「ラブテニスの降る夜」だいたい9月19日の日記

 バイトしてぐでぐでになりながらお酒を飲んでぼーっとしていたら一日が終わってしまいました。

 一昨日、あてもなくただ北に歩いた。と言っても、かなり悪路に出たのですぐ引き返したから2kmほどしか歩けなかったが。
 でも、思うことはあった。うちの近くはいわゆるニュータウン的なやつで、舗装されてこざっぱりしたきれいな町から一歩出ると開発の手が届いていない雑然とした家、家、といった感じ。
 住んでいる場所が中途半端に田舎のためそういう場所を見かける機会は多い方だけれど、そういう場所を見る度に気が遠くなるような感じがする。所詮私が把握している範囲なんて30分歩けば余裕で抜け出せてしまうということ。その事実に何度も打ちひしがれている。
 私には全てを知っていたいという欲求がある。それは単に知的好奇心から来るものでもあり、あるいは知らないことがあるということの悔しさから来るものでもある。
 だって、なんかイヤじゃないですか? 自分の知らない事柄が、世界があるという事実。イヤ〜ですよね。
 でも、あんまりこういう悩みを言ってる人を見たことがない。みんなはその無理さを理解して早々に割り切ることで乗り越えているのだろうか。あるいはそんなこと思ったことすらないという人も多いのかもしれない。
 この欲求自体は武器にもなり得ると思うからまだ捨てることはしないが、最近は知ってることであれ知らないことであれ、結局のところ自信が全てだなというふうに感じる。知らないことには「知らね!」と言い、知ってることには「知ってる! ○○が〜〜」と自信満々に話す。それだけでいいはずなのだ。自信の無さゆえに強がって知ってるフリをしてみたり、逆にちゃんと知ってるものに対してはそれはそれで間違いがないかをへんに意識して上手く話せなかったりみたいな、そういう状態の方が同じ知識量でも遥かにダサい。
 ので、これからはちゃんと知らないことにはへんに言い訳とかもせず「知らね!」と言うことにします。これは宣言です。特に会う予定のある人間が誰ひとり見ていないこんなところでするなという話ではありますが。

 人生で初めて応援上映というものに参加した。初がこれで良かったのだろうか。
 でも、めちゃくちゃ愉快な空間だった。空気感は全然違うけどペンラを振ったり意味不明な伝統コールっぽいものがあったからちょっとだけ、デレマスのライブに行ったときの感情を思い出した。こういう夢幻の空間には定期的に浸かっておくべきなのかもしれない。
 熟練のお姉さま方による洗練されたコールと、自由に飛び交う狂気を孕んだ合いの手。即ち混沌-CHAOS-。私はその中でもリョーマのシャワーシーン(?)で一通り会場が盛り上がったあとダメ押しのようにどこからともなく聞こえてきた「ラブテニス」が頭から離れない。私が見逃していただけかもしれないが、そんな描写もセリフも一切無かったためなんの脈略もなく突如現れた「ラブテニス」。流れの尾ひれにひっつくように現れたものだからあんまり目立ってなかったものの、映画の内容を除けばいちばん面白かったかもしれない。多少引きずっちゃった。
 というか、頭の中に映画の内容全然入ってない! これは合いの手が都度飛び交っていたのもあるが、映画の内容自体だいぶ突飛な展開なのも原因としてありそうだ。
面白かったしなんかいい話感もあったから満足だしそこは全然良いんだけど。

 同時に勇気のなさを感じる一日でもあった。勇気、どうやったら身につくんだろう。勇気募集しています。宛先はコチラ→
 この宛先は勇気のある人にしか見えません。さようなら。

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