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また四月がきたよ

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3年前の四月、ぷく氏をはじめて保育園に連れていった。
2歳児クラス担任の保育士はきれいでやさしくあたたかなお姉さん先生4人で、教室に入った瞬間からぷく氏のテンションは爆上がりだった。
突然放りこまれた「リアルポポちゃん」にクラスメイトは興味津々、かわるがわる寄ってきてはよしよししていく。
保育園はとにかく人とかかわることが大好きなぷく氏にとってパラダイスのようであった。


以降、ぷく氏が朝、登園そのものを渋ったことは年長クラスになった今に至るまで一度もない。
ただし最近は、本人の中にある「登園時はA先生に出迎えてほしい、降園時はB先生に見送ってほしい。」という思い込みともこだわりともいえる願望が果たされないと、保育室に入ってメソメソする。メソメソどころか突っ伏してオイオイすることもある。
ぷく氏がどのような様子であれ、先生はいつだって「今日も元気ですか〜?…ハイ、元気ですね!ではお預かりしま〜す!いってらっしゃい!」と通常運転、こちらは恐縮しきりだ。
こういう時はだいたい、メソメソオイオイしているぷく氏に入園当時よりもずっとお兄さんお姉さんになったクラスメイトが「ぷくくん、どうしたの?お母さん帰って悲しいの?」と声をかけてくれる。ぷく氏は涙を流しながら「んん!」とうなずく。すると級友たちは「そうなんだ」「だいじょうぶだよ」「ぷくくんのママはゆうがたおむかえにくるよ」「これからおさんぽだよ」「いっしょにいこう」と励まし、ぷく氏は「んん、んん、、」と何度もうなずく。
その姿を目の端で確認しながら、私は園を出る。
んん!今日も母のことどうでもいいと思ってるね、OK!

定刻にぷく氏をお迎えに行くと、喜んで教室をズリズリ這い出てくる。ときどき教室からはみ出ている。
なぜならお迎えにきた母は「家で待つ大好きなおおばあちゃんのところへ運んでくれる」大事な存在だからだ。
んん!そんなもんかな、OK!


私にとって保育園は、私自身の目線や感情を逐一確認してきた場所だとも思う。

毎朝遅めに登園するとまず、3年間一度もサイズアップしておらずピカピカのままのぷく氏の靴を、どんどん大きくなっていくお友達の靴がたくさん詰まっている下駄箱に置く。
次にぷく氏を前に抱っこして荷物の入ったリュックを背負い、「〇〇(年長)組 乃木ぷく」と太マジックで記名したパンパースの袋をぶら下げて階段を上がる。ひとりでリュックを背負って階段を駆け上がるお友達に「おはよう」と声を掛ける。
廊下を歩いてぷく氏の教室まで連れていき、私が上着を脱がせてフックにかける。お友達は自分で上着を脱いでフックにかけ、リュックを自分のロッカーに掛ける。
先生にぷく氏とリュックを引き渡して、廊下を戻る。
道中、立小便器で用を足しながら顔だけ廊下へ向けて挨拶をしてくれるお友達に「おはよう」と声を掛ける。
お友達とぷく氏の差を日々、確認する。
その差が刺さって痛い日があれば、おもしろい日もある。
んん!そんなものだ、OK!

以前、何かしらの差を見つけると、自分の心の中で反芻したり咀嚼していることを人に話したら、
 その差はあなたが見ようと思わなければ見なくてもいいし
 あなたが選んで視線を向けていることですよね?
 辛いことにわざわざチャンネルを合わせて
 自分から傷つきにいっているとも言えますけど
と言われたことがある。
要は自虐とか自傷に近い行為では?と指摘されたのだと思う。今思えば認知の歪みじゃね?とセンシティブすぎじゃね?も含んでいたかもしれない。
その時は、そうかもしれません…そうなのかな?と自分の行動や感情を言語化できなかった。それに当時はまだ「OK」の境地にまったく至らない感じもあった。

今はどうなんだろう。
実際には単純にクセになっててやめられないだけだと思う。
なぜなら「差」そのものは存在するんだし、存在するからには目が行くし、ただの「差」にどうして感情が動くのか、「差」に良し悪しはないはずなのになぜ判断しようとしてしまうのか、だとか、ついつい考えてしまう。
良し悪しはないと言いながらも、その差は時に耐え難いし、まわりのクラスメイトと同等に育っていたらどんなだったかと夢見ることもあるし、障害のある子どもは保育時間に制限があって遅く来て早く帰るという状況も含めてなんかもうなんなんだろう、正直にいえば辛い。深く考えるべきでない精神状態の日には悪影響でしかなかった。苦しくないなんて言ってやらんぞ。
ただ、その辛さを自覚して言葉にすることと、ぷく氏本人を否定することとが、つながりそうでつながらないところに我ながら救いを感じる。世の中とぷく氏の差を認識すると、落ち込むこともあるが、その差にぷく氏本人になんらかの責任があるとは思っていないからだろう。
逆に、差の存在に気付き、目を向けたことで、私の内面が少し豊かになったんじゃないかな…とか、いずれ言ってみたい。


そのような日々の中、よくわかったことがある。
私の場合、「そんなもんだ!OK」という、気持ちが落ちるのをとどまらせる(場面によっては押し上げる)ような言葉は、結局のところ自分で自分にかけてやるしかない言葉だった。
誰かからの前向きな言葉は、心からありがたいことという感謝がベースにあってもなお、その誰かに反感を抱いたり、後から反感を抱いた自分の至らなさに目を向けると辛くなるものでもあった。

ちなみに、いつ頃からOKで処理するようになったかは定かではないが、気付けばこうなっていた。
大きなきっかけはなかったと思う。ぷく氏のまわりの子どもたちがあっけらかんとしている様子にちょっとずつ引きずられていっただけではないか。
思えばたくさんの子どもがぷく氏とのかかわりかたの良きお手本になってくれたし、ぷく氏のみならず私にもよく話しかけてくれた。
まだ言葉のないぷく氏にかわり「ぷくくんがぷくくんのママのこと好きだって」と伝えてくれた子、バレンタインにお手紙をくれた子、姉つる・妹まるをお迎えに連れていくとなぜか喜ぶ子、近況を報告してくる子、手裏剣のおりがみを指先でカサカサさせながら「うごいてます…」と見せてくる子、みんな尊い。みんな好き。みんな幸せに大きくなって。
だから「ぷくくんのばあば」と話しかけられても、んん、そんなもんだ!OK…O…うう…ぐうう…

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