酔(;゚Д゚)

近年だと映画ダ・ヴィンチ・コードで有名になった絵に隠された意図的な仕掛け、謎の部分もクローズアップされてきた。

あまりにも多岐に渡り才能を残している為レオナルド・ダ・ヴィンチは、複数人居たではないか?

生涯独身だったので同性愛者では、無かったのか?

フリーメーソンだったのでは?

などあります

ほんと興味が尽きないないです。


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