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薔薇の名残 第二章 邂逅編


第二章 邂逅

 一 湯呑み茶碗で剣菱を飲む

 大学で二年目の夏を迎えようとしていたとき、私はある女性と出会った。
 そのひとはすでに学生ではなかったが、もとR大のOGで、いまは別の府県で働いている女性だった。私が偶然、町で出会ったかつてのESSの部長だった男性に連れられて、彼の下宿先である寺院の一室を訪れたときのことだった。
 その先輩が別の部屋に住まいする女性に私を紹介してくれたのだが、そのとき、たまたまその女性のところに遊びに来ていた友人が、そのひとだった。
 私たちは二言か三言も交わさないうちに、なぜか意気投合した。実際には私より年下である先輩部長の人懐こい性格と、気の置けなさがそうさせたのかもしれない……。
 私たちは、そのひとが差し入れと称して持ってきていた「剣菱」という一升瓶入りの日本酒を湯呑み茶碗で酌み交わした。剣菱という酒の名前はおろか、養命酒ですら見たことのない私だったが、私は飲めるふりをして勧められるままに飲んだ。
 酒の肴は女性宅にあった。どこにでもある渇き物の類いだった。冷酒のまま、喉を潤しながら口に入れると、すこぶる旨く感じられ、私は瞬く間にグロッギーになってしまった。
 もともと酒に強くない父親譲りの体質だった上に、湯呑み茶碗でのがぶ飲みだったため、早々に酔いが回ってしまったのだろう。
 気がついてみると、畳の上に仰向けになった私には薄い上布団が掛けられていた。
 誰かが寝冷えを気遣ってくれたのだろう。横を向いてみると、そこに彼女の顔があり、軽い寝息を立てていた。そして逆の方向を見ると、簡易ベッドがあり、その上に先輩部長と、この部屋の主の姿があった。ふたりが、これまた私たちと同様、仲良くひとつ布団のなかで眠っていたのだった。
 彼女は目鼻立ちがはっきりした女性だった。酔っぱらってしまう前、確か名前を聞いたような憶えだけはあったのだが、憶い出せなかった。
「眼が醒めたようね――」
 天井を見上げて、その名前を憶い出そうとしていると、彼女の声が私の耳許近くから聞こえた。
 その声には、どこか懐かしい響きがあった。そういえば、この低い声のトーンは、お祖母ちゃんが死んだとき、通夜の席にいた北海道の叔母さんが話していたものにそっくりだ。穏やかな水流がどこにも引っかからず、静かに勾配を下って行くときのような話し方……。
 三言も交わさずに意気投合したのも、この話し方とトーンにあったのだと気づいた。
「あれからずっと眠っていたのよ」
 頭のなかが、まだぼやけていて、どう答えていいかわからなかった。――というより、主語がわからなかった。眠っていた――というのは、誰のことなのか……。どこまでも身体のなかを経めぐって血流のように柔らかで、棘のない声のトーンだった。
「もう、朝になったわ……」
 私の返事を待たず、彼女が続けた。
「ここから歩いて三十分ほどのところに見晴らしのいいお寺があるの」
 質問なのか、それとも単なる述懐が始まる前触れなのか――。どう答えていいかわからず、あ、そう――といったものの、後が続かなかった。
「あら、あなたも行くのよ――」
 彼女は、ひとごとみたいに言うのね――と言わんばかり、私の肩に手を置いて言った。
 出遭ったばかりだというのに、もうそんな――と戸惑う私に彼女は、なにごともなかったかのようにふたりから布団を剥がし、居住まいを正した。
 その仕草や話し方は、彼女にとって普段使いの、ごく普通のものだったかもしれないが、私の心は不思議な感覚に泡立ち、脳のどこかが反対側に捻じられたようになっていた。まるで、世間でよくいう、狐に抓まれでもしたかのように……。

 二 濃密でいながら流動的な空間

 ぐっすり寝込んでいるベッドの上のふたりを置いて、私たちは、彼女のいう「見晴らしのいい寺」に向かった。
 そこへは道幅こそは広かったが、北へ向かう登り坂になっていて、普段あまり出歩かない私には少しきつかった。
「まだずいぶん、あるのかな」
「そうね。もう少しあるわ。疲れたかもしれないけど、頑張って……」
「そういえば……」
 私は、彼女の名前を憶えていないことに気がついて訊ねた。「名前を聞いたような気がするんだけど、憶い出せなくて――」
「カミカワ・ツキヨ。神さまのカミに三本川、月世界のゲッセと書いてツキヨ」
 彼女は、二度目であろう私の愚かな質問に苦笑するでもなく、初めて訊かれたときのように屈託なく答えた。「両親は満天に輝く星を見るのが好きで、星月夜の意味を込めたと言ってたわ」
 ご両親には、よほど深い思い入れがあるのだろう。ふたりが本当に星降る夜に愛し合ったその日から、ぴったり十月十日目が彼女の誕生日だったりしたとか……。
 ひとは、そのように親から望まれて生まれてくるのがいちばんいいのだ。そしてふたりが、ぴったり心を合わせて付けた名が、それであればなおいい。なかには、自分の名前が気に入らなくて、親を恨んだり改名したりする者もいるくらいだ。
 満天に輝く星か。いいね。ぼくも夜空を仰ぐのは嫌いじゃない。
 ――と格好よく応じたものの、どちらかといえば、いま見ているこんな青空のほうが好きなんだけどね、と付け足すだけの余裕や勇気はまだ、持ち合わせていなかった。
「でも、私は嫌だったわ。小学校のときはツキちゃんだったから、まだよかったけれど、中学校になってからはゲッセイってあだ名がつけられて、男の子みたいだった」
「それこそ、いま流にツッキーって感じのほうがよかったのかな」
「そうね。そのほうがよかったかもしれない」
「じゃあ、これからきみのこと、ツッキーって呼んでいいかな――」
「いやよ、そんなの」
「そうだよね……」
 私は、単位を落として二年間も履修しなければならなくなったフランス語の、ただでさえ少ない語彙のなかからひとつの単語を絞り出して言った。「リュン――っていうのはどうかな」
「なんとなく、いい感じはするわね……」
「フランス語で月のことをリュンヌっていうらしいんだけど、リュンだけにした」
「いいわね、あまりいなさそうだし……」
「じゃ、それで決まりだね」
「リュンとリュウの誕生ってワケね。語感だって悪くないわ」
 え、どうして、ぼくの名を――というような、怪訝な表情をしたのだろう。私がその言葉を発する前に、人差し指をひらひらさせながら彼女が言った。
「あなた、三崎龍三郎クンなんでしょ。酔いつぶれる前に言ってたわ」
「そうだっけ……」
「そう。でも、そのあと、すぐに寝ちゃったから、忘れちゃったのね」
「みたいだね」
 私は昨夜のことを憶い出して言った。「ところで、きみの出身はどこ。ひょっとして北海道」
「ピンポーン。なん――だけど、あまり北海道は好きじゃない」
「なんで」
「なんにもないから……」
「だって、あんなに大自然があるじゃない」
「好きじゃない。やっぱりK市のようなところがいいな。こじんまりしてて、ひととひととの距離感があって……。適度にバランスが取れている。大人と大人の付き合いというか……。それにこんな風に、その気になれば誰とも仲良くなれる……」
「それは、違うんじゃないかな。だって、ぼくはK市の生まれじゃないし、きみだってそうじゃない」
「そう。だからこそ、K市なのよ。こうやって、見ず知らずの他府県出身のひとたちを上手に寄り添わせてくれる……。濃密でいながら流動的な空間――それが、K市だと思うわ」
「なるほど。地元のひとたちばかりじゃ、そうは行かない」
「ある意味、排他的で小さな都市だからこそ、そこに「よそもの」同士の匂いが立ち込めるの」

 三 学生時代の「憂さ晴らし」

 そこは、青空の遥か遠くに霞む険峻な山頂を借景とした、枯山水の庭をもつ禅宗の寺院だった。
 ぼくは、この市に来る前――。
 私は、その庭を望む広縁に彼女とふたり並んで腰を下ろし、歩きながらしていた先ほどの話の続きをした――。T市での小学校時代、先生との別れ、中学生になる前、両親が離婚したこと。高校を出たあと、書店に就職したこと。十九歳の時、懐かしくてT市に自転車旅行したこと。二十三で書店のオーナーに勧められ、大学受験に挑戦したこと、いまは新聞配達員であること……。
 その間、彼女は黙って前を向き、前方の遥か先にある山岳の頂きに向かって遠い眼をしていた。
 私が話し終えると、彼女は例の友人を訪ねる際、決まってここに寄ってから赴くと言った。確かに彼女のいうように、人里離れたこの庭は瞑想にふけるには「持ってこい」の場所だった。
 周囲には誰の姿も見えなかった。平日であることも手伝ったろう。訪問客は私たちだけのようだった。春の名残りある陽射しが、柔らかな風と一緒に私たちを包んでいる。むしろ私たちは、深い「しじま」のなか、この白い庭と円い緑の刈込のある風景に一体化しているといってよかった……。
「わたし。学生運動をやっていたことがあるの。メット被ってね、石を投げるの」
 どう答えていいかわからず、声の出しようがなかった。
 しかし、彼女がヘルメットを被って機動隊と衝突シーンを演じている姿だけは想像できた。その端正な顔だちが歪み、なにかを叫んでいた。直接、そんな運動をしている仲間は、私の付近にはいなかった。だから、その網膜に浮かぶ映像はテレビかなにかで見たものと重なっていたかもしれない……。
「いまにして思えば、馬鹿みたいな運動だったわ……」
 彼女が続けた。「恋人だった彼がその運動をやっていて、それでついて行っただけなんだけど……。一回、投げるごとに百円もらえるの。だから、事前に石をたくさん持って行って、それを機動隊に向かって投げる。それも顔などに当たらないように、手加減して投げるの。茶番だったわ。その彼のお父さんにも会ったけど、『おんなというのは、家庭の芯でなければならない。いわば、コンパスの中心にあって旦那さんを上手く操るのが奥さんで、旦那はその先にいて奥さんの考える理想の円を描く役目を果たす。それが嫁としての在り方だ』っていうの。つまり、左翼でもなんでもなくて、お金だけはたっぷりある銀行一家のぼんぼんだった……」
「典型的なブルジョワジーの御曹司――」
「で、大学を卒業する間際になって急に礼儀正しくなったもんだから、あれはなんだったの――って訊くと、スポーツの一種、つまり学生時代の『憂さ晴らし』に過ぎなかったって」
「よくある話――。ぼくも、そういうの聞かされたことがあるよ」
「なんだか、つまんなくなっちゃって、その彼とはそれっきり……」
「それも、よくある話だな」
「でも、R大って、意外とそういうひとが多いのよ。一種のカモフラージュかしら」
「いまだに活動してるのもいるしね。ぼくの場合、K市で一番学費が安かったから、ここに決めたんだけど、世間の評価じゃ、貧乏人家庭の味方ってことになってるよ」
「それだけに左寄りのひとも多いのよ」
「そういえば、いまどき、プロレタリアートっていうひともいないと思っていたんだけど、結構居るんだよね、そういうひと――。この前、駅で寝泊まりしているらしいひとに話しかけられたんだけど、自分のことをルンペン・プロレタリアートだって自嘲してた」
「いるわね。そういうひと――」
 彼女は続けた。「たぶん、左翼くずれで、家にも大学にも戻れないひと……」
「その人が急にサルトルとボーヴォワールのことを言い出すんだ。吃驚したよ。自分のことを教養人と思わせたいんだろうね。話を聞いていると、本気で持論を話し出すんだ。アンガージュマンがどうしたこうしたって、まるで明日にでも革命が起こると信じてる青っちろい学生にみたいに――」
 そこで、話は途切れ、彼女はなにも言わなくなった。これは単なる私の想像で、違うかもしれないが、家にも大学にも戻れないひと――のことを思い描いているのかもしれないと思った。
 確かに自分にも同じようなところがあって、家には戻りたいとは思わなかった。
 このとき私には、戻るべき家はなかった。そして戻りたくはない新聞販売店の寮だけがあった。

 四 賭けのような待ち合わせ

 彼女が沈黙してから、長い時間が経っていた。おそらく昼は過ぎているだろう。
 太陽はすでに中天より下方に差し掛かり、西方に向かっていた。
 深い「しじま」がふたりを包み、夏前の風がそよいでいた。眼の前では、新緑の青さが空の青さと相まって、白砂の上の植え込みをさらに際立たせていた……。
 長い間かかって、ようやく意を決したように彼女が口を開いた。
「ねぇ。こういう風にしない。わたしたち、結婚するの――。だけど、暫くは一緒に住まないし、同じところにもいない……」
 私が先を促すように黙っていると、彼女があとを続けた。「わたしはO市で生活するし、あなたはK市で生活する」
 私は、穏やかな口調で発されるその言葉に一瞬、違和感を覚えたが、驚きはしなかった。それほど自然に、当たり前のように繰り出された言葉は、ふたりが知り合いになる以前から慣れ親しんでいた共通の話題のように思えたのだった。
「そして、あなたが大学を卒業するまでの二年間だけは、お互い自由にしていいの」
「まるで、サルトルとボーヴォワールのリニューアル・バージョンみたいだね」
「そう」
「で、卒業すると、どうなるの」
「もちろん、籍を入れるわ」
「つまり、それまでは同棲もしないし、籍にも入れないで、夫婦でいよう――ってこと」
「そう」
「いいけど、きみはそれでいいの」
「いいわ」
「ひとつ訊くけど、それって婚約ってこと。――じゃないよね」
「婚約じゃない。束縛もしない。ふたりは自由よ」
「浮気してもいい――ってこと」
「そう。ただし、条件があるわ」
「なに」
「どんなに逢わなかったとしても、一年に一度は必ず逢う――ということ」
「うん。わかった」
「それと、もうひとつ」
「なに」
「誰と同棲してもかまわないけど、籍は絶対に入れないこと――」
「事実上の契約結婚――。つまり、誰もが知っているけど、夫や妻としての『夫婦の座』だけは譲らないと……」
「そう」
「奇妙な契約だけど、なんだか男のぼくだけが得をするような結婚制度だね」
「そうでもないわ。女のわたしだって、条件はまったく同じよ」
「そうかな。でも、きみがそう望むなら、ぼくは一向に構わない――というより、正式に一緒になってもいいんだ」
「それは駄目――」
「なぜ」
「これは、ひとつの実験だから……」
「実験」
「そ。実験――」
「精神維持管理の……」
「そうもいえるかもしれない。でも、そうでないとも……」
「『ぼくという人間』の性質を見極めるための、ひとつの手段――」
「『わたしという人間』の性質を見極めるための、ひとつの手段でもあるわ」
「そう。で、僕たちはいつから『夫婦』になるの」
「あなたの誕生日は、いつ」
「七月七日」
「本当なの」
「本当」
「じゃ、その「七月七日」に逢いましょ。O市駅二階のコンコース。大きな時計の下。朝十時」
「わかった」
 そんな風にして、私たちの奇妙な「結婚生活」は始まった――。
 携帯電話も、ポケットベルも、Eメールも、もちろんタブレットもない時代だった。連絡先も教え合わない。知っているのは、互いの名前だけ。一種、賭けのような待ち合わせだった。どちらかがそこに現れなければ、二度と会えないかもしれない危険なデートだった。

 五 同棲という名の男女の生活形態

 その日は、参議院議員選挙の日だった――。
 K市で初めて気の合った彼女、神川月世と再会すると約束した日から、およそ一年近くが経とうとしていた。禅宗寺院の広縁での約束だった。
 その間、私には色々なことがあった。いつの間にか英米文学系のコースに編入されそうになっているのに気付いた能天気な私の相談に「リュウちゃん、そりゃ、哲学だよ」と、きみが背中を押してくれたのも、この間のできごとだった。そのお蔭で私は西洋哲学を専攻するコースに在籍することができているのだったが、政治的な運動に加担することもしなかった代わり、独りでいるときは勉強をそっちのけで詩作に集中し、それ以外のときはESSの連中とつるみあっていた。
 そのなかで知り合った数人の女性とはセックスもしたし、付き合ったりもした。しかし、そのなかの誰とも深い関係にはならなかった。
 彼女との約束があったから――という理由もあるが、気が合うのは最初の頃だけで、その後は長続きしなかったからだった。
 この選挙戦では、田中角栄がヘリコプターをチャーターするなど、派手な選挙戦を繰り広げて話題を集めた。その集票のやり方が、有名企業の大手から集めた巨額資金を利用して行われたものだったから、新聞やテレビなどでは大いに非難され、「金権選挙」とまで喧伝されたのだった。
 しかし、私たちは選挙には行かず、互いに会うこと(私たちの言葉でいえば「結婚」すること――)を選んだ。主婦が旦那の政治的無関心を新聞に投書して嘆くほど、社会全体が政治に無関心な時代であったとはいえ、私たちは疾うに政治を司る政治家そのものを信用していなかった。
 その後の政治や政治家の在りようを見ても、それは明らかだった――。
 時代は、乱高下を繰り返し、狂乱物価の煽りを食って人心も安定しなかった。『同棲時代』という名の漫画が登場したのを皮切りに、テレビドラマや映画、その主題歌などが次々と立ち現われ、同棲という名の男女の生活形態が若者たちの間で憧れのライフスタイルになっている時代だった。
 しかし、私たちの「結婚」はそうではなかった。男と女ではあっても、共に生活はしない。もちろん生計も共にしない。だからといって、セックスをしないわけではない。それじゃ、都合のいいセックスフレンドじゃないか――というひとがいるかもしれない。
 表面的に見れば、確かにそうだ。
 そこには、男と女としてのセックスの結びつきしかない。――ように見える。
 しかし、セックスをするだけなら、相手はいくらでもいる。互いに割り切って遊べばいいのだ。そして飽きれば捨てればいい。それは男だけではなく、女にもいえる。女だって、男を捨てることは幾らでもできる。むしろ、世間では捨てられる男のほうが多いだろう。
 捨てられるのが嫌で、セックスだけをしたいのなら、金で買うこともできる。これまた男女に差はない。この頃、同じR大の学生で、ある社長夫人のお相手をして小遣いをもらっている先輩に妙な自慢話を吹聴されたことがあるが、女性だって財力さえあれば、男と同様のことができる。
 それが嫌なら、割り切って付き合うことだ。つまり、フリーセックス。和製英語だとは思うが、言い得て妙なネーミングで、これほどしっくりくる言葉もない。不特定多数とのセックス……。相手の生活がどうであろうと関係ない。セックスさえできれば、誰とでもいいのだ。
 だが、私たちの場合、その関係性はフリーではない。セックスを仲立ちとはしていない。
 その関係性は、固定的かつ精神的なものに限定される。セックスはその付随物でしかないのだ。関係性としての結びつきは、互いの生の共有にある。生計ではなく、互いの空間との心的融合だ。
 それこそ、ふたつの波の正体が同じひとつの海であるように、ふたつに見えているのは、表面的な生き方が異なって見えるから――。深いところで、ふたりは繋がっている。ソクラテスの産婆術ではないが、相手のもつ無形の魂を形あるものとしてその空間から抽出し、この世に産み出すパートナー。その役割を相互に果たし合ってこそ、この結びつきに有意性がもたらされるのだ。
 私は、そのように思っていた。事実、そのように感じ、あの広縁での会話を思い起こしながら、今日までの日を永らえてきたのだった。あの先生が先生でなくなったいま、彼女がO市にいるから生きられる――。
 これからは、自分だけのそれではなく、ふたりの空間を合わせてひとつのものにしていきたい。そのためにも、自らを深めなくては――と念じつつ、詩作に精を出した。それが味わうに堪えるものなのか、芸術的に優れているのかどうかは、まったく別問題として……。

