シヴァ神と熱力学第二法則
COBRAの2020年5月19日の記事「Dragon Endgame」で紹介された記事「Of Shiva, and the Second Law of Thermodynamics」を翻訳しました。
※翻訳がお気に召しましたら記事下部からサポートのご検討をお願い申し上げます。
"中国本土からの別のドラゴン筋から伝えられたことによると、コロナウイルスが中国から除去されないなら中国の秘密宇宙計画を暴露するという彼らの脅しは成果が出ています。現在では中国本土での日々のコロナウイルス新規感染者は10人以下です。
彼らは西側の同胞にも類似のアプローチを行って、西洋の秘密宇宙計画の機密情報漏洩を真剣に検討すべきだと提案しています。
熱力学の第2法則は、ついに誤りであることが証明されました。"
元記事
By theorytopractice -March 26, 2017
”知性の大半は、幻影があまりに深いばかりに、意味のないことばかりに費やされる。”-小説家ソール・ベロー
最近、熱力学第二法則に対する根本的な誤解のせいで、人間は墓穴を掘っているのだと気づいた。
物理学や精神科学に与えた影響を考えれば、控えめに言っても大失敗作だと言える。断っておくが、何かの分野に詳しい人だって過ちは犯すものだ。医者だってタバコを吸うし、配管工は排水溝に油を捨てる。皮肉なことに。
さて、熱力学第二法則について。まず第二法則においては、孤立系(外部からエネルギーを受け取ったりしない世界)内のエントロピーは減少しないと考えられている。つまり、孤立したシステム内で生じた障害は、外部の介入なしに増加するだけである。簡単だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%94%E3%83%BC
(第一法則は、同じ閉鎖系内ではエネルギーは保存されるということを示す。絶対零度は達成不可能であるというのが第三法則。)
「閉鎖された世界」のイメージは人の心がなく、建物はみな廃墟と化して、社会秩序もなく、散らかっていて、楽しいことなど何もない世界だ。その世界はやがて、モノトーンな灰色のどん底停滞状態に落ちていく。そして、外部からの助けは一切ないので、世界は落ち込んだままになる。哲学者サルトルのような陰気な実存主義ハードサイエンス的な世界を思い浮かべる人もいるだろう。あと、十代の若者がステロイドに対して抱くイメージ的な。
ちょっと脱線して、「第一法則」に関して言わせてもらう。ダイエットについての話題だ。特に、「食べる量を減らせば痩せる」というダイエット原理主義者の考えに異を唱えたい。90年後半くらいから2000年代の間は、インターネット上で盛んに「体重減少科学」が議論されていた。身体は熱量計じゃないんだから。人体は言ってみれば栄養素の分配システムをする化学セットみたいなものだ。それだと単純にカロリーが入ってカロリーが出るという考えは破綻してしまう。第一法則が通用しないのだ。これは科学的な経験論(常識的な)のレベルの話だ。もちろん、総カロリー摂取量の計算は重要だけれど、それらのカロリーの構成要素や彼らが泳いでいるホルモン環境と比べたら全然重要ではない。ひとまず白黒二元論から脱却してニュアンスに慣れていかないと理解が難しいと思われる。というわけでまずはこの記事を読むことをお勧めする。
第二法則に話を戻そう。ここでは、熱が高温の物体から低温の物体に流れるときに散逸する過程で、2つの物体間の温度差としてのエネルギーが表される。熱が「目に見えない流体」ではなく、「分子の振動」に対応していると解ったら、第二法則への理解がより洗練されたものになる。したがって、秩序とは、系(システム)が可能なすべて状態の集合として定義することができる。可能なすべての状態のうち、我々にとって有用なものを選んで生きているわけだが、その選択は全体のごくわずかな部分にすぎないのだ。どのくらいの小ささか?浜辺の一粒の砂より小さいと思う。
つまり、我々にとって圧倒的多数が無秩序で役に立たない状態を占めるのだ。そして確立された秩序全体は、例えば振動を加えたり外部から突き動かされたりすると攪乱が始まって、確率の法則によって、システム全体が無秩序、もしくは無益へと導かれることがわかる。竜巻で散乱したごみから偶然ロボットが組み立てられない理由を説明しているこの法則だが、浜辺に残った足跡が風や波によってすぐに消されて綺麗になる理由をも同時に説明している。帝国はしたがって、いつか必ず崩壊する。天の助けは、しっかりやってきた人にしか来ない。シヴァ神は破壊する。混乱は避けられない。「テキサス人」の議員サム・レイバーンの言葉を借りれば、「納屋を蹴ることはどんなくそったれ野郎でもできるが、建てるには大工が必要だ」ということだ。
第二法則は、(「牛乳こぼした!」とかの)日常の煩わしさを説明するためだけでなく、宇宙とその中にいる自分の立ち位置を理解するための基礎として提供されている。しかし、それは精神性を重視しない人にとって興味深いジレンマを提示している。生命の自然発生的な爆発的繁殖と伝播は、どのような力によって起きたのだろうか?アスファルトの割れ目に咲いた一輪の花は、どうやってそのヒビを見つけたのだろうか?重力が偶然、その場所へと種を導いたのだろうか?重力じゃなくて核力や、電磁効果なのでは?生物はなぜ命無きものと違い、初衝動や持続的秩序をほとんど奇跡と言えるレベルで示すことができるのだろうか?このような秩序はどこから来る力なのか?なぜ「何も無い」ではなく、「何か在る」のだろう?この世界は第二法則と完全に矛盾しているのではないだろうか?
