悲しい、6時間30分サイクリング

2月3日月曜日 約0時30分 北九州の平和通から福岡の博多まで、友達の情報だと自転車で8時間。正直怖い。やったことないことだから。それでも、やろうと思った私は褒めてやりたい。よくやろうと思った。

最初の八幡駅からくらいまでは順調だったが、2日の児童館の子供達とガチで鬼ごっこしたのでその筋肉痛もあるせいか、ペダルをこぐのがきつくなる。瞼も重くなる。自転車のライトが消える。真っ暗闇の中1人でこぎ続ける。
怖い。真夜中だからか車が高速道路並みのスピードで走行している。パンク修理はできるが、パンク修理する部品もない。2回目だが怖い。
泣きそうになる。それでもペダルをこがないと凍死する。いっそこのまま死にたい。でも怖いという感情がある時点で生きたいという気持ちがあるのかもしれない。何もできない。こぐことしか。

今できることしかできない。だからこそできることをやるしかない。そんなことを考えながらペダルをこぐ。ハムストリングとお尻が限界を超えてずっとつった状態みたいになっていたけどそれでもこぐ。

昨日カーリーという友達と話していて、私は私自身で限界を決めていることに気づいた。
だからこそできると信じて、こぎ続ける。いつ死んでもおかしくない暗闇の車道を。

七時に博多に着いた。達成感はすごいものの、糸島にはいけないと思い。貞ちゃんの家で仮眠をした。12時頃、また起きた。糸島にはいけない。そう私の限界を決めた。また限界を創ってしまった。博多から1時間で行けるはずなのに、行けないと限界をつくった。なんか悔しかった。そんな私に対して私は悲しかった。

背負うものが、私にはある。それを断ってまでここまでペダルをこいだ。自転車で行くのをやめてミーティングに参加することもできた。なのにそれもしなかった。そんな私は私自身、なんとも言えない気持ちになった。意図的にいかなかったわけではないのは本当だが、私は背けていたのではないか。無意識に。
そんな私もなんか嫌いだった。
本当に今背負っているものは、本当に向き合っているのだろうか。背負いたいのは間違いないが背負っているフリをしているのではないだろうか。

そんな悲しい6時間30分のドライブ。
明日はまた北九州に帰らなければ、やることは多い。私はまだ死ねない。もう1回、ペダルをこぎ続けて、私と私の周りの存在に向き合い続けるために。

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