 六 父を捨てた瞬間

 私たちの結婚記念日、否、新婚旅行当日というべきその日――。
 私はO市駅二階のコンコースにいた。K市以外、地理に不案内で生来、方向音痴にできている私はまかり間違えば、永遠の後悔に繋がる致命的なミスを犯していた……。
 今日の日に引っ掛けて、天の川を例にとれば、左岸にあって上流から降りてくるひとを見ていなければならないのに、右岸の階段を遡上してくるひとばかりを観察していたのだった。もしこのままなら、よほどの奇跡と僥倖が一直線に重ならない限り、一年に一度はおろか、二度と彼女の顔を見ることは許されない運命になっていたことだろう。その重大さに気づかぬ私は愚かにも、その場を移動してみることもせず、ただひたすら彼女の到来を待ち続けていたのだった……。
 当然のことながら、そこへは約束の時間から三十分が過ぎても、誰も現れなかった。
 四十分が経ち、五十分が過ぎても変化はなかった。
 そこには、人待ち顔で立っているひとは大勢いたが、それらの相貌を幾度見返してみても、見覚えのある面影にヒットすることはなかった。
 それでも私は不安にならず、約束を破られたとは思わなかった。彼女は必ずくると信じていたし、あれは彼女にとって一種の天啓だったのだ。それを違えるはずがない――と、そう思っていた。
 そして、あまりの手持ち無沙汰に、何気なく一歩を踏み出そうとしたとき、左手方向から私の名を呼ぶ声が聴こえた。
 その伸びと艶のある低い声は、まぎれもなく彼女の声だった。
 もしこの時代、私がアデルを知っていたなら、きっと彼女に「アロー」と呼びかけられたと思ったことだろう。
「ここだったのね――」
 私がその方向に顔を向けたとき、アデルの声で彼女が言葉を繋いだ。「これじゃ、永遠に出会えっこないわね。お互いがちょうど反対方向を見て突っ立っているんだもの――」
 そうか、それには気づかなかった。ごめん――。
 と一応の詫びを入れ、K市とは違って、こっちはなにかも大きすぎて迷ってしまうよ――と言い訳がましく自己弁護をしたのだった。
「ちょっと時間を損しちゃったわね――」
 目配せするように彼女は言って、チョコレートを差し出した。ちょうどタバコケースほどの大きさで、そのなかに銀紙に包まれた板チョコが四つに分かれて入っている。そのうちの一本が取りやすいように、指一関節ほどが抜き出してあるのだった。「食べて――。お腹が空いたでしょう。とりあえず、どこかの駅で駅弁を買うから、それまでこれで我慢ね」
 まるで子ども――。いや、幼児扱いだった。しかし、それに抵抗感はなかった……。
 いままで見知った女は、こんなとき、相手の非を責めなじるか、罵倒するかのどちらかだった。決して自分は悪くないのだ。いつだって、相手が悪い。自分は、ちゃんと場所を的確に指示した。それをいい加減に聞いていた「あなた」に責任がある――のだった。たとえ、自分が言い間違っていたとしても、それをつねに正しい位置に戻してやるのが、男が払うべき優しさ――らしいのだ。
 女はつねに弱い。だから、ずうっと守ってやらなくてはならない。
 弱い女を守ってやるのが、男を張ろうとする者の遵守すべき義務なのだ。でなければ、それは男とは呼べない。単にキンタマをぶら下げただけの木偶の坊、信楽の狸のような置物にすぎない。
 そんなふうに思っている女は大勢いた――。私の母も「男というもの」をそのように捉えていたひとりだったはずだ。
 でなければ、女は男を捨てたりはしない。子どもも親を捨てたりはしない。
 いつだったか、父と一緒にハイキングに行ったとき、さらりと言われた恐ろしい言葉がある。それは、K市に越してから暫く経ってのことだが、おそらく一年は過ぎていなかったろう。久しぶりの父との行楽が嬉しくて、深い淵が眼下に見える川縁を飛び跳ねるようにして歩く私に父が言ったのだった。
 川っぷちを歩くんじゃない。もし落ちても、父さんは助けないからな――と。
 そのとき、私は父に捨てられたと思った。ぼくが水に落ちても、父さんは決して助けてくれないんだ――と。つぎの一瞬、私の脳裡に「父を捨てる」という、どす黒い観念が浮かんだ。ようし、ぼくも父さんが沈んでも助けたりはしないぞ――と。つまりこれが、私が父を捨てた瞬間だった。
「なにを考えてるの――。電車が来たわよ」
 彼女が言った。ああ――と曖昧な返事をしたものの、私の脳裡には、あのときの光景が浮かんだままになっており、立ち去る気のない子どものようにむずかりながら、そこにいた。眼下には、深くよどんだ緑色の淵が岩々の間から顔を出し、私においでおいでをしていた……。
 私は、まるで深い渓谷に掛かった細い吊り橋の上を一歩ずつ進む老人のように不安定な格好で、彼女に手を取られながら、電車のタラップに足をかけたのだった。

 七 暗いトンネル

 電車に乗り、ふたり並んで腰を下ろした。
 シートの背もたれに首を預けたまま、私はいつの間にか浅い眠りに入っていた。
 寝付かれなかった昨夜の興奮が心身のバランスを取ってくれている――のかもしれなかった。彼女はそれに気づいていたが、なにも言わず、そうっとしておいてくれたようだ。
 夢のなかとも覚醒ともつかぬバーチャルな意識空間で、私は眼を瞑ったまま、頭のなかで考えごとをし続けていた。
 父を捨てたときの感覚がいまだ脳裡を去らず、それに引きずられるがままになっているのだった。私は、心のなかで再び独り言ちる……。
 親になったことはないから、子どもがどうあらねばならないか――はわからない。
 逆に、親はどうあらねばならないか――も、幼くして親を見限ってしまった私にはわからない。
 だが、幼少期の子どもが親にしてほしいことは、やはり心から抱きしめてもらうことだろう。そして、どこまでも深い青空に向かって「高い高い」してもらうことだろう。これほど愛情あふれる無窮の行為はない。未来永劫、人類が見続けて行くはずの夢だ。――少なくとも、私はそう思っている。だから、大人にも高い高いをするのが好きだし、抱きしめてもらうことも好きなのだ。
 愛情に飢えた子は、必ずこれが足りない。これが足りないから、寂しくて悲しくなる。愛されない子は寄る辺なく悲しく寂しいから、抱っこがほしくなるのだ。
 しかし、それに応えてもらえず、抱っこをしてもらえなかった子や高い高いをしてもらえなかった子は、これの代償を求め、いわゆる「ひとの道」に外れたことをしでかして生きて行く場合が多い。
 犬と同列には論じられない――というひとがいるかもしれない。
 だが、パピーウォーカーの下で愛情いっぱいに幼少期を過ごした犬は、ひとが好きで好きで、愛されることの楽しさや嬉しさ――を、愛されないことの悲しさや苦しさ――を知っている。
 だからこそ、飼い主に忠実な犬になる。その誠実さは「涙が出る」ほどだ。盲導犬として生きる犬ではなく、一般のペットですらそうなのだ。人間の場合、並外れて寛容なひと、あるいは超弩級クラスの偽善者は別として、一度裏切られれば、二度目は信じることをしない。
 仮に信じたとしても、ヒフティヒフティ。ふたつにひとつの確率でしかない。コインの裏と表。
 一か八か――とはいうが、失敗するかしないか。ふたつにひとつ。ひとは、そのようにして生きて来たし、これからもそのようにして生きていく……。
 コンピューターがそうであるように、人生もまた二進法だ。あるとき、ある空間の、ひとの人生に、どんなに多くの選択肢が転がっていようとも、拾い上げるタイミングは一度しかない。選ぶ対象もひとつのみ――。
 ときは待ってくれず、二度と同じように訪れてはくれない。選んだその瞬間に、それ以外の選択肢はすでに過去のものとなり、永遠に取り戻せはしない……。
 しかし、本当にそうなのだろうか――。本当に、過去は取り返せないものなのだろうか。そして未来は、本当にひとつしか存在しないものなのだろうか。同時にひとつのものしか選べないというのは、なんとなくわかる。
 しかし、空間は無限に広がっている。繋がり合えば、その空間は永遠に自分たちのものになるのではないか……。
 果たして、これは幻想なのか――。それとも、単なる願望の果ての妄想なのだろうか……。私は眠い頭で考え続けた――。
 人間も信じていいのではないか。少なくとも愛してくれたひとだけは「信じていい」のではないか。愛してくれないひとは信じなくていいかもしれない。だが、愛するひとは「信じてあげなくてはならない」のではないか……。
 その辺りまで考えてきて、私は完全に深い眠りに落ちてしまっていた。
 彼女が私を揺り起こし、F市駅の売店で調達してきた幕の内弁当を膝の上に置いてくれて初めて、それを知ったのだった。
「よほど疲れていたのね――」
 彼女が微笑みながら言った。「凄い鼾を掻いていたわ」
 私は思った。ああ、やはりこれは現実だった。私は彼女と一緒にいるんだ。私は愛するひとの傍にいるんだ。そして愛してくれるひとが眼の前におり、私を見ていてくれるんだ――と。
 列車は長いトンネルの入口に差し掛かり、私たちは幕の内弁当を広げた。
「二年ほど前だったかしら――」
 彼女が食べかけていた出汁巻き卵を元の場所に戻して言った。
「このトンネルで事故があったのよね。それでたくさんの犠牲者が出て、国鉄はいったいなにをしてたんだと問題になったわ……」
 そのニュースは私も覚えていた。
 それも幼い頃、母に連れられて煤で真っ黒になりながら行ったT市での思い出と繋がっていた。
 長い長いトンネルのなかで、かんかんに凍った蜜柑を食べ、その冷たさに顎が痛くなった感覚が蘇った。そう、あれも夏の出来ごとだったのだ――。
 今日のように青さだけが空いっぱいに広がり、雲の切れ端が空の彼方で遠慮がちに小さな身体を泳がせている日だった。
 この長いトンネルを抜けた先に私たちの未来は、そして世界は青々とした空間を用意してくれているだろうか。私がこの二十数年の間に経てきた暗いトンネルは、もう終わりを告げると約束してくれるのだろうか……。

 八 シシフォス的空間

 私には一度考えだすと、ずっとその思索の淵に呑み込まれてしまう癖がある。
 そして短くて数十分、長くて数時間、その深みから這い上がれなくなってしまうことが度々あった。齢七十に達しようとしているいまも、その癖の出来は治まっていない。しかし、頻度はともかく深度でいえば、その傾向はあまり進行しておらず、すでに「既往症」的な残渣として存在している――といっていいかもしれない。
 ひとより晩めの学生時代に読んで感動した書物のひとつに、L・ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』というのがあったが、その解説だったか前書きのようなものに、彼は戦闘行為の最中にもかかわらず思索を続けたというエピソードが記されていた――ように記憶している。まさにそれと同じとまではいわないが、私にも思念や想念、あるいは観念の粒のようなものが脳のどこかから滝のように滴り落ちてきて「収拾がつかなくなる」ことがあった。
 それらは、自分でいうのもなんだが、あまりにも素晴らしいので、書き残したいという誘惑に駆られるのだが、そんなときに限って手が離せない。にも拘わらず、つぎからつぎへと新たな思想が顔を出す。
 そして大きく膨らんでみせては、最大膨張率に達したシャボン玉のように大きく弾け飛んでしまうので、物理的に書き留めることはおろか、記憶に残しておくことすら容易でないのだ。
 そんなわけで、ほとんどの場合、それらを捉え切れず、悔しい思いを噛みしめながら、何千もの単語やボキャブラリーが虚しくシナプスの間を滑り落ちていくのを見るという、そんなシシフォス的空間を過ごした時期があった。それも一時的なものではなく、七年も八年も続いた――。
 それこそ手前味噌ながら、私がもし、まかり間違って、その死後、教養ある文化人や高名な小説家として祭り上げられるときがやって来たとしたら、「警句の天才」とか「箴言の鬼才」などといわれて、ひとびとの脳裡に刻まれるであろう名句またはフレーズを思いついているのだ。
 あのときのまま、今日までその状態が引き続いていれば、あるいは近代アフォリズムの旗手といわれていた――かもしれない。
 ――と、まあ、冗談はさておくとしても、この回想録を綴っている最中、ときおり、その病気が頭をもたげ、当時の記憶を異次元のものにしてしまう可能性がある。
 いま、複数の友人たちにこれを読んでもらいながら、一種連載小説のようなカタチで書き進めているのだが、その友人のうちのひとりは、これの最初の部分を読んだとき、椎名麟三の小説をイメージした――という。
 だが、どんなインテリ文化人や読書人がどんなふうにこの小説を読み解こうが、私は友人のいう「椎名麟三」なる人物を知らないし、そのひとの手になる小説も読んだことがないのだ。
 その後、彼について少しばかり調べたところ、彼はもと労組の運動に加担しており、神との間で伸吟していたというのだった。第一、私は「神」という名の心優しい人間の創り出した都合のよい存在を信じないし、共産主義という政治的「集団アレルギー体質」も気に入っていない。
 そのいずれも、私にとっては不要のものであり、必要不可欠のものではない。またアンガージュマンという、この時代に流布していた哲学用語を用いたところから、サルトルの実存主義がいつの間にか共産主義思想に傾いて行ったように、この小説もまたそういう方向を辿るのではないか――と思われた方もいるかもしれない。だが、それとても的外れな見解といっていい。
 残念ながら、彼らふたりの思いのなかにある「共産主義」も「神の存在」も,時代からの逃走は図れていない。つまり、歴史からの逃走はできないのだ。そのどこかで我々は繋がっている――。
 もちろん、かくいう私も時代からは逃れられていない。だからこそ、以前にも触れたが、思索=スペキュレーションの結果、得られた真実は「途上の真」として措定し、つぎなる対象または媒体に向かってアウフヘーベン(止揚)していくしかないと書いたのだった……。
 暗く長いトンネルをようやく抜けると、いままで閉じられていた世界が急に明るくなり、圧迫感が消えた。身体をおおう重く深い闇が溶けると、心は解放に向かう。身体の自由は、心の自由でもあるのだ。身が軽くなれば、心も軽くなる。私たちは、明るさの先に見えてきた海の広さに歓声を上げた。
 この先は、解放感あふれる眺望が待っているのだ。O市やK市のように密集し閉塞した空間ではなく、伸び伸びとした呼吸が行える自然の光景のなかで、ふたりの空間は完全に一致していた。

 九 「ツヴァイザムカイト」セオリー

 当時、私はそれを哲学用語のひとつとして「我=汝」空間と呼んでいた。
 ふたつながらにして、ひとつとして存在する独自の存在空間――。それを構築し考案する思考方法を私は「ツヴァイザムカイト」セオリーと呼んでいた。いま、その正確な意味を調べようと思って辞書の類いが置いてある書棚を見てみたが、ない。いま思えば勿体ないことをしたが、ドイツ語の辞書は四十数年前に捨ててしまった(というより、古書店に売ってしまった?)から、手許にない。
 今後も使う必要は「絶対に」やって来ないだろう。誠に申し訳ないが、詳しく知りたい向きには、本屋か図書館で当たってみてほしい。怠惰な私には、そこまでの気力と体力はもうないのだ。
 おそらく日本語に訳せなかったから、そのままで使っていたのだろうと思う。いまにして思えば、きわめて幼稚な理論だったようだ――が、当時の私の人生にとって重要な意味を含んでいた。
 ひとは誰ともつながり得る。そのつながりにおいて、ひとは生きてゆけるのだ。
 このつながりなくして、ひとは生きていけない。――というより、「ひととして」生きていけない。ひととして生きるには、アインザムカイト(一人(いちにん)性=孤独・疎外)であってはならない。最低でも「二人」いなければならない。つまり「あなた」と「わたし」だ。
「あなた」が「彼」や「彼女」となったとき、ひとは「アインザムカイト」となる。
 かつての私が、そうだった。二十六歳までひとりで生きてきた私が、そうだった。相対する相手が「あなた」であってこそ、ひとは生きることができる。
「あなた」に見詰められるからこそ、「わたし」は、より美しく綺麗であることができる。あたかも恋に落ちた男女が互いの生を意識し、その眼差しを感じながら、より美しく輝く世界の素晴らしさを賛美してしまうように……。
 そういう関係性を私は、疎外すなわち孤独とは逆の意味で、ツヴァイザムカイト(相対(あいたい)性)と名付けていたのだった。マルクスによれば、疎外や孤独の発出は資本主義社会における賃金労働者であることに起因するが、私たちにとっての疎外とは、ひとが生きるべき存在空間において、この「相対(あいたい)性」が欠如していることの現れであり、アインザムカイト(ひとりきりであること)ともいうべき「一人(いちにん)性」がもたらした結果なのだった。
 もう一度いうが、ひとは、つながらなければならない。ほかの誰でもない。あなたという存在とつながらなければならない。相対峙する、ただひとりの理解者――。それが「あなた」なのだ。
 あなたさえいれば、なにも怖くない――。あのブレンター・リーが「愛の讃歌」で歌う英語の歌詞のように、なにが起こったって気にしやしないし、あなたが愛してくれさえすれば、星を撃ち落として目の前に持ってくることくらい朝飯前。その気になれば、なんだってできるのだ。
 だが、それは集団や組織への帰属であってはならない――。
 集団や組織は、さきにも触れたようにアレルギー疾患の感染源だ。全員が同じ空気を吸い、同じ作物を食べ、同じ思想に染まって同じ行動をしてはならない。それは単に同じものが複数あるだけの話だ。
 だから、私たちのいう「融合」は、サルトルのいうアンガージュマン(参加)ではない。
 組織との融合は「彼/彼女」となることであり、自己を疎外する元凶となる。
 そこに「我」の姿はなく、他者である自分の姿の投影のみがある。それは、すでに自己ではない。アレルギーに感染した組織の人間として偽りの仮面をかぶった自分の姿が、そこにあるように見えているだけなのだ。
 我は「我が思う」から存在するのではない。我は汝と対峙して初めて「我であり」うる。我が勝手に思う我は「我」でなく、その我が精神に障害をもっており、客観的には偽りの「我である」ことを主張していた場合、あなたにとって、その我は「彼/彼女」的存在でしかない。
 なぜなら、その我はあなたを「あなた」として認識できないからだ。
 あなたはその彼に疎外され、汝として認識してもらえない以上、その彼を第三の空間である「彼=彼ら」空間において捉えるしかない。すなわち、「ウィ=我々」ではなく、「イット=それ」もしくは「ザット=あれ」と呼ばれる客体として看過せざるを得なくなってしまうのだ。
 哀れにもイットとされた客体は、生物学的存在であっても人間ではなく、共に関係空間を生きる主体的存在としては見做されない。むしろ、監視対象もしくは介護すべき疾患者として扱われ、第三者から「我」対「それ」という文脈でのみ捉えられる存在となる。
 汝は、しかし、神であってはならない。神もまた汝と対峙する存在かもしれないが、神からの汝への歩み寄りはない。その場合の汝は、つねに一方的だ。答えは、ひとつしかない。
 神は、ひとつことを、ただ命じるだけ――。そこに例外規定はない。ただ我だけが勝手に解釈して、ああだのこうだのと議論し、規定らしきものを自問自答しているだけに過ぎない。
 神は、いわば私にとって「彼」であり、「あなた」ではない。彼は「彼」である限り、わたしに対して、なにもしてくれない。ただ、そこに存在するかのような顔をして、静かに突っ立っているだけだ。プラグマティズムに過ぎるかもしれないが、なにもしてくれないのであれば、神もまた「存在しない」に同義だ。したがって、「ある=在」と信じるか「ない=不在」と信じるかは関係ない。あってもなくても、自分に無関係かつ不干渉なのであれば「ない」に等しい。
 そんなわけで、私は無神論者でも有神論者でもない。なぜなら、あってもなくてもよいものなら、なくて構わない。もともと当てにしなければよいだけの話だ。
 だが、「あなた」だけは別だ。「あなた」なくして自分の存在はない。絶対不変の神ではなく、空間の状況によっては、一方的ではなく、いかようにも変わりうる双方向的で自在な存在。我との関係において変幻自在な関係――。ダブルスタンダードならぬダブルコミュニケーションの基。それが、互いの生を互いのものとして受け入れる「我=汝」空間の在り方なのだ。

