薔薇の名残 第四章 籠絡編

第四章 籠絡

 一 一昔前の小説世界のような空間

 会社に行っても、以前ほど楽しいとは感じなくなっていた。
 勤労意欲そのものはあったが、昔ほど積極的ではなくなっていた。毎日が、さほど面白くなく、無意味なものに思えた。胸のなかにぽっかりと深い穴が開いていた。汝の存在が私にとって如何に大切なものだったか。それを思い知らされた気がした。
 深い穴は、読書や小説書きなどで埋め戻すことはできなかった。なにかで埋めようとすれば、その分だけどこかに空洞ができた。まるで土竜叩きのようだった。詩でも埋めようとしたが、書こうというパッションすらが湧いてこなかった。
 なにもかもが億劫で、定番的に辛うじてことをこなしているという状態だった。
「ここんとこ、様子が変だが、どうかしたのかね」
 鳩山専務だった。最近の私の様子を見かねて訊ねてくれたのだ。
 私は、専務が気を利かせて退社後に席を設けてくれた例のイタリアンレストランですべての事情を話した。もちろん、田丸君とのことは口には出さなかった。
 その話をすれば、私は「部下に女房を寝取られたお間抜け男」になるのは必至だったからだ。
 なにをどう言い繕おうと、一般的には、そう解釈するのが順当だろう。
 私たちの理屈を鳩山専務に理解しろ――というのは無理だと判っていた。
 だから、性格の不一致ということで、彼女のほうから出て行ったということにした。専務の感想は、まぁ、そのうちまたいい女性と出逢えるさ――と月並みでこそあったが、悪意や皮肉の匂いは感じられず、好意から出たものに思えた。
 この頃になると、隣に住んでいた姉夫婦は離婚し、姉のほうは子どもを連れて郷里に戻り、その片割れである男性だけが住んでいた。もともとこの男性は、私には縁も所縁もない人物で、姉なきあとは赤の他人という間柄だった。しかし、隣同士という関係もあってか、相手のほうからはよく訪ねてくるようになっていた。
 話の内容と言えば、彼のこれまでしてきた仕事(露天商、アンティークの店、喫茶店のマスター、魚の行商)の失敗談とセックスの仕方、そしてチリ紙交換、焼き芋屋、みたらし団子屋、廃品回収など、その都度変化する彼の職業の話題だった。
 私のほうからはなにも話すことはなく、大抵は私が、彼の一方的な話に耳を傾けるだけの、あってもなくてもよい与太話だった。暇つぶしの相手にもならず、愉快にも感じなかった。まだ本を読んでいるほうがましな関係だった。
 しかし、そうした関係も一年かそこいらのあいだ続いただけで、たまたま廃品の処理を依頼されたか、なんだかの関係で知り合ったらしいスナックのママさんとできてしまい、その女性の住むマンションに引っ越してしまった。
 そんな風にして、いつの間にか、私の住まいに寄り付く者は、ほんの一握りの一部の人間を除いて、ほとんどいなくなってしまったのだった。
 私は、ひととの新たな関係を結ぶことが億劫になっていた。いや、臆病といったほうがいいかもしれない。
 結果的に失うものなのであれば、初めから知り合う必要はない。知り合わなければ失うこともない――。そう思ったのだった。私は、それ以来、ひとと親しく会話を交わすことや新しい出逢いが起こりそうな機会を極力、避けるようにした。
 来るものは拒まず、去る者は追わず。まさにそんな心境だった。あえてひとと近しくなる必要はない。それが最終的に自分を苦しめ、相手を悩ませる結果になるのであればあえて孤独でいよう――と。
 彼女が出て行って以来、あまりにも自由過ぎて、定例だった日曜日の夕食も自炊したりしなかったりするようになった。その代わり、近くの喫茶店に行って夕食代わりのカレーライス(それがまた最高に美味しいのだ――)を食べ、そのあとコーヒーを頼んでゆっくりと文庫本を読むのが一種の日課になった。
 その喫茶店は、私のアパートの近くにある森を抜けた先の住宅街の一角にあり、近辺で唯一、日曜日に営業している小さな店だった。しかも、夜七時まで開店しているので、ずぼら夕食派の私にはとても重宝したのだ。
 そんなわけで、夕方ふらりと日曜日の散歩に出たときは必ず、その店に寄ってカレーライスを食べて帰る――というのが、私の定番となっていた。
 店の名は「栞」といい、三十歳前後と思われる比較的若いママが一人で切り盛りしていた。文学少女がそのままレディになりましたと言いたげな顔立ちのママは、ひと昔前の小説に出てくるような言葉遣いをする不思議なタイプの女性だった。
 もちろん、私のような世間知らずにとって――という意味だが、風変わりな言葉遣いをするママの声は、私の好きな歌手のどれにも当てはまってはいなかった。それにも拘らず、その声の質は魅惑的で、私を刺激しているのは認めざるを得なかった。
 ただ、種々の別れがあって以来、ひととの接触を極力避けようとしていたのも事実だったし、ひととの交わりをあまりしなくなっていたというのもまた事実だった。それゆえ、このときも心に思いは抱いていても、顔色には出さないようにしていた。
 もちろん、そのママさんに淡い恋心を抱いたとか、お近づきになりたいという思いが芽生えたとか、そういうのではない――。
 ただ、日曜日の午後のひととき、ふらっと立ち寄っても、いつもと変わらず愛想よく迎えてくれるママと、その店の静かな雰囲気のなかで流されるクラシック音楽が私の心を癒すとともに満たしてくれるのが心地よかったのだ。
 とくに気に入っていたのは、こじんまりしたコーナーに二人席があって、そこでの読書を何時間でもさせてくれたことだった。
 店としては、さぞかし迷惑だったろう。――にもかかわらず、その間、嫌な顔ひとつ見せず、ずっといさせてくれるのが嬉しかった。冷たい視線など、千分の一秒たりとも感じることはなかったし、ただ温かさのみが、そこにはあった。
 もっとも、何時間でも――というのは言葉の綾で、実際には食事の時間も含めて一時間半以上もいたことはなかったのだが、それでも、放っておいてくれるのが、私にはなによりも有難かったのだ。
 だから、注文以外、私から彼女に何かを話しかけるということはなかった。そしてママもまた話しかけられないかぎり、私と言葉を交わすことはなかった。
 私は彼女と話がしたくて出向いたというより、代り映えのしないアパートの一室で侘しく過ごすより、誰かがいることを実感できる空間に身を置きながら、ひとりでいることの自由さを愉しんでいたといえるだろう。
 携えて行った文庫本を読むのに飽きたり、眼の疲れを覚えたときなど、流れている音楽に耳を傾けながら、ママが他のお客さんと話し合う声に耳を預けたりした。
 その声は、前にも言ったが、私の知っているどの歌手にも似ていなかった。
 にもかかわらず、その声は私の心のどこかをくすぐり、ゆったりとした気分にさせてくれるのだった。しかし、なぜくすぐられるのだろう。なぜ、くすぐられる思いがするのだろう。好きな歌手の誰の声とも似ていないというのに……。
 私ほどの声フェチが誰にも似ていない女性の声を好きになるなんてことは、これまでの人生では一度も考えられなかった。
 ということは、この声は世界で唯一、私を魅了する声なのだ。私は、日が経つにつれ、あの喫茶店の癒される静けさや静謐な雰囲気などではなく、他の客と他愛のない会話を交わすママの声を聞くことに意識を向けて行くのを感じた。
 急ぐことなくゆっくりと吐き出され、喉元を過ぎていくその声は、紛れもなく一種の音楽だった。彼女の吐き出す声には甘みがあり、旨味成分が含まれていた。
 その言葉にはメロディがあり、抑揚があった。K市ではあまり耳にすることのない柔らかなイントネーションだった。昔から、女性の声に対しては、特に敏感な私には北海道の叔母さんの声を初めとして、妙にこだわる癖があった。
 たとえば、お客さま、本日はいかがいたしましょう。いつものオーレになさいますか、それとも、〇〇になさいますか――という、このリズミカルな声の調子を口ずさむだけでも、彼女がどのような声の持ち主かがわかろうというものではないか。
 美声というのでもなければ、蠱惑的というのでもない。そのどことなく古風な言い回しとイントネーションに、ひとは一昔前の小説を読むような気分に陥るはずだ。
 日本文学は片手の指の数ほども嗜んだことのない私だが、これだけは断言できる。
 彼女は、一昔前の小説の世界に住んでいる女主人公なのだ。もとより店のオーナーであるということもあったろうが、彼女はいつも客たちの話題の中心にいた。
 いわば「栞のママ」は、近所の主婦やおじさん客たちのアイドルだった。
 話題は豊富だったし、話し上手だった。もちろん、聞き上手でもあったし、客あしらいも巧かった。そんな彼女に人気の集まらないわけがない。
 住宅街の周辺には、純喫茶といわれる類いの喫茶店は何軒かあったが、ことごとく潰れるか、まったく流行らない店になっていった。しかも言葉遣いは上品だし、器量もよいとあっては、人気が出ないほうが可笑しいといえたろう。
 彼女の店は流行っていた。ただし、日曜日はさほどではなかった。サラリーマン家庭の主婦たちは、ご主人の相手をしなければならなかったからだろう、日曜日は比較的空いていた。もちろん、私には好都合だし、静かなのが一番だった。

 二 いつ果てるともしれない闇

 その日は月曜日で、祭日だった。私にしては珍しく朝早く目が覚めた。
 というより、なぜか色々な思いが胸中を経巡り、よく眠れなかったのだ。普段の休日なら、昼近くまで寝ているというのに……。
 その日は、憂鬱な休日になりそうな気がした。コーヒーとバタートーストで手っ取り早く朝食を済ませ、散歩に出かけることにした。眠気覚ましをかねて、例の神社の森まで歩き、付近をぶらぶらしようと思った。部屋にいると昨夜の続きになる。
 私の胸に開いた穴は、まだきっちりと埋まってはいなかった。それを少しでも埋めるためにも気分転換は必要だった。頭のなかは、いつもどこかがもやもやしていた。
 季節は秋口に差し掛かっていたが、胸に小さく開いた穴にも秋の風が吹き込んできそうになっていた。部屋のなかにじっとしているより、出歩いているほうがまだましだった。アパートに独り籠っていると、窓から見える空の青さばかりが眼に沁み、その穴がさらに深みを増すように思えた。
 なにも考えず、歩くことで、ただ無目的に身体を動かし、周囲を眺めることで、その鬱屈した気分のいくらかは「軽減される」ように感じた。結果として根本そのものは、なにひとつ変わらないのだとしても……。
 森の緑は、冬の到来に備えて準備をし始めているのか、少しずつその色合いに変化を与え始めているようだった。あの神社にはもういなくなっていたが、ここには別の猫が住んでいるかもしれない――と、私はふと思った。
 でも、もう秋だ。暖かな陽だまりそのものが、いまはなくなっている。日向ぼっこをしようにも、そんなことをする季節ですらなくなっているのだ。私は思った――仮にいたとしても、もっとほかの動物だろう。そんな予感がした。
 見上げなければならないほど、空高くそびえる銀杏並木は、すでに色づき始めていて、やがて黄金色に空を染める兆しを宿していた。これが十一月半ばが過ぎるころになると、この地上一帯は黄金色の絨毯と化していることだろう。
 私は、その上を歩く自分を想像した。しかし、その姿を想像できなかった。
 果たして自分はそのとき、私自身であることはできているのだろうか。本当に、その土の上に立っていることができるのだろうか――そんな疑問が浮かんだ。ひょっとして私は、そのとき、生きていないのではないだろうか……。自信がなかった。ある意味、そのときまで生きていても、いなくてもいいような気がした。
 もう死んでもいいんですけどね――。
 ある老人が、柔らかな笑みを浮かべながら言っていた。通りすがりに見た老人がもう一人の老人に向かっていった言葉だった。一種の述懐だったのだろうか……。
 その言葉が、妙に私の耳に刺さり、心を打った。
 もう死んでもいいんですけどね――。その言葉は、なにを意味するのだろう。どのように解釈すればいいのだろう。心残りはあるが、どうせ達成できないから、いつ死んでもいい――という、そんな諦念から出た言葉なのか。
 それとも、することはすべてし尽くしたし、もうやることはなくなってしまったから、死ぬのを待っているだけの人生なので――という意味なのか。あるいは、死ぬ覚悟はできているものの、自らそれを実行する勇気を持ち合わせないので、誰か殺してくれるのであれば死んでもいい――ということなのか……。
 いずれにしても、生きている――ということは、そういうことだ。
 まともに死にたい――と思うひとはいない。死にたいと言っているかぎり、死にたくないのだ。だからこそ、それを口に出して言うことになる。
 本当に死にたい者は、言う前にすでに死ぬことをしている。
 助けてほしいから、死にたいと周囲に漏らすのだ。止めてほしいから、手首を切ったり、腹を刺したり、ためらい傷だけを残したりするのだ。彼らは、死んでしまいたくない。だからこそ「即時に死んでしまう死」を選べない。それを選べば確実に死ぬことを知っている。だから、即死を選ばない。つまりは「選ばない」のだ。
 その選択肢は、生への希求であり、未来への願望なのだ。生きたいという裏返しの意志の証なのだ。私の場合は、どうなのだろう。自分は本当に死んでしまいたいのだろうか。このまま、なにも残せずに死んで行くほうがいいのだろうか……。
 もちろん、私の生命がなくなったところで、世の中は変わらないし、誰も気にしたりはしない。なかには、少しでも人口が減ってくれたというので、せいせいした気分を味わうひとがいるかもしれないが、そんなのはほんの少数だろう。
 いずれにしても、「いつ死んでもいいんですけどね」と「もう死んでもいいんですけどね」との間には、糞ほどの乖離がある。月とすっぽんほどの隔たりがある。「もう」の向こうには、一体なにがあるのか。なにが待っているというのか――。
 あの老人は、その言葉を発することによって、なにを伝えたかったのか。人生の終焉を迎えるにあたって、相手の心になにを残したかったのか――。ひきかえ、この私に残せるものがあるのだろうか。あるとすれば、なにが残せるのか……。
 私は銀杏並木の続く道沿いにあったベンチに腰を下ろしながら、昨夜のようにとりとめもない思いに耽った。携えてきた文庫本を開くこともなく、ジャンバーのポケットに両手を突っ込み、前方に眼をやったまま、ただ沈思黙考していた。
 穴を塞ぐには、なにかがなければいけない――。
 このままでは、本当に死んでしまう。その穴が徐々に広がり、私を食い尽くしてしまう。そうなると、もうアウトだ。私は私でなくなる。呆けた私……。抜け殻になったセミ男……。腑抜けになったおマヌケ男……。なにもできない社会人……。
 しかし、なにも思いつけなかった。ただ陰鬱な感情だけが心を支配し、私を苦しめた。重い沈黙、暗い洞穴、繰り返される同じ思いの反復、行く当てのない手持無沙汰と閉塞感、一方通行の真っ暗なトンネル、いつ果てるともしれない闇……。あまりにも周囲が暗すぎて、どれだけ前に進んでいるのかはわからなかった。
 景色のまったく見えない世界を歩いていると、足はどうやら動かせてはいるものの、どの方向に向かって進んでいるかは皆目、見当がつかなかった。逆に言えば、進んでいるかどうかさえ分からなかった。というのも、前に進んでいるつもりでも、もときた道を逆に辿っているのかも知れなかったからだ。
 中学生の頃、きみと一緒に借りた貸本屋の本に出てきた水木しげるの漫画に暗闇を歩く男の声と足跡だけが、どこまでも歩を進めるシーンがあった。それとまったく同じシチュエーションに置かれている気がした。
 主人公のセリフが墨ベタのコマのなかに白抜き文字で現れ、その独り言が白い足跡と一緒にどこまでも続いて行く。しかし、足跡は行きつ戻りつ、真っすぐ進んでいるかどうかさえもわからない。
 もどかしいばかりの、そのシーンをいまも憶えている。
 そういえば、その頃(貸本屋時代)の水木しげるは、私たちにとって怪奇漫画の旗手だった。戦争で片腕を失い、哲学を専攻したことを売りに、いまでいう劇画作家の走りとなったのだ。
 あの本のタイトルは「影」だったか、それとも別のタイトルだったのか――いまとなっては、正しく想い出すことはできない。
 だが、少なくとも「ガロ」などではあるまい。ガロは後発で、そこから白戸三平の「カムイ伝」が連載され、続いて虫プロの「COM」が創刊され、私のみならずその後の学生たちの愛読書となっていったのだから……。
 私の連想はいつまでも続いた――。このときのことをヒントに後年、私は「チェーンプロット」という手法を編み出し、そう命名したが、この小説もまたそのチェーンプロットの手法を用いて書かれたものだ。世にオムニバス形式というものがあるが、あれとは違い、連想から湧き出たイメージをどこまでも繋いで、ひとつの物語として完結させる手法だ。
 ひとつのイメージから喚起されたイメージの連鎖といっていい――。
 早い話が、ひとつひとつのエピソードがプロットを構成し、その一粒一粒が有機的に繋がって、一本のチエーンのようになる――そんな形式なのだ。したがって、それは実に自在で、数直線のような一本の線や棒としてのかたちを要しない。この種の物語は、全体としてどのような形になることもできる。あのウロボロスの蛇のように、初めと終わりが円を描くように繋がって、物語の始点であるもとのエピソードに侵入して行くこともできる。いわば、終わりのない物語だ。
 果たして、この小説が「ネバーエンディング・ストーリィ」になるのかどうか。
 それは、終章を読み終えていただいてからのお楽しみ――というわけだが、それまではこの、ある意味、辛気臭い話に付き合ってもらわなければならない。
 あだし事はさておき、その日の私の頭のなかは相当に疲れていた。
 朝早く眼が醒めたのも、深く眠れず、結果的に起きていたからだった。それこそ心のなかに、ためらい傷をいくつもつけているような精神状態だったのだ。
 だから、今日は、なにか心を癒されるような動物に逢いたかったのだ。心温まる表情や愛らしい仕草の持ち主に――。
 だが、その日、出会ったのは動物ではなかった。
「あら、こんなところにいらっしゃるなんて――。誰かと思いましたわ」
 聞き覚えのある声だった。顔を上げると、笑顔の女性が眼の前に立っていた。
 栞のママだった。

