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2-2.謎のキクヤベーカリー(その2)

「キクヤベーカリーの謎」といわれるのは、その開店時間についてである。なぜそんな深夜に営業するのかということなわけだが、ご夫婦はお年だから朝から仕込みをしているといつのまにかそんな時間になってしまうのだろうとか、昼間は体力の消耗を避けて、夜働くようにしているのじゃないかと僕の友人みたいに勝手に想像を膨らます人もいる。この謎に関しては昼間、都内のホテルにパンを卸しているから、小学校用のパンを作っているから、あるいは会社の売店で売っているから、などと諸説がある。日中も休むことなく働いていることだけは確からしい。
どの説が本当なのか、きっとそんなことはたいしたことではない。むしろどうでもいいことだ。僕がおじいさんとおばあさんに聞きたいのはもっと違うことだった。僕はこう質問したかった。
「30年前に僕にオムレツパンを売ってくれたあの息子さんは、今どうしているんですか?」
店に並ぶパンは次から次へとあっという間に売れて行く。奥ではおばあさんがパンをひとつひとつビニールラップで包んでいる。小さなカウンターでは、おじいさんがおぼつかなくなったその手でレジを打っている。カウンターに並んだ人の列はなかなか減らなかったが、誰もイライラしている様子はない。間違えないように、とおじいさんはゆっくりと確実にレジを打つ。
その姿を見ていたら、僕が聞きたかったこともまた、どうでもいいことに思えてきた。むしろ聞いたりしてはいけないことのようにも感じられた。
「時」はそういった人たちの上を邪見に通り過ぎたりはしない。ともに同じテンポで悠然と流れ続けているのだ。

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