 十 我と汝の出会い

「頭のなかは、ずいぶん遠くまで旅しているようね……」
 彼女は、まるで午睡中の猫の眠りを妨げるのを気兼ねするかのように、穏やかな声で訊ねた。穏やかだが、明るい好奇心に満ちたアデルの声だった。いや、アデルはこの時代にはいない。しかし、私の大好きな歌声の持ち主、ブレンダ・リーのそれでもなかった。
 私たちは、この砂浜の打ち続く海岸に着いてから一時間ばかり、無言で歩き続けていた。
 足元からは、私たちの歩く速度と間隔に合わせて、可愛い仔犬が母を恋しがって鳴くような音がしていた。顕微鏡で観なければならないほど細やかで、半透明の小さな砂が互いの身体を擦り合って出す音だった。水平線の向こうからはオレンジ色の光がやってきて、海の面を照らしていた。
「ぼくたちふたりのことを考えていた……」
「どんなこと――」
 彼女は、返事をするために立ち止まった私の前に回って、正面から見上げて訊ねた。その両腕が静かに私の腰に回された。鳩尾の上にある左右の皮膚に張りのある、ふたつの膨らみが感じられた。私は、その強さを感じながら、彼女の肩ごと両腕で抱いた。そこには、女性が持つ特有の弱々しさは感じられなかった。全身の筋肉に膂力が行きわたっているのを感じた。
「相手が信じられるということの幸せというか、奇跡について――」
「奇跡――」
「そう。奇跡――。すでにこうやって、再び出逢えたこと自体が奇跡なんだ」
「そうね。わたしたちは出逢えたわ――」
「でも、出逢えないとは思わなかった……」
「わたしも……」
 彼女は両腕に力を入れ、私を引き寄せた。ふたつの膨らみの膂力が、さきほどより強く私に押し付けられた。私の脳裡に、あの先生の優しくも力強い抱擁が蘇った。あの先生も私が不安なとき、こんなふうにしてくれたのだった……。しかし、私の夢想はすぐ現実に戻った。潮騒の音が現実空間に引き戻してくれたのだ。私を抱いている女性は、私が「リュン」と名付けた女性だった。
「きっと会えると思っていたわ。ねぇ、聴こえるでしょ、あの潮騒の音――」
 アデルの声が言った。イッツ・ミー(わたしよ)。キャン・ニュウ・ヒヤミー(聴こえてる?)。アデルの声にそっくりだった。「あれは、わたしたちを祝福してくれているのよ……」
「そうかもしれない……」
 私は、彼女のいう潮騒に耳を澄ませながら応じた。「ぼくたちには、奇跡が起きたんだ。ふつうは滅多に、こんなことは起きやしない――」
「……」
「少なくとも、いままでは起きなかった……」
「私にも同じことがいえるわ。あるひとにこのことを話すと、そんなの嘘よ、きっとそのひとはやってこないわ――といってた。今度、そのことを話すと、信じられないっていうわね」
「おそらく――」
「あのね。マルティン・ブーバーというひとがね……」
 彼女は私の左側に立って、私の歩みを促しながら続けた。「どこかに書いていたわ。『人生は出会いで決まる』って――。わたしたちの人生も、これで決まるといいわね。確か、我と汝の出会いは、互いに歩み寄らなければ成立しない――というような意味のことも言っていたわ」
「そう。ぼくもそのような意味のことを考えていた……」
 彼女のいうマルティン・ブーバーというひとの名前を知らないわけではなかった。
 この当時、ある友人(この君については、いつか読者のお目にかかることもあるだろう――)が、私が「我=汝」空間という概念を創出し、それを研究していると知ってプレゼントしてくれた本に、彼の『我と汝』というのがあった。
 だが、彼について詳しく語れるほど、その書物に親しく入り込んだわけではなかった。しかも、私の「ツヴァイザムカイト」セオリーは、その本や著者の存在を知る前に私がソクラテスの書物(実際にはプラトンなのだが――)をいじっていたときに、はたと思いついて構築したセオリーだった。
 知ったかぶりをするのではなく、ここは素直に「自分の意見」を述べることにしよう――。
「ツヴァイザムカイト――。生物学的な「つがい(番)」性というのではなくて、互いの空間を束縛しない「あいたい(相対)」性。ふたりが、ふたつながらにしてひとつであること。その関係の在り方について考えていた……」
「で、どんな結論が出たの――」
「結論は、まだ出てない。今後も、出ないかもしれない。なぜなら、人間はその空間の在りようによって変化していく存在だから……。逆に人間が、空間の在り方を変える場合もある――」
「そうね。類として考えれば、人間はある意味、永遠だけれど、個としてみれば有限で、その生命に限りがあるだけに、人生の途中で死んでみたり、病院に入院させられたり、痴呆症になって他府県のどこかで発見されてみたり、色々と変わりうる存在でもあるわけよね。いってみれば、DNAの運び手として環境に合わせて『生を繋いでいく途上の存在』にしか過ぎない生物学的個体……」
「でも、途上ではあっても、ぼくたちには意志がある。意志をもつ非物理的個体として生きて行くし、生きて行かなければならない。この世に投げ出された個としての汝を愛し、その汝と同様、個としてこの世に投げ出された我を対自として愛される存在とするために――」
「なんだか、よくわからないわね」
「確かに――」
 私たちは笑った。
 私たちが泊まると約束して荷物をおいて出てきた宿は、もう目と鼻の先にあった。

 十一 死者に対する生者のグリーフ

 私は、この小説を書き続けていている。読者も、その小説を読み続けてくれている。
 だが、念のため、断っておくが、これはフィクション(作りごと)ではない。私が書き続けているのは、事実なのだ。私には、こういう事実(もしくは「過去」)があった――ということの証拠として遺すため、これを記述している。
 私は、もうすぐ齢七十に達する――。せいぜい長生きしたところで、あと十数年だ。その間、脳のどこかがいかれてしまい、しどろもどろになるかもしれない。認知症になって町中を彷徨い、どこかの県でのたれ死んでしまうかもしれない。
 どのようにもがき苦しんだところで、もう二度と、この手の小説は書けやしないだろう。したがって、これは、私という終末に差し掛かった老い先短い人間が、まだ正常なうちに書き残す「遺書」であり、きみや私が迷惑をかけたひとびとに対する「懺悔の書」でもあるのだ。
 世にSF(空想科学小説)という言葉があり、それを明らかなフィクション(作りごと)であるとして「思弁的小説」の意味でスペクティブフィクション、すなわち新SFと呼ぶ場合があるようだが、私のこれは「思弁的」ではあっても、新SFではない。
 なぜなら、そこには、新SFの特徴である「ゲイ」や「レズビアン」は登場しないからだ。そしてまた、ソクラテスの産婆術を引き合いに出したところから、エラステスとパイディカ、すなわち男性同士の「愛する者(指導者=年上の男性)」と「愛される者(被指導者=年下の男性)」との関係を想起するひともあるかもしれない。
 しかし、そのような愛のかたちも、この小説には登場しない。きみと私との関係が、ある意味、BLのようにみえるにしても、それは表面上そう見えるだけのことに過ぎない。私は基本的にヘテロセクシュアルであり、バイセクシュアルでもなければ、ホモセクシュアルでもない。
 もし、そのような方向性や展開を期待してこれを読み進めている読者がいるとしたら、貴重な時間を無駄にしないためにも、この小説は「あなた」には不向きだといっておこう。ただし、こういったからといって、私がLGBTの諸氏に偏見を持っているわけではないことを断っておく。
 私のいう「我=汝」空間における「我」と「汝」に上下関係はない。そして、ギリシャ時代のそれのように一方的に「教える」者と「教わる」者の関係にもない。むしろ、互いが互いの師匠であり、生徒であるという関係にある。すなわち「両者は対等」なのだ。
 資質や素養、学歴といった社会的種別または区別において対等もしくは平等だ――といっているのではない。
 その空間は年齢も厭わないし、性別も忖度しない。年上であろうと、年下であろうと、そしてまた男であろうと女であろうと、「我=汝」空間にあるというそのこと自体、ふたりが「態度において対等」であるということを意味する。
 ティーチング・イズ・ラーニングという英語の謂いがあるが、まさにそれと同断で、教えることは教わることであり、教えることで、ものごとの在りようや自らの「無知」を知ることは多い。
 ――と、そんなわけで。
 私のこれは強いてネーミングするとすれば、「ナラティブリアリズム」という手法を駆使して成り立っている小説であるといっていい――。もっとも、この「ナラティブリアリズム」という言葉自体は私が創出した造語であり、個々の単語の意味は別として、辞書には載っていない。
 ただし、ヒントはある――。「ナラティブ」というのは、ある意味、医療用語として通用している。その意味で、この小説は、きみという死者に対する生者のグリーフでもある――といっておこう。
 だから、ストーリィテリングとしての「サムシング」を期待する向きには、あまり上手くできていないといえるかもしれない。だが、さきにも書いたが、これは老い先短い人間が書き残す遺書であり、懺悔の書なのだ。そこにテレビドラマのような痛快さや心楽しさはない。むしろ、悲しいばかりの愚かさが積み重なる徒労の物語になるかもしれない。
 事実に基づいた小説――とはいうものの、事実というのは、しかし、完全なるフィクションとは違い、そんなに都合よくことが運んでくれない。何度もいうように繰り返し繰り返し、ことは進捗していく。小説を書くという行為は、シシフォスの徒労のような、そんな営為の連続なのだ。

 十二 思い出すにも気恥しい夏の初夜

 その日の夜は、世間なみの言葉でいえば「新婚初夜」にあたるのだったが、結果は散々だった。
 なぜなら、宿を探した当てたあと、いかに夏の夜の散策とはいえ、薄着で夜風の吹く海岸を一時間以上も歩き回ったお陰で、風邪をひいてしまったからだった――。
 高熱を出し、悪寒に震えながら、布団に蹲る私の傍らで彼女がしきりに訴えていた。
「ねぇ、どうすればいいの。わたし、どうしてあげればいいの」
 どうもこうもなく、宿の亭主のところにひとっ走りして、熱覚ましのひとつでももらってきてくれればいいものを――と思ったが、どうやらそんなところまでは、とんと気が回らなかったらしい。彼女はただおろおろと、私の周りを行ったり来たりするだけだった。
 私も大概の世間知らずだったが、彼女は、それに輪をかけて世間知らずのお嬢さまだったのだ。
 しかして、世間知らずのお間抜け「ご夫婦」が「真夏の夜の夢」ならぬ「真夏の夜の熱」にうなされ、朝まで眠れぬ夜を過ごしたという「思い出すにも気恥しい夏の初夜」を終えたのだった。
 そんなわけで、第一日めはお預けだったが、第二日めに、それは訪れた――。
 熱もだいぶ治まり、ようやく半身を起こせるようになった布団の上の私に、昨夜は半狂乱のようになっていたアデル、いや、リュンが私の額に当てがっていた手を離していった。
「もう、大丈夫よね。熱もだいぶ治まったみたいだし――。さ、これを飲んで。口のなかをさっぱりさせるの。緑茶は、殺菌効果があるんだから……」
 夜どおし続いた熱のため、よほど喉が渇いていたのだろう。やや温めのお茶ではあったが、思いのほか美味く感じた。
 その飲み方が性急過ぎたか、彼女がもう一杯飲むというように仕草で訊ねた。無言で首肯し、湯飲みを差し出した。
「よっぽど喉が渇いていたのね――」
 私から受け取った湯呑を畳の上に戻すと、両手を私の手の上に重ねて彼女が続けた。「昨日はほんとうに、あなたが変になってしまうんじゃないかしらって、ずいぶん動転しちゃった」
「心配かけてすまない。もともと風邪をひきやすいタイプなんだ」
「でも、よかった。こんなに、よくなってくれて……。わたし、どうしていいかわからなくて、あなたに悪いことしちゃったわ。なんにもできない、冷たい女だと思ったでしょ」
「いや、きみは、それでいいんだ。ありがとう――」
 自分でも、わけの分からない応えだった。たぶん、彼女には、あの場合、どうしようもなかったのだろう。身も世もなくて、右往左往して――。相手は襲い来る寒さに歯の根も合わず、布団のなかに丸まって、ぶるぶると全身を震わすばかり……。荒く熱っぽい息を吐き続ける男の傍にいて、その熱の下がるのをただひたすら祈るよりなかった――。
 そう考えると、彼女が急に愛おしくなった。
 私は彼女の身体をひき寄せ、自分の胸に導いた。その耳が私の頬に触れ、彼女の髪が私の肩を撫でた。ふたつの膨らみが私の胸で一呼吸ほど大きく跳ねるのがわかった。
「ありがとう。ほんとにきみとこうして逢えてよかった――」
「逢えてよかった……」
 彼女も同じように繰り返し、両腕に力を込めて私を抱きしめた。
 私たちは、どちからともなく唇を重ねた。柔らかい――というより、新鮮な魚の切り身の硬さを感じさせる唇だった。
 彼女は、そのままの姿勢でゆっくりと私を押し倒し、仰向けになった私に跨った。
 そして顔を近づけてきて、なにかを見届けでもするかのように、私の眼の奥深くを覗き込んだ。下から見るその顔の輪郭は、選択肢がこの世にたったふたつしかないとしたら、アデルではなく、若い盛りの溌溂としたブレンダー・リーのそれに近かった。
「ね、眼を瞑ってみて――」
 彼女は、私の浴衣の合わせ目を左右に少しずつ開きながら言った。「あなたは病み上がりなんだから、じっとしていていいわ……」
 彼女は前かがみになると、その唇を私の両目蓋に交互に触れさせた。そのあと、私の唇を舌で押すようにして開き、口中に私の舌を求めた。
 それは敏捷な動きをする天性の生き物でもあるかのように、私の舌の動きに合わせて身をくねらせ、口中を所狭しと動き回るのだった。甘く長い口づけをひとしきり私に味わわせたあと、彼女は徐々に、その舌を下方に向けて滑らせていった……。
 その舌の動きが、ある地点まできた時点で、温かな息が下腹部に戦いでいるのがわかった。私のそれが硬さを増し、天を仰ごうとしている――。
 私は、彼女がその状態を見下ろしながら、自分の下着を取ろうとしている姿が、その動きから想像することができた。ついで私の下穿きが、トウモロコシの皮でもむくように静かに剥ぎ取られ、畳の上に置かれる音がした。
 私は完全に屹立していた。
 そして、身体は仰臥したまま、素裸になっている自分の姿を想像した――。
 私はK市にきて暫くしてから盲腸になったが、まさにそのとき同様、手術台に仰向けになって手術を待っている患者の心境だった。もっとも、そのときは、これから起こる「手術」とやらが怖くて恐ろしくて、泣き叫んでばかりいたのだったが……。
 柔らかく添えられた手の温もりが硬い部分に伝わり、屹立の度が増したのを感じた。私の先端が狭いけれど、熱いほどのパッセージを少しずつ押し拡げていく感触があった。そして硬い部分がすっかり飲み込まれ、これ以上進めない状態になったとき、先端の円く柔らかな部分が小さくてきつい、なにかの入口のような孔に入り込んだのが判った。そしてその小さな口のような孔が、二度三度と先端をきつく締めつける感覚に呻いた。その途端、私は彼女の奥深くに果てていた。
「心配しないでいいわ。ちょうど一週間前なの――」
 果てたあとの気怠さを奮い起こし、なにかを言わなくては――と身体を起こしかけたとき、彼女が押しとどめて言った。「そのままお眠りなさい。あとは、ちゃんとしておくから……」

 十三 勘違いな思い込み

 明くる日、空は快晴だった。昨日の風がまるで嘘だったように、海は完全に凪いでいた。私たちは暖かな陽射しに眼を細めながら、眼下やその先にある海を眺めた。私たちの背後には、可愛いと形容したいほど小さくて低い灯台が、高台のど真ん中にずんぐりと腰を下ろしていた。
「ね、知ってる――」
 彼女がさきほどからずっと、海の彼方にやっていた視線を私に向けて言った。「水平線って、何十キロも先の沖まで続いているように思わない」
「思う」
「でしょ。でも、せいぜい2キロか3キロくらい先しか見えていないんだって――」
「そうか。知らなかったな」
「思い込みってあるわよね。勘違いっていうのかしら……」
「そうだね。完全に思い込むと、それが勘違いだってことに気づかない。そうしてるうちに、疑うことすらしなくなって、相手の言い分が間違ってるように思うんだ」
「そうね。でも、『思い入れ』っていうのもあるわ。それがそうあるように看做して、信じて疑わないひとがいる。頑迷な性格が関係しているのかしら……」
「確かに――。『勘違いな思い込み』というのはあるけれど、『思い込みな勘違い』というのはない。それもこれも自分だけを信じ、正しいと思う頑迷さに起因しているのかもしれない――」
「それで、あなたのいう『他者の視点』が必要になるのね……」
「そう。それも単なる『他者』ではなく、『汝』と看做して初めて真実に見えてくる。そうでなければ、その真実と見えているものも、単なる素材に過ぎない。つまり、『それ』や『あれ』としての価値しか持たない。『我』にとって、あってもなくてもよいものになるんだ――」
 しばらく間を置いたあと、海の彼方に視線を戻した彼女が、静かに口を開いた。
「確かにそうね」
「……」
「思い入れも大切だけど、ある意味、思い込みっていうのも、生きる上において必要なことかもしれないわね……」
 海は、ふたりの会話になんの興味もないふうに凪いだままの姿で、そこにあった。高い空がふたりを見下ろしていた。ふと、私の耳にブレンダ・リーの歌声が聴こえてきた。それは、これまでの人生で私が何度も何度も勇気づけられ、自分を鼓舞してきた「愛の讃歌」だった。海がたとえ、干上がってしまったとしても、わたしは構わない――あなたの愛さえあれば、私はなんだってできるの。
「愛の讃歌ね――。知っているわ」
 彼女が、無意識に口遊んだ私の歌声を聴いていった。「高校のとき、合唱団にいたの。その曲は課題曲だったわ……。でも、それこそ、思い込みの強い女性に特有な言い回しよね」
「ああ。そうかもしれない。でも、そう思うことで強く生きられるのなら、『勘違いな思い込み』も悪くない……」
 少なくとも、ぼくはそう思い込むことで、これまでの人生を生きてきた――と言おうとして口をつぐんだ。トートロジー。ウィトゲンシュタイン。そんな単語がつぎつぎと現れ、口にしようとする前に消えて行った。言葉は生きている。さきほど言った言葉を繰り返す必要はない。
 それより、私は彼女に悪いことをした。したいことをするだけして、あとは勝手にどうぞ――と言わんばかり。発熱を理由にあのあと、ぐっすりと眠りこんでしまったのだ。
「昨夜はごめん――。ぼくだけが先に行ってしまって……」
「そんなことない――。わたしは満足したわ。これまで、あんなふうに深く入ってくれたひとは、ひとりもいなかった。こういうと厭らしく聞こえるかもしれないけど、あの場所に届いたとき、わたしもあなたと一緒に果ててしまっていたの。初めてだったわ……」
「ぼくもだ。なんだか知らないけれど、小さな入口のようなものがあって、そこに届いたのがわかった。そしてそれを突っ切るようにすると、ひとつの輪がぼくを包んだ。弾力のある、小さな孔が痙攣するように小刻みに震えた。そのつぎの瞬間、果ててしまっていた」
「まるでポルノ小説ね。わたしたちって、変態なのかしら――」
「かも――」
「でも、ちゃんとあなたの心は届いたわ。ふたりが同時に同じ頂きに達した――。あれ以上のものは考えられないくらい……」
「それが、ユングのいうシンクロニシティというやつだったのかも……」
 私は故意におちゃらけたムードを装って言った。ちょっと照れ臭くなってきたからだった。
「それは違うと思うわ――」
 彼女はその両腕を私の腰に回し、力を込めて続けた。「だって、ふたり一緒に同じところにいたんだもの。別々のところにいて、同じ現象が同時に起きたっていうのなら、まだ話はわかるけれど……」
「だよ、ね。それこそ、勘違いな思い込みだったりして――」

