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「農技なければ農魂なし」

7月9日11時から14時の参加者と、夏野菜畑にて。
今回は雑草むしり・夏野菜の管理(きゅうりの型入れ)・かぼちゃの苗植えをしました。

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間引きの距離が広いためか、トマトが良く育っています。先日植えた葉物も良く育っていますが、虫食いが結構ありました。完全無農薬ですとどうしても育ちにばらつきもあれば、虫食いも目立ちますが、3分の1は虫に譲るぐらいの気持ちで、また3分の1は鳥に譲って、余ったものを私達が分けてもらうぐらいの気持ちだといちいちがっかりもしませんし、食べれるだけラッキーだと思えるようになります。(なりました。笑)

その点、農家や百姓は大変だということを感じます。食べれるだけラッキーなどと悠長なことを言ってられません。台風が来ればせっかく育った野菜も一瞬でだめになることや、夏季の水不足で悩まされることも非常に多いと思います。そうしてやっと育った野菜は、まず規格品かどうかの選別をされて、規格外品はゴミ同然のような扱いを受け、捨てられるかタダみたいな値段で買い取られるかになります。規格品と味も品質も変わりませんが、見た目が悪いなどといったバカバカしい価値観で、資本主義の土俵に乗ることが出来ません。こんな現代社会の習慣などクソくらえって精神で、「農」を捉える必要性があると考えます。

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土作りからはじめて、畝を作り、種から育てたかぼちゃの苗を植えました。

戦後の農本主義者である松田喜一氏は著書「農魂と農法・農魂の巻」で以下のことを述べている。
『農作物の心はどうすればわかるのか、それは「神の技」あるものは、みな農作物の心がわかるのである。作物の前に立てば、作物の訴えが聴こえる。声なき声が聴けるのである。農作物と話が出来るのである。これが「入神の技」である。故に我々の職業では「農技を通して天地の声が聴ける」のであり、「天地の御心すなわち農魂」であるから、結局「農技なければ農魂なし」である。』

つまりこれは、完全なる科学批判である上に、科学肥料などといったものに頼らなくても農作物の声をきちんと聴けば、農作物は沢山育つことを示している。農業技術が高まり、生産率ばかりに気をとられ、挙げ句には形が悪いから捨ててしまうなどといった行為は、本当に馬鹿げた現代資本主義の価値観であり、その価値観に合わせようとすればするほど、松田氏のいう「農魂」「農技」という言葉が人々の心に届かなくなり、更に生産率や効率にばかり意識した農業となってしまう。農家や百姓へのリスペクトが低いのも、資本主義構造に取り込まれた農業になってしまっているからだろう。

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学生青年たちがその場でかぶりつく野菜にも、声を聴いた証が含まれていたのか「やばい、めっちゃうまい!」の言葉をちょうだいした。


花瑛農園ではコロナによる困窮学生への学業・生活支援と農業体験を兼ねてアルバイトを引き続き募集しています。
※コロナ対策に原則として、マスク着用でご参加下さい。


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