21世紀のロゴマニア(I)
1974年生まれのケイト・モスは、アンチ・スーパーモデル・スーパーモデルであった。彼女がモデルとしての仕事を始めたのは1988年のことである。クロイドンに育った少女は、すきっぱで、幾分斜視であり、80年代的な美のスタンダードに比べるとファニーフェイスといえたし、グラマラスであることが美しいという価値観が支配的であった時代に、その肢体は少年のようにほっそりとしていた。しかしこの透き通ったヘーゼルの眼をした少女に、なぜか誰もが惹きつけられたという。1992年、カルバン・クラインはモスを広告モデルに起用する。アメリカでは西海岸発祥のグランジと呼ばれる音楽に若者が熱狂していた。それは荒削りだったが、堪えようのないほどリアルだった。時代は変わり始めていた。
カルバン・クラインは続く1993年、香水「オブセッション」のプロモーションにこのアンドロジナスなミューズを起用することを決める。デザイナーはこう語っている。「大きい胸をしたような、ああいう女の子は要りませんでした・・・。彼女たちは自分の身体をいじって、人工インプラントなんかを使っていたんです。自分の身体に、めちゃくちゃなことをしていた。わたしはそれが暴力的だと思った。本当に、魅力のかけらもないし不健全だし、メッセージとして悪影響だと思ったんです。」
ピュアでフレッシュなモスは、クラインの求めるイメージにぴたりとはまった。彼女自身はこのキャンペーンについて、その「スタイリングされていない」性質を強調している。当時モスの恋人であったマリオ・ソレンティによって撮られたイメージはインティメイトで、ナチュラルでロウなフィーリングがあった。それは時代が求めていたものであり、人々はそうした価値観を、イメージの下部に記されたObsessionの文字に、あるいはCalvin Kleinの文字に、読んだ。
ラフ・シモンズが2016年にカルバン・クラインのディレクターに就いたとき、最初にしたことの一つがモスとソレンティのイメージをアーカイブから探すことだったという(その際未公開映像が発掘され、2017年に公開されている)。シモンズはこう語る。「私たちにとって、カルバン・クラインのイメージを集約するものがあるとすれば、それはマリオ・ソレンティがケイト・モスとやった「オブセッション」のキャンペーンなのです。」
カルバン・クラインとケイト・モスの蜜月はその後も続く。彼女は時代のミューズであった。1994年、アメリカ、ニューヨークの街でも、モスをフィーチャーした様々な広告キャンペーンが街のビルボードを彩っていた。
その年の4月、ロウアーマンハッタンのラファイエットストリートに、一人のイギリス人が一軒のスケートショップを開く。男の名はジェイムス・ジェビアといった。1万2000ドルの資本金で始められ、「シュプリーム」と名付けられたこのショップは、扉を開け放し、地元のスケーターたちが自由に出入りできるようになっていた。彼らには多くのキャッシュはなく、オープンに際し準備されたオリジナルのプロダクトはシャツ3型のみだった。しかし、ジェビアをはじめとする彼らにはオリジナルなアイデアが豊富にあった。
「シュプリーム」がオープンして程なく、ニューヨークの街中の至る所に、赤い長方形のステッカーが貼られはじめる。それらのステッカーの上には、白抜きのフーツラ・オブリックフォントでSupremeの文字が踊っていた。多額の広告費用を捻出することが叶わなかった新興ショップ「シュプリーム」が、ゲリラ的なプロモーションに打って出たのだ。カルバン・クラインのケイト・モスをフィーチャーした一連のモノクロームのイメージは、赤いステッカーによるタギングの格好の標的となった。
(イメージは2004年のTシャツより)
ソレンティやアーヴィング・ペン、リチャード・アヴェドン、ブルース・ウェーバーが撮ったそれらの広告ヴィジュアルは、当時のファッション美学の一つの輝く結晶だった。だが、股間に赤いステッカーの貼られたビキニのケイト・モスは急に猥雑な感じがして、それはどこか、自分たちの存在が性交の結果であると知った時に似ていた。カルバン・クライン側はすぐにシュプリームに対し訴えを起こしたものの、結局のところどちらが勝ったかは明白だった。3型のTシャツは、すぐに売り切れてしまったという。
この赤いテキストボックス、「ボックスロゴ」が、アメリカのアーティスト、バーバラ・クルーガーの作品を真似たものであることはよく知られている。シュプリームが街中のビルボードを使ったゲリラ・プロモーションを行った際、白黒写真と赤いテキストを組み合わせたクルーガーのフォトモンタージュを意識していたことは間違いない。しかし、類似点は視覚的なものにとどまらないように思われる。コンセプチュアルな次元でも、シュプリームはクルーガーの手法を盗用、あるいは換骨奪胎している。