 十四 心的空間においての共時性

 鍵と鍵穴の構造が一致すれば、必ずそれは「ドアを開ける」という機能を果たすものとなる……。
 誰にでも心というものはあり、心のないひとはいない――とするならば、その心のなかには、きっと大切にしている扉があり、鍵がある。心のなかのそれを無数にもつひともいれば、ふたつみっつばかりしか持たないひともいる――。
 そうした心のドアの内側と外側が、汝と我にとって親しく出入りできるコミュニケーション通路として機能するためには、ふたりに合致した鍵と鍵穴が用いられなければならない。お互いの鍵と鍵穴の関係が同じ機能を果たし得て初めて、互いが互いの空間を行き来できるようになる。
 だから、平たくいえば、我と汝の空間を結びつける最大の要因は、鍵の在り方と用い方にあるのだ。
 鍵を多くもつひとは、多くの友人をもつだろう。多くの種類の鍵を使い分けて、多くのひとと交わることができるからだ。いっぽう、少なく鍵をもつひとは、特定のひととだけ「我=汝」空間を形成する。前者はありあまる鍵の用い方を考え、後者は貴重な鍵の在りようを考える。
 どのような鍵に対して、どのような「受け皿」すなわち「鍵穴」となるか――。それが、在りようを考えるひとの態度だ。在りようが違えば、どのような鍵をもってしても、ドアは開かない。
 鍵は、その用い方ではなく、自らの在りようを変えねばならない。その在りようを変えることで、鍵は鍵穴の向こうにある世界(内的空間)をこそこそと「覗き見る」のではなく、堂々とその細部まで「観察する」ことができる。疚しさや屈託の底に潜む心の壁は、自らのものにせよ、相手の側にあるものにせよ、その心の持ちようで、打ち破ることができる――。
 壁は、だから、そこにドアの存在さえ見つけられれば、なんとかなるはずのものなのだ。
 入口のない壁はない。どんなに長く厚い壁であろうと、たとえそこが、万里の長城のごとき長大さを誇るバカでかいものであったとしても、探せばきっと、どこかに出入口が見つかるはずだ。
 ドアは閉じれば壁となり、閉じられたドアは、開ければ入口もしくは出口となる。ドアと壁は紙一重。壁にもなれば、ドアにもなる。まさに、表裏一体の関係だ――。
 壁の向こう側にある世界に行きたければ、まずは入口を見つけること。入口さえ見つければ、あとは、努力次第。あらゆるところを調べまくり、瑕疵や難点を探り当て、その盲点を衝くなりして、あがいてみること。そして最後の最後に、その鍵穴に見合う鍵をつくることだ。それ以外に方法はない。
 だが、私は、その鍵の作り方を誤った。――というより、作ろうとしなかった。
 ひとは「鍵の作り方」を社会勉強といったり、修行とか我慢、自己啓発などといったりするが、私はそれをしなかった。
 まず私には、取り除かねばならない心の壁があった。それは「ひと見知り」という「我=汝」空間を形成するためには決してあってはならない壁だった。
 だが、私は汝の存在はおろか、それを見つけようとすらせず、その壁を取り除く努力を怠り、「我=我」空間にひたすら閉じ籠もっていたのだ。その典型的な例が、あの大石史絵先生への思慕だった。
 それ以来、十数年もの間、私はリュンという、この女性と知り合うこのときまで「我=汝」関係と呼びうる空間を誰とも構築できず、無聊に過ごしていたのだった。それについては、これまでにも縷々述べてきたので割愛するが、彼女との出会いは、まさに鍵と鍵穴の出逢いだったといっていい。
 この比喩はややもすると、ある種のひとびとにとって誤解を生む表徴となるのかもしれないが、その種の即物的な意味合いは、この比喩においては全く含まれていない。むしろ、これまでに詳述してきた両者の心的空間においての共時性、つまり「我=汝」関係の在りようを直観的に捉えるための概念装置としてこれを用いている――と捉えてもらっていい。
 彼女を知って思ったのは、まず第一に、余計な説明をしなくてよいこと――だった。
 私自身はくだくだしく女々しい人間で、言い訳ばかりを連ねる性分だが、くだくだしい説明を聞くのは大嫌いだった。
 ずいぶん身勝手な言い草だと失笑を買うかもしれないが、どちらが鍵でどちらが鍵穴であるかは別として、私たちはずいぶん気が合った。
 何時間も無言で、同じ光景を見ていても苦にならなかったし、互いの心の在りようが判った。
 彼女の専攻した心理学のことはもちろん、セックスやオナニーのことまでも忌憚なく、そして腹蔵なく話すことができた。そこには当時の若者に蔓延していた、大衆にウケるための思わせぶりや大げさなアジテーション、気負い、衒いなどの影はなかった……。
 たとえば、この時代、唐十郎の始めた状況劇場などは、他の弱小劇団を尻目に絶大な人気を誇っており、ノン・ポリ学生であった私も含めて、その「演劇文化」的思想の影響下にあるのは、ほぼ間違いなかった。ある意味、暗くて乱暴(悪くいえば『自棄糞』――)な時代でもあったのである。
 だが、私たちは素直に事実あったことを彼らのように誇張したり揶揄したりすることなく、そのままのかたちでリアルに吐露することができた。すでに過激思想による活動は終息しつつあったし、学生運動そのものが、頭のウスい連中がするもの――との認識が広まって行った時代だった。
 むしろこの時代は、以前にも触れたように、極めて個的な状況である個と個の結合、とくに男女のそれ(すなわち『同棲』――)を志向する風潮になっていたのだった。したがって、私たちの志向する「我=汝」空間は、そういう意味で、少しだけ時代に先んじていた――といえるかもしれない。
 ドアは、だから、私たちには存在しないに同じだった。鍵はすでに差し込まれていたし、鍵穴の内部もすでに「開」の状態になっていた。私たちは、なんの操作も必要としなかった。T市の扇状地にうち拡がる田園風景のように、すべてがオープンだった。
 マスターベーションを教えられた雄ザルは、ずっとそればかりをし続けるというエピソードに話題が及んだとき、私が人間の雌にもそういうことはあるのか――と訝しんだことがある。
「あるわ――」
 彼女が、やや含羞を含んだ面持ちで言った。
「高校一年生のとき、机の角に押し当てて、その感触を味わっていたことが何度かあるわ。ほかの子たちも同じようにしていたみたい……」
 そんなふうに私たちの会話は、思い入れたっぷりでこそなかったが、気のおけない者同士の物静かな雰囲気のなか、ごく自然に行われていた。お淑やかそうに見える女性にさえも、そういう瞬間が訪れるのか――と、無知な私は妙に感心させられたものだった。
 ひきかえ、私がそれを覚えたのは、二十歳を過ぎた頃だった。女性の場合は、男子のそれより数年以上、早い。つまりは、中学生や高校生の男子は、その年頃の女性から見ると、まだまだ子どもで、まともに相手にされなかったのも尤もだ――と合点したのだった。

 十五 自由意志に基づく選択

 もちろん、私たちは同質ではなかった。性格も正反対だった。だからこそ、互いの空間にある異質のものに反応し、よりクリエイティブなものに自分の空間を塗り変えていくことができた。
 まず最初、私のアドバイスを得て、彼女はアナウンサーの養成所に入った。私からするにその声の魅力的なこととイントネーションの採り方のよさが、その職業に向いていると思えたからだった。
 しかし、ほどなくして、彼女はそこに見切りをつけた。なぜなら、その職業では、彼女が求めている自己実現のためのものにはならなかったからだった。自己の思いをぶつけられる空間――。それが欲しかったのだった。ナレーターやレポーターでは、その思いを達することはできなかった。
 担ぎ屋というお仕着せの家業を継ぐのではなく、テナーサックスの演奏家という職業を選んだきみと同様、彼女もまた「生きられる」という生のダイナモが感じられる生き方がしたかったのだ。
 下火になっていたとはいえ、時代はまだ、紅テントや黒テントといった、いわゆるアンダーグラウンドな演劇空間を欲していた。――というより、崩壊しつつあるその種の「文化」にひとびとは必死でしがみついていた。ほんの一部の残党が、その思い出の桟橋にぶら下がりながら、まだ辛うじて生きていた。亜流だか、エピゴーネンだかは知らないが、彼女はそこにも首を突っ込んだ――。
 ある日、彼女は私のところに電話してきて、観に来ない――と誘った。学生運動で有名な、K大のY講堂での公演だった。
 私にはよくわからなかった。演劇というより、朗読劇のようだった。
 しかも、芝居の稽古は、座員全員がその講堂のカビの生え、饐えた匂いのする床に寝泊まりして行うというのだった。
 ある意味、私には追いて行けない世界だった。
 穢いとか、不潔とかいうのではない。血気盛んではあっても、演劇という一種、狂気の熱に浮かされた若い男女が、あの薄暗い空間で寝起きしながら舞台稽古を敢行するというイメージ――。
 それが例の浅間山荘事件を想起させ、その情景のなかにリュンが存在するという、そのこと自体が私には耐えられなかったのだ。
 芝居が跳ねたあと、歩いてP町の路地裏に行き、スタンドバーに立ち寄った。
 カウンターに私と並んで座る彼女は、舞台化粧のままだった。横から見ると、長い付け睫毛だけが際立っていて、若い頃のブレンダ・リーの清楚さからは、かなり遠ざかっていた……。
 役柄は、多分、歓楽街の娼婦か場末のホステスかなんかだったのだろう。
 叫び声や怒声の飛び交う、言葉ばかりがやたら耳を障る大仰な芝居だった……。ストーリィはまったく覚えていない。おそらくストーリィなどは、そもそも存在しなかったのだろう。あったとしても、私にはわからなかった。
 彼女には悪いが、ただ早く見終えて帰りたいという――その一心だけが私を支え、鼓舞してくれた観劇だった。
「わたし、これを最後の舞台にするわ――」
 彼女が、口を付けていたグラスをカウンターに戻して言った。決然とした感じではなかった。どちらかといえば、仕方なく母親の言いつけに従う少女のような萎らしさがあった。
「あなたの言うとおりだった……。いまだに政治や現体制に反感をもって抗ってる気分のひとたちが大勢いた……。箸にも棒にもかからない、欲求不満だらけのひとたち……。若さとエネルギーだけで、乗り越えられると思っているひとたち……。口先ばかりで、この世界の誰ひとりして救えやしない。当の自分だって助けられない……。この世界も、わたしを満たしてはくれなかったわ」
「そう……」
 私は、あとを続けることなく、そのまま口をつぐんだ。
 言うことは何もなかった。生きる上において選択は自由だ。ただ、その選択は、自らの意志に基づいてのものでなければならない。他の誰かからの、お仕着せであってはならなかった。たとえ、それが私からのアドバイスによるものであったとしても――。決めるのは、彼女自身だ。
「で、どうするの。これから……」
「やはりわたしは、歌が好き――。気取ったのじゃなくて、庶民的で、どこにでもある、わたしたちのように名もないひとたちの、等身大のことを謳った歌が唄いたいわ」 
「じゃ、歌謡曲か演歌か、シャンソンなんかになるね――」
 まさかエラ・フィッツジェラルドのジャズ・ミュージックを引き合いに出すわけにはいかなかった。
「演歌はあまり好きじゃない。湿っぽくて切な過ぎて……。あなたもそうだろうと思うけど、やはりちょっと明るめのシャンソンなんかがいいわ――」
「悪くない――」
 そうして彼女は、シャンソン歌手への道を歩み始めたのだった……。

 十六 ポルノ荘産婆館三崎邸

 人望があったわけでもなく、とくに面倒見がよかったわけでもない。だが、なぜか私のところにはひとが寄り集まってくることが多かった。まさか私の身体に蠅取り紙のような、ひとを惹きつける独特の匂いがあり、それを頼りにみんなが寄り集まってくるというわけでもなかったろうけれど……。
 とまれ、その理由のひとつとして、私が他の学生と比べて、だいぶ年上のほうだったから――ということも考えられるだろう。いまひとつ考慮に入れなければならないものに、私の下宿、つまり新聞販売店の寮が大学から歩いて七~八分の距離にあり、マンション(当時、このように「ハイカラ」な呼称の共同住宅はなく、せいぜいハイツかアパートであった――)などとは違って「杜若荘」というのだったから、なおさらに立ち寄りやすかった――というのもあったろう。
 ただし、そこを借りている住人の誰もがそうだったが、固定電話(設置権が結構高かった――)などという小洒落たものは引いておらず、小太りの女家主さんの小間使い兼集金人をしている、腰の九十度ほど曲がった煮干しのようなお婆さんから、三崎さん、〇〇ってひとから電話だよ――と呼びに来てもらうのだった……。
 その下宿、つまり杜若荘は、素人の私がひとめ見てもそうとわかるくらい、元遊郭の匂いをぷんぷんと漂わせていて、台所もなければ風呂もなく、ただ致すことだけを致すために必要な四畳半の間と布団を出し入れするための押入れ、そして形ばかりの床の間がある、至って簡素なひと間だった。おそらく太った女家主はもと遊郭の経営者で、腰のひん曲がったお婆さんはその昔、いわゆるやり手婆か娼婦でもあったのだろう。叩けば壊れそうなドアこそあるものの、誰も鍵はかけず、なかには部屋の中が丸見えになっていても気にしない。そんな住人ばかりの住むオンボロアパートだったので、隣の住人が取っ換え引っ換え女を連れ込み、傍耳(?)にも小気味のいい善がり声をたっぷり聞かせてくれることがよくあった。
 それで、冗談半分、当時、封じ切られたばかりのサンダカン八番娼館を文字って自分の部屋を「ポルノ荘産婆館三崎邸」と名付けていたほどだった。
 もっとも私自身、その小説(というより、日本の小説は恥ずかしながら、この頃、誰一人として読んだことがなかったのだ――)を読んだことなどはなく、ただ単に面白がってつけただけのネーミングだったが、級友たちは当時、大ヒットとなったその映画を巡って激論を闘わしたのだった。
 ある者は栗原小巻の芸は目も当てられぬほど最低で、全然役になり切っていない。その点、田中絹代のそれは天下一品で、あれ以上の演出はできない。本物のサキのようだった――。
 いや、それより、サキの子ども時代をやった高橋洋子と、その相手役の男性との絡みのほうがよっぽど真実味があった。このふたりで、あの映画はもっているといえる。栗原小巻は出てくること自体必要ない――。などと、悪しざまにいう者もおれば、それより監督の演出の仕方そのものがなってない。あれのどこが社会派なんだ、あれで賞を取れるなら、俺にも獲れるぞ――と豪語する学生もいたし、セットもまるで新品同様だし、時代感がまったくないと酷評するものもいた……。
 最後に決まった止めの一発は「サンダカン八番娼館 望郷」っていうけれど、一体なんなんだ、あのタイトルのつけ方は……。からゆきさんの墓が全部、日本に背を向けて立っていた――というのが落としどころ(ミソ)なのに――というのだった。
 確かにいわれてみれば、「望郷」とは、これまで私がK市に対して抱いてきたものと同じものであるはずだ。故郷に背を向ける心は、断絶であり、離脱ではない。捨て去るのではないところに「望郷」という行為の意義は成り立つ――。彼女たちは、つまり絶望の果てに日本というものを捨てたのだ。縋ろうとして縋れない、戻ろうとして戻れない、愛されようとしても愛されないと悟った、その時点で――。
 あたかも、私が自分の父を捨てたと同様の悲しさにくれながら、すっぱりと故国に帰ること諦めたのだ。
 冷房はもとより、暖房具そのものがない下宿に戻ると、リュンがいて、私を待っていた。
「冷めてしまったかもしれないわ」
 言いながら差し出したのは、近くの自販機から買ってきたのであろう缶コーヒーだった。つまり、あの熱々の缶コーヒーが覚めるほどの時間、私を待っていてくれたということだった。「ちょうど、これを置いて帰ろうとしていたところだった……」
「間に合ってよかった……」
 私は彼女の手から、ふたつある缶コーヒーのひとつを受け取っていった。彼女のいったとおり、それは冷めきってはいなかったが、温かくもなかった。しかし、暖房もなにもないこの部屋で過ごすには、多少の役目は果たしてくれたことだろう。少なくとも両の掌とその胸だけは……。
「とりあえず、シャンソンを教えてくれるプロの先生についたわ」
「そう。それは、よかった――」
「そのひとは、U駅前を南に少し入ったところにある、大きな貸しビルの地下でシャンソニエをやっているの。そこに世話になることにしたわ」
「そうか。じゃ、なにかプレゼントしなくちゃいけないな」
「いいわよ。そんなもの。どうせ、お金なんて持ってないんでしょ」
「そりゃ、ま、そうだけど――」
 私は、書店員時代、家に仕送りをしていた。が、もうそれをしなくていいと言われ、初めて自分のために使ってもいい――と言われて買ったものにガットギターがあった。そうだ。あれがいい。
「いまから、取りに行こう――。あれは、家にあるんだ」
「なぁに」
「見てのお楽しみさ……」
 私たちは通りに出て、タクシーを拾った。
 下宿から母親と妹の住む2DKのアパート(この頃は、妹も働いており、あの六畳一間の部屋には住んでいなかった――)までは十五分ほどの距離だった。
 タクシーの中で、私は思った。あのギターは、プロの人間からみれば、音も大してよくない安物の類いだった――。かもしれないが、私にとっては、清水の舞台から飛び降りるほどの覚悟で購入したイーゼルなど油絵用の用具一式と並んで、とても思い出深い、大切な宝物のひとつだった……。
 そして、それを容れるハードケースには、私の作詞・作曲した、これまた思い出深い曲やレコードを擦り切れるほど聴いて採譜した譜面(サイモン・アンド・ガーファンクルの『サウンド・オヴ・サイレンス』やピーター・ポール・アンド・マリーの『レモン・ツリー』、『パフ』、その他の反戦歌など、さまざまなもの――)が入れてあった。いわば、青春の思い出が詰まったギターであり、ギターケースだった。
 いまでも歌えるが、自分で作った曲に、つぎのようなのがあった。時代と当時の私の気分を反映した寂しい曲だった。
 メロディまでは紹介できないが、歌詞だけでも記しておくことにしよう――。

  ゆらーり、ゆうらり、ゆらり
  ゆらーり、ゆうらり、ゆらり
  遠ーい、遠ーい、空の果て
  ゆうらり、きらり、波の面
  きっと、きっと、帰れるさ
  ゆうらり、きらり、波の面

 この曲は、まだ彼女の手許にあるだろうか。それともすでに、黒いギターケースごと、あの安物のギターとともに捨てられてしまっているのだろうか――。
 とまれ、彼女は家まで同伴したものの、2DKに住む私の母や妹には敢えて会わず、ギターだけを受け取ってO市に戻って行ったのだった。
 そしてこのときを境に、私は彼女とあまり逢わなくなってしまっていた。
 彼女は仕事の合間を縫っての歌のレッスンに、私はポルノ荘産婆館の三崎邸につぎからつぎと現れては他愛もないない話をして帰っていく男友達や女友達の相手をしたり、別の大学との交流やイベントなどの付き合いで、つねに忙しくしていた。
 いつだったか、彼女があのギターのことに触れて、歌の先生がね、あのギターは大したものじゃないって言ってたわ――と言ったことがある。傷つけるつもりはなかったのだろうが、私はそれを聞いて悲しい気分になった。私のこれまでを全否定されたような気になったのだ。
 もっとも、否定されても仕方のない人生だった。
 まともに働いてもおらず、稼ぎとて、書籍の購入に費やすばかりで、生活そのものは食うや食わず。着るものとて、同じものばかり。しかも、新聞配達の薄給では嫁を貰うどころか、相変わらず痩せていて、自分ですらまともに食わせられない、実に情けない体たらくの男だったのだから……。

 十七 不良っぽさがとても似合う毒舌先生

 私の貧窮度は最悪だった。お陰さまでそのぶん、蔵書――というより積読書的学術書の類いは増えて行ったが、読みのほうはさっぱりで、なかなか進まなかった。SFなど気に入った本の読書はともかく、勉学に関する読書欲はますます減退し、予備学習の類いも遠のいてゆくばかり……。
 勤勉であるべき大学生としては、最低ランクの男だったろう。
 そのくせ学歴にコンプレックスのあった私は、大学に残ろうと思っていた。
 そうすることで、一気に学歴コンプレックスは解消もしくは払拭できると信じ込んでいたのだ――。
 それまでのんびりと「大学生活」とやらをエンジョイしていた私だったが、卒業まで一年余りを残すだけとなった頃、周りがあたふたと動き出した。それでさすがにのんびり屋の私も、いよいよ準備にかからなければ――となった。
 この種のことに詳しい級友に訊いてみると、幸いにも担当教授が大学院でも教えているというので、院に行くためにはなにが必要か――と訊いてみることにした。
 その先生は、フッサールの現象学を専門にしている哲学者だった。だが、ある意味、破天荒な人物でもあった。
 というのも、凡庸な想像力しか有しない私にとって、教師は教壇に立って授業を進めるもの――と相場が決まっていたのだが、その先生は、なんと我々学生の座っている机の上にどっかと腰を下ろし、脚を組んで講義――というより「議論」をさせるのだった。
 今日では、いかにもアメリカンスタイルで、ちょっと気取った「西洋かぶれ」の先生なら、あえてそうするのが普通になっているのかもしれないが、当時はすごく感銘を受けたし、ある意味、斜に構えていた私には、その不良っぽさがとても魅力的で新鮮に思えたのだ――。
 それだけならまだしも、なんという銘柄かは知らないが、凄く煙の出る煙草を燻らし、その灰や吸い殻を素知らぬ顔で教室の床に平気で捨てるのだった。生意気な私にとって、その光景は、まさに悪魔の光景で、毒を食むにも似た光景だった。
 当時、ニコチン度は高いが、香りが最高にいいので有名なロングピースを愛用していた私は、先生と同じようにそれを喫いながら、授業を受けていたほどだ。もちろん、成人に達していた私にはそれが許されたのかもしれない。だが、常識的に考えて教室で煙草を吸うこと自体、許されることではなかったはずだ。にもかかわらず、その先生はなんら注意することなく、粛々と授業を進めて行った。
 いまの時代、このようなことをすれば、私たちはどういうことになっていたろう。
 おそらく先生は懲戒免職か、よくて減給の憂き目に遭っていたろうし――。かたや私は――といえば、即刻、退学処分か放校ということになっていたに違いない……。
 逆にいえば、私たちはなんといい時代の大学に巡り会えていたことか――ということになるのだろう。それとも、あの先生だったからこそ許された、例外中の例外と見做される、世にも奇妙な光景のひとつだったのだろうか。
 とまれ、この先生に相談した結果、大学院の試験に合格するためには英語がスピーディに読めるだけでなく、ドイツ語やフランス語でもそれが容易でなければならない――なぜなら、試験はその三つの原語から出題され、その国語での解答が要求されるから――ということが分かった。
 それで探してみると、幸いなことに市内のとある大学が、自校学生の補習授業を兼ねた初級者向けドイツ語講座というのを主催していることがわかった。場所は、その大学の学校法人が経営する予備校で、ビジネスもかねて一般からも応募させていたのだった。
 フランス語のほうは一応、履修済みであったことから基本的なことは多少解るとして、基礎文法どころか発音の仕方もわからないドイツ語くらいは金を使わねば――と思ったのだ。まことに頼りない限りの動機だったが、事実、それすら危うかったのだ。応募は、定員まであとひとりを残して締め切りぎりぎり――。間一髪で間に合い、辛うじて受講生にしてもらえたのだった。
 そうして通い出したドイツ語講座――。聞くと見るでは大違い。文法の基礎どころか、最初から原書購読で、早口で訳されるのを聞き取るので精一杯。結局、自分で文法書を紐解きながら、辞書を引きひき、毎夜々々、長文を訳出させられる羽目になってしまった。お陰さまで、多少はわかるようになったが、単語力はいうまでもなく、読解力のほうが覚束なかったのはいうまでもない。
 いずれにせよ、毒を食む光景とまではいかなかったが、陸にありもしない知恵を振り絞り、冷や汗をかきながら、そのスピード・ラーニングともいうべき猛烈特訓に追いて行こうと努力(するフリだけ)していた……。
 そんな悪戦苦闘の日々が続いたある夕暮れ、私は、そのドイツ語講座を開講している大学の図書館で調べものをしていた。――というと、格好よく聞こえるが、なんのことはない。頭の休憩(というのを口実に――)がてら、フィリップ・K・ディックの文庫本を夢中になって読み耽っていたのだ。
 このフィリップ・K・ディックはアイザック・アシモフと並んで私の愛読書のひとつだったが、彼の作品にはほとんど眼を通していた。そういう意味では、アシモフのほうも大抵のものは読んでいたが、ディックの面白さにはおよばなかった。
 いっぽう、担当の先生に、三崎、おまえ、いまなに読んでる――といわれて答えたのが、エルンスト・マッハだった。『時間と空間』や『感覚の分析』は読んでいて楽しかった。もっとも、齢七十間近となった私には、内容のほうはとんと覚えていないが、感動したのだけは覚えている。
 先生は、珍しく私を褒め、それはいい、あれは面白いだろう――といってくれた。私が一般教養課程の社会学関係の試験を受けているとき、試験官だった先生が私を見つけて、なんて下らない科目をとってるんだ――と周りの学生にも聴こえるような声で言った、その先生が……だ。
 私は、小さな声でこう答えたものだ。だって、先生、社会科学関係で、単位を取るにはこれしかないんですよ――。
 まさに毒を食むにも似た、味気ない試験ではあったのだった。
「あのう、ちょっといいですか――」
 頭の上から若い女性の声がした。本から眼をあげると、そこにやや小ぶりな女性が立っていて、懐かしさを覚えているような、さも親しげな笑みを浮かべて私を見降ろしていた。

