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看取りは2度目

父が癌であり、それも末期では無いかと教えてくれた近所のかかりつけ医は、おそらく膵臓では無いか?との見立てだったが、蓋を開けると肝内胆管癌だった。肝臓内にも複数の大きめな癌もあり、肺、リンパにも広がっていた。抗がん剤をしなければ4か月、抗がん剤をしても6か月とのこと。ならば抗がん剤の副作用に苦しみ、生きた心地のしない半年よりも、人間らしく残りをゆっくり過ごして欲しいと思った。医師からの説明を受けて、抗がん剤をやる!と父が宣言した時には驚いた。(もちろん余命の細かい数字は告知していない)外科的治療が適応外なので、やるとしたら抗がん剤との説明。ただし他臓器にまで癌が広がっていることや、MRI画像は本人も目にしているが、おそらく理解できていなかったと思う。

抗がん剤となれば退院し、通いでの治療となる。介護用ベッドとか車椅子とかレンタルの手配が必要ですか?とドクターに聞くも、抗がん剤治療も誰にでもできるというわけではなく、自分の足で歩いて家からでて、車や交通機関を使って移動し、自分の足で歩いて病院に来られる人が対象なので…と。このドクターは危うい人だなと思った。勘の良い患者なら色々気づいてしまうよね。案の定父の顔からはあっという間に表情が無くなってしまった。睨みつけることはあるが、笑うことはもうない。

リハビリで体力をつけて抗がん剤に耐えられるように歩行練習も始めようということだった。足は引きずってはいたが自力でトイレにも行けていたのに、歩くのもやめてしまった。それほど急激に悪化したのか、父の弱いメンタルがねをあげたのか、知る術もないが。

そのような日々を過ごしながらも、私の心の中は意外と平穏だった。

というのも、母が旅立った時のことになるのだけど、母は突然倒れて緊急手術をするも意識を取り戻さぬままいくつかの夜を過ごした。その間とても不思議な気持ちになった。昨日まで元気だったのになぜ?テレビは賑やかにいつも通り楽しそうな人々の笑顔を映し出すけど、私たちだけ世界からこぼれ落ちてしまったようだった。母の目覚めを待っているのか、目覚めるのは奇跡に近いと分かりながら、では死ぬのを待っているのか?私は一体何をしているのだろう。何のための時間を過ごしている?分からない、分かりたくもない、とにかく苦しい。1秒だって耐えられない。息が苦しい、変わってあげたい。お母さん、お母さん…。

あんな風に結果待ちみたいに過ごしたくないと思った。結果なんて急いで出てくれなくていいし、結果のために生きていたくない。だから自分がしっかりしなきゃ。しっかり好きなこともして、すべきこともする。だから元気でいなくちゃと思った。

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