「落とし物を取りに来たのですが」だいたい9月14日の日記

 昨日タイトルでいじるだけで満足してしまっていたけれど、そういえば世界終末時計の話をしたかったんだった。なぜ今?と思う気持ちは私も一緒なので安心してほしい。
 世界終末時計ってすごいしょうもない気がするのに、扱っているテーマの重大さがそれを見事に隠していてすごいと思う。あんなの今年の漢字と大して変わんないでしょ。
 いや、理念みたいなものは素晴らしいことだと思うしそこを否定する気は無いんだけど、だとしてそこで時計使う? と感じてしまう。しかも15〜20?分が限界みたいなデザインしてるし進んだり戻ったりするし。科学者目線での世界に対する危機感を可視化しようという目的ならこの見せ方は目的にミスマッチすぎると思う。
 普通にゲージとかでいいじゃんと思ったが、制作当時にゲージみたいな概念って存在したのかな。流石に1947年だしあるだろと思っちゃうんだけど。燃料の残量表示とか……。
 調べたけどよくわかんなかった。まあともかく、偉い科学者たちが集まって崇高な理念を掲げて作ったものである以上、大衆に向けたものだとしてもある程度設計上の意味はあって然るべきなんじゃないのか、と思う。
 でも小さい頃の私は「世界終末時計」という名前と進んでいく時計の針に大きな恐怖を感じていたから制作者の狙いは達成しているんだよなと思うとすごくもやもやした気分になる。思ったより世界はノリと勢いのもとに成立したまやかしの力で回ってるんじゃないかという気がして、じゃあこの世界で本当に正しいことって存在するのだろうか。人間が関わる以上それが新しく生まれることはない気がする、自然の中にそれを発見するみたいなことはあったとしても。

 みたいなことを考えていました。と言っても半分くらいは書きながら進行形で考えたものですが。

 人生って難しい。今までは漫然と勉強したり遊んでいたりすれば何とかなっていたのに突然自分のやりたいことを見つけてそれに従事しろと言ってくる。考えることも違うし選択肢も多すぎるし、何より意味が重大すぎる。
 どうしてもやりたいことがあってその目標に向かって破滅覚悟で突撃する人生、絶対に私には向いてないだろうなと思いつつも憧れる。

 今日は楽しい一日だったのだけれど、それは結果的にそうなったというだけの話で私個人としてはただただ不甲斐ない一日だった。ハイノンの大阪一日目の配信チケットの購入期限勘違いしてて観れなかったし。まあ悲しいことにそれがアベレージではあるので、これ一発で暗黒時代突入にはならない。私の心はそんなにヤワではないのだ。

 メープル味のカフェラテを飲んだ。あま〜い。メープル好きだから全然飲めるけど。

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