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スタバでパソコン

“ただの主婦”


この言われ方、言い方が好きじゃない。
専業主婦だって立派な肩書き
“ただの”って。。

結婚と同時に仕事を辞め、2児の母になった私。
外に働きに出たいなぁ、と漠然と思いながらも現実問題『同居』『パート』ではなかなか保育園に預けることは難しく、預けたとしても私が働いたお給料は保育料で消えてしまう。更には主人は私に外へ働きに出ることを望まないタイプだった。

だから、専業主婦でした。
今の世の中、共働きの割合が多く、専業主婦と言うと周りからは暇人扱い。
子供と四六時中一緒に過ごすことの大変さは理解されません。
なんなら『ずっと長期休暇でうらやましい』と言われたこともあります。

いやいや、未就園児のいる専業主婦って仕事で言ったらブラック企業よ。
だって休みないし、やって当たり前扱いだし、自分の時間なんてほぼゼロだから。

当時の私はとにかく家でずっと子供と過ごすことができず日中子供とショッピングモールへ行く頻度が高かったんです。そんな時スタバを通りかかるとパソコンを開いて仕事をしてる方をよく見かけました。その方にとったら当たり前かもしれない日常が当時の私にはとっても憧れる光景でした。

家庭でできることを

そんな中でも自分の楽しみや気分転換をするための方法を色々しました。
今では仕事となったハンドメイドをはじめたのもその1つ。
その他ではママたちを誘っては○○会をしたり、料理を作ってFacebookにあげたり、PTAに声をかけてもらったら引き受けたり。

こうして子供2人子育てしながら自分の気持ちをその状況に合わせてコントロールしていたんです。だからその当時も充実してなかったわけじゃないし、辛い毎日だった訳でもない。それなりに楽しんではいたんです。

一緒にやってみない?

下の子が2歳のころ、上の子繋がりのママ友からハンドメイドイベントの出店に誘いがありました。それまでも少しではあったけどクチコミで私の作ったものが欲しいと言ってくれる方がいて販売はしてましたが、本格的にイベントへ出るのは初めて。
せっかく誘ってもらったからと参加しました。これが作家としての始まりです。

自然と出会いは訪れた

3回目に出店したイベントの主催をしていた作家さん。(以下、Aさんとしますね⭐)
その人こそが私の未来を変化させる人になるなんてその時は感じることはなく、当時はまだ“繋がっただけ”の存在です。

まさか7年後こうなるとは。

イベントで知り合ってからインスタのフォローをし、たまにイベント出店してるときに会って挨拶するくらい。
しばらくしてAさんのインスタが突然変わり始めたんです。

ん?フォロワーが1週間単位で1,000人くらい増えてる!?

えっ?何?この積み上がった発送予定の箱のタワーは!

突然巻き起こるインスタの光景にかなり興味深く常にチェックしてました。

そのころの私はというと、順調にお客様も増えイベント出店の回数も重ねある程度作家として自立できてきたかな。の時期ではありましたが、子供が2人とも小学生になり、次のステップは作家としてもっと広げるのか、別の職種で働きに出るのか迷っていた頃。
しかもコロナが流行りだし大きく世の中も変化していた時期と重なり、どちらの選択も足踏み状態でした。 

そんなとき、またAさんのインスタ投稿で飛び込んできたのは

『ハンドメイド作家のためのオンラインサロン始めます』

でした。オンラインサロンって何?って思いながらザワザワするこの感じ。
どうしようかな?と悩むことなく自然と申込んでた。主人には事後報告です(笑)

ドキドキしながら初めてzoomに繋ぎ、画面の先には全国各地の作家さんがいて一気に私の世界が広がった瞬間でした。

それまで出店などで仲良くなった作家さんもたくさんいたけど、作家としての詳しい相談や話をしたことはなく、そこでの集まりはワクワク感が全然違ったんです。
学ぶ楽しさがすごく、それまでいかに小さな世界でモノを作っていたんだと思い知らされました。
ここまででも自分の中では大きな変化を感じていましたが、更なる変化、私の脱皮はここからです。

ある日そのサロンメンバーでオフ会を開催し久しぶりに再会したサロンオーナーでもあるそのAさんから
『ねぇ、のえむちゃんサロンスタッフやらない?』
と声をかけられたのです。
『えっ?スタッフ?!』
はじめは軽く捉え笑いながら
『考えとくね~』
と返事をしたものの、ずっと気になり、またもやザワザワ。
楽な道と険しい道があるならば、選択する道は険しい道を選ぶ私の性格。むしろそのときは険しい道と感じたというのではなく、サロンでマインドについても学んだり、そこで知り合った作家仲間からの刺激が多く、好奇心やワクワクがあって、貴重なチャンスと思い数日考えて
『スタッフやります』  
と伝えました。

スタッフとして会議に参加し、飛び交う会話は今まで普通に主婦やハンドメイド作家をしていたら聞かないワードや思想ばかり。
ついていくのに必死さもありましたが、断然楽しさが勝ったんです。

そして、スタッフになって少したったころ、そのオーナーAさんから突然のSOS

『このままじゃサロンの継続が出来ない。助けて‼️』

キラキラ見えたAさんからの弱音。
見えないところで必死になって今の状況を打破しようと頑張る姿を目の当たりにし、私はそのときスイッチが急に入りました。

『どうしたらこの状況抜け出せる?』
『私に何かできる?』

元々、企画したり、リサーチしたり、まとめたりの作業は得意。気になったことや今後のサロンについての案を自ら作成し企画案として提出したんです。

そしてその企画案を見たAさんから直接打ち合わせしよ!詳しく教えて欲しい。と連絡が入り場所はなんとスタバ!!

7年前羨ましいなと横目で見ながら通りすぎてたスタバでパソコンを広げる私がいたんです!たいしたことじゃないのに、あのとき憧れていた光景を実現出来たことが凄く嬉しかったのを覚えてます。

そして今、私は400名近くいるオンラインサロンのAさんの補助として“専務”という相性で運営に携わらせてもらいながら作家活動も続け、アップデートの毎日を送ってます。
もちろんスタバへパソコンを持込み仕事をする日もあります。

7年前のあの頃は想像していなかった未来の私。
出会いをきっかけに自分の本質に気づき、出来ない理由を探すのではなく、できるための方法を見つけるようになりました。

きっと出会いはタイミングで、7年前に出会っていても深く付き合うようになるにはまだ早く、今だからこそのマッチングだったと思う。現在40代。子供たちが少しずつ親の手がかからなくなる一方、自分にやりがいのある仕事が見つかったのは本当にラッキーだったけど、これは偶然ではなく今までの積み重ねの結果だと思ってます。

“ただの主婦”なんて言われたくない。
でも、抜け出せずもがく日々もコツコツ作家としての歩みは止めずにきたからこその今だと信じたい。

出会いが何につながるか。
私はそれが結果ビジネスになったけど、今までもこれからも損得ではなく充実を大切にして今の縁を大切にしていきたいと思っています。



#ビジネスの出会い

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