 十八 個人の心の在りようを映す鏡

 どこかで見た顔ではあった。しかし、バンカラなR大の級友たちのなかではあまり見かけないタイプの女性で、明るい笑顔の持ち主だった。
 身長は一五四センチといったところだろうか。やや小柄な体躯に小さな顔がちょこんと乗っていて、仕草にきびきびしたところが感じられた。現代の女性歌手に例えると、年恰好も体型もアリアナ・グランデに似ているといえたかもしれない。
「はい、構いませんけど……」
 読んでいた本のページに紐を挟んで脇に置き、問いに応じた。「なにか――」
「ここのドイツ語講座に出ておられる方ですよね」
「ええ……」
「初めまして。わたし、同じ講座に出ている有泉奈央といいます」
 まるで体育会系のノリのような、キレのいいお辞儀だった。
「あ……。み、三崎っていいます」
私は、その勢いに呑まれ、半ば吃るようにして訊ねた。「そういえば確か、あの講座でお見かけしたような――」
「いまD大で食物科学を専攻している学生なんです」
 歯切れのいい口ぶりが耳に心地よかった。マライア・キャリーを思わせる、伸びのある声だった。「たまたま補習で、この講座に出ることになってしまって……」
「そうでしたか」
「で、三崎さんは、なんでここに――」
「なんで――というと、動機かなにかのことを訊ねられているんでしょうか」
「こんなふうにいうと、失礼に当たるかもしれませんが――」
 私の問いには直接答えず、ワンクッションの間を置いたあと、申し訳なさそうな表情をして彼女が続けた。「お見受けしたところ、だいぶ年上の方のように……」
「ああ、すみません――」
 私は真意に気づき、気を取り直していった。「ええ、だいぶ歳はとっています。こんなんじゃ、決して大学生なんかには見えませんよね」
「あ、ごめんなさい。嫌味で言ったんじゃないんです。わたし、年上のひと大好きなんです。最初は、ドイツ語の先生かな――と思ったんです。でも、席は、学生の席だし、ひよっとして院生の方なのかな……と」
「いやあ、実は、その院生になろうと思ってるんです」
 後頭部を掻き、彼女の怪訝そうな顔を見ながら続けた。「そのためには、ドイツ語もできなくちゃならない――ということがわかりまして……」 
「そうだったんですね」
 私を見つめていた黒い瞳がさらに私を覗き込む。心の奥にあるなにかを暗闇のなかから探り出そうとでもするかのように。「で、専攻科目はなにを――」
「人文社会系ですが……」おずおずと答える私……。
「――というと、哲学かなにかですか」
「ですね。院の先生がそれ専門なもので……。本当は、言語心理学のほうにも興味はあるんですが、文芸的なものは苦手なので、やはりそれがいいかな――と」
「言語心理学というのは、言語学というのとは違うんですか」
「違いますね。言語学っていうのは、一般に使われる言語を研究するもので、言語心理学は、それを使うひとの心の在りようを研究するんです。もっとも、その逆の場合もありますけどね。ある一定の心の在りようが、その使用言語内容を決定してしまう場合も。いってみれば、個人の心の在りようを映す鏡とでもいうのでしょうか――」
「なるほど。面白そうですね。でも、いま習っているドイツ語の文法じゃありませんけど、名詞の性別とか格変化、動詞の人称変化、時制の活用みたいな感じで色々と規則的なものが生得的に――っていうか、個人の好みを超えてすでに出来上がっちゃってるじゃないですか。それと個人の心の在りようと結びつけるのは、ちょっと難しいんじゃありません。その辺りの関係はどうなるのかしら――」
「それだと、チョムスキーの『変形生成文法』なんかを読むといいかもしれません」
「なんだか名前を聞いただけで難しそう……」
「確かに――。もしご興味があるのであれば『言語理論の論理構造』というのを読まれるといいですよ」
「よく勉強しておられるんですね」
「いや。そんなことないです。聞きかじりをいってるだけで、本当のところはなにもわかっちゃいないんです。だから、もう少し突っ込んで勉強しようと……」
「で、院試は、いつなんですか」
「一応、来年の春ということで……」
「じゃ、もう少しじゃないですか。頑張ってください」
「ありがとうございます」
「ところで、三崎さん。お腹空いてません」
「そういえば、夕飯はまだ――」
「一緒に食事しません。わたし、この近くにある、いい店を知ってるんです。安くて美味しいんですよ」

 十九 電気羊の夢

「ね、言ったとおりでしょ」
 彼女が皿うどんを口に運ぶ私の顔を覗き込むようにして言い、満足そうな笑みを浮かべて続けた。「わたし、皿うどんが大好きで、長崎にいるときは、お母さんに作ってもらって毎日食べてたんですよ」
「そうでしょうね、わかりますよ。この麺のカリカリっとした触感がいいです。その硬い麺がとろっとした餡に包まれて徐々に柔らかくなっていく……。そしてそれが丁度半分ほどの硬さになったところで、ズズ・ズっと食べる。それが堪りませんね」
「ひょっとして、三崎さん、初めてなんですか――」
 身体の動きもそうだが、頭の回転もすこぶる早いようだった。
「ええ。T市の生まれなもので、こういう『うどん』は食べたことがないです」
「確かに『うどん』とはいいますが、中華そばを揚げたような感じのものなので、『揚げそば』っていうひともいますよ。ここでは餡かけになっていますが、長崎ではそうじゃなくて、みんなウスターソースを掛けて食べるんですよ」
「へぇーっ。ウスターソースですか。このままのほうがぐんと美味しいと思いますけどねぇ……」
「そうなんです。K市に来てからは、どの中華料理店に行っても、ウスターソースは置いていなくて――。こっちの味に慣れちゃいました。いまでは、こっちのほうが美味しいくらいです」
「おそらくソースの要らない味付けになってるんでしょうね」
「そうみたいですね」
「ソースでは確かに刺激が強すぎますね。ぼくには合わない。やっぱり中華は、中華スープの味が一番ぴったりきますよ」
 それから小一時間、私たちはいろいろなことを語り合った――。
 それも実に他愛のない、皿うどんに類した話題だったが、とても楽しかった。こういうのを文字どおり「話が弾む」というのだろう――と思った。R大の連中と話しているのとは、また違った面白さや愉快さが加わっていた。なにより話が軽快だった。
 私はますます、彼女に心惹かれていくのがわかった……。
「ところで、さっきなにを読んでたんですか――。なんか外国のペーパーバックのようでしたけど……」
「ああ、あの文庫本ね。あれは、邦題では『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』というんだけど、結構、考えさせられて面白いよ。ちょっと変な作家ということで有名なんだけど、フィリップ・K・ディックってひとが書いたSF小説。人間って、結局、本当に人間といえるんだろうかって思ってしまう……。ただ、彼独特の造語というか、専門用語が出てきて、なんと訳すかに苦労させられるんだけどね」
「要するに、機械も人間のように夢を描くことができるかっていうことですか」
「そうともいえるけど――。人間が人間であることを証明できるのはエンパシーの有無、つまり感情移入力があるか否かに掛かっているっていうことなんだ」
 私は途中までしか読んでいない本の内容を、どこかの雑誌の宣伝コピーに書かれていたものを自己流に解釈して続けた。「それなくしては『人間』とは呼べない。それが会社というものであってもいいが、ひとつの集団に属し、そのなかで互いに共感し得て初めて、ひとは『あなたは人間です』といってもらえるようになる。ところが、アンドロイドやロボットでは、それができない……」
「エンパシーがなければ『人間ではない』ということになるわけですか」
「ま、究極的にはそういうことになるね。主人公は、ニセ人間を処理して賞金を稼ぐ男なんだけど、だんだん人間というものがわからなくなってくる……」
 私は年甲斐もなく得意げになって続けた――。それほどに彼女の嫋やかな受け取り方には、私をお調子者にさせるだけの力瘤があったのだ。「彼は相手の感情や痛みや欲求を自身のものとして自覚できる者だけを人間と看做す。そこまではできている。だが、残念ながら、そこには境界線というものがない。アンドロイドは、ひとの痛みや夢を自分のものとして自覚できない。そこまでは認める。しかし、人間同士だって同じことなんだ。そこに強磁性、つまり強く引き合う心がなければならない。人間としてあるためには、心を通わせる共通の空間が必要ってことなんだ……」
「それが集団に属するってことなの――」
 彼女は、それまでの余所よそしく丁寧な物言いから、急に親し気な言葉遣いに変えて訊ねた。ふっとワープしたように小首を傾げる様子が、なぜか私には晴れがましく思えた。その生真面目さが私に気恥ずかしさを覚えさせたのに違いない……。
「いや、これはぼくが勝手に思っている人間空間論で、フィリップ・K・ディックが小説でいっている『集団』というのとは、ちょっと違うんだけどね」
「そのひとの人間論より――」
 彼女がまたワープした笑顔を私にぶつけて続けた。「三崎さんの言ってる人間空間論のほうが面白そう……。もっと聞きたいわ」
「実をいうと、だいぶ先のことになるだろうけど、このディックの『記憶の塗り替え』というアイデアとアーシュラ・K・ル=グィンというひとの発明した『心話』という概念をモチーフにしたSF小説を書こうと思っているんだ」
 事実、私はこの彼女との出会いから、七年後だか八年後だかにペンネームを『醒ヶ井凛太郎』とし、『貌のない宙(かおのないそら)』という名のSFを書いている。
 いわゆる若書きの処女作ではあるが、読者が退屈をかこっている御仁であるならば、時間潰しくらいのお役に立つことはできるだろう。と自負しているので、お暇なときにネットを当たってKondle版で読んでいただき、ついでに読者レビューなど頂戴できれば、これほど嬉しいことはない――と厚かましいお願いをする次第……。
「シンワ――って」
「実際に声に出さずに心のなかで会話をしあう。だから『心話』さ」
「なるほど――。心と心のコミュニケーションを行うのね」
 彼女は言葉を切り、懇願するような表情で両手を合わせた。「ね。その話、もっと聞かせてほしい」
「…………」
 私はなんとも返事のしようがなく、なんの言葉も浮かんでこなかった。まさかこんな展開になるとは思っていなかったのだ。
「駄目かしら……」
 その上目遣いには勝てなかった――。
 二十歳は疾うに過ぎているだろうが、少女とも思えるその屈託のない表情に性欲は覚えなかった。むしろ、このメリハリの利いた女の子と自由奔放に、いつまでも語り合っていたい――という欲望のほうが勝っていた。
 どの道、一人住まいの私には時間ならたっぷりとある。彼女にもそれがあるというのなら、それに甘えるというのも悪くはないのではないか……。
 少なくとも最高の盛り上がりを見せたこの瞬間に、あのポルノ荘に独りでとぼとぼと帰っていく自分の姿を想像するのは、このときの私にはあまりにも酷すぎた。

 二十 男は働いて女を養うもの

 彼女が、なぜあんなに積極的だったのか――の理由が分かった。
 彼女は私とこうなる一週間ほど前に、すでに失恋していたのだった。だからといって、私がその代用品にされたと言いたいのではない。彼女は決して失うことのないであろう、私という年上の男性をその共時的空間に迎え入れたかったのだ。
 つまり、私は彼女の許を去った恋の代理者としてではなく、「生きられる生」を生きるための伴侶、すなわち「あなた」という名の存在だった。他人の生ではなく、自分自身の生を生きるため、彼女が必要とした「汝」だった。
 たったひとりでいい――。自分を理解してくれるひとが、この世に同時に生きてあるということ。「我=汝」空間。それ自体が自分を生きさせるダイナモとなる――という事実に彼女も気づいたのだ。
 ひとを失って初めて知る試練のひとつが、別れという感情に対する相克だとするなら、この時期が彼女にとって、もっとも大切な時期だった。
「ぼくは、彼の代わりにはなれないし、なろうとも思わない……」
 ホテルの大きなベッドに隣り合わせに寝転んだままの姿勢で、私は天井を仰ぎながら話し続けた。彼女の恋人に対する思い、恋人の彼女に対する思い、別れの原因、それに対する反省、涙といった告白を聞き終えたあとのことだった。服装は、このホテルに着いたときのままだった――。ふたりは、あのあと、歩いてこのホテルに辿り着き、そのままこのダブルベッドの上で話し続けていたのだった……。
「だけど、きみがこの先も夢を描いて一生懸命生きて行こうとするなら、そしてぼくのような頼りない男の知恵であっても必要としてくれるなら、せめてその姿勢や行動を勇気づけるエールだけは送れる人間でありたい。決してきみの行こうとする道を邪魔はしないし、ぼくのために生きてほしいとも思わない。お互いがお互いの生きざまを応援し、お互いに成長していく、そういうふたりになりたい」
 彼女は、それまで涙の跡も拭わずに私の話を聞いていたが、私が言い終わると、ありがとう。そんなふうにいってくれるだけで嬉しいわ――と言って、仰向けになって天井を見上げている私の肩に頬をうずめた。そして、おもむろに私の胸の上へ腕を回し、愛しむように円くなった声で言葉を継いだ。
「初めてリュウに遇ったとき、きっとこうなると思ってたわ」
 その呼び名は、三崎さんというのはあまりにも改まりすぎるから、これからはリュウと呼んでほしい――と、私の思いを伝えたからだった。その代わり、自分もきみのことをナオと呼ぶことにするから――と……。
「申し訳ないけど、ぼくは知らなかった――」
 その応えがあまりにも唐突で配慮を欠いており、この場の雰囲気に相応しくないもののように思えた。私は暫しの沈黙の後、静かに続けた。「でも、だからといって、きみに気づいていなかったわけじゃない。気づいていたんだ。だけど、そこまでの予感は、ぼくにはなかった……」
「わたしには、あったわ――」
 彼女は、頭を振る代わりでもさせるかのように、私に回した腕の筋肉に力を籠めて言った。「教室で眼が合ったとき、このひとだ――と思った。間違いじゃなかった。本当に思ったとおりのひとだった」
「女性にホテル代を払わせるような情けない男だってことがわかっても――」
「お金はあるとは思っていなかったわ。多分、同じ学生でも、わたしのほうがお金持ちなんじゃないかしら。でも、リュウはそれでいいの。わたしは、こう見えても、もう二十二よ。男性におんぶにだっこでちやほやされる年齢でもないし、世の中、お金だけがすべてじゃないと思ってるから――。安心していていいよ」
 その言葉に私はリュンと過ごした「新婚旅行」最後の一夜を憶い出した。
 リュンは、彼女と会うまでの数か月間に書き溜めていた私の詩篇を読み、それを新しいノートに書き写すといって聞かなかった。そして流麗な文字でそれらを書き写しながらぽつりと言ったのだった。それもちょうど、このナオと同じ声のトーンで。
 あなたは詩を書けばいいわ。わたしが食べさせてあげる――と。そして、つぎのように言葉を継いだのだった。あなたは、好きなことをしていていい。わたしがその分、稼いであげる。だから、なにも心配しなくていいよ――と……。
 専業「主夫」という言葉があるいまの時代ならまだしも、この頃は、そういう概念はなかった。概念どころか、男は働いて女を養うものだ――という固定観念のみが幅を利かし、大抵の女性がそれを信奉していた時代だった。
 そういえば、この回想シーンに思いを巡らしてきて、急に蘇った記憶がある。
 あれは、私がきみと遊び回っていた中学三年生の頃だった。近所に手相を見るのが趣味の、酷く人相の悪い(しかし、口そのものは悪くなかった――)独り者の中年男性がいて、ひとを見ては手相を見るので、ある意味、疎まれていた人物だった。
 幸か不幸か、外で遊んでいた私がふとひとの気配を感じて振り向くと、たまたま通りがかったその小父さんと、ばったり眼が合ってしまった。その場を走り去ろうと前を向いた一瞬の隙を突いて、私の腕を捕った小父さんが、手を出してみな。おまえさんの今後がどうなるかを見てやるから――ときた。
 こうなれば、あもうもない。言われたとおり左手を差しだす――。
 それからの数分間、あーだのこーだのと試し眇めつ、私の手のひらを絞るようにしたり伸ばしたり、生命線がどうの、頭脳線がどうのと、種々のわけのわからない言葉をさんざ捻くり出したあと、小父さんは「告げた」のだった――。
 ふむ。おまえさんは、晩年型というか、いわゆる大器晩成というやつだな――。
 若いうちゃ出世しない。金には不自由するだろうが、食いっ逸れはしない。そして二人、いや、三人か――。そうだな、三人の女と結婚する。しかし、その女たちとはいずれ別れる。そして四人目でようやく落ち着くが、その後の生活は楽ではない。
 おそらく生き地獄に近い、後半生を味わうだろう。だが、最晩年がどうなるかまでは、まだ手相には出ちゃおらん。運命は変わる。だから、今後の心がけ次第でようなるかもしれん。よいも悪いも、おまえさん次第。せいぜい精進することだ。
 いまでも不思議に思うが、そのときの彼の占いは、その後の人生を顧みれば、まさにノストラダムスの「大予言」ともいうべき実現ぶりとはなったのだった。
 よほど経済力の乏しい男に思われたのだろう。事実、着た切り雀で、そのとおりの生活ぶりだったので、なにも抗弁することはできなかった。私は、彼女の心を素直に受け取って話し始めた。なにも隠し立てすることはなかったから……。
 私には、結婚している相手がいること。しかし、同じところには住まず、別々のところにいること。籍にも入っておらず、いわゆる相互のみが約束した婚姻生活を送っており、時折、逢って種々の話をしたり、性的な意味も含めて親密な関係を結ぶことがあること。名前は、リュンと名付けており、他の学生友達も彼女のことを知っていて、ふたりを夫婦と認めてくれていること……。
 ――などをできるだけ丁寧に話した。
「いいわ。それでも――」
 私の話を静かに聞き終えたあと、彼女はゆっくりと口を開いた。「わたしも、そのリュンというひとに会ってみたい……」
「もちろん、会わせてあげるよ」
「ありがとう。でも、今日はもう寝ましょ。もう朝になってる」
「そうだね。さすがに眠くなってきたね……」
 私は言って、彼女の首の下に腕を伸ばしてその上に置くように促した。
 彼女のボーイッシュな髪が前後にこぼれ、小さくて貝殻のような耳が現れた。イヤリングのない耳だった。彼女は私の胸を抱えるように腕を回し、その顔を私の耳許に近づけた。そして私の頬に軽いキスをし、おやすみなさいと言って、そのままの姿勢で昼前までぐっすりと眠ったのだった。

