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天地自然に抱かれればいい

7月27日11時から14時の参加者と、夏野菜畑にて。
今回も収穫と夏野菜の手入れとひたすら雑草むしりをしました。

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雨でなかなか手入れも丹念にできなかったのですが、すくすく育っていますね。

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今回の収穫はナス、きゅうり、ネギ、トマト、ピーマン、唐辛子、オクラです。


農学者の宇根豊氏は、田畑の景色はこんなに価値があるが、資本主義的な価値はないと言っています。つまり、田畑の美しい光景は人を癒したり楽な気持ちにさせることに多大な貢献をしているのに、一銭にもならないと言うのです。事実そうでしょう。そして、そうした一銭にもならないものを資本主義に当てはめることそのものに無理があると、宇根氏が多大な影響を受けた橘孝三郎氏の言葉を借りるわけです。

'われわれは稲や牛の生命を創造することはできない。われわれはただ稲や牛の生命を見守って、自然の命ずるままに、手入れの限りを尽くさなければならない'(橘孝三郎著 農村学より)

農に生産量の効率性や儲かるか儲からないかは問われていない。自然の摂理に従い、百姓の自給(自然を守ること=恵みをいただき家族や村を守ること)こそが人間と自然との営みに必要なものだということを示している。
また橘氏は

'百姓は農産物をつくることはできないという感覚こそが、百姓なら誰でも抱くものなのに、思想化されてこなかった最大の感覚なのです。ところがこの生命は、天地自然はあまりに人知を超越していて、生命の神秘性は合理性では説明できない'(橘孝三郎著 日本愛國革新本義)

と、しており、これについて宇根氏は'人間の知恵でつかもうとしないで、天地自然に抱かれればいい'と私感を述べている。

天地自然に抱かれればいい!なんとも、美しい表現だなと思う。そもそも、「百姓は農作物をつくることはできない」という言葉や概念が、資本主義の中で生産率や自給率ばかりを求められてきた現代の百姓に響くのかは疑問である。事実、近現代には「そんな悠長なことは言っていられない」といって資本主義と農本主義はうまくやっていけるという農学者の論説もある。次回に紹介したい。

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どうです、星型のきゅうりです。どこを切っても星型。とても手間がかかりますが、知人友人の子供のお弁当用に作ってみました。

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こちらはハート型のきゅうり。こんなかわいいきゅうりがお弁当箱に入っていたらきっと喜ぶのではないかな。


花瑛農園ではコロナによる困窮学生への学業・生活支援と農業体験を兼ねてアルバイトを引き続き募集しています。
※コロナ対策に原則として、マスク着用でご参加下さい。アルコール消毒液などは用意があります。



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