 三 悪戯っ子のような笑み

 だが、そのとき、私はそのひとが栞のママだとはわからなかった。
 その仕草や顔の表情、口角の上がり方、私を見つめる眼の動き……。それらのひとつひとつが、店で接客しているときのママのイメージとは、ずいぶんと異なって見えたからだ。ようやく、それが栞のママだということが呑み込めて私は言った。
「ああ、栞のママさん……。ぼくのほうこそ、誰かと思いましたよ」
 第一、髪型そのものが違っているのだ。いつもより数段、若く見える。
「ああ、そうですわね。お店にいるときとはイメージが違うかもしれませんわね」
 彼女は手を頭の後ろに持っていき、その髪に触れながら言った。髪は、彼女の肩より五センチほど低いところにあった。「普段はこうして髪を下げているんです。仕事のときは別ですけれど……」
「いや、どちらもお似合いです。いつもママさんには癒されてます」
「まあ、ありがとうございます」
 彼女は軽い会釈をしたあと、笑顔を見せて言った。「そんな風に言っていただくと、お世辞だとわかっていても嬉しいですわ」
「いや、お世辞なんかじゃありません。本当にママさんには、癒されているんです」
 私は、ようやく落ち着きを取り戻し、気を取り直して言った。「で、今日はなんでまたこんな時間に――。お仕事のほうはいいんですか」
「だって、今日は栞の定休日ですもの。ある意味、損したような気分ですけれどね」
「ああ――。そういえば、今日は月曜日でしたね」
 ついうっかりにもほどがある。私は照れ隠しをしながら続けた。「確かに、一日損したような……」
「でしょう――」
「ですね」
 私は、さきほどの質問の中身を変えた。「――ということは、今日は、お出かけかなにか……」
「――というより、お休みの日は、いつも朝の散歩をすることにしているんです。好きなんですよ、歩くことが……」
「ああ、そうなんですか。それはよかった――」
 私は自分の隣の場所に手を向けて言った。「よろしければ、お掛けになりませんか」
「この神社の森も、その散歩コースに入っているんですよ」
 彼女はこくりと頷き、私の横に静かに腰を下ろしながら言った。「もちろん、雨の日も風の日もっていうことはないですけれど……」
「へぇ、それは奇遇ですね。ぼくも、ここを散歩コースに決めているんです。でも、よくこれまで会いませんでしたね」
「そうですわねぇ。それが、本当だとしたら……」
「あ、そうか――」
 私はまたぞろ自分の愚かさ加減に気が付いて、フォローの言葉を追加した。「ぼくは日曜日で、ママさんは月曜日だから、それで会わなかったんだ」
「なるほど――。それでは、永遠にお会いすることは叶いませんわね」
 そういえば、リュンとの初めての逢瀬のときもこうだったな――と私は思った。やれやれ、なんともすれ違いの多い男になったもんだ、三崎君。
 彼女は、小さく微笑んだあと、悪戯っぽい目配せをして続けた。「ところで、その『ママさん』っていうのは止めてくださらないかしら」
「え」
「だからって、『ママ』っていうのも駄目ですよ。そんな呼び方をされたんじゃ、別の誰かと勘違いされるかもしれませんから……」
「ああ、そうですね。年恰好が似ているから、夫婦だと勘違いされるかも――」
「いえ、そんなんじゃなくて、お酒を出す類いのお店と思われるのはいい気がしませんもの……。ですから、お店の外では『しおり』と呼んでくださっていいですよ。名前がないと、なんだか話しかけにくいことってありますものね」
「そうですね。じゃ、お言葉に甘えて、これからは『栞さん』ということで……」
「で、あなたは、なんてお呼びすればいいのかしら――」
「あ、初めまして――。ぼくは、三崎龍三郎といいます。三に山崎のザキ、芥川龍之介のリュウ、三に太郎のロウです。ぼくの場合、なんと呼んでもらってもいいです。ママさんの、いや、栞さんの好きなように呼んでくださっていいです」
「三崎さんって、ずいぶん変わったお方なんですね」
「え、ぼくが――ですか」
「いつも、お店で思っていたんですよ。変わったお方だなぁって――」
「そうなんですか」
 私は、ちょっと違うような気がして付け加えた。「ぼく自身は、至って普通の人間だと思ってるんですけどね」
「ほらね。変わってらっしゃる方に限って『自分は普通だ、変わってない』っておっしゃいますよ。わたしの経験上、ほぼ八十パーセントの方はそうです」
「そうなんですか」
 また同じ反応をしてしまった。
 このママにかかっては、私はたじたじだった。
 このときの彼女の問いかけに深い分析や反論が必要だったというわけではない。
 ある意味、彼女のような商売には、それくらいの機転を利かさないことには店が立ちいかないということもあったろう。
 しどろもどろなのは、私の頭のほうだった。
「だって、お会いしたのは、これが初めてじゃないのに、『初めまして――』なんておっしゃるんですもの――」
 彼女は、思春期の少女がするような憶い出し笑いをして言った。その眼はいかにも滑稽な物を眼にして喜んでいるふうに見えた。
「それも、そうですね――」
 彼女の笑顔につられて、私も照れ笑いをしながら続けた。「確かに、いつもお会いしているのですから、『初めまして』は変ですよね」
「ね、変わっているでしょう」
「変わっていますね、確かに――」
 悔しいけれど、素直に認めざるを得なかった。
 やはり、私は変わっているのだ。本人はそう思っていなくても、傍から見ると、変な人間に見えるのだ。
「でも、嫌いじゃないですよ。変わっているひとって……」
 彼女は、横に座っている私を見上げるようにして言った。その眼は微笑んでいた。本当なのだ――わたしは思った。その眼は嘘をいっている眼ではない。少なくとも、言葉どおりの好意をもっている眼だ。
「むしろ、どちらかといえば、変わっているひとのほうが好きかな――」
 彼女は、それまでの印象とはがらりと趣きを変え、悪戯っ子のような笑みを浮かべて言った。言葉遣いのトーンまで変わっている……。
 いつもの、客と応対しているときの、リラックスした彼女の声だった。私が秘かに愉しみにしていた、あの声のトーンだった。屈託のひとつも感じられない、のびのびとした栞のママの声がそこにあった。

 四 舌が生まれて初めて喫する味

 それからの私たちは、自然と普段遣いの話し方になっていた。
 それには、もちろん、誰の目も気にせずに言葉を交わせるという解放感も手伝っていたろうし、彼女の奇妙な告白を切っ掛けに、ふたりの間にちょっとした親密感のようなものが生まれたということもあったろう。
 いずれにせよ、ふたりの出逢いはこれが初めてではなかっただけに、親密なムードになるにはさほどの時間はかからなかった。三十分も言葉を交わす間に、ふたりはまるで旧知の間柄のようになった。
 そしてさらに半時間を経る間に、私たちは清い交際中の若い男女――といった雰囲気のなかで話し合うようになっていた。少なくとも彼女は、ママとしての自分と客の関係というイメージを消していた。
「ねぇ、わたしたち、ずいぶん昔からの知り合いだったみたいな気がしません」
 彼女が、私の心を見透かすかのように言った。
「そうですね。そんな気がしないでもないですね……」
 そうは言ったものの、やはり心のどこかに喫茶店のママさんと客の私というイメージが拭えず、丁寧語を使って答えてしまっていた。強いて彼女の思いに沿った解釈をするなら、久しぶりに会った大学時代の先輩と後輩といったところだろうか――。
 だが、敬語を使わなくなったぶんだけ親しさが増し、笑顔や笑い声が絶えなくなったぶんだけ、それまでより近しい存在になったということだけはいえたろう。
 このときはまだ、私たちには「我=汝」空間は形成されていなかった。
 ひととの交わりはあまり深くしないほうがいいぞ、三崎君。深入りして喪失感に打ちひしがれるのは、決まっておまえのほうなんだからな――と警告する声が心のどこかから囁くように言っていた。
 だから、期待はするな。徒労だ。時間と心の無駄遣いだ。
 これはお前が勝手に抱いている願望だ。お前がいま味わっている侘しさが勝手に生み出した幻想だ。そんな妄想の類いを当てにしてはならない。きっと裏切られる。
 裏切られて後悔するくらいなら、最初から立ち入らないほうがいい――私の心のどこかが、小さな口を開いて叫んでいるようだった。
 しかし、現実は、そうではなかった。
 彼女と言葉を交わせば交わすほど、親密さが増し、心が和み、安らいだ気分を取り戻していくのがわかった。
それは、まるでマジックだった。この世で一番上手な催眠術師の手にかかったように、私は彼女に強く魅かれて行った。
 それから一週間後には、日曜日はもちろんのこと、平日であっても、できる限り定時で仕事を終えるようにし、その足で栞に赴くようになっていた。
 それは、閉店前のほんの数十分の間だったが、私には「至福の時」となった。
 お陰で、週のうち四日くらいはカレーライスの夕飯という食生活にはなったが、それでもかまわなかった。あるときは音楽を聴き、あるときは文庫本を読み、あるときは客と彼女の間で交わされる世間話に耳を傾け、客のいないときには彼女と他愛のない笑い話に打ち興じ――と、実に楽しい時間が過ごせるようになったのだった。
 それまでは、以前にもいったように、彼女とは注文の受け答えなど必要最低限の言葉でしか交わさなかったし、私にとってはそれが普通だった。
 たった一度の出会い、それも偶然の産物でしかない気まぐれな邂逅で、私の日常は徐々に明るいものへと変わって行った。まことに現金なようだが、私は以前のような穏やかな日々を少しずつ取り戻しつつあった。
 まだお互いのプライベートに属することは一言も話したり、触れたりするようなことはなかったが、それだけでも、儲けものだった。
 考えてみれば、心がここまで回復するのに、ほぼ九ヶ月を要していた。
 リュンの声を最後に聞いてから六ヶ月、チッチの姿を最後に眼にしてから三ヶ月。ナオとの惨めな別れからの時の流れに至っては、一年以上が経過していた。それもこれも、ママとの対話のお蔭だった。彼女なくしては、ここまで来れなかったろう。
 私は、ママに感謝した。
 少なくとも、栞にいる時間だけは、彼女たちのことを憶い出さなかったし、独りでいることの侘しさを感じることはなかったからだ。
「三崎さん」
「はい――」
 例の二人掛けの椅子に腰を下ろし、文庫本を読んでいる私にママがカウンター越しに声を掛けた。辺りを見回すと、客は私ひとりだった。
「なんでしょう……」
「今晩、なにかご予定は――」
「別に、これといってありません。このあと、いつものようにここでカレーをいただいてから、銭湯に行って、それからゆっくり寝ようかと思ってますが……」
「では、なにもないんですのね」
「ええ、ありません」
「では、このあと、一緒に食事しません。わたしと――」
「え、ママと――ですか」
「はい。三崎さんは、どう――。ステーキは、お好きかしら……」
「ええ、もちろん。嫌いじゃありません」
「じゃ、それで決まりですわね。今日は、お客さまが来なさそうなので、早めに切り上げますわ。大体、給料日前の日曜日って、いつもこうなんですの」
「そういえば、そうですね」
「よくご存じ」
「そりゃ、何ヶ月も通えば、それくらいわかりますよ」
「じゃ、少し早いけど、今日はこれで、お店はお終い――」
 彼女はそう言って、電話機に手を伸ばしながら続けた。「いまタクシーを呼びますからね。そのほうが早いの。ステーキの美味しいお店があるんですよ」
「でも、そんなこと勝手にしちゃっていいんですか。ご主人はなにも――」
「主人はいません。こうは見えても独身なんです。だから、ご安心を――」
「え、そうなんですか。ご主人がいらっしゃるとばかり思っていました」
 咄嗟に出た思い付きなどではなく、本当にそう思っていたのだ。「ずいぶん落ち着いていらっしゃるから、ぼくは、てっきり――」
 以前にも触れたが、だからといって、彼女に恋心や嫉妬心を抱いていたというのではない。純粋にひとりの客、もしくは栞ファンのひとりとして、彼女の人柄とその声に思春期のような想いを寄せていただけだったのだ。だから、ご主人がいても不思議ではなかったし、むしろ、そう思っているほうが自然だった。
「生憎――でしたかしら……」
 彼女は電話の相手に用件を告げてから受話器を置くと、含み笑いのような笑みを浮かべて言った。「ですから、美人局のようなことは期待ならさないでね」
「も、もちろんですよ。そんな目に遭ったりしたら、元も子もありませんからね」
「そうですわよね」
 ふたりは笑った。妙な気分だった。疚しいこともなければ、後ろめたいわけでもなかったが、どこか内緒ごとめいたところが可笑しかった。幼い頃、親には内緒の、実に他愛もない秘密を共有し、仲間意識をもったときのような気分だった。
 確かにそんな目に遭っては大変だった。よくある話だが、私はある意味、危険な橋を渡っていたのかも知れなかった。それからすぐにタクシーはやってきて、私たちはK市の繁華街の一角にある、高級そうなステーキハウスに入った。
 ステーキはシェフが眼の前で、分厚いひれ肉をよく切れるナイフで食べやすいように切って差し出してくれた。肉は最高の肉だった。生まれて初めての味だった。
 といっても、それまでの人生でこの種のものを口にしたことのない私には、どんなものでも美味いと感じたのではあったろう。だが、このときほど、肉の味が身に沁みたことはなかった。まさに私の舌が生まれて初めて喫する味――としか形容の仕方を思いつかなかったほどだ。
「美味しいですね」
 私は感動の面持ちで言った。
「でしょ――」
 彼女が言った。その眼は、私からシェフに向けられた。シェフは、いかにも満足そうな笑みを浮かべて彼女に頷いた。彼女が私のほうを見て続けた。「このお店は、牧場も持っているんですよ」
「へぇー、そうなんですか」
 そう答えるしかなかった――。
 私には肉の批評が行えるほどの技量はなかったし、肉に対する素養すらも持ち合わせない田舎者だった。もとより、このように贅沢な食事がシェフによって提供される店に連れて行ける家の生まれではなかった。
 いまでいうセレブだけが喫することのできる味がここにあった。おそらく当時の私の給料の四分の一近くはするのではないかと思われた。金額で評価するのは貧乏人の品格のなさだが、それほどに豪華な食事のひとときだった。
「美味しかったです」
 私は、帰りのタクシーのなかで彼女に言い、礼を述べた。
「そう。よかったわ。喜んでいただけて……」
「ありがとうございます」
 その声に応えて、彼女が言った。
「時々こんな風に、ご一緒しましょうね」
 一瞬、答えに詰まり、ワンクッション置くようにして応じた。
「ええ。ママさえよければ……」
「またそれを言う――。お店の外では、それは禁句って言ったじゃありませんか」
「すみません……」
 彼女が笑い、私が笑った。