 二十一 「汝」に好きといってもらえる嬉しさ

 お互い学生だったこともあって、たとえ昼過ぎまで寝ていたところで問題はなかったろう。だが、私たちは大急ぎで顔を洗い、歯を磨き、シャワーを浴びると逃げるようにしてホテルを出た。なぜかふたりが、夜明けの行燈のように間の抜けたお笑いコンビのように思えて可笑しかったのだ。
 ふたりは笑いながら道を歩き、顔を見合わすたびに笑い転げた。子どものときに覚えた、秘密を共有したときの、あの感触があった。なにを見ても、なにをしても面白かった。まるで愉快病にでも罹かったように、私たちは笑いあった。
 どちらかが笑い終えても、片方が笑いだすので、それにつられてまた笑いが止まらなくなるのだった。そうしてふたりは、K市でもっとも知られている川の河畔に辿り着いた。そしてそこにあったベンチに腰を下ろし、お互いの連絡先を教えあった。
「愉しかったわね――」
 彼女は、笑いの余韻がまだそこにあるのを敢えて無視するかのように私の顔をしっかりと見据えて言った。「これからは、いつでもリュウと逢えるのね」
「ああ、いつでもきみは、ぼくと逢える」
 その言葉を復唱するように私は答えた。「逆に、ぼくもまたきみと、いつでも逢うことができる」
「そうよ。ナオはリュウが好き――」
 そう言うなり、彼女は私に抱きつき、見上げるようにして続けた。「だから、キスして……」
 私は、無言のまま彼女を抱きしめ、上向けられた唇に自分の唇を重ねた。甘やかな香りのする唇だった。そのなかから無防備に差し出されてきた舌は、私のそれを探し求め、探し当てたそれを愛しむようにしなやかに動くのだった。
「これが最後じゃないから――」
 ゆっくりと口づけを終えたあと、名残惜しそうに唇を離して彼女が言った。「きっと逢えるよね。わたしたち……」
「ああ、逢えるさ」
「ほんとよ――」
「本当だ」
「わかった……。じゃ、これで、さよならするね」
「ああ」
「バイバイ」
「バイバイ……」
 K川に架かったⅠ大橋の上を遠ざかって行く彼女を見送っていると、彼女がくるりと振り返って手を振り、口の動きだけで、好きよ、リュウ――と言ったのがわかった。
 私は、ぼくも――と言いたかったのだが、なぜか言葉にはならなかった。
 こんなにも幼い恋――とは言ったものの、その実、なんと形容していいのか、自分でもわかりはしなかったのだが、これほどのいじらしい思い、健気な情景を眼にしたことが、いままでにあったろうか――と私は自問した。
 この感覚は、私の幼いときに感じた、まさにあれと同じではないか――。
 彼女の立ち去る姿を見ていると、しばらく忘れていたあの感覚が、身内から沸々とあふれ出し、止まらなくなっていた……。
 先生――。まさに、いまの私が、彼女にとっての史絵先生なのではないか。
 これは理屈ではない。男であろうと、女であろうと、この感覚は理屈ではない。この私が、いまの彼女にとっての史絵先生なのだ。彼女はこの先、私を基準にして生きてゆくだろう。そして暫くは「我=汝」空間のあるがままに、私を心のよすがとして生きて行くだろう。だが、やがてその空間を巣立つときが来る――。
 そのときは、断絶ではなく、離脱――。まさに私が二十歳になるまえに体験したあのプロセスを辿って、彼女もまた、より深い人間空間に向かって羽撃いていくのだ。その先は、彼女のみが知る広々として高みのある空間となるだろう。
 高揚した気分で、なにものにも囚われず、広々とした高みを飛翔するのは、人生にとって最高の喜びであるに違いない。そのときまで、私は彼女の史絵先生であろう。そうあるのが、彼女の望みであるのならば――。
 私はこのとき、ミルチャ・エリアーデのいう「聖なる空間」という言葉を思い出していた。彼女は、彼のいう「世界の中心」を見てしまった。あのドイツ語講座という「裂け目」をひとつの入口にして私に近づき、私という生きている「汝」すなわち現存在(ダーザイン)を見出したのだ。
 フッサールのいう「意味賦与作業」が彼女の頭のなか、いや、心のなかで行われたに違いない。私にとっての史絵先生がそうであったように、彼女にとっての現時点における「世界の中心」は私にあった。そして、その私を糧に彼女そして私は「生きられる生」を支え合っていく。
 私のいう「途上の真」として、それは現前し、ふたりを支えていた――。
 それがあるがゆえ、そしてそれがあるかぎり、私たちは「これから」を生きていくことができる。そこには、世にいう損得というものはなかった。
「なんのために」という理屈はなかった。生きて眼の前にある「汝」が「好き」という感情と、ほかでもないその「汝」に「好きといってもらえる嬉しさ」がふたりを結びつけ、ふたつとしてひとつの空間を形成しているのだった。
 あたかも、ジョルジュ・バイユのいうふたつの波がしらのように……。

 二十二 自分というものの正体

 なぜ、ふたつの波はつながっているの。なぜ、ふたつなのに別々のものではないの。
 ――ナオが夢のなかで、私に訊ねる。
 それは、同じひとつの海できているからさ……。私は答える。
 夢のなかで、ナオは小学生のようだ。おそらく二年生か三年生くらいだろう。
 でも、世界にはいろんな海があるよ――。
 そうだね。世界には、いろんな海がある。青い海も黄色い海も――。そして綺麗じゃない海も……。
 黄色い海もあるの――。
 あるよ――。工場の出す排水で汚れた海や、プラントンの死骸やいろんなもので赤くなった海もある。
 ふうん。そんな海は悪いひとが住んでるの。悪いお魚とか、いっぱい住んでるの。
 悪いひとが住んでいるんじゃなくて。悪いひとが海をそんなうにしてしまったんだ。
 じゃ、海はもともと綺麗なの。
 ああ。綺麗さ。いまは穢く見える海も、もともとは綺麗だったんだ。でも、海は綺麗じゃなきゃいけない。ぼくたちは綺麗な海にしていかなくちゃいけないんだ。
 なんでわたしたちが綺麗にしなきゃいけないの。悪いひとたちが汚したんだから、そのひとたちにさせればいいじゃない……。
 それはそうかもしれないけど、悪いひとたちは簡単には認めない。自分たちが悪いとは思っていないんだ。
 なんで――。
 そのひとたちは、世界を救っていると思っている。たとえ、山や海を汚すことになったとしても、みんなの生活が楽になるし、みんなのために便利にしてやってると考えているんだ。そうしなければ、生活はもっと苦しくなるし、いまよりもっとたくさん働かなければならなくなると思っている。
 じゃ、働かなければいいじゃない。働かなければ、生活は苦しくなるかもしれないけど、海は綺麗になるんでしょ。
 確かにそうだけど、いまの世の中じゃ働かなければ、生きていけない。いまの世の中は、お金がなくちゃ生きていけないんだ。
 お金は働かなければもらえないの――。
 そう。お金は働かなくちゃもらえない。
 変なの。ナオにはよくわかんないよ……。
 彼女の柔らかなツインテールの髪がシンクロするように左右に揺れた。怒ったように膨れっ面をする彼女の頭を撫でて言った。
 大きくなったら、ナオにもわかるよ。
 でも、ナオはそんなの、わからなくていい。リュウがいるからいいの。
 彼女は、その小さな両腕を広げて私にしがみつく。
 ――と、そこで眼が醒めた。
 どんな給付も条件も要らない。反対給付も要求されない。そんなことの有無とは無関係に自分を受け入れてくれる存在。それを彼女は望んでいた……。
 確かに、彼女のいうようにふたつの波は、現象的には違って見えるかもしれないけれど、ふたつに見えているものの根源は同じだ。
 私は目覚めたものの、まだ夢の続きを見ているような気分で、眼の前にいるであろう大人になった彼女に呟くような小声で独り言ちた。
 ひとつの海のなかに現れる現象は、もともとひとつなんだ。海は誰の心にもある。その海が相手を見つけてくっついた――そう思えばいいんじゃないかな……と。
 本物の彼女なら、この回答にどう答えたろう――。
 私は、彼女に逢いたい――と思った。そしてこのことを伝えたいと思った。しかし、そういうわけにはいかなかった。考えてみれば、あれから、たった三日しか経っていなかった。その間ずっと、私は彼女のことばかりを考えて過ごしていたのだと知った。
 むしろ、逢えない時間のほうが、その空間の深みを増すことは、これまでの経験上よくわかっていた。こんなときにこそ、勉学に勤しみ、哲学徒への思いを育むべきなのだ。私には院試が待っていた。それなくしては、私の未来は惨憺たるものになるはずだ。だからこそ、遅ればせながら、学徒を志し、大学生になったはずだった。
 フロイトがリビドーを昇華するためには、なにかに打ち込むことだ――という意味のことをどこかで述べていたかと思うが、私もあるいはこのとき、そうすべきだったのかもしれない。多くの絵画や音楽、小説などの芸術作品が「それ」を昇華することで生まれたように、私もひょっとすれば素晴らしい芸術作品を生んだかもしれない。
 しかし、私のそれは、彼のいう「リビドー」ではなかった。
 リビドーも生物学的にいえば根源的なものかもしれなかったが、私のそれはもっと根源的で、人間に存する特有の性質というべきものであった。それは、心理的かつ主観的なもので、これまでの実証科学が手掛けてきた数量的かつ統計的手法で測りうる「人間的なるもの」の総体ではなく、真に本人でしか知り得ない自分というものの正体を知りたいという欲求だった。「汝の眼差し」なくして自分は知り得ない。
 以前にも触れたが、アイデンティティなるものは存在しない――と標榜する時代があった。しかし、ひとは自己を自己として認識しなければ「己」を生きることはできない。そして、その自己とは「汝」との対比(=眼差し)においてなされるのだ。
 このような理解は、実存主義哲学においても、現象学的心理学においても存在しない。ハイデッガーなどのいう現存在、すなわち人間は了解をもとに己を規定する。そこにおいて自己実現、すなわちセルフアイデンティティ(自己同一性)を志向するにはまず己を了解しなければならない。つまりは、トートロジーだ。自己を実現するためには、まず自己を知らなければならない……。
 マッハではないが、自己は「汝」の態様によって変化する。つまり、相対的なのだ。「我=汝」空間も相対的だ。絶対的ではない。汝の空間がかわれば、我の空間も変容する。そして、他者がそれを見た場合の空間も、被視者のものとは異なっている。互いに主観的に相手を見て、そのように「行動」している。
 空間とは、簡単にいえば、関係性だ。相手が、あるいは自分が、どのようなものであるかによって、その空間の在りようは変容する。
 この世に絶対的なものは存在しないのだ。したがって、絶対的な神というものは存在しないし、絶対的な善というものも存在しない。

 二十三 焦がれれば焦がれるほど濃くなる空間

 ポルノ荘には相変わらず、だれかれとなく立ち寄っていた――。
 リュンの訪問は、しかし、以前よりぐんと減っていた。とはいうものの、来るときはいつものように予告もなくふらっと訪ねてきては、シャンソンやそれに関するレッスンの進行具合、歌にまつわる先生のアドバイス、それこそ私がプレゼントしたギターを使って練習していることなど、いろんな話をしてくれた。こちらもドイツ語講座で、ナオという女性と知り合い、その子がリュンに会いたいといっていること、西洋哲学史を一からお浚いしていること、最近、哲学的なアイデアや想念、概念の類いがどんどん頭のなかから湧き出てきて困っていること、卒論のテーマに「我=汝」空間を考えており、その準備をしていること――等々、種々のことを夢中になって話した。
 ナオと会うについては、リュンも快く承諾してくれ、いつでも会うので遠慮なく知らせてほしいというのだった。そうしてほんのひととき、ささやかに肌を合わせ、自分自身になれたこと、私と逢えたこと、種々の近況が報告できたこと――などなどを心の淵にしっかり満たしてO市へ戻って行くのだった。
 しかし、ナオのほうはそうではなかった。というのも、彼女には、呼び出しの電話番号は教えたが、住所までは教えなかったのだ。逢いたくなれば、どこかで待ち合わせをすれば済むことだった。その気になれば、所在地を教えてくれていたので、探し当てることは容易だったし、そうしたとしても彼女は許してくれたろう。
 しかし、私はそうしなかった。あくまでも、彼女自身からのアプローチを待つことにしたのだ。頭の回転のいい彼女のこと。本当にリュンに会いたいのなら、そして私に会いたいのなら、自ら日取りや場所を設定し、その旨を申し出てくるだろう。
 それまで待てばいい。彼女には彼女の考えがあり、思いがある――。
 と、そんなふうに思い、西洋哲学史の続きを読んだり、ドイツ語のテキストを速読する練習を繰り返したりして日々を過ごしていたある日、以前に付き合っていた同じゼミの女友達が妹を紹介する――と言って、二人連れでやってきた。
 そのときはすでに彼女に付き合っている男性がいて、私とは一年半ほど前にそういう関係ではなくなっていた。いわゆる「清く正しい」お付き合いの学友というのではなかった。――とはいえ、一年生のときからの気の合う学生仲間のひとりだったし、これまでに私が主催したイベント旅行にも楽しく参加し、お手伝いも買って出てくれるひとだった。そしてなぜか、私に心理学関係の本や哲学辞典などをプレゼントしてくれる、いわば世話焼き婆的な親切心の強い女性(本当は、その辺りが私には重荷になり過ぎて疎遠になったひとなのだが――)でもあった。
 そんな彼女が紹介してくれたのは、やや小太りの体型も含めて、いわゆる人好きのするタイプの女性だった。聞けば、彼女の妹は工業高校卒で、一旦は繊維関係の会社に就職していたのだが、いまひとつ自分の思いとは合わず、建築を勉強したい――と言っている。姉ともども関東の生まれで、実家もそちらにある。だが、このK市にかつて恋人がいて、いっとき女側の通い婚のような形で暮らしていた時期もあったが、いまはその彼と別れて母親の住む実家に戻っている――というのだった。
 幸いK市にも建築を専門にする学校はあった。私も大学の近くにある、その学校の前はよく通っていたし、若い学生たちが笑って出入りするのをよく見かけていた。
 それで、そこへ進学するのはどうかと水を向けると、O市にある建築専門学校のほうが大きくて有名だから、そっちにしたいという。しかし、住んだことはないので迂闊なことはいえないが、O市は誘惑の多い都市で、若い連中と変な遊びを覚えてしまうと、勉学が疎かになる惧れがある。だから、K市の学校に通うことにしたほうがいいのでは――といっぱしのアドバイスを垂れたのだった。
 これには、姉のほうも賛成し、結論的には、彼女が受験勉強のための下宿先を兼ねて杜若荘に越してくることになった。腰の九十度曲がったお婆さんに訊くと、たまたま一階(私は二階――)の部屋が空いていて、敷金も礼金も要らないという。
 と、そんなわけで、行く道はそれぞれ違っても、ポルノ荘には「進学(自己実現)」という志を同じくする仲間がひとり増えたのだった。
 私は、彼女の小柄な体型から、ノッポとチビのコンビである漫画の主人公「チッチとサリー」をイメージし、彼女をチッチと名付け、そう呼ぶことにした。その後、ポルノ荘を訪ねてくる学生仲間も彼女をチッチと呼んで親しんでくれたし、リュンも自分の妹のようにそう呼んでくれるのだった。
 全くの偶然ではあるが、ときには、私の留守中にリュンがやってきていて、そこへ、たまたま学生仲間数人が私に会いたいという元級友を連れて来ていたことがあり、その相手をチッチがしてくれているときもあった。
 ただ、ナオだけは例外だった。彼女はその後、二か月経っても連絡してこなかった。だが、私は平気だった。逢瀬は焦がれれば、焦がれるほど濃いものとなる。まさにこの年の冬、すべての我にとって、最大のストイシズムを必要とする時期だった。
 それこそ、リュンはプロのシャンソン歌手、私は大学院入試、ナオはいまの言葉でいう就活、そしてチッチは建築専門学校ヘの入学……。
 それぞれがそれぞれの道と我を築くために、それぞれの空間と繋がりを保ちながら己を鼓舞していた。希望し憧れ続けたものになれるかなれないかは、偏にその時間をいかに耐え抜くかに掛かっているのだ。
 汝のほとばしるエールを自分の背後にひしひしと感じながら……。

 二十四 自由の翼を持った天使

 地に轍はあっても、空にはそれはない――。
 地上の乗り物で行くかぎり、地面に残っている轍に入り込む可能性はある。
 避けられるときもあれば、避けられないときもある。それが牛馬であれば、荷を引くための軛をかけられ、動きが取れなくなる可能性もある……。
 だが、空中であれば、多少の雨風はあっても、少しの我慢をしさえすれば自由なところへ着地できる。私たちは、ある意味、自由だった。
 だが、それには「翼」が必要だった――。ナオはドイツ語で、それを私たちの「フリューゲル・デァ・フライハイト(自由の翼)」だと言った。
 私の院試の二週間前のことだった。あれから、ほぼ五か月近くが経っていた。
 その間、一度も彼女とは逢わなかった――。
 もちろん、リュンとの遭遇もまだ果たせていなかった。初めてふたりが邂逅し、言葉を交わし、キスして別れたⅠ大橋の畔にあるベンチで待ち合わせたのだった。
 春三月の陽光が目の前で踊っていた。K川沿いの桜並木から桜の花びらが眩しいくらいに咲き誇っている日の午後だった……。
 彼女は、それがあれば、わたしたちはどこへでも翔んでゆける。誰にも邪魔されない自由な空間へ、そして空の高みへ思い切り飛翔できる――というのだった。
 確かに学生である私たちは、種々の軛からは自由だったし、なにも怖くなかった。
 しかし、その学生という身分も卒業してしまえば、話は別だった。
 彼女は、企業の軛に足を取られたくなかった。彼女も、ある意味、モラトリアムを志向していたのかもしれない……。ただし、それは今日でいうそれではなく、「真に大人になるための猶予期間」という意味でのそれで、彼女はまだし足りないことがあると感じていた。実家からは見合いの話も出ていたようだが、まだ長崎には帰りたくないようだった……。
 この時代、『カモメのジョナサン』という小説が書店から、それこそ「翔ぶ」ような勢いで売れていた。あるいは、その心理的な影響もあったかもしれない。
 しかし、私たちの解釈は違っていた。思念的には一部、重複するところもあったろうが、根本的なところでは違っていた。なによりも私たちのいう空間は、組織や集団を必要としないことだった。ふたりで成り立つひとつの空間を志向していた。
 それこそジョナサンのいう人類を背負って立つ孤高な哲学者や指導者などになることを目指してはいなかった。極めてささやかな、それでいてもっとも濃密な空間だけを志向して生きようとしていたのだ。無条件に自分というものを肯定し、非難することなく受け入れてくれる「汝」。そして、その在りよう。本当の「我」を理解し、ともにその空間の内部の様相を知りつつ「気づき」を与えてくれる――そういう汝のいる空間を、彼女は心から必要としていたのだった……。
 ところで、私はこれらのことを当時の記憶や知識のもとに記述している――。
 四半世紀どころか、半世紀近い時間的経過を経ての陳述だ。以前にも触れたが、私には辞書を引いたり、図書館かなにかに閉じ籠もって調べ物をしたりするだけの気力はすでにない。書き残すことのほうが先行事項で、非常に生き急いでいる。
 したがって、私が用いる学術用語が今日の解釈おいて、どのように理解されているかは知らない。だから、賢明な読者にあっては、もし誤謬等が発見されたとしても、重箱の隅をつつくような多少のミスは、ご自分流に大らかに解釈していただき、文脈の示すところに従って読み進めてほしい――。
 眩しいばかりに咲き誇る桜を見、ふたりベンチに並んでその美しさを愛でながら、なにを思ったのか、急にナオがぽつりと口にした言葉がある――。
 Was dem Herzen gefällt, das suchen die Augen.(心が喜ぶことは目が求める)
 どこかのドイツ語テキストに載っていたのを眼にしたか、たまたま出た講義のなかで教わったもの――なのかもしれない。これについて、後日、リュンに訊ねたことがあるが、彼女は、なんという心理学者の言葉だったかは憶い出せないんだけど、「視覚は欲望によって変化する」という表現もあるわ――と教えてくれた。
 つまり、綺麗な桜を見たいと思えば、視覚もそのように「魅せて」くれる――ということなのだ。おそらくはナオも、そこのところが言いたかったのに違いない。
 まさにそのように、私たちは欲望や心の在りようによって、フッサールなどのいう事実、つまり「タートザッヘ」を理解する。むしろ、事実は、私にいわせればなにものにも染まっていない純然たる事実(「エポケー=判断中止」された事実――)ではなくて、種々の思いが込められた空間の出来事を「了解」するのだ。
 事実はただそこに、素知らぬ顔で横たわっているのではない。当時、十九歳で私が古里で事実の在りようとその変容ぶりを見知ったように、思い知り、思いなすことによって知りうる事態なのだ。認識とは「思い」が知らしめる世界なのだ。
 当時、マズローなどを知らなかった(社会人になり、広告ビジネスに足を突っ込んで初めて、それを知ったのだ――)私は、人間のそうした事物に対する心の用い方に段階があることを発見していた。ただ、ネーミング(学術的用語)として成立させてこそおらず、確然としてはいなかったが、人間の「生きる」という思いに段階もしくは異なった位相があり、それを内容別に「仕分け」すべきと考えていた。
「思い立つ→思い入れ→思いなし→思い込み→思い直し」というのがそれだが、これらが循環することによって、その空間の内容はより深まり、自分自身が望む納得のいく「生きられる生」を継続することができる――と直観していた。
 ナオは、ちょうど、その「中間」のところにいた――。
「生きられる生」を目指すためには、己を「措定」しなければならない。そうでなければ、自分は他者の生、すなわち「偽りの生」を生きることになる。真に生きられる生を築くためには、それを導く汝が必要だった。
 汝の眼は、我のそれのように「欲望」によって変化する眼ではない。我のそれのように「心が見たいと望むこと」を視覚化しない。つまりオブジェクティブなのだ。
 思いなすことは、すなわち「思い込み」に到る前触れだ。思い込みに到れば、誤謬に陥る公算が高くなる。いわば、「偽と真の分水嶺」だ。
「思いなす」まではいい――。大いにそうして自分を磨くことだ。だが、思い込みによる自己措定は、道を踏み間違える惧れがある。それを矯正してくれるのが、「気づき」を与えてくれる「汝」というものの存在だ。
 汝は、その意味で、オブジェクティブであるかぎり「産婆」であり、我の魂を孵化してくれる「キュレーター」の役割を担う。己の思うがままに、自由に大空を羽搏くためには、彼女のいう「自由の翼」を手に入れることが先決なのだ。
 最終段階である「思い直し」からの脱却を果たし得たその結果、ナオは私を「真の汝」として自分の「我=汝」空間に受け入れることを選んだ。
 そうして、この春の日、私と逢うことを決意した。
 それに要した時間が、この五ヶ月間ということだったのだ――。
 彼女は、私が院試を受ける直前、その姿を現した……。気恥ずかしさと照れくささを堪えてちょっぴり大げさに表現するなら、それはまさに、私にとっても「自由の翼」を持って現れた天使の来臨――に異ならなかった。
 私は彼女に感謝し、そのありがたさを想った。いったい誰が、このように自分を厚遇してくれるだろう。そんな思いが私の胸中を去来した。ことが終わったあとで祝福してくれる者はいくらもいる。だが、事前にエールを送ってくれる者は少ない。
 ナオは、まさに第二のきみのようだった。もちろん、きみもその当時、ナオと同様、心温まるエールを送ってくれていたし、励ますこともしてくれていた……。
 だが、彼女には、きみと違うところがあった。いや、事情があった。
 実は、彼女も私と同様、一種のルビコン川を渡ろうとしていたのだ。そのルビコン川を渡らなければ、彼女に自由はなかった。渡らないのであれば、彼女は両親との約束どおり、その言いつけを守って長崎に戻らなければならなかった……。
 そこには、いうまでもなく、結婚という軛が待っていた。その軛は、さらに羽搏きたい彼女にとって、自由の足枷となるはずのものだった。そして、その足枷を外すために必要なのが「自由の翼」だった。この翼なくして、彼女は翔び発てなかった。
 うしろには切岸、まえにはルビコン川。川を渡ってしまえば、あとはない。
 彼女は、教授の薦める会社には就職したくはなかった。なぜなら、そうすればその教授がなにかと言い寄って来る可能性が高かったからであり、事実、その企業での研修期間にもちょくちょく顔を出し、食事に誘われたことが何度かあったからだった。
 少なくとも、その軛からは自由になりたい。そうするために、自分はなにをなすべきか。その答えが、自ら就職先を探すという手段だった――。
 この当時、彼女の目指す業界は特殊なコネがなくては、その入口に辿り着くことはできなかった。なぜなら、彼ら教官と称する人間がその道を閉ざし、自らを通じてでしかアプローチできないような仕組みを構築していたからであった。
 私も、そういう意味では、切岸の真上に立っていた――。
 大学を卒業すれば、新聞販売店の寮は出なければならなかった。院試に成功しようが成功しまいが、そのままそこに居続けるわけにはいかなかった。学費も、もう負担はしてくれない。これからは、自分でその費用を捻出しなければならない。
 だからこそ、ルビコン川は渡らなければならないのだった。賽はすでに、その四年も前から投げられていたのだ。

