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堺市南区まち歩き

 2011年10月2日、堺市南区まちづくり会議が主催する「まちあるき」に参加しました。
今回は、時間も無く参加人数も限りがあったので、泉北倶楽部では参加募集はせずに、私一人が参加という形になりました。。。
次回からは泉北倶楽部でも参加者を募集していきたいです。

さて、この「まちあるき」は、栂・美木多の南区役所を出発点として、
総勢40名が秋爽の日差しの中を足を進めて行きました。
最初に着いた場所は、『栂城跡』です。
泉北ニュータウンにあったお城は、小谷城を知っていたのですが、
その他にも栂城もあったそうです。
ちなみに、こうした史跡の解説に郷土史研究家の桧本先生が同行してくださいました。

そうして、次に向かったのが、今回のメインイベントの櫻井神社です。
櫻井神社は、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、
『国宝』です。
その櫻井神社に向かう途中で、丁度、こおどりの踊り手と出くわしました。


こおどりについて簡単に説明しますと、
こおどりは、およそ室町時代頃から伝わると云われる雨乞いの儀式で、
元々は、泉北の奥地、鉢ヶ峰で行われていた神事です。
それが、明治時代の廃仏毀釈によって、鉢ヶ峰の神社が櫻井神社に合祀されることになって、櫻井神社で行われるようになったのです。
 しかし、信仰の力が行政のコントロールの上回ったのでしょうか、
いまでも、こおどりは廃社となった鉢ヶ峰の神社で始まり、櫻井神社まで練り歩いた後、また鉢ヶ峰へ帰っていきます。
(現在では、鉢ヶ峰、櫻井神社の間は車で移動しているみたいですが。。。)
桧本先生からそのようなお話を聞きながら、
一行は櫻井神社へ到着しました。
櫻井神社ではこの日、こおどりの他、だんじり祭りの宮入も行われていたため大混雑でした。
そうした喧騒の中だんじりの宮入、お神楽、こおどりと神事は続いていきます。
こおどりは、昔から伝わる『おまつり』だけあって、
しめやかに、悠久の時の流れを感じさせるものでした。
(ちなみに、『おまつり』は、きっと『お祭』ではなく、『お祀』や『お奉』の漢字を当てるのが正解なのでしょうね。)
 こおどりの奉納を見学した一行は、その後昼食をとって、鉢ヶ峰へ向かいました。
道中の田園風景はここがかつて小さな村だった頃の泉北を思い出させてくれるようでした。
櫻井神社から徒歩で30分程、一行は次の法道寺へ到着しました。
法道寺の向かい側には、かつてこおどりの神事が行われた神社の跡地もあります。
そうして、法道寺を見学していると、遠くからだんじりのかけ声が聞こえてきます。
この鉢ヶ峰地区の泉田中のだんじりは、今は少なくなった堺型のだんじりだと桧本先生から教えて頂きました。
先生によると、だんじりには「岸和田型」と「堺型」があって、
今はほとんどのだんじりが「岸和田型」だそうです。
その違いは、「岸和田型」は、だんじりの車輪の間隔が大きく、走行に安定性があり、高速でのやり回しがしやすい構造で、
「堺型」は車輪の間隔が短く、やり回しに不向きな反面、アクロバティックな事ができるそうです。
お話を聞いたときにはいまいち分かりづらかったのですが、
その田中泉のだんじりを見て一目瞭然でした。
だんじりを前後左右に揺らしてのアクションは、
なるほど、今まで見たことの無いだんじりでした。
そして、次の瞬間、私たちは偶然にもスゴイ光景を目の当たりにしたのでした。
それは、だんじりとおこどりのコラボレーション。
泉田中のだんじりを囲んでおこどりの踊り子がお囃子をたて踊り始めたのでした。

これには桧本先生もビックリ!!!
今はこんな風にしているんですね。と感心していました。


 今回のまちあるきは大変面白かったです。
とくに、だんじりとおこどりのコラボは、また来年も見に行きたいと思いました。
こんな身近にこんな歴史の香りあふれる行事が脈々と受け継がれていたのですね。
次のまちあるきには、是非、泉北倶楽部のメンバーも誘い合って参加したいです。

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