五 地域貢献を矜持とする土地柄

 出社すると、私を見つけた鳩山専務が言った。
「三崎くん。悪いけど、今日、ちょっと時間がとれないかな……」
「いいですよ。今日は、三時以降なら空いていますので、時間をおっしゃっていただけたら、その時間に合わせます」
「そうか。じゃ、三時でどうだ。休憩も兼ねて、いつものレストランでコーヒーでも飲みながら話すことにしよう」
「わかりました。じゃ、三時に――」
 午前中に二件ほどクライアントとの打ち合わせを済ませ、午後からその打ち合わせの内容を手短にまとめ、CRへ手配したあと、専務の机に向かった。私が自分の机の前に立ったのに気付いた専務が顔を上げて言った。
「おお、来たか。じゃ、行こうか――」
「はい」
 ふたりが例のレストランに入り、向かい合わせの席に着くと、専務はコーヒーを注文した。きみは――というので、私も同じものを――と言った。
「実は、例のレイクサイドホテルの件なんだが……」
 ウェイターが注文を聞いて引っ込むと、専務が一瞬の沈黙のあと、いかにも言いにくそうに口を開いた。「最近、どうも様子が変なんだ」
「変と言いますと――」
 私は訊いた。「先方に、なにかあったんでしょうか」
「いや、いまのところはない。だが、どうも怪しい――。もっとも、これは私の勘なんだが、身売りするんじゃないかと思ってね」
「身売り――ですか」
「ああ――。おそらく居ぬきになると思うんだが、しかるべき筋からの情報によると、そんな噂がちらほら出始めているようなんだ」
「居ぬき――と言うのは……」
「つまり、施設に設置されているものを、そのままのかたちで譲るということだ」
「ということは、経営権の委譲ということでしょうか」
「ま、そういうことだ」
「そういえば、手形のサイトも伸びたようですね」
「ああ。六十日になった――。きみも知っているように本来、われわれの仕事は現金で支払わなければならない業種なんだ。いわゆる経費なんだからね」
「ええ。そうですね」
「別の会社に権限が委譲されても、取引がそのまま継続されればいいが……」
 専務はそこで言葉を切ったあと、おもむろに続けた。「ひょっとすると、経営者が変わると、われわれ業者もそれに伴って変えられるかもしれない。よくあることだが、ちゃんとした引継ぎがなされない場合、自分たちが使っている業者を連れてくる場合が多い……」
「よくあるパターンですね」
「ああ――。この場合も、その可能性が大ということだ」
「そうですね」
 私は言った。「支配人に、それとなく探りを入れてみましょうか」
「いや、その必要はない。それをすると、敵の思うツボだ。下手にやると蛇を叩きだすことにもなりかねない。業者変更を目論んでいる場合、いい口実になるからね」
「確かに……」
 読みの浅かった自分の発言に反省を込め、私はおもむろに訊ねた。「で、専務は、これについて、どうしようというお考えなんですか」
「結論から言って、まずは深入りはしないでおこう――ということだ」
「というのは、注文は受けない――ということですか」
「ま、そういうことだ」
「なぜです。それじゃ、得意先を失うということに……」
「深入りして得意先を失うか、このまま留まって少しの傷で助かるか。そのどっちがいいかは言わなくてもわかるだろう」
「わかりました。これから、注文があっても無理には受けないようにします」
「きみは呑み込みがいいよ、三崎くん――」
 専務はにこりとして私を指さし、残っていたコーヒーを最後まで飲むと、カップをソーサ―に戻して続けた。「そうだな。見積額もレートを上げておくほうがいいだろうな。そうすれば、その仕事は他所に流れる。相見積もりを盾に値引きを要求された上に踏み倒された――とあっては、元も子もない」
「確かに――。専務のおっしゃるとおりです」
 私は、専務のその意見に納得し、それからはあのホテルにはあまり出向かないようにした。というのも、例の迫田支配人に代わって着任した支配人は、電話で注文をとる業者を怠慢だとして嫌い、重用しないタイプだったからだ。
 ある意味、それは当を得ていて、この業界では訪問してくる業者を熱心であると評価する支配人は多かった。
 とくにこのホテルのあるS県は、地元の業者を厚遇することで地域に貢献していると自負し、それを矜持とするひとの多い土地柄だった。
 つまり、私はそうした土地柄の常識の裏をかいて、敢えて注文が来ないように仕組んだのだった。案の定、新支配人からのオーダーはもとより、相見積もり取りのためのオファーすら来なくなった。
 そうして半年も過ぎた頃、地元紙と信用交換情報誌の二紙にレイクサイドホテルが二度目の不渡りを出したニュースがひっそりと流れた。
 一度目のそれは、まったく大したニュースにはならなかった。ある意味、そこまではよくある話だったからだ。だから、ほんの一部の業界人だけが知る情報だった。信用交換情報誌の穿った解説によると、やはり例の支配人が手形を乱発して持ち逃げした多額の現金が、今回の事件の主たる原因となった模様だった。
 幸い専務の機転と私の工作が奏功し、レイクサイドホテルの手形はすべて期日内に決済され、事なきを得ていたし、新たな掛け売りは一切生じていなかったのだ。
「よくやったな、三崎くん」
 専務が机の前を通りかかった私を呼び止め、立ち上がって言った。片手には信用交換情報誌の紙片が握られ、目の前でひらひらと振られていた。「レイクサイドホテル、二度目の不渡りを出したぞ」
「え、そうなんですか」
 私は言った。「二度目ということは――。つまり、倒産なんですか」
「そうだ。きみが受注をストップしていてくれたお陰で、うちは煽りを食らわずに済んだんだ。ありがとう」
「いえ。なにをおっしゃいます。専務の機転で難を逃れたんです」
「なにはともあれ、甚大な損害を被らなかったことだけは事実だ」
 専務が眼の前に立つ私の肩を叩いて言った。「あのままで行くと、たぶん他の会社のように大きな負債を抱えていただろう。しかし、よかったな、三崎くん。例の五十万の元はとっくに採れたし、きみは借金を完済できたし、なにも言うことはない。万事――メデタシ、メデタシだ」
「ありがとうございます」
 私は喜んでくれる専務の気持ちが嬉しくて、深く頭を下げた。
 確かに私は借りを返せたし、それなりに会社の業績にも貢献できたのだから、言うことなしだった。しかし、そのことによって、会社と私は、そこそこの売り上げを稼ぎだしていたクライアントのひとつを完全に失ったことになるのだった。
「でも、専務」
「なんだ」
「これでひとつ、大口クライアントを失ったことになります」
「ああ――。そんなことは気にしなくていい。きみが今後、頑張ってくれれば済むことじゃないか」
「そ、それは、まあ、そうですが……」
「ま、せいぜい、頑張ることだな」
 専務はまた私の肩を叩いて言った。「きみは、わが社のホープ。期待しているぞ」
「はぁ」
 専務にしては、頼りない受け答えだったかもしれない。
 しかし、私としてはそんなふうにしか答えざるを得なかった。あのホテルはすでに、この会社にとってかなりの部分を含む有力顧客となっており、それを挽回するには相当の努力が必要だということが予測されたからだった。

 六 五黄の寅年生まれの佐賀女

 話は少し遡るが、専務の忠告に従って、例のホテルに出向かないようになってからふた月ほどの間に、私は二度ほど栞のママに誘われ、食事をともにした。
 一度目のそれは――といっても、一度は一緒に食事をしていたから、実質は二度目のそれということになるのだろうが、例のステーキが「死ぬほど旨かった」と私がしつこく絶賛するので、じゃ、またそれにしよう――ということになった。
 そこで初めて、例の感動肉がシャトーブリアンとかいうもので、ほんの少ししか取れない希少部位であることを教えてもらったという、超お粗末な次第だった。無知とはいえ、こうした場所へ連れて行ってくれる先輩もおらず、仲間とてそのほとんどが学生上がりの貧乏人ばかりだったので、知る由もなかったのだが、その後に知り合った食通の男性によると、有名人ばかりがお忍びで行く、いわばセレブリティー専門の店であるというのだった。
 三度目のそれは、少し遠出しようということになって、私のシビックで行くことになった。車中での彼女の問わず語りによると、そこはS県では知らぬ者とていない超有名な高級レストランで、彼女が喫茶店をやる前に四年ほど、ウェイトレスの修行をさせてもらった、恩義ある店でもあるらしいのだった。
 だが、ウェイトレスとはいっても、一般のそれと勘違いしてはならない。この種のレストランは接客マナーがちゃんとしていないと務まらない。その意味では、一流ホテルのウェイターやボーイなどと同じ品格と接客態度が厳しく要求される。
 彼女は入社後、一年も経ないうちにその才覚と接客マナーのよさが認められ、先輩を出し抜いて副支配人的な職務を任されるまでになった。
 そして上顧客を集客するためのイベントや有名人を招聘しての講演会など、種々のプランの案出とそれに纏わる一連の手配を任され、経営の一翼を担わせてもらっていた――というのだった 
「どうりで、言葉遣いが尋常じゃないなと思っていたんです」
 私はハンドルを握りながら言った。「だから――だったんですね」
「尋常じゃないっていうのは、ちょっと言いすぎなんじゃありません」
 彼女は、少し不貞腐れるような様子を見せて言った。
 もちろん、そんなのは彼女が仕事で身に付けた演出の一環であって、すでに織り込み済みの仕草だったに違いない。彼女はタフだった。
 私は、ますます彼女に尊敬の念を抱くようになって行った。
 その当時の感覚でいえば、彼女はいわゆるハイソサエティーの住民のイメージだった。だからといって、彼女が羨ましく感じたわけでもなかったし、そういう世界に憧れて胸を焦がすということもなかった。
 もともと貧乏な、というより極貧の生活には慣れていたし、金持ちになりたいなどとは露ほども思わなかった。所詮、その手のものは縁がないと諦めていたのだ。
 そういう世界は、だから、私の埒外にあった。
 しかし、対極にあった――というのではない。まさに私とは無関係に、それは「独立してあった」のだ。究極というものがこの世にあったとしたら、それは無窮の世界のできごとだった。
 始まりもなければ終わりもない。果てのない宇宙の物語だった。永遠に手の届かない世界のイリュージョンだった。
 だから、私のいう尊敬の念は、羨望から出たのでもなければ、憧憬の類いから発したものでもなかった。ただ単に賞嘆に値する――という意味での強かさを、そこに見たという驚きの感覚だった……。
 いや、これでもまだ正確に言い表せていない。実にもどかしいかぎりなのだが、私にはできないことをしてのける、彼女の強かさに舌を巻いた感覚――と言っていいかもしれない。それが尊敬の念に帰結するのだ。
「凄いですね。ぼくには到底できませんよ――」
 私は彼女の話を聞けばきくほど、自分には不可能なことを口惜しさと克己心、そしてプライドだけでやってのける強かさに、文字どおり、舌を巻くばかりだった。
自分に語るべき武勇伝をもたない私には、彼女の語るできごとのすべてが、他の宇宙空間で起きたできごとに思えた。
そして、私は彼女の話に夢中になった。
 目的地に着くまでの一時間半ほどの間に、彼女は自分自身の恋愛体験を隠し隔てなく語った。それに比べれば、私のそれなどは、ほんのお遊びだった。幼稚園生のする「おママごと」のようなものだった。
 彼女は、シビックを運転する私を見るともなく、話の続きを語っていた……。
「正直言いますけど、わたしはこれまで色んな恋愛をしてきました。すでに見透かされてはいるでしょうけど、隠しておくのも心苦しいし、それと分かったときを考えれば厄介なので、この際、すべてお話してしまいますわ……」
 なにを以て「見透かされている」と感じたのかは知らないが、私にはそのような透視能力はなかったし、生来能天気にできているので、自分ごとですらよく分析できていないのが私であり、欠点しかない私の最大難点といえた。後日談だが、それにも拘わらず、彼女にとって私は眼光鋭く、「なんでもお見通し」という顔をしているらしく、なにもかも話さざるを得ない気持ちになった――というのだった。
 言われてみれば――確かに、彼女が三十歳そこそこの若さで、あのような店のオーナーになっていること自体、不思議に思わねばならなかったのだ。それには当然、語るに足る、長い長い物語があらねばならなかった。
 三崎さんは、「五黄の寅」ってご存知かしら――。
 彼女は、ふと思いついたように運転中の私に訊ねた。
「呉王の虎」ですか。残念ながら、知りませんねぇ。
 私は答えた。これまた後日談だが、そのとき彼女は、このひとはなんにも知らないひとだな――と思ったらしい。だが、それを口にはしなかった。当然だろう。そんなことを言えば、このドライブはぶち壊しになっただろうから……。
 そうですか……。五黄の寅っていうのは、干支でいう生まれ年のことで、その年に生まれた女は「嬶天下」というんですか、「夫を尻に敷いて、その寿命を縮めてしまう」って言われているんですよ。言ってみれば、悪女か悪妻の代表みたいな言われ方をする年回りなんです。
 ほぉ、そうなんですか。知りませんでした。
 わたし、その五黄の寅なんです。ですから、世間から恐れられる女なんです。
 なるほど――。佐賀女の歩いた後は、草木も生えん――って言われるのと同じようなニュアンスのことなんですね。子どもの頃に聞いたことがあります。もっとも、佐賀だったかどうかは、いい加減な記憶でしかありませんが……。
 たぶん、それで合ってると思います。生憎というか、悲しいことにというか、わたしもその佐賀で生まれた女のひとりなんですよ。
 え、そうだったんですか――。これは、失礼なことを……。
 いいえ。言われ過ぎて、もう慣れっ子になりましたわ。しかも、その上に五黄の寅と来るんですもの。さすがに平気になってしまいましたね。
 言ってみれば、「悲しい女のサガ」ってやつですか。つまらんギャグですけど……。
 ま、面白い――。
 彼女は、小さく手を叩いて言った。
「感動した」に一票、差し上げますわ。
 ありがとうございます。ぼくの駄洒落は、仲間うちではあまりウケないことで有名なんですが、一票いただけて嬉しいです。おそらく栞さんだけでしょうけどね、こんなレベルの洒落で笑ってくれるのは……。
 いえ、面白いですよ。確かに三崎さんの洒落は難しいところもありますけれど、いまのはよかったですよ。なんなら、もう一票、差し上げてもいいくらい……。
 いやぁ、そうですか。ありがとうございます。でも、これ以上のものを期待していただいても、もう出ません。いまのが最高傑作です。
 まるで、どこかの漫才みたいですわね。
 彼女が言って、いかにも楽しそうに笑った。この、世にもくだらない私の駄洒落を切っ掛けに、彼女の長い長い「佐賀女」の物語が始まった。