 二十五 最高レベルの「貧乏人のお坊ちゃま」

 私はきみが、あの世とやらにいて、私の話に耳を傾けているか、もしくはこのささやかな小説に眼を通してくれているものと信じて、これを書いている。
 前にも言ったが、いわばこれは、私の自堕落な思惟生活の記録であり、きみだけに教える、隠し立てのない事実を赤裸々に網羅した告白の書である。
 だから、私がここで語ることは、すべてきみに対して恥を忍んでする事後報告であり、私がきみの生前に聞いて欲しかった「生の軌跡」なのだ。
 恥の「生の軌跡」という言葉を聞いて、明治の文豪・森鴎外が著した『ヴィタ・セクスアリス』という小説を想起したひとがいるかもしれない。かの主人公・金井君も哲学の研究者という設定になっているが、私はそれを意識していない。
 それこそ、まさしく「タートザッヘ」で、したり顔のフッサールかぶれがエポケーしようがしまいが、それは読むひとの勝手だ。だが、少なくともきみだけは、その「事実の羅列」に意味があり、訳があり、理由があったことだけは理解してほしいのだ。
 おそらくきみのことだから、決して非難がましい詰問や叱責の言葉を発したりはしないだろうが、私のこの語りかけを通じて、ぜひともいつもの優しい眼差しのまま私を見詰め、静かに心を傾けてほしい。
 そうしてくれれば、私は心おきなく、この物語をその終末まで心乱すことなく語り終えることができるだろう。願わくばその間だけでも、私の「我=汝」空間のひとりの住人として、あの世にではなく、この世の私の空間に生きててほしいのだ。
 ついでに言っておくと、この物語はすでに第一部である「望郷編」を経て、第二部の「飛翔編」の終わりに差しかかっている。この部が終えられると、最終編である第三部「奈落編」が始まる。それが終わると、この物語は無事「ジ・エンド」となる。
 どのような結末が待っているかは、神ではなく、私のみが知っている。
 確かに「知ってはいる」が、想い出すだに恐ろしいし、心苦しい。でき得れば、書きたくない。なぜなら、一種の「罪のカミングアウト」なのだから――。
 そこには、すでに先立ってしまったきみには、知りようのない重い「事実」が待ち受けているのだが、いまは敢えて触れることなく、この物語を淡々粛々と心を鬼にしながら書き留めて行くことにしよう……。
 リュンは、本気で歌手になることを目指していた。そしてますます、それにのめり込んでいた。それまで勤めていた会社も辞めた。プロの歌手に指導を受け、本格的にO市にあるシャンソニエを中心に「歌を歌って糧を得る生活」にシフトして行った。
 いっぽう私は、相変わらず自堕落な生活を続けていた。というのも、私は大学院入試に失敗していたからだった。せっかくナオが応援に駆けつけてくれ、あんなに感動したにも拘わらず、その気持ちに応えることができなかったのだ――。
 これ以上のことをいうと、言い訳になるので書かないが、ナオは念願の一流会社に就職できていたし、チッチもまた念願の建築専門学校に入学できていた。
 ひと当たりがよく、人好きのするチッチの許には男子学生がよく出入りし、製図をするためのドラフター代わりの机を作ってもらったり、設計図を清書するアルバイトの紹介やその他、いろいろと便宜を図ってもらっているようだった。
 ひとつには、その性格や人柄のよさも手伝っていたことだろう。だが、私が思うに建築科という「男の世界」には女性の存在(この時代「ドボ女」なる言葉はなかった)そのものが珍しく、男子学生の耳目を集めたためもあったに違いない――。
 そうして暫くすると、いつの間にか、――というよりなぜか、私が彼女の「彼氏扱い」され、彼らに一目置かれる存在になっていたのが、不思議といえば不思議だった。
 これもまた、同じ学生に近い身分とはいえ、私が彼らより四つも五つも年上だったからだろう。なかには「彼女、よく教育していますね。羨ましいですよ」と嫌味ともやっかみとも釈れる感想とともに肘で小脇を突かれることがあったほどだ。
 いずれにせよ、若い学生たちはみんな明るく、和気藹々としていた――。
 その光景は見ていても清々しく、この上なく楽しかった。彼らと過ごしていると、自分自身も同化され、いつの間にか鬱な気分を忘れさせられてしまったほどだ。私は、あの建築学校を奨めてよかった――と思った。逆をいえば、彼女が受からなかったら、彼女もまたポルノ荘独特の暗さや淫靡さに打ちひしがれていただろうから――。
 私は、この春、大学を卒業した――と同時に、新聞配達店も「卒業」した。
 しかし再度、院試に挑戦するため、新聞店のオーナーに頼んで、住居はそのままにしてもらうことにした。もちろん、家賃は自腹だ。そして無収入では食べて行けないので、学習塾で英語の講師をすることにしたのだった。
 その塾は進学塾ではなく、いわゆる補習塾だった。いってみれば、学校の授業について行けないか、落ちこぼれた生徒たちが通ってくる小さな塾だった。給料をくれるとは言っても、大した額にはならず、ひと月をやっと凌げる程度だった。
 だから、私の経済生活は相変わらずだった。着たきり雀の、風呂なしの、四畳半ひと間きりのアパートの仮住まいで、極貧そのもののレベルだった。新聞販売店の場合は、まだ家賃が要らなかったから、その苦しさは一入だった。
 それでも私は、不自由というものを感じたことはなかった。真に自由で、このときほど、日々の深浅と時の移り変わりを堪能したことはなかった。ある意味、苦しくはあったが、苦にはならなかった。
 というのも、私には、奪われるようなものはひとつとして持っていなかったからであり、仮に奪われたとしても、不自由になるものはひとつとしてなかった。あるのは、ただ書店時代に使っていた、汗と湿気で煎餅のように薄く、その割には重みのある上下の蒲団と涎の着いた枕、そして古くて臭くなった毛布くらいのものだった。
 履物にしても、その頃は下駄を履いていた……。
 もと履物屋の息子だったから――というわけでは勿論、なかった。それは桐の下駄だったが、軽いうえに普通の下駄のように甲高い音があまりせず、足の裏に汗をかく私にはちょうどいいのだった。しかも靴下も要らず、経済的だった。
 大学時代にその影響をうけてか、私と同じように下駄を履いて登校している友人がいたが、彼とても似たような理由が動機になっていたのだろうと思う。ただ、彼の場合は、私とは違い、スマートにほっそりした女物を履いていたのだが……。
 まさにこうした、その頃ですら、ひと昔前の大学生活を送っていた私だから、世間の常識たるものを知りようがなかった。――し、またそのようなことを教えてくれる奇特な友人にも恵まれなかった。
 まさに、そのとき、世間の常識あるひとの眼から見れば、私は田吾作も田吾作、ど田舎者の田吾作ですら嗤い者にするほど、最高レベルの「貧乏人のお坊ちゃま」だった。しかも幸せなことに、少しもそのことに気づいてはいなかったのだ。

 二十六 優しさの籠った触れ方

 ルビコン川を渡れなかったとはいえ、ナオの私に対する態度は変わらなかった。それどころか無事、念願の食品メーカーに入社し、しかるべき研究部門に配属された彼女は急に大人び、以前よりも活発で魅力的な女性になっていた。
 しかも、彼女から逢瀬のホテルを指定してきて、そこでの料金も彼女が負担してくれるようになっていたのだ。その点は、ある意味、昔と変わらなかったが……。
 そして社会人――というよりビジネスウーマンになって、ローヒールからハイヒールに履き替えた所為か、背も少し伸びたようだった。事実、それから三度目か四度目の逢瀬のとき、裸足になった彼女と相対してみると、以前より二~三センチほど高くなっているように感じたほど、驚異的な伸び率だったのだ。
「なんだか、急に背が伸びたようだね」
 なにも身に着けず、素肌のまま、私にしがみついてきた彼女の身体を抱きかかえるようにして言った。「こんなふうにしなくても、きみの顔がここにある」
「そうね。不思議だわ。あのときから、三センチも伸びたのよ」
 彼女はシャワーを浴びたあとの、しっとりしたままの短い髪を人差し指でかき分け、例の小さな貝殻の耳を取り出すような仕草を見せて言った。「これからは、これまでみたいに背伸びしなくったって、リュウと普通にキスをすることができるわね。ただし、ハイヒールがあればって話だけど……」
「それって――」 
 私は、彼女の急に出された両腕の力に押し切られる力士のような格好のまま、背後のベッドに倒れこみながら訊ねた。「路上で――ってこと……」
「そうよ。こんなところでじゃなくて――」
 彼女は、ベッドに仰向けに倒れこんだ私に馬乗りになり、その顔を私のそれに近づけて続けた。「そうね、Ⅰ大橋のど真ん中でしてみたいわ。K川の上を流れる柔らかな風を感じながら、リュンがどぎまぎするのを見てみたい。わたし、あのとき、もう一度、リュウとキスがしたかった――」
 そう言うなり彼女は、言葉を発しようとした私の唇に自分のそれを重ねた。勢いのある濃密なキスだった。これまでにない狂おしさが、その動作には現れていた。そして私の上に馬乗りになった姿勢のまま、彼女は下腹部を前後に大きくスライドさせた。
 その動きに合わせ、縦に走る稜線が左右に割れ、硬さを増して行く私のその上を滑り、精油を抽出される花のように粘度のある液体を滲出しているのがわかった。
 柔らかな左右の稜線は私の艇身全体を挟みこみ何度も摺動しながら、その合わせ目を深くして行った。そして、合わせ目の下方にあるパッセージがその小さな口を開き限度まで高潮した私を迎え入れたまま、さらなる深みへ導こうとして摺動を繰り返す。潤いのある狭い通路が私の全域を呑噬し、その先端が最終地点に達してもなお、その狂おしいばかりの動きを止めようとしないのだった。
 そこからの彼女の動きは、まさに凄まじいばかり――。幾度も幾度も激しい締め付けと抽挿を繰り返し、アクメに達したことを告げる伸びのある高い声を間歇的に上げ続ける。まるで「ブレイク・フリー」を歌うアリアナ・グランデのように……。
 いつもにはない狂態だった――。そんな彼女を見たのも初めてなら、こんなに気をやる「濃密なセックス」に出遭ったのも、今日が初めてだった。これまでのそれは実に淡白で、リュンとのそれのように綺麗さっぱりしたものだった。
 今夜の彼女はかつえていた。そのさまはなにかに怯え、それから逃れようともがいているようだった。それとも、なにかにしがみつこうとしていたのか……。
「どうしたの。今日は――」
 ようやく落ち着きを取り戻し、私の胸に頬を埋めている彼女に訊ねた。「なんか変な感じだね。会社でなにかあったりして……」
「そう。まさか――と思うことが起こったの」
「なに……」
「以前にも話してた、例の教授が会社に訪ねてきたのよ」
「まさか――」
「でしょ。どこをどうやって探り当てたのかって、不思議に思うでしょ」
「思うね――」
 この時代にはまだ、ストーカーという言葉もしくは概念はなかった。あったとしても、その意味はいまとは異なっていた。だから、彼女にとっても、私にとっても、その存在はうす気味の悪い嫌がらせをする人物像以外のなにものでもなかった。
「以前にその教授が学内推薦した学生のひとりで、いまは上のほうの人間になっているひとがいるの。話を聞くと、どうやらそのひとからの情報で、わたしがあの会社にいることを知ったみたい……」
 彼女はいまでも、そのうす気味悪さに怖気をふるうように一瞬、こわばった表情を見せて続けた。「その女性というのは、実は、わたしとは別の部署の上司に当たるひとなんだけど、その教授とできているって噂があるわ……」
「よくある話――」
「そこまでならいいの。他人がどうしようが、ご本人たちの勝手なんだから……」
「ま、そうだね」
「ところが、その女性が逐一、わたしのことを報告しているらしくて、教授が気にしているらしいの。もっとも、そんなのは言い訳だってバレバレなんだけどね」
 私は黙ったまま、彼女の言葉に耳を傾けた。
「本人によると、彼女はたまたま面接官のひとりだったらしいんだけど、そのときに私の履歴書を見たみたい。それで、たまたま自分と同じ大学の同じ学部だったから、教授に教えたら、あ、それ私が指導した学生だ――ということになって……。そこから、話がエスカレートしちゃったって感じね」
「おそらく寝物語かなにかで、きみのことを色々と訊き出したんだろうね」
「――だと思うわ」
「困ったもんだね。で、そのお局さまは、きみのことをどう言ってるの」
「不器用で、哀れな研究員――ってことになってるらしいわ」
 彼女は、芯をなくして小さくなってしまった、私のそれを小さな手のひらに包むようにして続けた。優しさの籠った触れ方に彼女の心の温もりが伝わった。「しかも研究員仲間からは爪弾きにされ、チームの一員として相応しくない存在……」
「それは酷い――」
「で、教授はそんな環境から、わたしを救いにきた――というの」
「――というと」
「別の会社を紹介してあげると……。そこなら、自分の息のかかったところだから、そんな苦労はしなくていいと……。わたしがそんなことをさせはしないから――と」
「嘘だ。単なる言いがかりだ」
「そう。言いがかり――。嘘は嘘なんだけど、その女性がそんなふうに周りを仕向けているの。この春、昇進し、人事権にタッチできる立場になったから、その権力を利用して、私が居づらくなって、自ら辞表を出すように仕向けているの」
「汚いやり口――」
「そう。汚いやり口。でも、大勢でかかられると抵抗できない。ありもしない不倫話を陰で囁かれても、わたしひとりの力では防ぎきれない。それが悔しい」
 彼女は溢れてきた涙を私の胸にこぼしながら続けた。「リュウ、わたし、どうすればいい。あの会社は辞めたくない。あの会社はわたしが選んだの。誰の世話にもなっていないわ――」
「そうか。そんな辛い目に遭っていたんだ……」
 私は彼女を抱きしめると、その唇で、彼女の両の眼からあふれ出る涙をひとつずつ拭った。仰向けになった彼女は、両腕を私の背中に回し、力を籠めて言った。
「抱いて、リュウ。もっと強く、もっと強く抱いて――。わたしが、どこへも行かなくていいように……。しっかりわたしを捕まえていて――。離さないで」

 二十七 宵っ張りの朝寝坊

 どんな意地悪がなされようが、どんな嫌味を言われようが、有名無実であれば懼れることはない――と私は言った。正々堂々としていればいい。きみを評価してくれるひとは、ちゃんときみのことを見ていてくれる。だから、なんとか仕事だけは続けるように――といってから、ぼくがついていると思って頑張って――と付け加えた。
 その翌朝、いつものようにⅠ大橋(ど真ん中でのキスはしなかった――)の畔でナオと別れ、彼女の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
 それからの杜若荘での私の生活は、相変わらずだった……。
 チッチも同級生たちと忙しくしていたし、リュンのほうもプロを目指して自分磨きを進めていた。私も参考書を何度も回していたし、ドイツ語にも力を入れていた。
 ただ、変わった――ということでいえば、私が塾に通うことになったことで、それまでの早起きが難しくなっていたことがある。というのも、新聞配達は早朝に行うので早起きの必要があったが、塾では夜が晩いため、午前十時近くになって起きるという、まったく逆の生活になってしまったからだった。まさに社会人の逆だ。
 もともとに宵っ張りの朝寝坊な性質なので、夜に塾生の相手をする仕事に不平・不満のあろうはずがなかった。むしろ、遅刻を気にすることなく、朝遅くまで寝ていられるので、ぐうたらな私には好都合なシステムといえたろう。
 ときには、夜なべが祟って昼過ぎまで寝ていたことがある。そのときは幸い、同僚の講師が私と同じ合い鍵を持っていたので、塾を開けることはできたが……。
 とまれ、そんな「自由」が祟った――。
 完全に「宵っ張りの朝寝坊」体質が「へい。一丁、上がり」ということになってしまった。それこそ、あの時代の話ではないが、腕を両眼に被せ、寝たふりをする必要そのものがなくなったのだから、もう大変。
 自堕落生活の第一歩――。あとは、運を天に任せて転落してゆくしかない。
 いや、自堕落にかまけてか――。このままでは、ほんとに滑ってしまう……。
 雪の上では滑るが、土の上では滑らない。雪道を歩くのだけは避けたい。なんとか土の道を歩けるよう、あの先生にもう一度かけあってみよう――そう思って、院での指導教官になってくれるであろう、K先生宅に電話してみたのだった。
 だが、先生は死んでいた――。
 あの院試から半年も経っていなかった。
 それこそ、家族になにも告げず、そして誰にも知られずに死んでいったきみとそっくりそのまま、先生もまた「いつの間にか」私のもとを去っていたのだ。
 奥さんによると、先生の死は、先週の土曜日だったという……。
 卒業生の私には、その訃報はわざわざ知らされなかったし、学校側も年に何回かに発行される校友会報でしか知らせてくれない。タイミングが悪かった。
 もう少し早くこのことを思い立って電話しておくべき――だったのだ。
 しかし、時間は巻き戻せない。パソコンのようにリカバリはできないのだ。
 いまさら悔やんでも仕方がないが、あの先生でなければ意味がない。あの先生だからこそ、そしてあの先生がいるからこそ、私は院に進もうと思ったのだ。
 しかし、なんだって、先生は死んだのか。死因はなんだったのだろう。あれだけのヘビースモーカーだった先生のこと。肺がんにでもなったのだろうか……。
 電話したとき、奥さんにそれを訊けばよかった――。
 だが、あんな状況で遺族がその死を思い返して涙しているというのに、いったいどんな顔で質問ができるというのだろう。それに第一、その死因を知ったところでどうなるというのか。死因がわかれば、先生が生き返るとでもいうのだろうか――。
 私は、自分の暢気さを責め、手際の悪さを責めた……。
 なぜ、そのくらいのことを予測しておかなかったのか。現にこの間の院試後の面接のとき、頬がこけ、随分やせ細った先生がいたではないか。あのときのそれが兆候ではなかったのか。それくらいの観察眼がなくて、なんの哲学者だろう。
 私に、果たして哲学者になる資格があるのだろうか。それとも、そうした兆候に気づくのは熟練した医師くらいのもので、素人の私の診断力を責めるのは無謀というべき「言いがかり」なのだろうか。ナオが被った、あの誹謗中傷のように――。
 私は、哲学徒の一員として相応しくない存在なのか。そして不器用で、哀れな哲学かぶれの落ちこぼれ人間なのか。その無能さをひとに知られるのが怖くて、できるかぎり日を遅らせている臆病者なのか。それとも有能だと思い込んでいて、それを世間に知らしめるために、その機会がくるのを待ちわびている自己愛者なのか……。
 私は誰かにすがりたかった。こんなときこそ、ふたりでいたかった。ナオの気持ちが分かった気がした。しかし、今の私にとって、その対象はナオではなかった。
 私を優しく包んでくれるであろう、リュンの静かな笑みが浮かんだ。
 静謐とさえ言える無言の笑みを湛えたリュンの口許は、私にはアデルの悲しみに満ちた低い声を宿しているように見えた。リュンの唇は動いているのに、その声だけがアデルのそれになって聴こえるのだ。聴覚と視覚は互いにシンクロして、両者が別々の顔をしているのに同じ声を出しているように見える……。
 ハロー。イッツミー。キャンニュー・ヒヤミー……。
 私の耳にアデルのそれが聴こえる。そしてリュンの顔が、それをそっくりそのまま、呟くような低音で言うのだ――。
 困ったことがあれば、いいわ、私のところにきても。いつでもいいのよ、あなたが望むのであれば、わたしはいつもここにいて、あなたを待っているわ。そしてそれがいいのなら、わたしはどんなことでも、あなたの望むことをしてあげる……。
 リュン、と私は言った。勿論、私の心のなかでしか聞こえない、小さな、しかし、リュンにだけは届くであろう、私にとって確かな声音を含んだ声で――。
 きみに逢いたい――。当時、私がアデルを知っていたなら、きっとつぎのような歌詞をその声とともに憶い出しただろう。それは『ぼくたちが若かったとき』という題名だった。この歌を初めて聴いたとき、私は三十数年前(正確を期すための言い方をすれば、彼女が二十六歳のとき――)のリュンを憶い出した。
 その声と歌詞の内容は、そのときと、まったく瓜ふたつだったからだ。下手な訳だが、私なりの詩をつけてみたので、味わってみてほしい……。

