隅田川のとうろう流し:予想外の光景から、殊勝な気持ちを取り戻すまで
8月12日(土)、『隅田川とうろう流し』がありました。
とうろう流しというのは、九州北部に有名な精霊(しょうりょう)流しに類するもので、その歴史も様々ですが、戦後、戦死者を弔う目的ではじまったものが多いようです。長崎で行われるような爆竹を鳴らすということもなく、灯篭を流して、慰霊することを目的としています。
写真のイメージのようにたくさんの灯篭が流れていくと、さぞ綺麗だろうと近所の隅田川まで足を運びました。帰省や墓参りなど、お盆らしいこともしないので、少しは、ご先祖様とも語らおうという殊勝な気持も少し持ち合わせて。
が、思った以上に灯篭は流れて来ず。
吾妻橋の少し上流から、墨田区、台東区両方から、紙で作られたとうろう船が流されていましたが、風の力か、波の都合か、ほとんどは、吾妻橋で止まってしまっていました。残念な気持ちが勝って、殊勝な気持ちも落ち着いてしまったため、灯篭を探しに、吾妻橋の袂まで移動。
同じように、灯篭を見たさに観光客も集まっていて、さらに殊勝な気持ちも萎えてしまいました。人の少ない下流側にちょっとだけ移動。
せっかく流れてきても、吾妻橋と一緒に撮ると、吾妻橋の赤に負けて、よく見えません。
いつしか、流れる隅田川に流れる灯篭を撮るだけの機械になっていましたが、5分もすれば飽きてきます。
倒れそうな灯篭、消えそうな灯篭を見て「こっちに来るな、波が強いぞ」「あっちに行けば、波に乗れそうだぞ」と灯篭の応援をしながら過ごしました。
ついにはすることがなくなって、川岸に流れてついてきた灯篭に書かれた願い、書いた人の名前を目を凝らして読む始末。「健康」「家庭円満」といったものばかりで、特別変わった願いはなく。やっぱり、普通のことを祈るよね、願って何が悪い! という気持ちが湧き、自分ならなんて書くかな、と考えました。やっぱり、健康、円満な家庭、子どもの健全な成長といったことだろうな、と考えました。みんな高い目標を願ってるばかりじゃないんだよ。自分のことも、他人のことも、もっと普通を尊重しようと思ったところで、帰宅。お盆らしいイベントのなかった今夏。小一時間ばかりのお盆らしい時間でした。
心の中での語らいは少なく、殊勝な気持ちもどこへやら、といった感じでしたが、いかにもな夜景も撮れたのでよしとしましょう。花火や水はほんと撮るのが難しい。
いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。