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コモンビート

余談ですが、カタリバで、知り合ったゆうなっていう人のnote投稿を見て、しっかりした自分自身の意見をうまい文章力で、気持ちが伝わってきて素晴らしいなと感じた。ゆうなありがとう。
それでは、私のことを書きますね。


鏡で自分の顔を凝視していると、鏡の自分が動き出しそうになるのを久しぶりに感じた。高校の時にやっていたけど最近していなかった。

朝から、いっくんの車に乗せてもらい、久留米へ。(いっくんいつもありがとう)
あーちゃんの演劇の開催時間の1時間半前について、玄という辛麺屋さんに行った。あまりおなかが空いてなかったのか、味は不味くも美味しくもなく普通だった。だけど無料サービスでテーブルの上にあった、もやしの漬物?みたいなものはお代わりするくらい、美味くてとても辛かった。
簡単に作れそうだから今度作ってみよう。
昼飯を食べて、絶対眠くなるだろうな、と思いながら演劇が行われる劇場について、パンフレットの中を流し読みしていたらあーちゃんの笑顔がいた。
素敵な笑顔で「生きることはこんなにも楽しい」という紙を持って私を見ていた。そして数日前に手紙の内容を思い出した。
心臓の役をするということ、戦争シーンでは市民として、この世界で起こさないように戦うこと。平和について考えてほしいこと。
すごく楽しみだったことを直前になって思い出した。あのあーちゃんが演技を私も含めたみんなに魅してくれる。少し緊張した。

ステージ奥で白いドレスを着た。心臓のような人がずっと一定のリズムでなにかを送り出す。そして4色の異なった国たちは国境を挟んで、さまざまな文化、歴史をもって一つ一つ違う価値で表現をして楽しんでいた。
いつしか国境を越えて、4色の国は混ざり合い、戸惑い、共感もあったが、楽しんでいた。しかし、それぞれの権力者たちが、いままでの歴史や文化が壊されると考え、自分たちが守ってきたものを誰にも奪われないように、戦争を始めた。
権力者は国同士が違うことは悪だ、悪は殺すべきだと確信し市民の話も聞かない。違う国同士で、仲良くしていた市民も引き離され、戦わされる。権力者が思う悪は本当に悪なのだろうか。当たり前なのだろうか。私はわからない。

ただ戦争している姿が、悲しかった。平和になるはずがない。権力者たちも決してこんなことは望んでないだろう。と感じた。
それでも、市民たちは死んでいく。俺らは悪くない、悪いのはあいつらだと言うように槍で戦う。本当はこんなことしたくないのにと言うかのように立ち向かう。
何のために、戦っているのだろう。そう考えた。

焼け野原になった。そして、市民たちはある考えにたどり着く。
過去はもう戻らない。でも今からでも、4色が混ざり合うことはできる。
そうして彼らは手を取り合って、混ざり合う世界へ協力しながら補いあって1つになる。

そうだ。私は中学の反抗期の時に感じたことを思い出した。
親は私のことをわかってくれなくて嫌いだけど、私のことを愛してくれてるから私に時間をかけて伝えようとしているのだと。
でもその言葉は私の思ってることじゃなくて、親のエゴで私の気持ちは伝わらないと諦めているから、言葉じゃないもので反抗する。
違いをわかりあおうとはしない私がいた。
親も同様、なんで俺(父)の事わかってくれないんだよ!ってそれが積もって暴言暴力に変わる。怒りに変わる。また諦める。

このような状態が続いた時に、誰も救われないなって感じた。誰も幸せになれないって。
その時の気持ちが改めて強く思い出せた。

私は誰もがみんな救われない世界だと思い込んでしまっていたし、それに気付けたのが中学の時でその時のまま救われない世界だと思い込じゃっている時もある。
けれど、マイナスに感じてる部分が大きい分だけ、世界はそこに気付けてまだまだ救われるんじゃないのかって感じた。のが大学生になってからかな。世界は私自身?これもわからない。ただ気付けてないだけ。気付こうとしてないだけかもしれない。

それでも、私はなんとなく信じてる。なんとなくが確信に変えれるように、気付けるように。
何すればいいのかわかんないけど。
俺に今、この瞬間にできることは、企画に向けてその気持ちもキャストと一緒に乗せれたらいいな。いやのせたすぎる。

あーちゃん、俺の平和はこんな感じでまだまだ答えはないけれど、もっと私なりの答えが見つかるように一生懸命に生きるね!
それを一緒に考えて実現できる未来を創るのが楽しいのかもしれない。

今日という日に演劇に誘ってくれた江口鮎香さん本当にありがとうございました😊
これからもよろしく。

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