 七 背伸びしてみせる少女の感覚

 わたし、実は――。
 彼女は一瞬、口を引き結んだあと、勇気を奮い起こすようにして続けた。
 結婚歴があるんです。
 それを聞いた瞬間、驚くとともにある種の違和感を覚えたが、なにも言わず、ただ耳を傾けるだけにした。せっかく、勇を鼓して口を開いた彼女の気を削いではならない、ここは黙って聞くだけにしよう――と思ったからだ。
 もう十三~四年ほど前のことになりますけれど、わたし、K市に住む同い年の女子高生と文通していたんです。それで、一年ほど遣り取りしたあと、色んな話題に興じるうち意気投合して一度、直接会って喋ってみたいね――ということになったんです。
 もともとK市に憧れがあり、わざわざK市に住む彼女を探してペンフレンドになったくらいでしたから、K市に行きたいというのが、一方の本音でもありました。
 高校三年生になったばかりのことで、いまでいう日帰り旅行のような感覚で、仲のいい女友達と一緒にK市に行くことにしたのです。というのも、ひとりで行くとなると、両親が許してくれないだろうし、心細くもあったからです。たまたま、その彼女もK市が好きで、都会での生活に憧れをもっていたこともありました。
 事実、その子もK市に移り住むことになるのですが、そのことは、いまお話しようとしていることとはあまり関係がないので、省くことにします。いずれなにかの機会に話すことがあるかもしれませんけれど……。
 彼女はそこで一息ついて、どの辺りまで来ているかを確かめるように前方の風景に眼を遣った。日曜日だったとはいえ、夕暮れの国道は、思ったより混んでいて、彼女のいう目的地に着くにはまだまだ時間がかかりそうだった。前方に連なる数十台の車は、さきほどから走っては止まり、止まっては走りを繰り返し、その度に赤いテールランプを点けては消し、消しては点けてノロノロ運転をしていた。
 なだらかに続く下り坂の向こうは、赤い川の流れのように見えた。
 私は黙って彼女の言葉の続きを待った……。
 彼女は、回想モードに戻ったように、また静かに口を開いた。
 K市のペンフレンドは冴子という名前で、手紙のなかでは漢字での呼び名は使わないで、カタカナのサエコとシオリというのでやり取りしていました。
 そのほうが秘密めいていて、お互いを親しく感じることができたのです。
 いっぽう、高校のほうの友人は、ちょっと冒険好きで、活発な女の子でした。名前は漢字でいうと未来のミにアユムと書いて「未歩」というのでした。これもカタカナで、お互いにミホとシオリと呼び合っていましたね。
 横を向くと、往時を懐かしむかのように彼女が少し微笑んでいるように見えた。
 いまでこそ、カタカナの名前で呼び合う関係は珍しくありませんけれど、当時は、格好よさのようなものを感じていて、ちょっぴり自慢の間柄でした。古い言い方ですけど、ハイカラというか、お洒落なイメージがしたんです。
 ま、思春期に特有の、ほんの少しでも背伸びしてみせる少女の感覚とでもいうんでしょうか。ひとと一緒なのが嫌でした。粋がっていたんですね。交換日記もしていました。中身は、いっぱしの恋愛論や文学論だったりして……。ある意味、いま思い返してみると、気恥ずかしくなりますね、あの頃の自分というのが――。
 なんでもない、つまらないことで仲違いしたりなんかして……。
 幼かったんです。佐賀の田舎で、なんの苦労も知らずに大きくなった娘でした。そんな娘ふたりがK市のような都会に出てきたんです。人口が二十万ほどしかいない佐賀の田舎とは違って、K市は大都会。そこらじゅうが輝いていました。
 サエコの発案で、その日は、ダブルデートならぬトリプルデートをしようということになっていました。駅に着くと、サエコのボーイフレンドとその友人の男子ふたりがやってきていました。駅近くの貸ガレージまで歩いて、そこに停めてあった二台の車に分乗し、六人でドライブに出かけることにしました。
 三人の男子は全員成人していて、サエコの相手は大学生で二十一歳、ミホの相手は二十四歳、わたしの相手は二十七歳と一番年上でした。
 わたしもミホも年上好きでした。それぞれ自己紹介をし、サエコの彼は里中研二でケンちゃん、ミホの相手は野村倫生でリンちゃん、わたしの相手は菊岡勝でマーちゃんと「ちゃん付け」で呼ぶことにしました。
 もちろん、わたしとミホもカタカナで呼んでもらうことにしました。
 サエコは彼氏の車、わたしとミホはマーちゃんの車です。ミホは後ろがいいというので、わたしは助手席にしました。佐賀でもミホと一緒にダブルデートのようなことをしましたが、歳の離れた男性との集団デートは、これが初めてです。
 高校生相手とは違い、とても緊張しました。マーちゃんも初対面で緊張しているのか、わたしを呼び捨てにはできず、「シオリさん」と呼びます。
 道中、わたしたちは色々な話をしました。ミホはミホで、わたしはわたしで――。それぞれが、それぞれの相手に思いつくかぎりの知りたいことを質問をしました。興味を掻き立てられる話もあれば、難しくて、よくわからない話もありました。
 でも、とっても楽しいひとときでした。そのお陰で、目的地に着いた頃には、車中の四人はまるで高校時代からの共通の友人のようになっていました。
 目的地は、隣県のさらに南にある県のレジャーランドでしたが、そこで思い思いの乗り物に乗って、それぞれの親交を深めました。一日は、あっという間に経ってしまいました。本当に一生の思い出となるくらい、楽しい旅行でした。
 車で駅まで送ってもらい、プラットホームでの別れ際、ミホが泣き出しました。あまりにもリンちゃんと仲良くなりすぎて、帰っていくのが辛かったのです。
 ミホは帰りの列車では、ずっと泣き通しでした。彼女を慰める傍ら、わたしも貰い泣きして、ふたりでわんわん泣いたのを覚えています。周囲のひとは、なにごとが起こったのかと思ったでしょうね。
 自分でいうのもなんですが、花も恥じらうといいますか、なんとも可愛い時期でした。それこそ楽しいときは箸が転げても可笑しいし、悲しいときはちょこっと背中を突かれただけでも、泣きだしてしまうほどの年頃でした。
 それから一ヵ月ほど、その旅行の時に撮った写真の交換や手紙などのやり取りをしていたのですが、半年もしないうちに、マーちゃんがわたしと結婚したいと言い出したのです。
彼にはすでに彼女がいて、将来は結婚の約束をしていたようですが、それも反故にして、わたしと一緒になりたいというのでした。
 たった一日かぎりの出逢いだったとはいえ、あの小旅行で彼の誠実さを見知っていたわたしは、心が籠った彼の便りが届くたびに一緒になってもいいな――という気持ちに傾いて行くのがわかりました。
 達筆でよこす彼の手紙は、本当に誠意と真面目さにあふれていました。季節の挨拶から始まる、その一言一句がわたしの心を打ち、わたしの思いを高ぶらせます。さすがの彼もたまりかねてか、私の両親に結婚の許しを請いに来ると言います。
 ついにわたしは、両親にこのことを打ち明けました。
 お前がそれほど言うなら、会うだけは会ってもいい――と両親は言ってくれました。それから、ひと月後、彼が車で佐賀にやってきて、両親に結婚の申し込みをしてくれました。高校卒業の二ヵ月前のことでした。警察官という職業も職業でしたし、なによりもその直向きさが両親の気に入ったようです。ふたりいるわたしの兄たちも、ともに結婚を賛成してくれました。
 わたし自身は若く、世間知らずだったとはいえ、相手がそれなりな年齢の上に誠実そのもので、ちゃんとした身分の方だったため、両親の眼鏡にかなったのでしょう。高校を卒業と同時に祝言を上げました。
 式場にきてくれて一番吃驚し、羨ましがったのは、ミホでした。彼女もリンちゃんとの愛を育んでいて、わたしより二年遅れてその彼との結婚を果たしました。
 なぜなら、彼女は短大に進学したからで、その分、わたしより遅くなったのです。その後、彼女もわたしと同じように学校を卒業すると同時にリンちゃんのところに嫁入りしました。念願かなって、ミホより一足先にK市の彼の家に移り住むことになったわたしは、その一年後に女の子を授かりました。
 名前は、夫と相談して「しほり」としました。
 わたしの名前が気に入っていたことから、それにしたい――と彼がいうので、それにしました。ある意味、紛らわしいんですが、わたし自身も自分の名前が好きなので、それでいいかな――と……。
 確かに、それは紛らわしいですね。私は言った。
 ちょっと耳にしただけでは、どちらの名前が呼ばれたのかはわからない場合も出てきそうですね。ひょっとして、それも背伸びしてみせる少女の感覚が残っていた証拠なのかも……。
 そうかも、しれませんね。彼女は、ちょっと小首を傾げて続けた。あ、そこを左に曲がってください。そこから二つ目の信号を右に折れれば、すぐに見えてきます。

八 いつも同じ轍を踏む性根のない男

 そこは外国風の建物で、一階がガレージとなっており、流線形の階段を上がっていくタイプのレストランだった。その二階の部屋に入ると、いかにも高級なイメージの漂う優雅な空間が、ひっそりとふたりを待ってくれていた。
 押し付けがましくもなく、かといって、お高く留まっているのでもない、妙に気分を落ち着かせる調度が、その色合いが、そして小さく静かに流れる音楽が、心を和ませてくれるのだった。席に案内されたあと、私は思わず周囲を見回してしまった。
 正しいところに正しいものが置かれ、必要にところに必要なものが置かれ、適切な場所に適切なものがさりげなく置かれていた。無駄がなく、さりとて貧相でもなく、贅を凝らしたというのでもない、ごく自然な心遣いがそこここに見られた。
 いいところですね。私は感動の面持ちで言った。すごく落ち着きますよ。
 でしょ。大好きなんです、ここが……。
 彼女は、いつもに似ないリラックスした表情で答えた。ここはわたしの師匠といいますか、古里のようなところです。喫茶「栞」の原点といっていいでしょうか。
 車中でも言いましたが、ここで私は、接客のマナーやテーブルのセッティング、メニュのフランス語読みでの発音の仕方、各種調理に合うワインの種類、各料理に用いられる素材の名称、その調理法、その他イベント企画の方法や招請の仕方――などなど飲食店に必要とされる貴重なノウハウを教えてもらいました。
 それが、いまからちょうど三年ほど前のことになります。
 それから、栞さんのおっしゃっていた徹底調査が始まるわけですね。
 ええ――。こちらのアイデアをしっかり取り入れてもらうために建築業者と一緒にK市にある人気店のほとんどを見て回りました。
 そこではどんなコーヒー豆を使い、どんな出し方をしているのか。サイフォンかドリップか。豆の仕入れ先はどこか。モーニングサービスはどんな内容で、金額は幾らに設定しているのか。営業時間や定休日は、テーブルや椅子は……と、色んなことをチェックして行きました。それも毎日です。九十日間、それを続けました。
 そうして、ようやく結論に辿り着いて作ったのが、喫茶「栞」です。
 名前も、あまり凝っていないところがいいですね。私は言った。
 ええ、そうなんです。変に気取ったコーヒーパーラーとかフルーツブティックとか、珈琲館とか、そんな雰囲気のものにしたくなかったんです。
 実に素朴でいいですよ。喫茶「栞」って、しっとり来ますよ。いまのお店にぴったりのネーミングです。好きですね、そのさりげなさ……。
 ありがとうございます。
 軽く頭を下げる彼女に対し、いや、本当にそうですよ、いまの世の中、妙に気取ったのが多くて、グラフイックデザイナーが事務所名にデザインブティックって名前を付ける時代なんですよ――と言葉を続けようとしたとき、ふたりのウェイターが料理を手にやってくるのが見えたので、そのまま言葉を呑み込んだ。
 ウェイターは恭しい様子で、テーブルにセッティングしながら言った。
 お待たせしました。こちらがガーリック・ロースト・クラブとなります。店長は後程ご挨拶に参ると言っておりますが、お時間のほうはたっぷりと用意してございますので、それまでごゆっくりとお召し上がりください。
 あのぅ、これって、ダンジネスクラブですよね。
 私はウェイターが去るのを見定めたあと、眼の前の蟹を指さして彼女に訊ねた。
 ええ、そうですわ。よくご存じですのね。
 いや、一度だけ、食べたことがあるんです。
 あ、そうなんですか。じゃ、お連れしないほうがよかったのかしら……。
 いやいや、とんでもない。そんな意味で言ったんじゃないんです。たまたま昔に、これの塩茹でをテイクアウトして、近くにあった公園のベンチで丸ごと食べたことがあったんです。それを想い出して……。
 公園のベンチで――ですか……。
 彼女は驚いたように訊き返した。それはまた、どうして――。普通、こんなものは公園なんかで食べたりしないでしょう。でも、まあ、これは召し上がって――。
 ああ、ありがとうございます。
 私は蟹に手を伸ばして続けた。ええ、それはそうなんですが……。実は、日本でのことじゃないんです。
 というと、外国で――ということなんですの。
 ええ、まあ、その昔、サンフランシスコに行ったことがありましてね。
 そこのフィッシャーマンズワーフってところで、食べたんです。そこからは、例のアルカトラズ島も見えるんですが、それを遠くに見ながら、バリバリと手足を折って武者ぶりつくように食べました。それがなんとも美味しくて、いまだに記憶に残っています。ケンタッキーフライドチキンじゃありませんが、まさにフィンガーリッキングテイスト(指までしゃぶりたくなるほどの美味さ)でしたね。
 そうなんですの。それは、それは……。
 彼女は、まことに申し訳なさそうな声を出して続けた。わたし、あまりご存じないかと思って、勝手に……。喜んでいただけるかと思ったんです。
 いやいや。ご心配なく。ぼくは「蟹大好き人間」なんです。本当です。
 美味い。確かにこの味だった――。私はサンフランシスコでのそれを想い出しながら続けた。北海道でも、似たような形で湯掻きあげのを買って、その屋台の横のベンチに腰かけて食らいついたこともあります。サンフランシスコで、その気になったのも、そういう経験があったからです。
 ずいぶん、色んな所に行ってらっしゃるんですね。
 いや、誤解なさると困るんですが、そんな積りで言ったんじゃないんです。それもたまたま行ったことがあるだけの話で、そうそうあちこちに行っているわけではないんです。なにかひけらかしているように聞こえたのでしたら、ごめんなさい。
 でも、ずいぶん色んなことをご存知のように見えますわ。
 いえ、ほんとに。誤解だけはご勘弁を――。ほんの見掛け倒しなんです。
 私は、いつもの落とし穴に自ら墜ちてしまったのを感じた。
 いまでいう「空気が読めない」鈍さが災いして、要らぬことを口にし過ぎるのだ。要らぬことを口にしたばっかりに、買いかぶられては見損なわれ、見損なわれては毛嫌いされる――という最悪のパターンに陥ってしまうのが常なのだ。
 今度もそうならねばいいが……。
 やや気まずい雰囲気が訪れそうになったとき、恰幅のいいシェフと店長らしき背の高い男性がやってきた。そして店長が前に立ち、長い身体を折り曲げて言った。
 いらっしゃいませ。本日はようこそいらしてくださいました。菊岡さまにはいつも当店をご贔屓にしていただき、ありがとうございます。
 いいえ、どういたしまして――。
 彼女は、ふたりににこやかな微笑みを浮かべて応じた。こちらこそ、いつも美味しいものをいただかせていただいて、感謝していますわ。
 お連れさまには、ご満足いただいておりますでしょうか。
 シェフのほうが私に眼を向けて訊ねた。優しい眼だった。その眼の穏やかさは、彼女を信頼し、上客と見做している証だった。
 ええ。大変、満足しています。私は覚束ない様子で言った。
 こんなところに出入りしたことのない私には、このようなやり取りは荷が重すぎた。勢い無口にならざるを得ない。
 店長がシェフのもつワインボトルを示して言った。
 これは、わたしどもからの気持ちです。本日の料理にもっとも合うものを用意しました。ご賞味くださればありがたいです。
 まあ、ありがとうございます。彼女は満面の笑みを浮かべて言った。シャブリですのね。大好きなんです、これ――。
 もちろん、わたしどもは菊岡さまのお好みはよく存じあげております。
 シェフが彼女に意味ありげな目配せをしたあと、その丸い身体を捻るようにして私に向かって言った。お連れさまはもうご存知かと思いますが、この方は、以前わたしどものスタッフでもあった方なんです。
 ええ、聞いています。凄い方だったんですね。
 はい。ずいぶんよくしていただきました。今日、このシャトーマルセーユ・ド・エコールがS県で指折りのレストランでいられるのも菊岡さまのお蔭だと思っております。なにせ、菊岡さまと来たら、お客さまに人気で、男性客のほとんどが菊岡さま目当てに来店なさっていたようなもんです。
 まあ、やめてくださいよ。折角のお料理が不味くなってしまいますわ。
 そうですね。無粋なことはもう、これくらいにしておきましょう。あとは、ごゆっくり当店自慢の料理をお愉しみいただきますよう……。
 シェフと店長が去ったあと、私はワンクッション置いて彼女に訊ねた。
 栞さんは、ここではずいぶんと重宝されていたようですね。
 いえ、大層に言ってくれているだけですよ。
 そんなことないでしょう。あれは本気の賞賛でしたよ。
 私は肝心の話題に入るため、言葉を繋いで訊ねた。それはそうと、あの二人は栞さんのことを「菊岡さま」と言っていましたよね。菊岡といえば、前の旦那さまのマーちゃんの姓ということですよね。
 彼女は、ややあってから口を開いた。
 ええ。離婚はしましたけれど、苗字はそのままにしたんです。佐賀にはもう帰らないつもりですから……。
 そうなんですか。これは要らぬことを訊ねてしまいしました。ごめんなさい。
 まただ――私は思った。いつだってそうなのだ。私はいつも同じを轍を踏む。悪い意味で、懲りない性分、性根のない男なのだ。

