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言っている意味が分からない

うーん。難しい。私が話すことで相手はどんな顔するだろうか。話さなくて、存在すること自体で相手はどう思うだろうか。
そう思うようになったのも、過去の私が、まわりからの影響でそうなったのかも。過去は今ではない。そう、過去の人は今の人ではない。わかっていても相手の顔を伺って何もしない。何か思っていても、我慢する。我慢することがたくさん積もって爆発する。そうやって私は壊れた。今もそうかもしれない。
私だけではない。周りにはそんな人がたくさんいる。今日もいた。彼女は突然準備もしてないのに積もったものは爆発する。すごく苦しんでいた。ように見えた。それでも、前を向いて私たちに話してくれた。彼女は涙が流がしていた。それでも彼女は諦めていなかった。どんだけ分かり合えない相手だとしても、その人と向き合うことをあきらめていなかった。諦めていない彼女を見ていたら、私はできているのだろうかと自問自答した。

勝手に限界を作って、引いた線から一歩も出ようとしない。もっとできることはあるはずなのにと思えているのに、線の外側に一歩踏み出そうとするとすぐ線の内側に戻る。その繰り返し。過去の私が線の内側から出ないように引っ張っている。過去の私はなかなか背中は押してくれない。それでも今の私は線上までは進む。過去の私は今の私ではないというように。もっと過去の私を見てあげて、なぜ、背中を押さずに引っ張るのかを。なぜ、今の私が線上まで進むのかを。引っ張られているのか、押されているのかわからないんだったら、周りに聞いてみて、きっと答えは返ってこない。それでも本当の私を気付かしてくれるのかもしれない。周りの人に聞きたくないのは、本当の私を隠したいのかもしれない。見せたくないのかもしれない。でもそんなのやってみないとわからない。お母さんのお腹から生まれた時から言葉がしゃべれたり、二足歩行できたわけじゃない。でも、何かをきっかけにできるようになって今は当たり前のようにできている。最初からなんでもできる奴なんていない。できるようになった理由は私にもわからない。私自身のためなのかもしれないし誰かのためかもしれない。私が言動にしていることは、私のためにやっていることなのであればそれは誰かのためになっている。誰かのためにやっていることは私のためにもなっている。それが良くも悪くも。できている、できていないと思えるからこそ、得意に思ってみたり、落ち込んだりする。それでも、意外とできていなかったり、できていたりすることもある。
言っている意味が分からない。私はここまで書いてそう思う。
それでもそう思いながら、彼女の話を聞いていた。

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