1945年に生まれ、シラキューズ大学のちパーソンズ・スクール・オブ・デザインに学んだバーバラ・クルーガーは、はじめ出版業界でキャリアを積むが、1970年代中頃よりアート界で注目されるようになる。1970年代の後半を通じて詩に傾倒していくクルーガーは、1978年の『Pictures/Readings』において、テキストとイメージを並列させた作品を打ち出す。そしてその後の数年を通じて、彼女は自分で撮った写真の代わりに、印刷メディアから抜粋された白黒の既存のイメージを用い、そこに白、黒、あるいは赤のテクストバーに抜かれたフーツラフォントでキャプションを足すという手法を確立していった。
バーバラ・クルーガーの作品は、イメージとテキストの関係を再考させる。通常イメージとキャプションは、相互に欠けている情報を補完しあうものとみなされる。特に報道写真などを考えれば良いが、イメージのみでは、キャプションのみでは伝えられない情報を、二つを組み合わせることによって伝えることができるのだ。
しかしことはそう単純ではない。テキストとイメージは、補い合うだけではなく、互いを限定しあい、場合によっては変質させてしまう関係にもある。ベルギーの画家ルネ・マグリットはパイプの絵に「これはパイプではない」というテキストを配した。我々はこの絵を前にして引き裂かれるような感覚を覚える。テキストによる断定は、ある実在や出来事に差し向けられているかのように見えた、イメージの安定した所在に亀裂を入れる。イメージはものや出来事そのものではない。そしてまたテキストも、現実をそのまま写し取るものではありえない。写すものと写されるもの、写るものの間には、必然的にズレが含まれる。このズレは我々にとって見えなくさせられているのだが、その不安定な関係が可視化されたとき、決して無垢ではないそれら要素に含まれる欲望の所在が垣間見えるのである。
クルーガーの最も有名な作品の一つ、『無題(I shop therefore I am)』では、画面中央の「I shop therefore I am(ショッピングゆえに我あり)」と書かれたテキストボックスが、何か、おそらくはクレジットカードを掴んでいる手のイメージと重ね合わされる。
クレジットカードが消費者に与える購買力はほとんど無限にも思える。アメリカのクレジットカード会社マスターカードは「プライスレス」をうたったが、その意味するところは、値段のつけられないような体験の入り口として、値段のついているものはクレジットカードが支払うことができるということなのだ。だがクレジットカードに象徴される購買力がこうした金銭にとらわれない生を可能にするように見える一方で、それは裏を返せば買えるものも買えないものも結局は全てが金銭に帰着してしまうということでもある。物に縛られない生の意味を与えるかに思われた無限の想像力は、結局はあまりに即物的なシステムに直接接続されている。「ショッピングゆえに我あり」というユーフォリックでシニカルなメッセージは、カードの持つ力を誇示するような手のイメージと並列されることで、ユーモラスでアイロニカルな効果を生む。
アイロニーの重要な特色として、アイロニーはそれがアイロニーであると自己申告しては機能しないという点がある。アイロニーはハイコンテクスト(文脈依存度が高い)なのである。クルーガーの作品の持つ力は、イメージとテキストが手に手を取り合って一つのメッセージを伝えようとしているということではなくて、両者にズレがあるということからくるのだ。
クルーガーのもう一つの代表作に『無題(Your body is a battleground)』があるが、この作品の残す強烈な印象は、「その身体は戦場だ」という呼びかけの力にイメージが呼応するどころか、全く応えようとしていないところから来ているように思われる。女性の自己決定権、特に中絶の権利を拡大しようという運動に関連して作られたこの作品に、わかりやすく闘争をしている女性のイメージを使うこともできたはずだ。しかしクルーガーがテキストボックスを配したのは、誰だかわからないが、どこかでそのイメージを見たことのあるような女性の笑顔の上であった。
なぜか。シンメトリカルなパーツの配置、完璧な眉のアーチ、肉感的な唇などは、50年代的な女性の美のスタンダードである。そうした美はある意味で、女性の身体を使って男性の欲望を具現化するものだとも言えるだろう。しかし、イメージの右半分はネガティブになっていて、無意識的に作動する欲望は宙づりにされ、鑑賞者はイメージの新たな見直しを迫られる。そして、安易なイメージに絡め取られてきた他でもないYouのその身体が、実は「戦場」であると告発することで、クルーガーは、男性の集団的な欲望という桎梏を外し、(それが闘争を伴うものであったとしても)女性の身体を新たな領野へと開くことを呼びかけているのだ。