 九 人妻としての自覚

 確かに私という人間は、苦労が身につかないタイプというか、性根のない男で、いつも同じ失敗を重ねている。
 大人しく頷いて、右から左にやり過ごしていればいいものを、つい余計な感想や疑問を挟んで相手の気分を害してしまったり、あまりにも美味い話なのに疑いもせず全面的に騙されてしまったり、口車に乗って矢面に立たされたり――と、その都度、後悔するのだが、性懲りもなく、その愚を繰り返してしまうのだ。
 反省がないといえば、それまでなのだが、どうも私には記憶の保持力というか、そのときに感じた感情の度合いを銘記する能力に欠けたDNAを身の内に宿しているのではないか――と疑っている。
 ある意味、開き直りにしか聴こえない言い草かもしれないが、本当にマジにその手の記憶をしっかりと胸に刻んでおくことができないのだ。
 仮になにかを悔し紛れに誓ったことがあるとして、それと同等もしくは相応の事態に遭遇したとき、その誓ったことを忘れて、またぞろ同じことを繰り返してしまうのだ。つまり、実行力そのものがない。同じパターンを身体が、いや、脳がいつもの回路を忠実に辿り、そのあるがままを踏襲してしまうのだ。そうして同じパターンの螺旋軌道に嵌まり込んで、きりきり舞いすることになる。
 私は、よかれと思ってことを起こすものの、結果的には失敗を喫し、スパイラルの迷宮に足を踏み入れてしまうという、実によくあるタイプの人間だった。
 能天気で計算を働かせられない私は、このときも、ふと脳裡に湧いて出た素朴な疑問をなんの用心もなく口に出していた……。
 佐賀にはもう帰らない――というのは、実家はすでに、そこにはないということなのでしょうか。
 いいえ、あります。ありますが、もう帰れないのです。
 帰れない――というと……。
 ――というか、旧姓には戻れないんです。
 旧姓には戻れない……。
 ええ――。これには、実は、わけがあるのです。
 彼女は、ワイングラスに手を伸ばし、一口飲んだあと、真剣な表情で私を見ながら話を続けた。その眼差しには、これから話そうとすることへの郷愁があった。
 まことにお恥ずかしい話ですが、わたし、何度か夫を裏切ったことがあります。
 もちろん不倫というのではなく、そのすべてが本気でした。身勝手な言い方かもしれませんが、わたしにすれば、そのすべてが遊びではなかったのです。
 私は、彼女の言葉の用い方に引っかかりを覚えはしたものの、あえて言葉を差し控え、静かに頷いて話の続きを促した。どうか、地雷を踏みませんように……。
 一番目のひとは、妻子持ちでした……。
 そのひとからすれば、わたしは年齢的にも彼の娘のような存在でした。肉体関係はありません。文字通り、ふたりは本当の親子のように清い関係でした。
 役職名はいえませんが、法曹関係にお勤めで、仲間内では身持ちの硬いことで知られ、「浮沈戦艦」という渾名までつけられていたほどのひとでした。
 彼は、わたしを色んなところへ連れて行ってくれました。
 たとえば、このような高級レストランにも連れて行ってくれました。そして田舎娘のわたしにテーブルマナーや言葉の遣い方、挨拶の仕方なども教えてくれました。政治のことや音楽のこと、法律のこと、最近読んだ小説や文学のこと……。実にさまざまのことをわたしは、そのひとから学びました。
 詩に興味があることを話すと、とある同人誌の主宰でクリスチャンの神父でもある詩人を紹介してくれたのも彼でした。
 この頃、わたしは田舎から出てきたばかりで、K市の西も東もわからず、言葉さえもあまり通じず、まさに右往左往していました。そんなわたしを本格的な詩作の世界に導いてくれたのが、その先生でした。それをきっかけに、わたしは色んなところに自作の詩を投稿するようになり、それが採用される喜びに眼覚めました。
 それからは同人誌的な雑誌や地方紙も含めて、割とメジャーな雑誌にも取り上げられるようになりました。その男性との出会いのきっかけになった雨宿りのエピソードを詩にし、それが、とある雑誌の賞を獲ったことで有頂天になりました。
 男性にそのことを話すと、自分のことのように喜んでくれました。
 でも、その男性は、出逢ってから二年もしないうちに妻子とともに地方に転勤になって、わたしの許から去っていきました。これが夫との婚姻中、初めての恋でした。
 いま考えれば、寂しかったのだと思います。
 夫は、仕事の関係でほとんど家にいませんでした。宿直がない日でも、待機していなくてはならなくて、なにかあればすぐ「会社」に飛んで行かなければなりませんでした。「会社」というのは隠語で、署などといえば職業がわかるので、こういう言い方をするのが普通でした。
 高校を出たばかりのわたしは、給料の遣い方――というか、配分の仕方も知らなくて、数日のうちに全部を使ってしまい、夫に叱られたこともあります。
 二番目の恋は、これもまた偶然に――といいますか、法曹関係の仕事を志望する男性でした。彼は、わたしたち夫婦の家(それは借家でしたが――)を少し行った先にある法律事務所に、いわゆる見習い事務職員として勤務していました。
 出勤するとき、あまりにもわたしを見かけるので次第に興味を持ち、まだ高校生か大学生くらいにしか見えないわたしに恋をしてしまったようです。ある意味、夫のときもそうでしたが、わたしは先方から見染められるタイプでした。
 彼もまた、その例外ではなかったようで、わたしの虜になってしまったのです。
 もちろん、そのときの彼は、わたしが子持ちの人妻だなどとは思っていません。あとになってわかったことですが、わたしはその家の娘だと思われていたようです。
 子持ちといっても、まだ一歳になったばかりの赤ちゃんでしたから、見ようによっては「親類の子どもを預かっている」くらいに思えたのかもしれません。年恰好からして、とても家計を預かる主婦には見えなかったでしょうね。
 どういうわけか、わたしは年上の男性、それもうんと年の離れたひとに好かれるタイプのようで、夫を初め、これまで好きになってくれたひとは、すべて十歳以上も離れていました。そしてこのときも、私を好きになってくれたひとは、わたしより十一歳年上のひとでした。つまり、夫よりひとつ年上の男性でした。
 その彼は、山尾昇といって、音だけで聞くとまるで冗談みたいな名前のひとでしたが、根はとても真面目で……。例の「浮沈戦艦」ほどの紳士ではありませんでしたが、誠実というのを絵に描くとしたら、このひとのようになるんじゃないか――と思えるほどのひとでした。
 彼はまだ三十歳になったばかりで、九州の大学を卒業してから数年間、地元の弁護士事務所に勤めていたのですが、やはりK市でのほうが有利とのことで、伝手を頼ってわたしの近所にあった法律事務所に再就職したのです。
 弁護士を目指して、これまでも何年かおきに司法試験に挑戦していたようですが、うまくいきませんでした。毎日、鬱々とした生活を送っていると、若々しいわたしの溌溂とした姿が眩しく映ったようです。
 おそらく年齢より幼く見えたわたしが可愛かったのでしょう。
 自分でいうのもなんですが、本当にその頃のわたしはおぼこかったし、外見的にもおぼこく見えたのです。
 事実、高校生に間違われることもしばしばでしたから……。
 そんなわたしを見かけると、彼のほうから朝夕の挨拶をしてくれるようになりました。それも形式ばった堅苦しいものではなく、お早う、今日は暑いね――とか、夜はめっきり寒くなったね――といった感じの気軽な挨拶です。
 そうして毎日、挨拶を交わしていると、わたしにも恋心が芽生えてきました。彼と挨拶を交わすたび、その誠実さと魅力的な笑顔、そしてさりげない仕草に心惹かれていく自分がいました。
 人妻としての自覚がなかったのかと言われれば、確かにその自覚はありませんでした。夫は、いわばわたしのお父さんのような感じだったんです。娘はいましたが、わたし自身が娘のような感覚だったんです。
 彼女は、そこで一息ついて、ワイングラスに手を伸ばした。
 同様に、私もワイングラスに手を伸ばしながら、彼女も、ある意味、懲りない性格の持ち主なのではないかと思ったのだった。

 十 文学的なリアリティと幻視の狭間

 彼女の話を聞いていて、私はひとに触れるという感触を長い間、失っていたことに気づいた。その皮膚の温かさに触れるという感覚は、私にひととの交わりの必要性というものを蘇らせた。ひとは孤独では生きられない。汝が必要なのだ――。
 例の斑猫がどこからかやってきて、おまえのことはなんでも知っているぞ――と言わんばかりの顔をして尻尾を立て、私の脳裡のなかの細い通路を横切って行った。
 彼女は、私のそんな思いをよそに話し続けていた……。
 そのひとはね。名前がそうだっただけじゃなく、本当に山登りが好きだったの。それでよく、近くの山へハイキングに連れて行ってもらったわ。K市の周りには、市内が一望できる、あまり高くない山が結構あるのよ。それに日帰りのできるハイキングコースもあるの……。
 彼女の言葉遣いは、少女時代のそれに近くなっていた。
 ワインボトルをすでに二本ほど空にした所為か、栞のママとも思えないその語り口は、私の心を大いに魅了した。また、あの感覚が私に蘇ってきたのだ。
 なぜか私までが、その「山尾昇」になったような気がした――。
 もちろん、それは私の錯覚に過ぎなかったが、そのように思いなして彼女の話を聞いていると、本当に自分が彼女の恋人であったような気さえしてくるのだ。
 私には、当時の彼女の愛らしさが見えるようだった。
 彼女は美しく、きらきらと輝いていた。彼の眼には、彼女が自分を救い出してくれる女神のように視えたに違いない。その想いが私に伝わった。実は、私もそうだったからだ。私は、彼女と出逢って、自分を取り戻せた。
 この半年ほどの間に私は、過去の軛から、かなり自由になっていた。
 それと同等の意味で、彼も日常のしがらみから自分を解放してくれる女性は、彼女を措いて他にはなかったろう。とくに司法試験に何度も落ちたことからくるストレスやプレッシャーは、彼にとって最大の苦痛だったはずだ。
 私が独学で大学受験を目指したのとはわけが違う。そんな小さなことですら、あれだけの孤独感とプレッシャーを味わったのだから……。
 彼女は、いわば彼にとってのきみのような存在だったはずだ。彼女の励ましや勇気づけによって、彼は勉学にいそしんだはずだ。ただ、その違いは、私ときみとのそれとは異なり、男女のそれであることだった。
 そんなあれやこれやに思いを馳せて彼女の言葉に耳を傾けているうち、彼女はいつの間にか、先ほどまでの栞のママらしい口調に戻っていた……。
 彼女は、私のグラスが空になっているのを見届けると、三本目のワインボトルを優雅に持ちあげ、私のグラスにワインを注いだ。ボトルから出る独特な色の付いた深い音が同じ回数だけ、彼女のグラスに注がれるときにも聴こえた。
 見ると、グラスはふたつともぴたり同じ量の高さになっていた。
 彼女は無言で、召し上がれ――といった風に微笑んで、先を続けた……。
 わたしは誘われて、彼が住んでいたアパートの部屋に何度も訪問するうち、自然と肌を合わせる関係になっていきました。こんな言い方をすると、淫乱な女だと思われるかもしれませんけれど、そこで初めてわたしは女になり、女というものを知りました。自分が女であるということに気づいた――といっていいのでしょうか。
 それまで、夫とセックスをしても、気持ちがいい――というのはあるにしても、歓びというものを感じたことはありませんでした。彼がセックスに長けていたとか、上手だったとかいうのではなく、本当に感じることができたのです。
 わたしは、これが本当の愛だと思いました。互いが互いの情熱で結ばれ合い、互いが互いの思いに満たされる――そんな関係が、本当の恋なのだと思いました。
 だからといって、わたしは夫が嫌いになったわけではありません。夫を憎んだわけではありません。むしろ、立派なひとだ――と尊敬していました。その思いは、別れたいまであっても変わりません。あのひとは、いまでも立派なひとです。
 その立派さを象徴するエピソードについては、いつか話す機会もあるかと思いますが、ある意味、わたしは夫の忍耐強さに甘え過ぎていたのです。その大らかさと深い愛情に頼り切っていたのです。
 月並みな言い方ですが、夫は、まるでお釈迦さまのようなひとでした。わたしは、文字通り、夫の掌のなかで泳いでいたに過ぎませんでした。
 だからこそ、夫のある身で色んなことができたのだと思います。
 わたしは、その職業的な夫の倫理観に安心しきっていたんです。彼は、その職業柄、厳格なひとでした。そんな夫に、わたしはまるで反抗期の娘のように振舞っていました。夫が二言目には、必ず口にする言葉は「自覚が足りない――」でした。
 夫の眼から見れば、わたしは自分が警察官の、それも刑事の妻であるという自覚のまったくない不良妻だったのでしょう。それも社会に一歩も出たことのない田舎娘でしたから、そのような小娘を嫁にし、一人前の刑事の妻としての自覚を強制する自分の身勝手さを責める気持ちも、多少は働いたのではないでしょうか。
 この山尾さんのときだけでなく、わたしがこのような恋愛事件を起こすたび、わたしを取り戻しに来た夫が言っていました。お前がこんなことをするのは、俺がお前の青春を奪ったからだ。すべては俺の所為だ――と。
 つまり、夫からすれば、わたしはこの種のことに免疫を持たずに成人したから、その埋め合わせをしている――ということになるのでした。
 確かに世間では、遊びたい盛りのこの年齢の女の子や男の子は、大学に行ったり、就職したり、それなりに社会のなんたるかを知り、それに染まっていく訓練をしています。そうした、いわば斬った張ったを繰り返して、子どもは少しずつ大人になって行くのです。
 でも、確かにわたしには、それはありませんでした。
 言ってみれば、頭に描く文学的なリアリティと現実世界のリアリティには、それこそ陳腐な表現ですが、月とスッポンほどの開きがあるのです。
 十代の女の子が想像する刑事の妻とは、いったいどんな姿を言うのでしょう。そして、それに必要な自覚とは、一体、どんなかたちのものを言うのでしょう。経験したこともなければ、見聞きしたこともない、そして考えたことすらない、そんな姿かたちのものをどう想像しろというのでしょうか。
 何度も言いますが、わたしは夫を憎んでいるのではありません。ですから、これは夫に対する憤懣を述べているわけではありません……。
 私は、ワインを飲みながら語る彼女の言葉に耳を傾けながら、彼女の二面性――つまり、大人と子どもの心性を同時に見せられている気がした。
 彼女には、大人と子どもが分かちがたく同時に存在していた。
 それが、酒を飲むことで、いわば学生のような幼さが顔を出してくるのだった。普段は、大人の言葉遣いで隠していた大人っぽさが、酒を飲むことで子どもっぽさに変貌してしまうのだ。
 論理ではわかってはいるものの、心のどこかでは消化しきれないなにか――それを求めて、彼女は足掻いていたのに違いなかった。
 本当に自分に必要なものはなんなのか――。そして足りないものがあるとすれば、それは一体、なんなのか――。本当にそれは自覚だったのか――。自覚に必要なものがあるのなら、それはなんなのか――。
 彼女には、分からなかった……。
 では、同じ年頃の私はそのとき、どうしていたか――。
 なにもしてしなかった……。
 していたのは、伸吟と藻掻きと足掻き。そして絶え間ない孤独との闘い。寂寥との対峙。沈黙。故郷との離別。暗い部屋とぎしぎしという二階の六畳間……。
 やはり、私にもその解答は得られなかった――。
 その頃の私に職業人という自覚は、まだなかった。たまたま私の場合は、住み込みの書店員という職業を得たから、辛うじて社会人の端くれになることができた。彼女の場合は、いきなり家庭人になることを強いられたのだ。
 それも主婦という名の職業人に……。
 自らが選び、望んだ結婚生活とはいえ、彼女には分からなかった。
 確かに夫の言うように、彼女にはし足りなかったことが無数にあったはずだ。それが、結婚という形態を採ることによって、すべてが刑事の妻というひとつの縛りに括りつけられることになった。そこからは、なにごとも忍耐でしかない。
 彼女には、その忍耐ができなかった――。あらゆることがその一点に絞られ、それ以外の選択肢は選ぶことができなかった。耐え忍ぶことは、若い精神には過酷な仕儀だった。抑えようとしても抑えられない感情が、じっとしていてもたぎる熱情が、彼女をひとつ所に置いておくことはしない。
 彼女もまた自由を求め、翼を使おうとしたのだ――。
 空を眺め、その深さを知り、広さを味わうにつれ、彼女は飛びたくなった。
 自分の背中に付いた翼を羽搏かせたくなった。翼はあるのだ。生まれついての羽根をその身のうちに持っているのだ。翼があるのに使えないのは、不合理に違いない。自分の可能性を、その翼の力に託して羽搏いてみようとするのは自然の理だった。
 彼女は飛んだ――。その空間での結びつきを求めて、空を羽搏いた――。軛から放たれようとする彼女にとって、それは自然の成り行きだった。
 けれど、わたしは彼のお母さまに泣きつかれて、彼との恋を断念することにしました。彼は真面目で、わたしとの結婚を認めてもらうよう両親に懇願したようですが、頑として許してもらえませんでした。
 わたしのほうも同様に、夫は彼と一緒になることを許してはくれませんでした。
 彼の両親からすれば、彼には司法試験合格という目標があったし、結婚より先に成就しなければならない悲願がありました。それなくてなんの結婚でしょう――といわれると、わたしも認めざるを得ませんでした。
 彼の両親にとって、人妻のわたしは、息子の将来を阻む悪魔の誘惑に他ならなかったのでしょう。ましてや、よちよち歩きの子をもったわたしとの結婚です。
 仮に一緒になったとして、なさぬ仲のその子が、ご両親の待望の孫になるわけもありません。愛せないのは、もはや眼に見えています。経済の問題もあります。彼はまだ一人前ではなく、まさに薄給の身です。
 そんな生活のなかで司法試験に挑むのは、無謀以外のなにものでもないといっていいでしょう。遅かれ早かれ、彼の夢は破れ、生活が破綻するのは時間の問題です。そのようなさまざまのことに対する因果を含められ、わたしは、夫と彼のご両親の言いつけに従うことにしました。
 わたしは夫に許され、また夫とやり直すことを決意し、それを機に郊外もしくは他県に移住して借家生活を返上し、一戸建てに住むことにしました。K市でのさまざまの汚点を払拭し、夫に対してなしたわたしの不名誉を挽回するためでもありました。
 それで、心機一転、わたしは夫に恩返しをするつもりでした。なぜなら、若くして一軒家を持つということは、誰しも羨む男のステイタスでもありますが、それなりな生活力と稼ぎが必要です。妻にしてみれば、非常に名誉なことです。
 わたしはS県に物件を見つけ、躊躇する夫を焚きつけ、その家を購入してもらう代わり、自分でもそのローンの一部を負担する旨を約束しました。そうすることで、毎日の生活をわき目もふらず仕事に専念する日々にすることで、わたしは、これまでの夫と娘に対する罪を贖えると思ったのです。
 ところが残念なことに、その決意もまた案に相違して、わたしの文学的リアリティと現実世界のリアリティの狭間を刺激する舞台になってしまったのでした。