進化心理学者のジョン・トゥービー、その妻レダ・コスミデス、それとクラーク・バレットは、心の科学の基礎に関する最近の論文に、「熱力学第二法則は心理学第一法則である」という表題をつけた。
第二法則は事実上、科学と霊性の共通性なのだ。シヴァ神は霊性と科学の綱渡り的な意味で、この第二法則を表している。
それはシヴァも第二法則も、目的のためにエネルギーに展開し、エントロピーの容赦ない潮流の中でもがくという点で共通している。人はそれを「創造」と呼ぶ。いわば、支配的混沌の中に有益な秩序が繁栄する空間を作り出すということだ。この状況で無秩序、破壊、混沌になる可能性が圧倒的に高いのだということを知らないと、私たちが(自然と)作り出す秩序の貴重さを理解できなくなってしまう。そうすると、大勢の人間の心が傷つき、社会に精神病を引き起こしてしまう。
「英雄(聖なる男性性)の旅」の重要性はいくらでも強調しても良い。英雄は旅をして成長する。これはどの文化にも普遍的に存在する現象だ。そして、その中にこそ、第二法則・シヴァ神を理解する道が隠れているのだ。混沌と破壊の自然の流れに対する、意志と秩序の勝利だ。英雄は旅をさせないと、うつ病と無気力の蔓延に繋がってしまう。決して馬鹿にしたり、禁止したりしてはならないのだ。原始社会では男の旅を重要視していたし、実際、これらの社会には 「不況」 という言葉が存在していなかった。「糖尿病」と同じだ。現代社会のライフスタイルには、第二法則・シヴァ神への理解が足りていない。
進化のレンズ
ダーウィンは、遺伝子のほぼ正確なコピーが世代から世代へと受け継がれるから種としての問題も含め受け継がれるのだと説明し、エントロピー問題へのエレガントな解決策を提供した。
これは、特定の種において進行中の 「進化のダンス」が、環境と遺伝子転写物の両方で相互作用の結果起きていると説明する理論だ。稼働中のシステムについて説明するなら問題ないが、この理論では「卵が先か、鶏が先か」のジレンマは解決できない。そもそもなぜ秩序(=生存本能)に反対する運動が必要なのかというのも説明ができない。そしてなぜ、もし「生存本能」が重力のように未発見の普遍的な力であるなら、なぜ死と破壊があるのか?なぜエントロピーは普遍的に存在する法則なのか?段々話が大きくなってしまうが、それだけ私たちは理解できていないということだ。
皮肉なことに、頭の固い科学者こそが、この霊的な疑問に対する答えを準備してくれていたのだ。第二法則は、「不幸は誰のせいでもなく、誰かの行為でもない」ことを意味している。科学革命最大の利点は、人間の直観を否定することだ。それができるから、宇宙(神)の主要な推進力は、「意志」であり、すべての出来事には理由があるということを否定して考えることができるのだ。原始的な言い方をするならば、何か(事故・疾病・飢饉等の)悪いことが起こったら、誰かの所為にしたくなるだろう。極端に言えば、それと同じことだ。そうすると人は、罰を与える対象を探し始める。魔女狩りや、生贄など。十字軍の背後の推進力。ガリレイとニュートンは、宇宙は神の意志というよりも、「事象」として捉えるようにした。第二の法則はこれをさらに発展させた形なのだ。宇宙は我々の欲望などどうでもよくて、自然の成り行きの中で私たちは自然に自発的に、欲求不満を感じさせられているということだ。第二法則に則ると、物事がうまくいく可能性よりも、うまくいかない可能性の方が高い。浜辺の足跡は風や波によって消されているのであって、創られたのではない。そう、良い日もあれば悪い日もあるのだ。
生命の激しい生存闘争は、宇宙そのものに織り込まれている。したがって、物事が好転するのをただ待っているのではなく、有益な秩序の拡大にエネルギーを投入することが不可欠だ。生存にはそれが必要なのだ。科学はこうして第二法則に打ち勝とうとする。霊性はこうしてシヴァ神の破壊を避けようとする。どちらも同じ月を指さしているのだ。
だが、それでもどうやって自然に生命が生まれるのかは、本当に疑問である。生命の発生こそ奇跡そのものだ。生命そのものが第二法則に矛盾している。この背後にある力は何なのか?