イメージそのものを変えることなく、それを文脈から引き離して新たな文脈に組み替え、異化するというクルーガーの手法を、シュプリームは、彼らのゲリラ・プロモーションにおいても踏襲している。シュプリームのステッカーは、最高のソフィスティケーションとストリートという二つの全く異なる文脈の折衷によって、ハイファッションが見せるファンタズムを現実に引き摺り下ろし、それを新たなメッセージの発信源に変えてしまった。
しかし、クルーガーの作品と決定的に異なる点が二点ある。一つは、盗用する主体も盗用される対象も、どちらも広告であるという点だ。『オブセッション』の広告でカルバン・クラインは、モスという不思議な新生代のミューズを起用することで、自分でもそうと知らないまま強迫観念(オブセッション)のように惹かれていく、抗いがたい香りの魅力を暗示することができた。広告は、特にいわゆるファッション広告は、固有名(ブランド名、あるいは商品名)に結びつく。固有名とは何かというのは難しい問題だが、一般名のようにこれと定義される特徴があらかじめ決まっているのではなく、固有名の内容には揺れが含まれるように思われる。カルバン・クラインはアンダーウェアや香水で成功を収めたアメリカの企業であるが、将来的に他の分野でより大きな成功を収めたり、他国の企業に買収されたとしても、そしてまた、もし高名な香水やアンダーウェアがもし仮に存在しなかったとしても、カルバン・クラインがカルバン・クラインでなくなるわけではない。ブランディングとは、未だ不確定な空隙に意味を付与していくことで、固有名に結び付けられるイメージを豊かにすることを目指すプロセスであるといえるだろう。
シュプリームによる広告イメージのアプロプリエーションは、この省略三段論法に対する告発としても機能した。彼らのロゴステッカーは、一流のクリエイターたちによって周到に作り上げられたイメージとカルバン・クラインという固有名の結びつきが、実は恣意的なものでしかないことを暴き立てていた。彼らはビキニパンツの上に赤いステッカーを貼ることによって、そうしたエスタブリッシュを自分たちはいとも簡単にファックでき、またそれはそうされるに値するものでしかないのだと宣言したのだ。
そしてもう一点重要な点として、シュプリームのゲリラ広告は、それ自体がクルーガーのアプロプリエーション・アートのアプロプリエーションであったということがある[1]。それ自体二つの文脈の折衷であるイメージは、折衷という構造自体に別の文脈が接続されていた。結果としてイメージは、非常にハイコンテクストでエクスクルーシブなものでありつつ、同時に様々な層を取り込むインクルーシブなものにもなり得るという重層性を得ることになる。この重層性という概念は、我々の考えでは、現代におけるロゴマニアを読み解く重要な鍵になっている。
赤いステッカーの貼られたケイト・モスは、バーバラ・クルーガーの作品にも、例えばデュシャンの『L.H.O.O.Q.』にも似ていたが、どこかもっと粗野で力強い何かだった。
1994年にはグランジ・ムーブメントはピークアウトしつつあった。それと並行して、もう一つの新しい音楽ジャンルがメインストリームに躍り出ようとしていた。アメリカのラッパーであるビズ・マーキーは、1991年にリリースされたアルバムの中の楽曲「Alone Again」でギルバート・オサリバンの同名の楽曲をサンプリングしたが、オサリバン側から訴えを起こされ、敗訴する。この判決以降、サンプリングに対するクリアランスが必須となる。もはやヒップホップはマイノリティのオルタナティブ・ミュージックであることをやめ、誰もがその規模を無視できない一大ビジネスになろうとしていた。シュグ・ナイトとドクター・ドレーがデス・ロウ・レコーズを設立したのは1991年、ショーン・パフィ・コムズがバッド・ボーイ・エンターテイメントを設立したのは1993年のことである。シュプリームのボックスロゴは、フェイクとオリジナル、剽窃とクリエイティヴィティ、イージーな金儲けとアプロリエーション・アートが交錯する、新しいロゴの美学、サンプリングの美学を、高らかに謳っていた。
1. これに関するアネクドートとして、Supreme Bitch事件のことを記しておこう。シュプリームは2013年、ボックスロゴを模した、Supreme Bitchと書かれたTシャツを販売したLeah McSweeneyに対し、著作権侵害の訴訟を起こす。これに関してバーバラ・クルーガーは以下のようなコメントを残している。「完璧にダサいアホどもによるなんたる壊滅的な惨状。私の作品が言及しているような、悲しくもアホらしいギャグだ。作品に対する著作権侵害の訴え、お待ちしております。」