 十一 憧れのK市でひと勝負

 文学的リアリティと現実世界のリアリティの境目にあったのは、ほかでもなく、このフレンチ・レストラン、シャトーマルセーユ・ド・エコールでした。
 彼女は、四本目となったシャブリをワイングラスに注ぎながら言った。とくとくとくという独特の深い森の音がした。私のグラスにも同じだけの量が注がれた。
 やはり、ふたつのグラスの中身はぴたり同じ量になっていた。
 私は、かちりと合わされたグラスのいっぽうに手を伸ばし、彼女と同じ動作でワインに口をつけた。しかし、もともとが酒に弱く、下戸だった私に彼女と同等なだけのキャパはなかったから、その酒量に追いつくことは敵わなかった。
 彼女は、天井から吊り下げられた、円らかな光を幾重にも放つシャンデリアに瞳を凝らし、静かに言葉を繋いだ。
 わたしは、ここで働き、少しでも家計の足しにしようと思いました……。
 おそらく毎月のローンの大半が、ここでのお給料で賄えると思いました。夫もそれに賛成してくれました。公務員の給料は薄給といわれますが、夫のそれは薄給ではありませんでした。おそらく一般サラリーマンの一・三倍はあったと思います。
 ですから、三人家族のわたしたちの家は、その人数に比して贅沢な広さがあり、傍目にも羨ましがられるほどの敷地を誇っていました。もちろん、S県の郊外でしたから、土地も安く、上物も潤沢な造りにすることができました。
 そのときは、まだK市に住んでいたミホも、夫婦でやってきては羨ましがっていたものです。ご主人の里中さんは、その頃、夫とは違う署に勤務していて、仕事上の繋がりはありませんでしたが、相変わらず仲のいい友人同士でした。
 まだ子どもがいなかったふたりは、しほりのことをとてもよく可愛がってくれ、まるで自分たちの孫に会いに来るような感じで接してくれました。三歳になったしほりも、ミホがくると、ミホおばちゃんと呼んでよく懐いていました。ある意味、あのときはわたしたち夫婦の絶頂期でした。若くしてあんな大きなお家に住み、パートタイムでお勤めをしているとはいえ、なに不自由のない暮らしでした。
 ここへくるときも言ったように、わたしは一生懸命働きました。そしてこのレストランに通うため、クルマの免許も取りました。少しでも早く出社し、少しでも早く仕事を覚えようと思ったからです。S県のここは、市から離れた郊外ですので、バスや電車で通うにはとても不便で、通勤時間もかなり要かったのです。
 そのお陰で、店は十時からの開店でしたが、朝の七時には出勤し、その日の段取りはしっかり済ませることができていました。
 この店には、四歳年上の先輩がいて、そのひとが差配していましたが、わたしが入社してからは、支配人はなぜかわたしをその任に就けるようになりました。先輩はそれに耐えられなくなってか、半年もしないうちに辞表を提出し辞めて行きました。
 わたしは誰に気兼ねすることもなく、支配人の下で色んな仕事の手順を覚え行きました。支配人は、調理師の資格を持っていましたので、主婦としてのわたしにも役立つ台所周りの段取りの仕方や調理の方法も教えてくれました。
 一介の主婦――というより、一般の主婦からすればなにも知らず、嫁入り修行などしていないわたしには知らないことばかりで、彼の教えてくれることは、そのほとんどがまさに眼から鱗でした。
 いま栞で出している、サンドイッチやカレーなどの調理法も彼から習ったことを応用したものです。おそらく彼の伝授なくしては、いまのわたしはなかったでしょう。
 そうして、三年と少しが経った頃、わたしは支配人から正式にプロポーズされました。もちろん、わたしに夫と子どもがいることを承知のうえでの話です。それまでわたしたちは、デートのようなことを重ねていましたが、身体の関係はありませんでした。わたしは二十七歳、娘は八歳になっていました。
 支配人は、いままでのそれとは異なり、わたしより二歳年下の男性でした。
 そのこともあって、ふたりの間では、わたしは彼のことを翔一くんと君づけで呼んでいました。でも、男としての自覚からか、彼は言葉遣いも年上のような感覚で、とても真面目に接してくれました。娘のしほりも、それなりに懐いていました。
 わたしは意を決して彼と一緒に自宅に出向き、夫に懇願しました。夫は、またもや同じことを繰り返したわたしに怒り狂いました。そして彼に、静観しろ、お前たちは単に一時的にのぼせ上っているだけだ、そのうち眼が醒める――と様子を見るように言いました。ですが、その状態が数ヶ月も続くうち、結局は諦めたのでしょう。
 最終的には、許してくれました。その理由は、例によって、わたしの青春と自由を奪った罪滅ぼしになるのなら――といったことでの了解だったのだと思います。
 ただし、娘の親権は譲ってくれませんでした。それまで許すと親子丼になるというのが、夫の見解でした。職業柄、そうした事例を多く見てきたのでしょう。
 わたしたちは、新しくアパートを借り、家具も電気製品も、なにもかも一から新品を取り揃えて一緒になりました。彼の実家は、S県では、それなりに有名な造園農家で、裕福な暮らしをしていました。それこそ、佐賀の実家も驚くほど、跳んで回れるほどの広さの屋敷だったのです。彼は、その家の御曹司として可愛がられ、小さい頃にはお坊ちゃまと言われ、乳母までいたそうです。
 まるで太宰治の実家のような話ですが、本当にそれほどの豪農だったのです。
 彼は初婚、わたしは再婚で、彼の実家に行ったときなどは肩身の狭い思いをしました。いわゆる良家のお坊ちゃまなので、下へも置かぬ遇され方なのですが、わたしへのそれはなんとなく冷たいのです。
 わたしはいつしか、彼を「良一くん」と呼ぶようになりました。
 良家で一番(偉い長男さん)――という皮肉を込めているのです。翔一くん改め良一くんとは、最初の数か月だけは仲良くしていましたが、そのうち、口喧嘩が頻繁に起こるようになってきました。互いに相手を偉そうぶる――と言って罵り合うようになりました。その度に、別れる――と泣き叫ぶわたしに、彼は、わたしたちが一体どんな思いで一緒になったか、そのときの苦しさを忘れたのかと怒鳴ります。
 そんな日が、何日も何日も続いたある日、しほりがやってきて、ママ、お家へ帰ろ、パパが待ってるから――と言うのでした。それで、わたしも吹っ切れました。夫が、しほりを使って迎えにきてくれたのです。
 結局、夫の予言したとおり、彼との仲も七ヶ月半と少ししか続きませんでした。わたしの我儘を受け容れ、それに応じるには、彼は若すぎたのです。
 その頃、わたしは、あらゆる意味で、自信に満ちていました。
 レストランの経営方法も集客の仕方も、そして笑顔の遣い方も――。もう彼に教わることは、なにもありませんでした。それゆえの驕りと高ぶりがあったのだと思います。ちょっとしたことで、彼とは意見が対立しました。先輩と後輩、師匠と弟子、先生と生徒といった感覚が、彼にしてみれば、逆転してしまったのでしょう。
 谷崎潤一郎の小説にナオミという女が出て来るのですが、良一くんにしてみれば、それによく似た展開だったといえるのではないでしょうか。
 その小説の主人公は彼女を見下し、下位に置いて眺めていたのですが、いつの間にか藍より青くといいますか、それが逆転して主人公が支配される立場になります。おそらく、それが嫌だったのでしょう。喧嘩の根底には、いつもそれがありました。
 言い換えれば、両雄並び立たず――とでもいうのでしょうか。
 わたしは、なにも英雄になろうとか、彼の上に立とうとか思っていたわけではありません。ある意味、女として、妻として、今度こそ夫の役に立ちたかったのです。少しでも立派な男として、彼に出世してほしかったのです。
 ですが、彼にしてみれば、それが悔しかったのでしょうね。
 それには、わたしより年下であった――ということも手伝ったでしょう。おそらく、それがコンプレックスになって、わたしが女勝りに上位に立つような発言や振る舞いをすることが気障りだったのかもしれません……。
 いずれにしても、ふたりは結果的に相性が悪かったのです。わたしも長女、彼も長男、いずれも勝手気儘な性格でした。ふたりとも家庭では、おんぼ日傘で育てられ、我儘を我儘として感じられないほど自己中心的で、幼い性格の持ち主でした。いわば、両方とも男になろうとして、片意地を張っていたのです。
 そんな生活が破綻する日が来ました。それが、しほりの来訪で完全にアウトになりました。しほりは、わたしが家に戻ることをとても喜んでくれました。わたしは、女であるよりママであるべきだったのかもしれません。
 彼は、わたしに元夫の許へ帰るのを承知し、支配人の職を辞しました。そして自分名義で借りていたアパートを引き払い、二度とわたしとは会わないと宣言し、私の許から姿を消しました。それからどうしたかは、いまだわかっていません。
 そのことを知ったわたしの両親は、酷く怒って、わたしを勘当しました。最後の頼みだから――と彼との結婚を認めてくれた両親は、何度もこの種のことで迷惑をかけている菊岡さんに申し訳ない――と泣いてわたしを責めました。
 元夫の許に戻ったといっても、女はすぐに夫の姓を名乗れません。ご存知だと思いますが、女は離婚してから半年以上を経なければ、新たな夫の籍に入れないのです。
 でも、私の場合は、元々菊岡という名前で入社していましたし、スタッフからも当初からその苗字で呼ばれていました。ですから、翔一さんと一緒になってからもずっと、それまでの慣例のようなかたちで旧姓のままで呼ばれていました。
 幸か不幸か、たった七ヶ月半と少しのことでしたので、結果的には、菊岡のままでよかったんだよね――とみんなが笑いながら言ってくれました。それで、シェフも店長も、いまだにわたしのことを菊岡さんと呼んでくれるのです。
 これもあとになって、わかったことですが、わたしと翔一さんが巧く行かないのは時間の問題ということで、みんなで賭けをしていたそうです。蓋を開けてみれば、みんなが予想していたとおりの結果で、誰も儲からなかったようです。全員が同じ予想だったのですから、勝利者はいませんよね。
 でも、わたしはけじめをつけるためにも、元夫とは一緒になりませんでした。ただし、さきほども言ったような状況で、実家の姓ではなく、夫と同じ姓を名乗らせてもらうことにしました。一旦、籍を入れ、その後に離婚しました。
 しほりの親権は元夫のパパ、つまりマーちゃんにあります。同じ苗字ではありますが、わたしたちは夫婦ではありません。接点としては、お互いにしほりの親であるということだけです。元夫は、それに賛成してくれました。
 このようにして、わたしは新しい戸籍での「菊岡栞」になりました。そして翔一さんのご両親からお詫びの印に――といただいた慰謝料を担保に借り入れを起こし、喫茶店をすることにしました。ただし、S県ではなくK市で物件を探しました。
 というのも、K市はもともとわたしが憧れていた土地だったこともあり、実際に住んでみて実感のある都市だったからです。ここで勝負しようと思ったのです。
 彼女は、手を挙げ、やってきたウェイターにシャブリの赤を頼み、テーブルにあった四本目のボトルを手に取り、残りのワインを私のグラスに注いで続けた。私は、ほとんど朦朧とした状態で、彼女の話に耳を傾けていた。だが、彼女は相変わらず最初からの元気な状態のまま、ワイングラスに口をつけては話し続けていたのだった。

 十二 市中引き回しの刑

 彼女の話は、ますます佳境に入ってきた。だが、残念なことに、彼女の言葉を拝聴しているふりをするいっぽうで、私はますますグロッギーになって行った。
 だから、こう言ってはなんだが、その話の内容はほとんど私の耳に達していなかった。いや、物理的にいえば、達してはいたのだろうけれど、ほとんど眠っていたのも同然だったから、はっきりとは覚えていない――というのが正直なところだ。
 そして気がついたときには、あに諮らんや、私はベッドの上に大の字になって寝ていたのだった。情けないことに五本目のシャブリがやってきて、それが赤だったところまでは覚えていたが、そのあとはすっかり記憶になかった。
 周りを見渡してみれば、そこはどうやらホテルの一室のようで、私はツインベッドのひとつに寝ていたとわかった。傍らのベッドには栞のママが眠っていて、横向けの姿勢で健やかな寝息を立てていた。ふたりとも服装は昨夜のままだった。おそらく着の身着のままベッドに倒れ込み、眠り込んでしまったのだろう。
 枕元にある時計の針は、四時四十一分を指していた。窓の外は、まだ暗いままのようで、分厚いカーテンの向こうからは、どんな光も届いていなかった。
 私は枕元のランプスタンドの光を頼りに、暫く彼女の寝顔を眺めていたが、あまりそうしていても可笑しいように思われたので、洗面所に行き、そこにあった剃刀と石鹸を使って髭を剃った。そして顔を洗い、歯を磨いた。ついでに小の用も足して、隣室に戻ると、彼女はすでに眼を醒ましていた。
「お目覚めになりましたか――」
 部屋に戻ってきた私を見、彼女が居住まいを正すようにして言った。
「ぼくが、ここに誘ったのでしょうか……」
 私は恐る恐る訊いてみた。もし、そうだとしたら……。
「いえ、そうじゃありません」
 彼女は答えた。「わたしもそうでしたが、三崎さんが酔いつぶれてらしたので、車で帰るのは無理だと思いました。それで、あの時間帯でもチェックインできるホテルを店長に手配してもらい、ここで仮眠をとって酔いを醒ましてから、車で帰ることにことにしたんです」
「そうだったんですか……。ぼくは、さっぱり記憶がなくて……」
「ここへはタクシーで来ました。ですから、三崎さんの車はまだレストランのガレージにあります。わたし、少し飲み過ぎたようですね」
「いやあ、大したもんです。あれで、少し――と言うんだったら、ぼくなんか、それこそ、なんて言うんだろ……」私は言葉に詰まって続けた。「ま、そんなことはともかく、恐れ入りました――というほかありません」
 ああいうのを「鯨飲」というのだろうか――私は心のなかで呟いた。しかし、男に対してならばともかく、女性に向かって、そんな失礼な言葉を口にすることはできやしない。私は口をつぐみ、窓際に立って、カーテンを開けてみた。
 前方――というより、その向こう側はすべて夜空で、下方には夜景が続き、そのさらに向こうには湖のゆったりした光景が広がっていた。まさにそこは、地平線の果てまでうち広がるパノラマの世界だった。その高さと見晴らしのよさからして、ここはおそらく、かなり上層階の一室だと思われた。
「今日が月曜日だから、この部屋が空いていたんですわ」
 窓の外に広がる下界の様子を感動の面持ちで眺めている私を見遣って、彼女はベッドに座ったまま続けた。「いい眺めでしょ。S県一の眺望ですわ」
「ええ。最高ですね」
 私は言って、彼女に訊ねた。「このホテルへはよく来られるのですか」
 言ってから、しまった――と思った。こういうストレートな思い付きの物言いが墓穴を掘る最大の要素となるのだ。しかし、もうやり直しは効かない……。
「そうですね」
 彼女は、素知らぬふうを装って(――と私には思えた)静かな声で答えた。「一時は、そういうときもありましたね……」
 私には返す言葉がなかった。だから、その傷に触れることから少しでも逃れられたらと別の言葉を考えてみたのだが、このときの在庫には見当たらなかった。
 こういうときは、やはり言葉を発しないほうがいい。無理に取り繕ってみても場を白けさせるだけなのだ。弥縫策は所詮、弥縫策に過ぎない……。
 屋上屋を重ねるのは愚の骨頂だ――そう思い、私はなんの言葉も発することなく、その場に佇んでいた。その後、黙したまま動かず前を見る彼女の様子はひどく重かった。うっすらと冷たい空気が、さっとふたりの間に流れたような気がした。
 その瞬間、背後から明るみが射し込んでいるように感じ、彼女への視線を窓の外に向けてみると、確かにその予感どおり、夜空は湖の向こうから白み始めていた。
 夜明けが始まったのだ――。ついに朝になってしまった……。
 私は、なぜか後ろめたい気になった。悪いことをしているような、もしここに彼女の両親や兄弟たちがいたとしたら、思いっきり罵られ、こっぴどく叱られるような、そんな悪いことをしでかしてしまった子どものような気がした。
 これが夜なら、まだ怖くはなかった。だが、朝になってしまったいま、取り返しのつかないことをしてしまったという意識が働いた。仮になにもなかったとしても、私は立派な成人女性と夜をともにしてしまったのだ。
 少なくとも「栞のママ」ファンにしてみれば、ママがどこの誰とも得体の知れない若造と夜を明かしたとあれば「寝耳に水」ということになるに決まっている。それどころか、場合によっては市中引き回しの刑に処せられ、一生、店に出入りさせてもらえない身分にされてしまう可能性だってあるのだ。
 私は、彼女がいかに客たちに愛されているかは、その姿を見聞きしてよく知っている。充分過ぎるぐらい、よく知っている。それだけに、私は彼らの眼が心が、気持ちが理解できた。それが身内とあっては、なおさらだろう。
 私は申し訳ない気持ちがいっぱいになって彼女に言った。
「すみません。ぼくがあのとき、しっかり断っていれば……」
「いいえ。あれは私が悪かったんですわ」
 彼女は、私の言葉を制して言った。「わたしが、つい度を過ごして飲んでしまったものですから、こんな事態になってしまったんです。悪いのはわたしのほうです。三崎さんは、そんなこと気になさらなくていいんです」
「でも、エスコートしなければならないぼくが、こんなことになって……」
 私は彼女に向き直り、頭を下げて続けた。「配慮が足りませんでした。ごめんなさい。このとおりです」
「駄目ですよ、三崎さん。そんなことで、頭をお下げになっちゃ」
 彼女は店での言葉遣いになって言った。おそらく無意識に出たものだろう。そこには、取って付けたような不自然さはなかった。むしろ普段より優しさのこもった声音に聴こえた。そして私は、この声のトーンが好きなのだった。
「男は、そんなつまらないことで、頭を下げないの――」
 彼女は冗談っぽいタメグチ口調で言うと、笑って続けた。「たまたまあそこは想い出の場所だったから、つい飲みすぎちゃったのよ。わたしのほうこそ、ゴメンナサイよ。さて、顔でも洗って、シャワーも浴びて、すっきりして帰りましょうか」
「ですね――」
 私は言って、ますます明るくなってきた空を見上げた。そして、その視線をまっすぐ前方に向けた。湖の上は美しく輝く湖面に変わっていた。「ぼくは、もう歯磨きも済ませましたし、顔も洗いましたから、ごゆっくりどうぞ」
「あら、シャワーは使ってらっしゃらないの」
「ええ、それはまあ、まだですが……」
「駄目よ。お風呂は毎日入らなきゃ――。髪だって、気持ち悪いでしょ」
 彼女は言って、私に自分より先にシャワーを使うように奨めた。だが、私はレディ・ファーストだからとそれを断り、彼女がシャンプーを使って濡れた髪をドライヤーで完全に乾かし、洗面室から出てくるまで湖面を見ながら待った。
 彼女が部屋から出てくると、シャンプーの清潔な香りがした。
「お待ちどおさま――。じゃ、今度は、三崎さんね」
 私は彼女と交代にバスルームに入り、シャワーとシャンプーを使って髪を洗い、タオルに石鹸を擦り込んで身体を洗った。風呂から上がって、ドライヤーで濡れた髪を乾かした。その間に彼女は化粧をし終え、身支度を整えて私を待っていた……。
「ね、すっきりしたでしょ――」
 彼女が弾むような明るい声で言った。
 確かに気分はすっきりした。先ほどまでの妙な心配はどこかへ行ってしまったようだった。私は、リラックスした気分で言った。能天気な私がいつの間にか、厚かましくも朝になって復活を果たしていたのだった。
「このあと、どこかへドライブしませんか――」
「ええ、わたしもそう思っていたところなんですよ」
 彼女が明るく答えた。笑顔が素敵だった。昨夜より綺麗に見えた。
「でも、栞ファンのおじさまやおばさまたちに『市中引き回しの刑』にされたりしませんかね」
「あら、そんな風に思ってらっしゃるの」
「美人局はないとしても、そういう可能性はありますからね」
「大丈夫です。その点は、わたくしが保証いたしますわ」
 彼女は笑い、故意に気取った言葉遣いをして言った。その顔は、湖上の今朝の天気のように晴れ渡っていた。

