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来々軒の中華丼

青山学院大学の学生だったころ、Kという先輩に頼まれて、なけなしのお金を貸したことがありました。金額はたぶん5千円くらいだったと思います。月々の仕送りが3万円だった僕にとってそれがどれほどの大金であったか、そして貧乏学生の典型だった僕にお金を貸せというのだからそれがどんな先輩かは容易にわかっていただけるかと思います。そして、ほどなく僕を打ちのめすバッドな情報が・・。彼はどうやら借金を踏み倒すことで有名な男だったのです。当然のことながら僕はお金を貸したことを後悔する日々を送ることになりました。

一ヶ月を過ぎ、「やっぱりなぁ」と半ばあきらめかけていた頃、ふたたびアパートにKが現れました。なんとお金を返しに来たと言うではありませんか。それどころかおごるから飯を食いに行こう、というお誘い。貸したお金が返ってくるのは道理的には当たり前なのですが、なんであんなにうれしかったんでしょうか。簡単に人を疑っちゃいかん(それどころかあきらめかけていたんですが)と少し後ろめたい気持ちも混じりまがら食べた中華丼の味は忘れられません。

それが来々軒の中華丼でした。
もちろん来々軒と言えば祐天寺の住人なら知らないものはいないほどの老舗。今も駅前から続く祐天寺商店街で営業を続けています。
「東横線がまだ地べたを走っていた頃からこの店は建ってたんですよ。他にまわりに大きな建物はありませんでした」かつて「来々軒」の女将さんから直接話をうかがったことがあります。今でも祐天寺みたいな小さな街には不釣り合いにみえてしまう大型中華料理店ですが、その歴史は古く、祐天寺での創業は戦後間もなくと聞いています。

2階と3階は「慶興」と名前を変えた個室中心の高級中華料理店になっていますが、経営は一緒。いわゆる大衆向けの一階フロアが来々軒というわけです。大きめのテーブルが並ぶ広間を気配り細やかで品のいい女将さんがしきっていました。僕のお気に入りだったその中華丼は平たいお皿の上にイカ、エビ、キクラゲ、アサリ、豚肉、ウズラの卵、青ネギなど上品に盛りつけられ、特に少し辛めのザーサイと一緒に食べるその味は絶妙でした。そんな豪勢なメニューが確かその頃は450円くらいだったと思います。おそらく当時としてもリーズナブルな価格だったはずだし、今だったら毎日でも気軽に食べれるメニューですが、当時一食あたり平均300円で暮らしていた僕にとってはかなりの贅沢品。月に一度食べられるかどうかの豪勢で「栄養満点」な食事でした。

月に一度の仕送りのお金やアルバイトでもらったお金を手にし、「今日はアレを食べよう!」と来々軒の中華丼を思い浮かべる瞬間のなんと幸せだったことか。
今ではお店も料理人も代が代わり、懐かしそうに店の歴史を語ってくれたあの女将さんもいません。注文しても僕が知っていた中華丼の味とは違うものがテーブルに運ばれてくることでしょう。しかし、商店街を歩く僕にはいつもその店先に学生時代の小さな幸せの残像が見える気がするのです。

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