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ただそこにそれしかなかった

吸って、吐いて、吸って、吐いて、吸って、吐いて、吸って、吐いて、
今日も生きてる。
私達人間も一定の気分で生きている人間がいないのは人間で呼吸できるからなのだろうか。呼吸も生まれる前の意識がない時からしていた。
ただそこにそれしかなかった。

最近、YouTubeの中でも、エドというユーチューバーの動画や、ウーマンラッシュアワーのザマンザイの時事ネタの動画を見ていて、誰も救われないなと感じることがある。
この世の中で何が悪とか正義とかは本当にないな。と感じる。それが長いものに巻かれているだけで、それが正義じゃない。悪って世間一般は言うかもしれないけど、それが本当に悪かなんて言いきれない。悪と正義で判断するにしても、例え、悪って思う人が多数いたとしても、それを私自身が信じて進んでいけば、道は開くかもしれない。
正義が多数いたとしても、少数の悪がいることは事実そこに耳を傾けるのが正義の役割なんじゃないか。
「ただそこにそれしかなかった」何か月か前に、さだちゃんと話していてそう感じた。
本当にこの世の中は誰が創っているんだろう。答えが知りたいわけじゃなくて。親の言っていることがすべてじゃない。大人やすごく偉い人が言っていることがすべてじゃない。何が正しいのか、わからない。でもその中でも、これだ。と感じるものがあるのだとしたら、そうなんじゃないか。と思う。
私の言っていることが、意味わからん、キモイ。って思う人もいれば、のぎちゃんのnoteまた見たいと言ってくれる人もいる。
別にnote投稿を否定されたわけじゃないし、憎いやつがいるわけじゃない。私とかかわってくれる人はみんな好きだ。なのに、こんなにも息苦しいのは、何だろう。
私自身のせいだと思う。意思がないから。だから苦しい。苦しい世界にして私の環境はそこにそれしかなかった。だから、私が私自身の首輪を創りだし、広くて自由な世界から苦しくて狭い世界に狭めている。
あとは、私自身が創り出した首輪をひきちぎり、新しい世界に進むだけ。

そこにしかないものだからこそ、また、無意識に首輪をまた私が創り出すのかもしれない。それでも、諦めることなく、何度でもひきちぎることが、今の私だ。

えつお、ひきちぎる手伝いをしてくれて本当にありがとう。
大切な友達の一人です。昨日話してそう感じた。

2日間かけていなかったけど、それは私というものがいつも以上に小さくありんこレベルでしか私は見えなかったからなのかな。取り返そうかなって思ったけど、それは良くない気がしたので、また明日書きますわ。

※この絵も大切な友達が私のために書いてくれた今までで一番大好きな絵です。

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