 十三 最低レベル空間からの脱却

 夏が、もうすぐそこまできていた。私は、去年の冬のある日、栞のママとの一昼夜に亘ったドライブを憶い出しながら、シビックを走らせていた。シビックは相変わらず、快調な走りと機敏な動きを見せ、私の気分をよくさせていた。
 あの朝、私たちはタクシーを呼んでレストランに戻り、シビックを駆って湖岸沿いを巡るドライブを楽しんだ。そのあと、急に思い立って国道から高速に乗り、海に向かうことにした。途中、ランプにあったドライブインで軽い朝食を済ませ、そのまま北に向かって県境を越えたのだった。
 だが、辿り着いた海は一転、厳しい寒さに凍えるようなさざ波を立て、風に逆らっていた。S県での好天がまるで嘘のようだった。私たちは強風で外に出られず、窓を閉め切った車中から荒れ狂う海岸の波濤を眺めただけだった。テトラポットの間から鋭い飛沫を上げる波の向こうに見える空は、雨の到来を感じさせた。
「裏と表では、まるっきりイメージが変わっちゃうんですね」
 私は、遠目に海を眺めて言った。「これじゃ、まるで『津軽海峡~、冬景色』って感じですね」
「そうね。帰りましょうか」
 彼女が言った。「まだ雨が降ってなかっただけでもよかったわ」
「そうですね」
 私は同意した。「これで、雨だったら最悪ですからね。道中、雨にならないといいんですが……」
「祈りましょ」
 彼女は軽く言い、にこっと笑った。
 それから三時間、私たちはカーラジオから流れる音楽やニュース、バラエティ番組に耳を傾けたり、急に思いついた質問をしてみたり、走り去る風景に眼をやったりして、道中を過ごした。ふたりで話していると、退屈はしなかった。
 その間、私は心配した雨に見舞われることもなかったし、事故に巻き込まれることもなく、彼女を無事、店まで送り届けることができたのだった。
「疲れたでしょ」
 店の前に車を停めると、彼女がほっとしたように言った。
「まあ、疲れましたね。でも、栞さんといられて楽しかったですよ」
 彼女は車のドアを開け、片足を車から出すか出さないかを、ちょっと迷うような動きをしたあと、私を見て言った。
「ちょっと寄っていきません。とっておきの美味しいコーヒーをお淹れしますわ」
「そうですか――。では、遠慮なく……」
 ちょっと迷ったが、正直、このまま、あのアパートに帰って冷や飯を炒めてチャーハンを作って食べている自分の姿は、あまりにもいただけなかった。それに、ほとんど一日中運転していたお蔭で、その前に疲れを癒す時間が欲しかった。
 それも、ひとりでは駄目だった。ひとりでこの疲れを癒すには、あのアパートの部屋ではもの足りなかった。私は、彼女の申し出を有難く受け入れた。
「ああ、やっぱり家はいいですね。ここに帰ってくると、ほっとしますわ」
 店のシャッターを開けて、私を導き入れると、彼女はカウンターに立ち、サイフォンの用意をしながら言った。その声には確かに、ロング・ドライブから帰還した安堵感と安心感がこもり、伸び伸びとしていた。「もうちょっとお待ちくださいね。いま美味しいコーヒーを淹れますからね」
「ああ、ありがとうございます――」
 私はいつもどおり、二人掛けの椅子に腰を下ろし、彼女の動作に眼をやった。
 いつもながらに優雅で、素早い手の動きだった。柔らかく青いガスの炎で焙られ、サイフォン容器のなかで沸騰するコーヒー豆のいい香りが辺りに立ち込めはじめ、私は、ようやくK市に帰って来た――という実感がわいてきた。
「いい香りですね」
 私は思わず、それを口にしてしまった――。言わずもがなの感想であり、いかにも陳腐な表現だったが、言わずにはおれなかった。沈黙は場が持たなかったのだ。
 ある意味、この二日間は、私たちにとって長い旅路だった。これほどの長時間にわたって、ふたりが一緒にいたことはなかった。
 その間にふたりは、それこそあらゆることを話し合い、お互いのことを知ったはずだった。それでも私は、彼女のことを少しも知っていなかった。だが、それがわかるのは、ずっとあとになってからのことだった。
「――でしょ。コロンビアです。コロンビアは、この甘い香りが特徴なんです」
 彼女は、私の言葉を受け取って言った。「まろやかな酸味と、マイルドで上品な味わい、そして力強いコクが持ち味なんです」
「さすが――。よくご存じですね」
「なかでも、これが一番好きなんです。皆さん、好きずきはありますけどね」
 彼女は、コーヒーカップに注いだ二人前のそれをシルバーに乗せ、二人掛けのテーブルに運こび終え、私と反対側の椅子に腰を下ろして言った。「さ、熱いうちに召し上がれ――」
 彼女がそこに座ると、私たちは栞とはまた違った喫茶店にいるような気がした。不思議なもので、彼女のいる位置が違うと、主客が転倒するというか、まるで私がこの喫茶店に彼女を誘い、いつもの席で彼女を招待しているような気分になった。
 コーヒーを一口すすると、香りの甘さといい、そのコクの強さといい、そのふたつが絶妙のバランスを保って、私の鼻腔と味蕾を刺激した。これまでここで、日常的に嗜んでいたモカとはまた、違ったまろやかさがあった。
 この頃には、私もいっぱしのコーヒー好きになっていたし、多少のことはわかるようになっていたが、それもこの店の、いや、彼女のお陰だった。というのも、この店に通い始めてからコーヒーを日常的に飲むようになったし、一番最初にモカを薦めてくれたのも彼女だったからだ。
 それ以来、私はここへ来る度、モカのブレンドを頼んだ。逆にいえば、モカに関してだけは専門家に近い舌の冴えを獲得していたといえるだろう。だが、このコロンビアを味わって、まだまだ分かっていないことを実感したのだった。
「確かに美味しいですねぇ。これからは、これにしますよ」
 私は柄にもなく、少しお追従めいた調子で言った。「なんといっても、この香りがいいです。いかにもコーヒーを飲んでるって感じがします」
「あら、無理なさらなくてもいいんですよ」
 彼女は口の端に、ちょっとした笑みを浮かべて答えた。「この甘い香りが嫌いっていうひともいます。こういうものは、ひとそれぞれですから――。お好きなものを飲めばいいんですよ。好きなものなら、いつまでも飽きませんからね」
「そうですね。そういえば、この店に来させていただいてから、モカばっかり飲んでいますが、一向に飽きません。ぼくに合っているんでしょうか」
「おそらく、そうですわ」
 そう言って彼女は笑った。その顔がシビックを運転中の私の脳裡に浮かんだ。彼女が彼女であったのは、あのときまでだった――私は思った。私はいま、かつてのレイクサイドホテル、つまり、いまのホテル・ニューロワイヤルに向かっていた。
 かつてレイクサイドホテルという名であったそのホテルは、倒産後、人手に渡り、暫くごたごたしていたのだが、なにがどう転んでか詳しい事情は知らないが、まるでブーメランのように私の許に帰って来たのだった。
 たまたま、その元々の従業員だったマネージャーが新生なったホテルの支配人に抜擢され、私を憶い出してくれたのが、復活の契機だった。
 その彼とは、あまり懇意ではなかったが、一~二度、仕事の関係で言葉を交わしたことがあり、お互い好もしく感じていたことが幸いした。例の鳩山専務が喜んでくれたのは言うまでもない。ただ前回のこともあり、慎重に――とは言ってくれていた。新規での取引は危険が伴う――ということだ。私は奇妙な因縁を感じていた。
 この湖とは、なにかしら縁がある――。いつもどこかで、それとは知らぬ間に、この湖となんらかのかたちで繋がってしまうのだ。考えてみれば若かりし頃、T市に自転車で向かったのも、この湖の見える国道を辿ってのことだった。
 しかし、だからといって、専務が言っていたように、深入りはすまい。私が深入りすると、碌なことはないのだ。相手のためによかれと思っても、結局は痛い目に遭うのは自分ということになる。
 あれから半年以上が過ぎて、彼女は自分から私の部屋にやってくるようになっていた。自分で作った自慢の夕食料理を持参しては、それを食べさせてくれるのだ。
 最初の頃は、それこそ週に一度あるかなしか――だった。
 だが、それが次第にエスカレートし、多いときには週に三~四回にもなった。ふたりはいつしか、肌を合わせる関係になっていた。それは、ある意味、自然発生的な出来事だった。れっきとした大人の男女が、ひとつ布団で夜を過ごし、夜明けを迎えるのだ。むしろ、そうならないほうが不自然といえたろう。
 私たちは次第に、その逢瀬が不便に感じるようになっていた。というのも、そこには風呂場もなければシャワー設備もなかったし、テレビなどを観ながら差し向かいで食べることのできるテーブルスペースもなかったからだった。
 風呂場はともかく、シャワー設備がないということは、清潔好きの彼女にしてみれば、とても耐えられないことだった。髪や身体を洗いたければ、どこかの銭湯に行かなければならないことを意味した。近くに銭湯はなく、風呂に入りたければ、車で行くしかなかった。夜晩いとなれば、なおさらだった。この頃の銭湯は十一時までで、入り終えるためには、遅くとも十時過ぎまでには出向かなければならなかった。
 つまり深夜にひとっ風呂浴びようかと思っても、そうはできなかったのだ。
 かといって、わざわざ栞に戻って、ひと風呂浴びて戻ってくるというわけにもいかなかった。彼女はそれでいいとしても、私はそうは行かなかった。私がそれをするということは、当然のことながら、憚られた。少なくとも、独り住まいの彼女が男を自宅に引き入れるということが、どんな事態を引き起こすかは眼に見えていた。
 日を追うごとに彼女の不満が募っていった。彼女にしてみれば、私のアパートはまともな生活空間ではなかったし、そもそも人間の住む住居ですらなかった。いってみれば、これ以下はないという最低レベルの小屋だった。
 車は走ればいい、余計な機能は要らない――という私の見地からすれば、家は雨露が凌げればそれでいい――というのだったが、彼女には我慢できなかった。
 そんなわけで、私たちは新居を構えた。
 ――とはいっても、間取り2LDKの賃貸住宅だったが、それでも例のアパートよりは随分とグレイドが上がっていた。なんといっても風呂はあったし、シャワーも使えた。リビングも狭くはあったが、向かい合って食べるスペースはあったし、トイレも水洗だった。しかも、一階だったので、小さいながらも庭も付いていた。
 まさに至れり尽くせりだった。そんなマンションに引っ越し、ほっと一息ついた翌日が、なにあろう、私の誕生日の七月七日なのだった。

 十四 痩せガエルの「空威張り」

 私は、懐かしいあのホテルの佇まいを見ながら、その駐車場に車を乗り入れた。
 ホテルは、その造作をほとんど変えることなく、あのときのまま、私を迎え入れてくれた。おそらく経営者と経営方針、そして名称が変わったくらいで、建物自体はなんら手を入れられることはなかったのだろう。
 カウンター周りとその背景の設えは、新生ホテルのロゴを使ったイメージになっており、その一点だけが様変わりしていた。そして、そこに立っていた新任の支配人が私を見て近づいてくる姿を見て、なんとなく照れくさいような気がした。
「お久しぶりです、三崎さん」
 その支配人は、握手の手を私の前に差し出して言った。「いつぞやはお世話になりました。新任の浜田です。よろしくお願いします」
「いや、こちらこそよろしくお願いします」
 私は、彼の意外に力のこもった握手の仕方、しかも両手でのそれに違和感を覚えたが、なにも言わず同等の力で握り返した。それは、私への期待感の大きさからきたものとも思えたが、そうとばかりは限らないような気もした。
 いくら久しぶりだからといって、なにも両手で私の手をあんなにも固く握り締める必要なんてないのだ。今生の別れのときならいざ知らず、少なくとも、いまはそのようなときではない。まして一度か二度、言葉を交わしたことがあるきりで、懐かしさのあまり感涙して、思わず力がこもってしまったというわけでもない。
 その大仰な身振りに、なにか胡散臭いものを感じた私は、専務の言いつけどおり、あまり深入りしてはならないと警戒心を起こした。考えようによっては、二度も経営に失敗した会社の立て直しを嘱望されて、その緊張が私と逢うことで極に達した。その結果とった咄嗟の行動――ということなのかも知れなかった。
 あるいはまた、他の従業員に見せるパフォーマンスの一環とも考えられた。そのような態度をとることで、いかに私たちが親しい間柄で、どんなことにも融通の利く仲なのだということを示したかったのかもしれない。
 そうすることのメリットとして、たとえば、二度も倒産を食らったこのホテルは、義理を重んずるS県のどのような業者からも相手にされず、他府県の業者である私の会社をこそ起用しなければならない相応の理由があったのかもしれないのだ。
 いずれにせよ、用心するにしくはない――私は思った。
 だが、商談は呆気ないほど順調に終わった。浜田支配人は、私より若干若いものの、それなりな経験を積んでいるようで、こと業務の進行や手順に関しては信用が置けるように感じた。話のやり取りを通して、態度・物腰はややオーバー気味ではあるが、どうやらそんな風に振る舞うのが、彼の流儀であるらしいことが分かった。
 ただし、そこはわたくし浜田が決して悪いようにはしません、どうかご安心ください――という大仰なものの言い方に、ある種の臭さを感じたのも事実だが、それをいうと話が進まないので、口はもちろん顔には決して出さないでおいた。
 ホテルからの帰り道、また私は彼女との生活のことを考えた。
 ここのところ、ずっと同じ思いに浸っているのだが、どうすればよいものか、悩み続けていることがあった。それは、生活費が従来よりぐんとアップしていることであり、住居を風呂なしの安アパートから風呂付マンションに変えたことで、家賃がかなりの部分を占めるようになっているからだった。
 もともと上昇志向のない私だったが、彼女と一緒にいると、そうもいかなかった。私と彼女とでは、そもそも生活レベルそのものが違うのだ。
 いかに貧乏人のお坊ちゃまとはいえ、私には貧乏に対する耐性があった。だが、彼女にはそれがなかった。プライドとは獲得するものであり、諦めるためのものではなかった。嫉妬とは、プライドを傷つけられたときに生ずるもので、悔しさを紛らわすためのものではなかった。
 私には、諦めと世間に対する屈辱感のみがあった……。
 例えば、観葉植物――。
 観葉植物といえば、当時はまだ走りの状態で、いまほど流行していなかったし、いわば「リッチ」な生活のシンボルともいえた時代だった。家のなかに植物、それも樹木があるということ自体、驚きな生活形態で、私にはあまり理解できなかった。
 だが、彼女にしてみれば、それが一般家庭のごく常識に入る部類で、不思議なものでも奇異なものでもなかった。むしろ、家庭を円満にするための必需品であり、夫婦円満の秘訣でもあったのだった。それなくして生活は成り立たないのだ。
 それと、定期預金――。
 これまた私には縁のなかった感覚で、蓄財という観念そのものが欠落している脳の持ち主だったのだ。定期どころか、日常の小銭でさえ難渋する私に宵越しの金は持ち得なかった。効率的に蓄える方法を知らなかった。ということもあるが、あえて稼がねば――という気にならなかったところにも、その遠因があった。
 つまりは、根っからの怠け者で、その日暮らしの生活ぶりは、この頃になってもなお一向に世間の一般常識レベルに追いついていなかったのだ。
 いまでいう「負け犬根性」の典型例だった。健気に尽くしてくれる彼女に対する自分の不甲斐なさは、私に劣等感をもつよう執拗に攻め立てていた。
 このことが根幹にあって、私はこのあとも何度か似たような罠に引っかかって泣きを見ることになってしまうのだが、いまにして思えば、分不相応な思いや願いを抱くことは、この種の男には、どだい不向きなのだ。
 劣等感とプライドは、一般的に言って、相反する概念で、ちょうど天秤棒の左右のバランスが一致しているときの状態が、いわゆるまともな精神状態。少しでも右に傾けば、それは重めの劣等感の持ち主で、その反対側の左が傾けば、プライドが高すぎる人間――というのが普通一般の解釈だろう。
 だが、実際は、この両者は完全密着していると言っていいほど表裏一体の関係にあるので、プライドが高いと、その分だけ劣等感が酷い――ということになる。
 やや卑近過ぎる例でいうと、プライドが高く頭のいい人間、例えば東大卒のキャリア官僚や政治家などが、意外と幼稚なレベルでのヘマをやらかして政治生命を失ったり、権威ある人間や顔の美醜に対して相当なコンプレックスを抱いていたりするのを見かけることがある。それなども、その典型例といえるだろう。
 そんなわけで、私はコンプレックスが強いわりに、それに見合うだけのプライド(他者からみれば、それは痩せガエルの「空威張り」の姿に映ったろうが――)を持っていたことになる。いってみれば、プライドはコンプレックスの裏返しなのだ。
 いくら痩せガエルでも、誰かが面倒見てくれるうちはいい――。いくら威張っていても、それが可愛く見えるうちはいい――。やせ我慢で虚勢を張っている。それくらいなら、まだ許される。なぜなら、その者はまだ愛されているからだ。
 だが、鼻つまみ者になっては、元も子もないのだ。例の忘れられた女のように、そうなってはもうお終いなのだ。世界の終わり。それがやってくるのだ。
 無明の世界――。なにも届かない世界――。声を限りに叫んでも、誰も答えてくれない世界……。それが私という生命体を包むのだ。絶対の孤独。明けない夜。闇のなかで生まれるさらに深い闇が、夜明けとともに私を襲ってくるのだ。
 永遠の沈黙が、永遠にその口を閉ざし、無音の世界を持続させる。それは、息が詰まるほどの恐怖だ。見ているだけで身体がすくみ、息が上がり、肺が新しい空気を求めて足掻き続ける。
 闇は、すぐそこまで来ている――。
 と、そう思うだけで、私は縮小していく自分を感じる。どこかに身を隠す場所がないかと、周囲を探し回るのだ。しかし、闇のなかでは、そんなものが見つかるわけもない。所詮、眼が視えていないのと同じなのだ。
 漆黒の闇のなかでは、あるものも視えない。ないものは、もちろん視えない。恐怖を感じれば感じるほど、私は虚勢を張る。怖くはないぞ――と、怖いのに怖くないふりをする。それが、究極には疎外に繋がる。
 疎外された人間、忘れられた女……。それらがひとつに繋がれるとき、ひとは死を想う。生きていても、死んでいても同じ闇なのなら、その生は死ぬより怖い存在となる。真っ暗闇のなかで生きるのなら、いっそ死んだほうがましだと思うのだ。
 シビックを運転して、会社に帰り着くまでの長い長い無言の思索のあと、私は二度とあの寂しさには逢うまいと思った。それには、グレイドアップが必要だ。痩せガエルではあっても、決して鼻つまみ者にはなるまい――と……。

