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ライターとしてしっかりとした歩幅で歩きたい

今、システム開発会社のマーケティング部に所属している。私の主な仕事は、社内の情報を社内外に発信すること。役割は、編集やライターだ。

もともと書くことが得意だったわけではないし、ライターを志向していたわけでもない。ただ「書くこと」は、他人に言われなくてもにやることだった。

書くことが仕事になった

2年ほど前、私はファッションECサイトでシステム開発の仕事をしていた。システム開発系のイベントに参加したことや、読んだ本の感想をブログに書いたり、これまでの経験を技術系の同人誌に寄稿したりしていた。

また技術系に関わらず、観劇したこと、映画を視聴したことなどをnoteに書いていた。2018年は「ほぼ日の学校」という講座に通っていたので、参加した講義の感想や、そこでできた仲間との体験もnoteに書いた。

決してうまい文章でも役立つ文章でもなかったはずだが、書いていることを見かけた友人から、技術系広報誌の仕事を紹介された。「書くこと」が仕事になるなんて思ってもいなかったので、話を持ち掛けられたときは、心底、驚いた。

当時、システム開発の仕事をしていたといっても、設計のレビューや、部門間、チーム間の調整ばかりで、システム開発に直接貢献できることが少なくなっていた。同じ会社にいては、システム開発でも会社に貢献することはできなくなっていくだろう。

ここで仕事を変えてみるのもいいか、という気持ちが生まれ、職種転換をした。43歳の夏。

ライターを名乗っちゃいるが…

書くことで貢献したいという思いから、転職をした2019年8月からSNSのプロフィールでは「ライター」を名乗っているが、ライターとしての経験・スキル(取材すること、きちんと構成された記事を書くこと、読者が理解しやすい文章を書くこと など)をほとんど持っていなかった。

職場には、編集やライターの先輩はいなかった。本職ではない人たちがそれぞれの知識、経験を持ち寄って広報誌を作っていた。しかし、どんな人でも、仕事やプライベート問わず、書くこと、読むことはしている。だから、記事や文章に対する指摘はできる。

私が書いた記事や寄稿いただいた原稿を編集した記事について、編集・ライターではない方々の指摘を受けて、広報誌の仕事を進めた。もちろん的を得た指摘もあったが、そうでない指摘もあったと思う。何を信じていいかわからないまま、他人の意見をあれもこれも取り入れるような仕事の進め方をしていき、ついにはうまく仕事がこなせなくなって、広報誌の仕事は、わずか1年と4カ月で終了した。

その後、今の会社に転職した。

今の会社は本当に仕事がやりやすい。些細な悩みも打ち明けやすい。とりあえず、何かアクションを起こせば、誰かの助けを得て仕事を前に進めることができる。

しかし、「書くこと」については前職同様、教えてくれる人はいない。もちろん、間違ったことについては、指摘をくれる人はいるし、誰かに教えてほしいことがあれば、こちらから聞けば教えてくれるだろう。しかし、自分の仕事の進め方については、年齢を重ねたことを尊重してくれるからか、うまくない進め方であっても、もう誰からも指摘されることはない。

今、責任を持って取り組みたいことは「書くこと」、そして書くことを通じて「記事をつくること」。教えてくれなきゃできないということではない。ライターとして成長できないということでもない。しかし、「書くこと」については正直、目の前の誰かの背中を追いかけたいし、吸収できるものは毒でも吸収したい。あわよくば手取り足取り教えてほしい。

最近、『取材・執筆・推敲――書く人の教科書』という本を手元に置いて、仕事をしている。古賀さんというライターが世に出してくれたこの教科書を今、仕事の一番の指針としている。これから何度も読むだろう。こうした教科書になる本を参考に、できる工夫を重ねていく。でも、今は、経験の薄い私が上っ面の理解をした程度ではなく、もっとしっかりとした歩幅でスキルを身に付けていきたい。

恐れているのは、基礎がないまま(何が基礎かわかっていないけど)、できる人から見れば、浅い工夫しかせず、ときに間違ったことを正しい方法と信じて下手な試行錯誤を続けること。それでも、きっと書く記事の数を重ねることで、なんとなく得意なジャンルやスタイルができていくだろう(『取材・執筆・推敲――書く人の教科書』では、得意なスタイルはいいが、時代とともに変化しやすい得意ジャンルを作ることは否定されている)。そして、ノロノロと経験を積み、サラリーマン人生の時間的なゴールに向かう。本当に恐ろしい。

今の会社では「書くこと」を通じて、社会をよくするために新しい有用な概念や技術を広めることや、システム開発や技術を通じて解決すべき問題を提起することをしていくだろう。社会に貢献できる人材が社内にいるなら、その人を社会に知らしめる活動もしていく。

そうした内容のたくさんの良質な記事を出すために、インタビューした人のおもしろさを伝えられるようになりたいし、執筆にあたり無駄に逡巡する時間を削り、理解しやすく読者の興味を惹く文章を短い時間で書けるようになりたい。

45歳といえば、これまでの専門領域を活かし、大きく社会に貢献をしている年代かもしれない。私は、これまでの経験と必ずしも一致することが多くない新たに見つけたこの仕事で、会社に、社会に貢献したい。

バトンズの学校

『取材・執筆・推敲――書く人の教科書』を書いた古賀さんが、ライターの学校を開校するという。しかも、1,000枚におよびフィードバックをするという。そうだ! 今、こういう経験がしたいのだ。

年齢制限はないそうだが、あたらしい世代の方々に参加いただけると嬉しいと書いてあった。私の年齢は45歳だ。これは変えようがない。しかし、正しく力強く成長する若い人に先を行かれるだけのライター人生はごめんだ。私も成長したい。できるだけ長く、ライターとしてこの先、結果を残していきたい。学校に行けば済む話ではないが、それでも職場で得られない、のどから手が出るほどに欲しい経験を求めて、バトンズの学校に応募しようと思う。将来的には、今の会社の枠を超え、「書くこと」「記事を作ること」で、いろんな人を盛り上げていきたい。そのための経験をバトンズの学校で得たい。

応募には課題作文がある。どんな審査が行われるのかわからないし、どんな文章が書ければ審査を通るかもわからない。今日さっそく課題作文に着手しよう。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。