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クレイグ君に花束を

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 8月のある日のこと、僕の家に「英国で脳腫瘍と闘うクレイグ少年がギネスブックに載せようと、お見舞いのカードを集めています。彼に励ましのお便りを出して下さい。また、その他10人にこの書面をお送り下さい」という趣旨の手紙が届いた。
 差出人は、女性イラストレーターのFさんだった。Fさんの人柄も作品も僕はよく知っていた。しかしながら、僕はその手紙を前に「うーん」と唸ってしまったのだ。

 1970年頃に「不幸の手紙」というのが流行った。5人に同じ内容のハガキを出さないと不幸に見舞われるぞ、という例のヤツだ。僕も中学生のときにもらったことがあるけれど、あれは本当に腹だたしかった。自分の知り合いにそんな情けないヤツがいるのか、それとも本当に悪意をこめてのことなのか、どちらにせよ気持ちのいいものではなかった。
 さらに2年ほど前のこと、今度は高校のときの同級生から「ボーイスカウトの少年がギネスブックに載せようと始めました、云々」という内容のチェーン・レターが届いた。差出人の友人は確かに人が良すぎるほどの人の良いヤツで、そんなことにかんたんにノセられてしまいがちな性格であることもよくわかっている。
 しかしながら僕は、そのときも腹だたしかった。僕はそんなチェーン・レターよりも「元気だよ」の一言でもいいから書いてある手紙がほしかったのだ。平気で何年も音沙汰のなくなるヤツが、どうしてこんなつまらないことをしてしまうんだろう、と僕は腹がたったのだ。

 だいたいギネスブックというもの自体に興味がない。あれに載りたい、と思ってでっかいピザを焼いたり、長いうどんをこねたりする人たちは「何でもいいからTVに出たい」という人と同じような感覚なのではないだろうかとときどき思える。まして、チェーン・レターなんて他力本願の記録に何の意味があるのだろう。

 そんなわけで、僕は「不幸の手紙」同様、その友人からの手紙もまったく無視することにしたのだった。

 ところが今回は少し違うのだ。まず脳腫瘍の少年が主人公であるところ。さらに差出人が公私共に尊敬できる人であること。そしてもっと興味深かったのは、手紙に添えてあった20数枚のコピーファイルだった。
 そこには、僕のところにまでたどり着くにいたった経路が明らかにされていた。それが面白いのなんのといったら…。たとえばFさんは誰からもらったかというと、Fさんの尊敬する日本ナンバーワン男優、T氏だったりするのだ。
 ちなみに、T氏が送った10人はすべて著名な俳優やアーティストばかりだった。
 さらにT氏の前をたどると、昔フォークグループにいて今は作曲家のKさん。その前になると、今度は有名企業の社長や、ファッションデザイナー、さらに電通や生命保険会社や航空会社まで企業名が登場する。笑えるのは、ある人が総理官邸の海部総理にまで送っているということ。海部さんはこれをどうしたのだろうか。
 そんな冗談めかしたものもあったけれど、差出人がはっきりするということは無責任に送ったりはできないということでもある。しかもファイルに載った、いろんな人たちの善意にささえられて、ここまで続いてきたなら、と考えて、さらにその手紙の処置に困ってしまったのだ。

 何日か放っておいたら、Fさんの送った10人の中の1人でもある友人からFAXが届いた。頭が下がってしまうほどマメで筋の通った人というのはいるものだ。
 その人は朝日新聞社と中京テレビを通して、そのチェーン・レターの出所を調査したというのだ。その結果、朝日新聞社では数年前にもあった「ガンのバディ少年」の例と同じように、今回もデマであると判断を下していたのだが、中京テレビの筋は違っていた。なにしろ中京テレビあてにもこのチェーンレターが届いていたのだ。報道部を通じて、NNNロンドン特派員の協力のもと、「クレイグ少年」の実在を確認したという。
 さらにヨーロッパのCNNともいえる「スカイ」が、この話題を放送していて、元気そうなクレイグ君がテレビ出演しているらしい。すでに1625万枚のカードを集めて、ギネスに記録されることになり、本人はカードの送付をストップするように呼びかけているとのこと。とにかく胸をすりおろすことだけはできた。

 まったく善意というものは難しい。会ったことのない人に(実在するかどうかもわからない人に)向けるものなど、もっとつかみどころがない空虚なものに感じる。
 あえていうなら、僕は、自分を含めて幸福になりたいと思っている人の幸福をただ願うのみだ。

【1990年「美容と経営」に掲載のコラムを、原文のまま掲載しています】

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