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みんなの恩師、ユーリー・スコット先生の言葉に久々に泣いた日

昨日、友人がFacebookに『MASTERキートン』に関する投稿をしていた。『MASTERキートン』は、浦沢直樹さん作画(勝鹿北星/長崎尚志 脚本)の漫画だ。

私は、1998年に日本テレビ系列で放送されていたアニメから作品を知った。

冴えないおじさんといった感じの風体の 平賀=キートン・太一 が主人公だ。考古学の研究者として身を立てたいと思いつつ、今はなぜか大手保険会社の保険調査員をメインの仕事にしている。過去に自分の弱さをたたき直したいとイギリス陸軍の特殊空挺部隊に入り、サバイバルの教官にまでなって、フォークランド紛争や在英イラン大使館人質事件で活躍をしたという設定。そのスキルや研究者の知識を使って、様々な事件を普通の調査員じゃ解決できない方法で解決していく。

友人のFacebook投稿は、キートンの大学時代の恩師、ユーリー・スコット先生に関するものだった。

多くの人が、彼に勇気づけられたのだろう。友人の投稿には、いろんなコメントがついていた。私もユーリー先生の言葉に勇気づけられた一人だ。


ユーリー先生にはとっておきのエピソードがある。度胸や振る舞いから漫画の中では「鉄の睾丸」というあだ名でも呼ばれている。

時は、第二次世界大戦の頃。ドイツ軍によるロンドンの空襲の後、瓦礫をどかし、何とか一息ついた人たちの中、先生は瓦礫の上に立ち、パンパンと本の埃を落とす。


「さぁ、それでは諸君、授業を始めよう。あと15分ある。」

この時は、社会人を中心に教えていたのであろう。若い学生というより、おじさんが目立つ人の中で、ユーリー先生は言った。

「え?」「えぇ?」と声が上がる中、先生は続ける。

「敵の狙いは、われわれ英国民の向上心をくじくことだ。ここで私たちが学ぶことを放棄したら、それこそヒットラーの思うつぼだ。今こそ学び、この戦争のような、殺し合い憎しみ合う人間の愚かな性(さが)を乗り越え、新たな文明を築くべきです。」

アニメでも名シーンだ。

キートンは、そんなエピソードを持つユーリー先生に教わる。

先生は、キートンの卒業論文に、D-という落第点をつける。
「これは君が本気で取り組んだものとは到底思えない」と論文を突き返す。
キートンは、当時、同じオックスフォードにいる日本人の奥さんと学生結婚ばかり。子どもができ、生活費を稼ぐために働いてもいる。
そんな事情を知った上で、それでも、
「昼が無理なら、夜、学びたまえ。」
そういって、教官用の書庫の鍵を渡す。

貴重な文献が見放題だ。そうはいっても働きながら、厳しい評価を下す先生から合格点を取ることは大変だ。それでも、キートンはくらいつき、仕事がない夜に書庫に籠って、調べて、考えて、先生から何とか合格点をもらう。

ユーリー先生は、研究者になろうとする人には、それなりの姿勢まで求める。ただ授業を受動的に参加するだけではダメだと。でも研究者にだけ厳しく、愛情があるわけではない。社会人になった後に学び直す学生、授業という形で知識を提供する学生にも、先生は丁寧だ。研究もこうした学びの先にある。戦時中だろうが、空襲の後だろうが、彼ら、彼女らの大事な学びの時間を奪ってはいけない。そういう姿勢が例のエピソードにつながる。

こんな人に教わってしまったら、もう、一生、学ぶことを放棄なんてできないだろう。

私は、このエピソードを見てしばらく経った後、大学4年生で研究者への道を諦めることになり、何度も何度も、この放送の録画を見て泣いた。自分が学ぶことを放棄したから、研究者への道が絶たれたのだ、と悔しく、悲しく、取り返しのつかないことをしてしまったと、何度も泣いた。それでも、ユーリー先生の姿勢や言葉に、どんな時でも学びを諦めないと誓った。

今でも勉強が足りなくて、よく怠けているので、まだユーリー先生の顔を見て、ご挨拶なんてできないけれど(漫画の中でもすでに亡くなっているのでご挨拶なんてできないけれど)、学ぶこと、学び続けることの重要性は、先生に教わったので、これからも自分の環境の中で、しっかり学ぶことを続けていこうと思います。

いつか心の中のユーリー先生に「立派になったな」と言われる日まで。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。