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『まだその常識で消耗してるの?』ぼくは20年も前に降りましたよ

■僕が勝つとだれかが負けます。
■僕はこの戦いから降ります。
■さようなら

16か17歳の僕が学校から去る朝に向け一晩考えてどうにかひねり出した挨拶。

強い者は闘って勝ち上がりそれなりの生活をするものだ。そしてお前はそれができる。普通に就職して仕事をして住処を持ち家庭を築け。

負ける者もいるがそれについては心配しなくてよい。

なぜ心配しなくてよいのか。

それは誰かが勝って優秀な働きをすれば、全体の富が増して結果富は分配され負けてしまったひとたちへ負けたことなど気にならない程度に不足なく分け前が行き渡ることが想定されていたから。

……

“常識”は、はじめ「」の中にあった。

『みんなが平穏な気分でいられるのがいいに決まってるよね』

という了解があたりまえの前提として安定的に長く続き、それが無意識へと忘れ去られたとき「」が外れ、ただ常識といわれるようになる。

僕は常識を無意識に受け止め育った、つまらない人間です。


「今までこの学力階層の人々は何の疑いもなく勝ち上がることが全体の幸福への貢献となったよ。だけど今はちょっと違う。私たちはたぶん勝ちあがれるけれど(僕は出来が悪いのでかなり不安なのが本音)、私たちに負けた(る)人々は結構大勢いて、これからの世の中ではおそらく今までのようには私たちが達成しえる富からの分け前を充分にはもらえないようになる。私はいま社会をそう認識しています。そのように社会の構造が変化したのであれば「常識的」に考えて、今までどうりの行動様式では私の生まれ育ってきた「常識」が守れそうにないと直感します。ですから私はこの全体の利益に向かわない「常識ハズレ」の競争からは降りて私の育ってきた「常識」にのっとった未来へ、『みんなが平穏な気分でいられるのがいいに決まってるよね』という前提にのっとった、いたって「常識的」な行動をしたいと思います」


野毛農場がこれから予定しているオンライン・シェアオフィスに向け考えています。何故成果主義や先行優位・ノウハウ購買ではなく場の共有なのか。自己開示→相互開示→プロセス共有→相互扶助へと繋がるビジョン。二十年の時間を遡って原点を自分の中に探ってみました。

野毛農場☆オンライン│シェアオフィス・ワークスペース・アトリエ│つくります★管理人候補さん★募集|のげ のうじょう|note :https://note.mu/noge_farm/n/n5e0586bd5c84

“対話がしてみたい”

ぼくは文字の人でないので、リアルな対話を通してより実りある何かに触れられます。お相手してくださる方いらっしゃれば嬉しいです。

リアルな対話が大事だと“コメントが不得意なぼく”が思うのは、一つには攻略やノウハウの風が強くて“スキ”や“フォロー”の価値が株価みたいに下がってしまっているかもしれないという気持ちから。

それは自分ではどうしようもないこと。

対話の楽しさ大切さは

“torika”さんによるインタビュー1回目│2015.04.26|noge_farm|note(ノート)https://note.mu/noge_farm/n/n92c6b02e1009

をお聴き頂くとおわかりになると思います。


※ご本人が利用を推奨されているのを知って改題しました。

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