【映画】その手に触れるまで

舞台はベルギー。ムスリムコミュニティに暮らす13歳の少年アメッドは、おそらくどこにでもいる感じの少年で、ちょっと前まではプレステにハマっていたが、最近は雑貨店の2階でモスクというにはあまりにも狭く簡素な祈りの場を営むイマーム(導師…まぁお坊さんみたいな)の教えに傾倒しつつある……。大人のムスリムは女性と接しない、ユダヤ人と付き合い始めた(真偽は定かではない)先生は不信心者だ、神聖なアラビア語をコーラン以外で学ぶなんてありえない、姉妹の肩を出すような服装は娼婦の恰好だ、婚前のキスは罪で、異教徒となんてさらに深い罪になるetc……。
そして、ジハード主義と呼ぶにはあまりにも幼稚な、しかし極端な考えによって、不信心者である先生を殺さなくてはいけない、と思い込み、行動に移すが未遂に終わる。イマームは「今は行動の時じゃないって言っただろ」(確かに言ってはいた)と、勝手な行動をした彼を「自分はなにも言っていない。そうだな?」と非難し、出頭して罪を少しでも軽くしろ、と言う。かくして少年院に入ったアメッドは、何とかして未遂に終わった行動を成し遂げようとするが……。

というようなあらすじで、90分にも満たない短い話は、静かにエンディングを迎える。物語の背景にあるような従兄弟の死(おそらくIS的な「ジハード」で死んだものと思われる)、父の不在、あるいはアメッドがイマームに傾倒するきっかけすらも説明されることはなく、観客は想像するしかない。あのシーン、あの瞬間、彼は何を考えていただろう、何を感じただろう。なぜ彼はあそこまで頑ななのだろう。母は、兄弟はどんな生活をしながら、彼を見守っていたのだろう、イマームは彼以外の人間からはどんなふうに見えていたのだろう。どうすればこのラストシーンにたどり着かずにいれただろう。アメッドは、どうして最後にああ言ったのだろう。

ただ淡々と進む物語のなかで、起こる出来事の前で私たちは想像しながら他者と接していくしかない。本当に静かな、しかし想像力を試されるような、そういう映画かな、と。原題「Le Jeune Ahmed」は、直訳すると「若きアフメド」とか「アフメド少年」とかだろうか。興行のことを考えなければ、あまり意味を持たせすぎない邦題でもよかったのではないかな、とか思ったり。

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