興味深い難問
だから今ではスピリチュアルな人も、不可知論的、または無神論の人もみんな途方に暮れている。第二法則に本当に打ち勝つには、「高次元の力」を理解しないといけないからだ。科学的にいって、この手の力は最も漠然としたものなのだ。スピリチュアルな人にとっても、「高次元の力」と言っても耳にタコができるくらいありふれた言葉なので、とくに理解しようとしていないことが多い。
「私たちは世界が同じではないことを知っていた。何人かは笑って、何人かは泣いて、ほとんどの人は黙っていました」
ヒンズー教の聖典バガヴァッド・ギータの一節を思い出す。
「私は死神、破壊神となってしまった」
最初の原子爆弾の爆発を目撃したロバート・オッペンハイマー博士の言葉。
私自身の心の中でこの難問を解決することは、ずっと私の熟考の源であった。いわば暗い公案のようなものだ。霊性の究極の問題であり、それを数行で要約などできない。しかし、これだけははっきりとしているのだが、「善と悪」、「喜びと悲しみ」、「生と死」という二元論は、魂を傷つけたり喜ばせたりするために用意されたものではなく、魂に複雑な宇宙ドラマを完全体験する無限の機会を与えているということだ。魂がそれに適切に参加できれば、かつてない高次の知恵や意識、そして自由の道へと進化することができると考えている。少なくとも、方向的には正しいと思っている。
第二法則・シヴァ神のダンスによって、創造の鼓動が生まれる。だが、その中を適切な進んでいくためには天候や地形を知って行きたい方向へと航海することが大事だ。船に乗っている船頭、甲板員、船長の全員が重要だ。この世界の全員が大事だし、必要なのだ。壮大な物語の中で、自分の能力を最大限に発揮するために。
より崇高な霊性を感じるには、目に見えないものを信じるのではなく、自分自身でそれを経験することだ。自分の信者を増やすことではない。禅の伝統では「月を指している指を月そのものと間違えることなかれ」と言うのだが、同じことだ。第二法則と対極に位置する「創造力」について熟考し、答えに心を開いておくこと。 答え そのものを見つけることはできなくとも、心の平和と理解に近づいていく可能性は非常に高い。得たその答えは、言葉で表現できないことも多いだろう。内的知識というのは、説明されることを避ける傾向にある。でも、あなたはその答えを知っている。だから答えは存在している。
とりあえず、自分が知っていると思うことは全部、問うべきだ。純粋な気持ちで、自分自身に問いかけてみてほしい。 「自分が知っていると思っていることを、自分は本当に知っているのか?それとも、自分の文化の信念や意見を受け入れただけか?私が実際に知っていることは、何か?それを知ると、私の世界は完全にひっくり返ってしまうだろうか?」
この「自分が確実に知っていることは、何か?」という一つの問いは非常に強力だ。この疑問を深く掘り下げると、自分の世界が破壊される(シヴァ神の第二法則)からだ。もうすこし軽い表現を使おう。この目に見える物質世界の概念の多くに、疑問を持つことになってくるのだ。政治も社会も経済も、その思想や構造もすべて疑わしくなるのだ。文化も習慣も伝統も。人間関係も愛も結婚のことだって。誰と関わって、誰を愛して、誰と結ばれるべきなのかを再考し始めるのだ。
さらに掘り下げると、この一個の質問が自分の自我意識全体を破壊していくことになる。自分自身について、世界について、知っていると思っていたことすべては、自分の思い込み、信念、意見だったということがわかるようになる。そう教えられたから、あるいは本当だと言われ続けてきたから、そう信じていただけだった。ただの文化的条件付けだった。夢を見ていたのだ。誤った認識が現実のものであるという、夢の中に意識が閉じ込められていたのだ。それに疑問を持たず、「英雄の旅」に参加しないでおけば安全で快適な生活ができると信じ込まされていたのだ。ピンク・フロイドの言葉を借りれば、「心地いい麻痺状態」だ。しかし、それは個人にとっても社会にとっても全く不毛な世界しか生み出すことはない。
自分自身を癒し、自分自身を硬化させ、そして世界を変えるんだ。
キース