Everybody loves the things you do(ぼくも、きみのやることが大好きだった)
From the way you talk to the way you move(喋り方から仕草ひとつに到るまで)
Everybody here is watching you(ここじゃ、みんながきみに注目してる)
'Cause you feel like home(だって、きみはほっとさせてくれるから――)
You're like a dream come true(どうやら、きみは夢を叶えたいみたいだね)
But if by chance you're here alone(だけど、独りでいるなら逢ってくれないか)
Can I have a moment? (ほんの少しでいいんだ)
Before I go? (ぼくが、この地とサヨナラをする前に……)

 この日は、ちょうど日曜日だった。日曜日は休みだったから、塾に出向く必要はなかった。彼女がこの日、いるかどうかも確証はなかった。
 しかし、行かねばならないと思った――。行かなければ、私がどうにかなってしまいそうだった。一旦、そう思い出すと、心が落ち着かなくなった。私は、取るものもとりあえず、最寄りの私鉄駅に向かった。彼女のいるO市の沿線駅には四十分ほどで到着し、そこから歩いて五~六分の距離に彼女のアパートがあった。
 だが、先生のところに行く気はなかった――。
 ひとつには、電話番号はともかく、そもそも住所そのものを知らないし、遺族の誰とも面識がないということがあった。それ以上に、まだ一週間ほどでしか経っていないというのに、見ず知らずの私がしゃしゃり出て行って、あれこれを訊ね、ただでさえ痛々しい身内の気持ちを逆なでしてしまうことを懼れたのだった。
 行けば、きっとその沈黙に耐えられず、なにやかやと質問し、嫌がられるにきまっている。それなら、いっそ諦めるにしくはない。縁戚でもなく身内でもない私が、他所さまの境涯を悲しませることはないのだ……。

 二十八 尊敬措く能わざる存在

 寄せては返す波のように私たちは、互いに行き来を繰り返した……。
 気まぐれな形だった。相手がしばらく姿を見せなくなれば、逢いたくなって会いに行き、こっちから行かなくなれば、相手からやってきて、互いの心と身体を満たしては退く。押しては返し、返しては押す……。そういうリズムの繰り返しだった。
 お互いに束縛するものはなかった。お互いを束縛してもいなかった。互いが互いの自由を尊重し、自立の仕方を認め合っていた。そこに心の距離はなかった。歳こそ違え、長幼の差はなく、すべてにおいて対等な態度で接するようにしていた。
 とはいえ、我汝関係においてはそうであっても、たとえば、ナオと私、リュンと私とでは、その応対の位相は違っていた――。
 ナオは、やはり私にとって年下の女性であり、リュンは彼女より年上の女性であった。自ずからふたりの間に、その違いは生じる。つまり、我汝空間外の第三の空間においてそれを見るとき、ふたりは対等の関係ではなくなるということだ。
 その意味で、チッチはリュンにとって、いわば妹のような存在であったし、リュンはナオにとって姉のような存在であった。事実、三人が三人とも、私を通して話したり、同時にその場にいたりするときは、そのように相手を遇していた。
 しかし、それは長幼の序ではなく、相手のもつイメージというか、存在感に合わせての自己規定の結果であり、相手にもそのように自分の姿を受け取ってもらいたいという意思の表れでもあったのだ。
 だから、仮に(実際には、そうではなかったが――)ナオが年上であっても、ナオにしてみれば、リュンはやはり姉的な存在であったろうし、チッチもまたリュンを姉的存在として遇したことだろう。逆もまた同じだ――。
 リュンは、だから私にとっても、彼女たちふたりにとっても、私の汝にほかならなかったし、いわば「尊敬措く能わざる存在」でもあったのだった。
 世間的な感覚からすれば、理解不能な関係――といえたかもしれないが、私たちはそれでうまく行っていたし、そういう言葉が存在するとすれば、内縁ならぬ外縁の夫とその妻という視座において、彼女たちは私たちを迎え入れてくれていた。
 これについては、前にも触れたが、他の学友仲間たちも同じだった。チッチの学友たちも私たちにそのように接してくれていた……。
 私はO市の終着駅を出ると、すぐ眼の前に広がる、深くて大きな河を横切る橋に足を進めた。この橋は、K川に架かるそれとは比べものにならないほど広大だった。
 その分、その下を流れる川――というより、海が間近にあることを予想させずにはおかない水面が見せる水流は、思わず見入ってしまうほどの圧倒感をもって、眼前に迫ってくるのだった。
 この橋を越えた先に、彼女のアパートはある――。
 それは、風呂もなければ洗面所もない、私のそれよりは、やや広い六畳ひと間だけの、いわゆる間借りの賃貸住宅だった。おそらくは学生向けのものだったろう。
 私もそうだったが、彼女もまたその部屋に鍵を掛ける習慣がなかった。――というより、身体がそういう習い性になっていた。互いにそうしておくのは、自分が留守をしていたとき、相手を追い返さずに済むからだった。
 寒い日もあれば、暑い日もあった。風の吹く日も、雨の降る日もあった。
 私の部屋の場合は、すでに別の学友が複数できていることもあったし、チッチがきているときもあった。まさに私の三崎邸は誰に対してもオープンな部屋だった。おそらく、リュンの部屋もそうだったのだろう。
 私が辿り着いたとき、その部屋には誰もいなかった――。
 もちろん、リュン以外の人間の姿もなかった。私は、なかに入り、小さな本棚の前に腰を下ろした。その本棚の中央には、書籍ではなく、小物類を飾るようにわざと開けたスペースがあり、そこに銀製の指輪がことんと置いてあった。
 その指輪は、私が三年前にサンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフ近くの路上で、ヒッピーのような恰好をしたお兄さんが、銀のスプーンの柄の部分をリング状に加工しているのをヒントに作ったものだった。
 お兄さんはナイロンハンマー(木槌だった可能性も――)を使い、丸い鉄の棒にスプーンを器用に巻き付けるようにして指輪の形に仕上げるのだった。
 それなら私にもできるだろう――と、たまたま立ち寄った書店で見つけたそれを大量に買い集め、帰国後、自分なりに苦労してさまざまの大きさに加工した。そのうちのひとつを、独りで寂しい思いをさせた彼女にプレゼントしたのだった。
 その横には、私がサマースクールでサンフランシスコにいた一ヶ月ほどの出来事を書いた、小さな黒い手帳が置いてあった。いまも大切にしてくれているのだ――。
 そしてさらにその横に、それよりは、やや大きめの赤い表紙の日記帳があり、やや開き気味に置いてあった。まるで、読んでみて――と言わんばかりに……。おそらく毎日、つけているから、どうしても開き気味のページ具合になるのだろう。
 私はそれを手に取って、最終ページに近いところを読んでみた……。
 そこには、昨夜、リュウの夢を見た――とあった。日付を見る。ほんの三日前のことだ。続きを読む――。リュウの名を呼ぼうとするが、声が出ない。身体が金縛りにあって動けない。どんなに大声で叫んでも、リュウの耳には届かない。
 リュウは、どんどん前方を歩いていく。わたしが呼んでいるのに気づかない。大声でその名を呼ぶ。でも、聴こえない。彼の耳には届かない。彼はどこへいくのだろう。彼に逢いたい。いますぐ逢いたい。でも、いまは駄目。もう三日待とう。そして彼が来なければ、わたしから行くことにしよう……。
 その文を途中まで読んで、私はその赤い表紙の日記帳を閉じた。全身の皮膚の表面が泡立ち、騒めくのを感じた。こんなにも自分を想ってくれるリュンがいる――。そう思うと、愛おしさのあまり、胸が張り裂けそうになった。
あたかも、その想いが届いたかのように、私はここにやってきた。偶然だったのか。それとも、ユングのいうシンクロニシティか――。
 いや、そんなことはどうでもいい。彼女にも、これほどの女らしさがあったということだ。私は、ひょっとして、彼女に母性だけを求めていたのかもしれない。彼女に女性性を求めたことがあったろうか。むしろ、年上の、そう。史絵先生のような面影を彼女に思い描いていたのではなかったか……。
 なにが、尊敬措く能わざる存在か――。
 彼女は、無理をしていたのだ。甘えたい気持ちを抑え、無理をしていたのだ。年端はいっているとはいえ、彼女も女性だったのだ。さもなければ、シャンソンなんぞは歌うまい。あれほど女性の可憐しさを唄った歌はない――。
 シャンソンとは、女の恋心を唄う歌なのだ。私の好きな「愛の讃歌」もそう。アデルの歌う「ウェン・ウィワ・ヤング」もそう。アリアナ・グランデの歌う「ブレイク・フリー」もそう。女性の唄う歌は、古今東西、そのほとんどが恋の歌なのだ。
 私は、待った――。彼女がくるのを。そして彼女が帰ってきたら、すぐ抱きしめてやろう。「あ」も「う」も言わせず、ぎゅっと抱きしめてやろう。そうしてやることが、唯一、彼女にとって幸せなことのはずだ……。
 ちょうど彼女が、冬の寒い日、自動販売機で買った缶コーヒーを抱きながら、私を待っていたように――。私も、待つのだ。

 二十九 どこにでもいる情けない男

 私の脱いでいた靴(さすがに、このときは下駄ではなかった――)を見て気づいたのだろう。玄関のドアが開けられてから、ほんの半秒も経ない沈黙のあと、リュンの弾んだ声が聴こえた。リュウ、あなたでしょ。そうなんでしょ。
「来てくれたのね――」
 彼女は部屋に入るなり、畳の上に押し倒さんばかりに私を抱きしめて言った。「ほんとは、今夜にでも、あなたのところに行こうと思っていたのよ」
「そんなに会いたかったんだ――」
「そうよ。ほんとに逢いたかったんだから……」
「ぼくも、そうさ。リュンに逢わなくちゃいけないと思ってやってきた――」
「ほんとにそうなら、嬉しいわ」
「本当さ。偶然かもしれないけど、本当に今日じやなきゃいけないと思った」
「ひょっとすると、お互いがお互いのところにいて、ずっと待ちぼうけを食らっていたかもしれないわね」
「そうだね――」
 私は彼女との「新婚旅行」のときを思い出して言った。「初めての七夕のとき、お互い反対方向を見て立ってたときみたいに――」
「そうね。あのときは、可笑しかったわ」
「でも、すれ違わなかった……」
「ええ――。わたしたちは、離れられないの」
「そういう『運命』なのかも……」
「こういうのを『腐れ縁』っていうのかしら」
「さあ……」
「でも、ほんとにきてくれてよかったわ」
 彼女は、いつもにない笑顔を見せて続けた。「わたしね。あなたには黙っていたんだけど、OBX会館の小ホールでリサイタルをやることに決まったの」
「おーっ。それは凄い。やったね、リュン。おめでとう」
「おめでとうは、まだ早いわ。でも、初めてだから緊張してるの。だから、あなたに逢いたくて、その顔が見たくて、夢にまで見たのよ」
「ああ。悪いと思ったけど、つい、そこの日記帳を読ませてもらった……」
「それはいいけど――。あなたったら、酷いのよ。私がどれだけ呼んでも、振り向いてくれないの」
「そうだったみたいだね……。申し訳ない」
「でも、夢のなかだったから、許してあげる」
「ありがとう――」
 私たちは、急に無言になり、自然と唇を重ねた。私は彼女の身体を抱きしめ、力を籠めた。彼女がそれに応え、私をひしと抱きしめる。逢いたさが痛いほどに伝わる膂力の入った抱擁だった。その厚みのままに乳房の力みが私の胸に伝わる。
 これでは、私のほうが慰められているではないか――。
 彼女はリサイタルという大舞台に立ちつつあり、そのいっぽうの私は、院での指導者を失い、途方に暮れている。実に情けない。そんな男が元気をもらえこそすれ、それを与えることなどできるのだろうか――。
 私がまだ幼かった頃、あの史絵先生に抱きしめられ、元気百倍の勇気をもらったのは事実だが、いまのこんな私からはなにが与えられるというのだろう。
「どうしたの……」
 急に動きを止め、彼女を見つめる私に怪訝顔のリュンが訊ねた。
「いや。なんでもない。きみの顔をよく見たくなっただけさ」
 私は言って、その後の言葉を続けさせないために、唇で彼女の口を塞いだ。
「ちょっと待って――」
 彼女は言って、押し入れからマットを取り出し、それを畳の上に敷いた。
 それから私たちは互いの衣服に手をやり、その上着のボタンを外し、さらにその下の衣服へと手を伸ばし、少しずつ上半身の衣服を剥いで行った。そしてすっかり重みのある一対の乳房が露わになった。私はその上に突き出た小さな蕾にキスをした。
 生まれたてのチェリーのように円みを帯び、遠慮がちに俯いていた一対のそれに血液が集められ、膨らみの硬さと長さを増していくのがわかった。
 彼女が途切れがちな息遣いから、徐々にその声の質をアデルのそれに変えていき、私の感性を揺さぶり、気持ちを高ぶらせていく……。彼女ほうでも、それは同じだった。彼女の手が私のズボンのベルトに伸びると、私が相手のそれを脱ぎ去る。
 そうして私たちは、生まれたときと同じ姿になった――。
 両膝を軽く曲げ、禅定修行僧がするような形を取って座る私に、彼女がその上へ跨るようにして腰を下ろすと、世にいうマイトーナ・ヨガの形となるのだった。
 私たちが抱き合うときは、いつもこうだった――。
 だが、私たちはそれに纏わる宗教を信じているわけではなかった。互いの情報を通じて多少の知識があっただけだった。カジュラーホ、アジャンタ、エローラ。知るかぎりのインドの神々が、私の脳裡に悩ましい姿を現しては消えていく……。
 彼女は、私を受け容れたまま動かない。私も彼女に入ったまま動かない。互いが互いをきつく抱き、その一角にだけ神経を集中し、その生きている証を求め、その存在の確かさを認め合う……。
「リュウがいるわ」
「ああ。いるさ。ぼくには、きみの世界が見えている」 
「わたしの見ている世界が、リュウには見えている」
「そう。見えている。こうしていると、きみが本当の歌手になるのがわかる」 
「本当――」
「本当さ。きみは立派な歌手になる。そしてぼくから離れていく……」
「え。いま、なんて言ったの――」
 リュンは私を抱きしめていた腕をほどき、真剣な眼つきで私を見て訊ねた。
「いつか、きみはぼくから離れていくと……」
「どうしてそんなこと言うの――。わたしは、そんなことしない。わたしはいつだってリュウと一緒よ。離れはしない。だって、わたしたち夫婦なんだもの……」
「ああ、それはわかっている――。確かにきみも知っている周りのみんなも、それを認めてくれているよ。でも、それは、ぼくたちが互いの夢を成就するってことが前提になっての話なんだ。前にも言ったように、我汝関係は双方の態度において対等じゃなきゃいけない……」
「いいえ。わたしとあなたは対等だわ。あなたは私を愛してくれているし、わたしはあなたをこよなく愛している。それのどこにも、アンバランスなところはない」
「いや、それが対等じゃないんだ――」
 彼女は一瞬、息をのみ、続きを促すように口をつぐんだ。
「実は、大学の先生が亡くなったんだ。そのひとは院で、ぼくの指導教官になるはずの先生だった。それが先週の土曜日に亡くなったことを初めて知ったんだ」
 その言葉を聞き、強く抱きしめてくれた彼女の姿勢に、私は打ちひしがれた気分になり、半ば泣き出しそうな震え声で続けた。「その先生が好きだった。その先生だったから、院にも行こうと思った。その先生がいない大学院なんて、意味はない。その先生に習いたかったんだ。だから、ぼくはもう駄目だ。きみに相応しくない。ごめん。申し訳ないが、きみの汝だって顔は、ぼくにはもうできないんだ」
 彼女、いや、このリュンにはなにごとも、隠し立てなく話すことができた。リュンの前では世界一素直な男になれた。いい格好をすることも、背伸びすることもない。ごく普通の、どこにでもいる飾り気のない男になることができた――。
 金もなければ、地位もない。知恵もなければ、アイデアもない。当然、プライドもなかった。男なら誰でも知っているであろうレストランでのテーブルマナーや、世間の常識である挨拶の仕方すらもわからない……。そしてもし、なにかあるとすれば、ひとよりやや多めであろう異性に対する依存心か依頼心くらいのものだった……。
 そんな男にいったい、誰が情けをかけてくれるというのだろう。どんな女性が優しい言葉をかけてくれるというのだろう――。
 私は、リュンの優しさを思い、涙が出そうになった。そして実際に涙が涙腺を通って溢れだし、咽ぶように泣いてしまっていた……。赤ん坊の頃は別として、女性の前で咽び泣いたのは、これが初めてだった――。
 情けなさに、涙がつぎからつぎへと流れた。頬に伝わった涙が流れの跡をたどって顎に溜まり、その先から滴り落ちた。その雫が、素肌のまま私を抱きしめている彼女のふたつの乳房の間へ落ちて行った。リュンがさらに私を抱きしめる……。
 陸に稼げもしない、しがない弱小補習塾の英語講師――。髪結いの亭主――。
 そう。あの占い小父さんは、能天気な中学生の私にこれが言いたかったのだ。
 私にいったい、どんな才能があろう。どんな商才が備わっているだろう。女に食わしてもらえば、食いっ逸れはしない。その意味で、私は髪結いの亭主そのものだ。
 おそらく生き地獄に近い、後半生を味わうだろう……。私の脳裡に、あのときの小父さんの言葉が蘇った。その奥に憐れみを含んだ小父さんの眼が浮かんだ。
「心配しないで――」
 リュンが私をしかと抱きしめ、唇で私の耳朶に触れ、囁くように言った。「わたしはどこにも行かないから。いつもあなたの傍にいるから――」
 そして私をその温かみのある掌で包み、時間をかけて芯を拵えて行く……。
 私はその優しさに徐々に芯の強さを増して行った。そして完全に硬くなったとき、彼女は私を受け入れ、そのままの体勢で身をかがめ、仰向いた私の胸に両手をついた。ナオのときと同じシチュエーションだったが、その立場と動きは違っていた。
 リュンに、あのときのナオのような激しさはなかった。優しさのこもった緩慢な動き。そして下にいる私に負担を掛けない、緩やかな摺動が繰り返された……。
「あなたが、どんな境遇のひとであってもいい。どこにいてくれてもいい。わたしは愛してる。逢いたいとき、寂しくなったとき、悲しい目に遭ったとき、いつ来てもいいの。わたしは誰とも結婚しない。あのとき、約束したから――。この空間は、これからも変わらない。だって、わたしたちは結婚しているし、あなたはわたしの夫で、わたしはあなたの妻なんだから……」




第三章 決別編に続く。https://note.com/noels_note/n/ncc2bca6c7f75

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