 十五 恋多きひとの悲しき習性

「専務、ちょっとお時間、よろしいでしょうか」
 私は、専務が珍しく来客用のソファにゆったりと腰を下ろし、愛用のタバコを燻らしているのを見届けて言った。
「ああ。いいよ――」
 専務は目の前の椅子に腰を下ろすよう手で示し、もういっぽうの手でタバコをもみ消しながら言った。「なにかまた、都合の悪いことでもしでかしたのかな」
「いえ、そんなんじゃありませんが……」
 私は腰を下ろしながら言った。「実は、いままで内緒にしていたのですが、一緒に暮らしている女性がいまして……」
「――というと、この前、引っ越した住居で同棲しているってことかな」
「ええ。すみません……」
「なにも、謝ることはないさ――」
 専務は、さきほどよりぐっと砕けた調子で続けた。「きみが誰と一緒になろうが別れてしまおうが、そんなことはわたしの管轄外のことだ。きみの裁量の範囲内でできる物事に対して、わたしがあれこれいう筋合いはない。わたしはそんなことに許認可権を持っていないし、そのことに関してきみが報告する義務もない」
「すみません」
「だから、謝る必要なんかないんだって――」
 専務は私の肩に手を置いて言った。「だけど、ま、きみにも新たな思い人ができたというなら、それはそれでよいことだと思う。取り敢えずは、おめでとう――だな」
「ありがとうございます」
「で、いつだ――」
「いつ――と申しますと……」
「決まってるじゃないか。結婚式だよ。結婚式――」
「ええ、ああ、それは……」
「どうしたんだ。決めてないのか」
「はい」
「まさか、また前のようにしようと思っているんじゃないだろうな」
「いえ、そんなことは……」
「悪いことは言わん。式は挙げなくともいいが、籍だけは入れておけ。そのほうがなにかあっても、彼女を助けられる。もし子供ができたらどうする。たちまち困ってしまうだろう。たまたま前のときは、同棲を承知で一緒になり、向こうから去って行ったからよかったものの、今度もそうなるとは限らん」
「今度は、たぶん、そうはならないと思います」
 私は小さくなって答えた。すべては見透かされているのだ。
「きみも、もう立派な社会人だ。学生時代のように、いつまでもふらふらしているわけにもいかんだろ。上辺だけじゃなく、名実ともに夫婦になるんだ。相手が本気であるのなら、なおさら奥さんには扶養家族になってもらうことだな――」
 専務の深謀遠慮な勢いに押され、私は本来の用件を口にできぬまま、その言いつけに従うことにした。これほどまでに私のことを可愛がってくれているのに、これ以上の願いごとや要求の類いを口に出すのは厚かましいと思ったのだ。
 私は、帰宅して開口一番、シィーちゃんにそのことを話した。
 シィーちゃんというのは、同棲に近い生活をし始めたあたりから彼女を呼ぶために便宜上、付けた渾名で「しおり」の「し」から採った愛称だった。
 シィーちゃんと私は、この頃には、ほとんど友達同士の会話口調になっていて、私はそのままリュウちゃんと呼ばれていた。彼女のほうも、例の文学少女のイメージは払拭し、少なくとも私の前では出さないようになっていた。
 ただし、相手をちゃん付けで呼ぶときは、お互いに心がリラックスしているときに限っていたし、普段は「シィー」と「リュウ」と呼び合うのが普通だった。
「あなたの話はわかったわ――リュウ」
 シィーちゃんは私の話を聴いたあと、引き締まった表情を浮かべて言った。「でも、その前に会ってほしいひとがいるの」
「誰……」
「ミホ」
「みほ――」
「ええ。ミホよ。里中未歩――。いつか話したことがあったでしょ。わたしと同じ佐賀出身で、わたしよりあとにK市に越して来た女友達……。まず、彼女に会ってもらうわ。籍に入れる入れないは、それから決めることにする。いまのところ、わたしはその必要はないと思ってるから――」
「わかった」
「彼女は、これまでのわたしと、その相手をすべて知ってるの。だから、今度は、彼女の意見を聞いてからにするわ。構わないかしら」
「ああ。構わない――」
「それで、もし彼女が駄目といったら、アウトね」
「いいよ、それで――。ぼくとしては、無理強いしたくないから……」
「ありがとう。じゃ、日にちと場所をセットするね。わたしがいないほうが話しやすいでしょ」
「まあね……」
 そうして二日後の日曜日、私は彼女が指定した喫茶店を訪れることになった。その喫茶店は、彼女が栞をする前に修行した店でもあるらしかった。
 私がその店に行くと、彼女が話していたとそっくり同じイメージの女性が先に来て私を待っていた。小柄な身体を黒い印象の衣服で包み、清楚な笑顔が素敵な女性だった。私は、その女性がすぐに未歩さんだとわかり、近づいて行ってその前に立ち、念のため、里中未歩さんですね――と訊ねてみた。
 里中です――と素敵な笑顔とともに返事があったのを機に、自分が三崎龍三郎であることを告げ、その前に腰を下ろした。
「シオリが言っていたとおりの方ね」
 私が椅子に腰を落ち着けるや否や、彼女が私を打ち眺めるようにして言った。「これまでとは、全然違ったタイプの方だわ――」
「そうですか」
 ――とは言ったものの、そのあとをどう続けてよいものかわからなかった。
「いらっしゃいませ」
 後ろから女性の声が聞こえ、振り返ると、そこに年輩の女性が立っていた。
 年恰好と立ち居振る舞いからすると、この店のオーナー、もしくはママであるらしい雰囲気が漂っていた。いや、風格といってもいいだろうか……。
「お飲み物は、何になさいますか」
 その声のトーンは、シィーちゃん、いや、栞のママそのものだった。
 彼女は、この声の出し方をここで学んだのだ。「何にしましょう」でもなく、「ご注文は――」でもなく、「いかが致しましょう」でもない。あくまでも控えめにこちらの意向を訊いてくる。この作法の在り方が、彼女に伝授されたのだ。
「ホットをお願いします」
「ホットですね。畏まりました」
 ああ、やはり彼女の声だ――。注文を訊いて恭しくさがっていくママの後姿を見ながら、私は心のなかでシィーちゃんの声を反芻していた。
「あのひとが、ここのママよ――」
 未歩さんが、ママの後姿に眼をやりながら言った。「聞いているかもしれないけど、彼女、いまのお店やる前、このお店で最終仕上げをしたのよ。オープン前のリハーサルとリサーチを兼ねてね。それまでは業者さんと一緒に、K市にあるあちこちの喫茶店を回ってリサーチを重ねたっていうわ」
「ええ、聞いています。いまも思っていたんですが、やはり接客する時の態度っていうか、オーダーの受け方なんかはそっくりですね。まるで彼女が言ってるのかと勘違いするほどでした」
「そう言われればそうね、確かに――」
 未歩さんは感心したように言った。「態度から物腰までママそっくりだわ」
「おそらく――」
「おそらく――なに」
「おそらく相当、入れ込んだんじゃないかと思います」
「そうね。凝り性の彼女だから、よほど入れ込んだんでしょうね。あのときの彼女の形相は、普通じゃなかったもの。それだけ真剣に取り組んでいたってことね」
「そうですね。凄いなって思いますよ」
「ま、それはそうとして……」
 未歩さんは、急に真顔になって言った。「本題のことなんだけど、あなた、彼女のこと、どう思って――」
「結婚しようと思っています」
「それは、わかるわよ」
「はい」
「そんなんじゃなくて、彼女をどうしよう――と思っているのかってことを訊いてるのよ。彼女は、ある意味、普通のひとじゃないの」
「普通じゃない――っていうと……」
「これも聞いているかもしれないけど、あのひと、色んなひとと恋に落ちて、その度に失敗してきたひとなの」
「ええ。それは聞いています」
「きっと体質が惚れっぽくできているのね。俗にいう『恋多きひと』っていうのかしら。それも、ちょっぴり変わったひとが好きなの」
「変わったひと――ですか……」
「一種の習性みたいなものね」
「習性――ですか」
「そう。習性よ。彼女にとって、恋はいつも美しくあらねばならないし、どこにでもある平凡なものであってはならないの。悲しいけれどね」
「習性というのは、『癖』のようなものと捉えていいんでしょうか」
「そうね。癖といっていいかもしれないわ。しっかり彼女の身に付いてしまった癖のようなもの。だから、その悲しい癖はいつまでも取れないの」
 私は、その言葉の意味がわかるような気がした。

 十六 地獄の責め苦への道行

「で、どうするの――」
 未歩さんは訊ねた。あれから、彼女は友人シオリの性格や生活ぶり、これまでの男性遍歴に纏わる逸話をたっぷり聞かせてくれた。これは、その上での質問だった。
 しかし、彼女は私の返事を待たずに続けた……。
「シオリはああ見えて、寂しがり屋で独占欲の強いひとよ。嫉妬深いというんじゃなくて、自分には許せても、相手の浮気は絶対、許せないタイプ。そうされると、酷く傷つくタイプなのよ。侮辱には、ひと一倍敏感で、我慢できない。気位が高くて、ひとより上でないと気が済まない……。蔑まれるのが嫌いで、そうとわかったら、徹底的に何年でも何十年でも、それこそ一生涯、恨み続けるタイプよ。あなたは、それでもいいの。そんな女と一緒にやってゆけると思う――」
「行けるかいけないかは、やってみないと判りませんが、少なくとも彼女にとって、ぼくが最後の男でありたい――とは思っています」
「そう……。そういう覚悟はできているのね」
「はい」
「あなた、文学はお好き――」
「ええ。一応は……」
「じゃ、『死の棘』っていう小説はご存じ――」
「いえ」
「浮気の所為で毎日々々、妻に責め詰られる夫の物語なんだけど……」
 未歩さんは組んだ両手を顎の下に置き、私を見上げるようにして言った。「その奥さんがわたしと同じミホという名前なので、興味深く読んだわ。だけど、それを読んで男のひとも大変だなって思った。書きぶりは、悲壮感がないように見えるけど、内実は身につまされるくらい酷い責め苦の連続なの。あなたもちょうど、それみたいな地獄の日々を送ることになるかもしれないわ……。それでもいいのかな――」
「申し訳ありませんが、それについてはなんとも言えません」
 私はいままでの自分の人生を振り返り、黙考を重ねてから口を開いた。「ぼくはこれまでの人生で、自分の思い通りになったことは一度もありません。そのほとんどが失敗に終わるか、未遂のままになっています。ですから、だ、断言までは……」
「確かに、そうかもしれない。未来に起こることなんて、誰にも判りゃしないし、知ろうと思ったって、知ることは叶わない。どんなに確信や自信があるからといって、空間が変われば事態も変化する――。避けようのないことだって起こるわよね」
 未歩さんは、顎の下で組んでいた両手をほどき、ふうーっと深い溜息を吐いて言った。「結局は、誰にも未来を予断することはできないのよね。どんなに愛していたって、裏切られることはあるし、裏切ることもあるわ……」
 未歩さんは、そこで押し黙り、深く息を吸い込んだあと、顔を上げて言った。
「わかった――。あなたを信用することにする」
 その一言で、私の運命は決まった。
 私たちは、それから一ヶ月後に籍を入れ、専務の計らいで、その翌月から扶養家族手当を給料にオンしてもらうこととなった。少しではあったが、専務の好意から出たものであることを考えると、贅沢は言えなかった。
 前回の失敗もあり、今回は披露宴的なものは催さなかった。だから、私たちが夫婦になったことは、未歩さんなど、ほんの少数の者でしか知らなかった。
 もちろん、栞ファンの客たちも知らなかった。噂くらいは出ていたろうが、敢えてママに確かめるほど無粋なお客さんはいなかった。そういう意味では、籍のあるなしは実際生活のなかでは、私たちになんの変化ももたらさなかった。実質的にはともかく、外面的にはなんら変わった動きは見えなかったからだ。
 しかし、誘惑の魔の手は思わぬところからやってきた。
 私の心の油断がなした業だったが、その根幹に劣等感を克服しようとの欲望を孕んでいただけに、ついその気になってしまったのだった。
 だが、そのことについて触れる前に、いま少しそこに到るまでの心情を解き明かしてからのほうがいいだろう。でなければ、読者はなんのことやらさっぱりわからぬままに読み進め、いつのまにやら読むのを諦めてしまう可能性だってあるのだ。
 物語の正しい進め方というのは習ったことはないし、誰もそんなものを教えてくれはしなかったが、少なくとも書き手として、読者にわかる範囲で話を進めなければならない。しかし、歳を取ると、どうにも気持ちばかりが先走ってしまい、順を追ってものを書こうという気が、どこかへすっ飛んでしまうのだ。
 ひょっとして、認知症の予兆なのかもしれない――。つぎからつぎへと新たな構想と展開が湧き出てくるのだ。じつに困ったことではあるが、まともな小説にするためにも、ここは心を落ち着けて、いくら回り道をしているようで辛気臭くとも、時系列とその心情に沿った書き方を進めていくことにしよう。
 ――と、そんなわけで、この頃の私は、ある種の劣等感に悩んでいた。
 それは、言うなれば、世間でいうところの「苛立ち」のようなものだったが、どこからその「苛立ちのようなもの」が湧いてくるのかはわからなかった。環境は明らかに変わっていた。それまでは確かに、自由気ままな独り暮らしだったのだ。
 ところが、二人暮らしになって暫くすると、その真綿で締め付けられるような窮屈さが身体のどこかで、小さな悲鳴を上げるようになっていた。最初は、よほど身を澄まさなければ聴こえないほど小さな声だったが、ひと月が経ち、三月が終わり、半年も過ぎると、街中でも聞こえるほどにその声は大きくなって行った……。
 たとえば本来、気持ちいいはずのセックスにしたところで、義務感のようなものが先行し、あまり気持ちよく感じなくなってしまうときはないだろうか――。
 一種の強迫観念のなせる業ともいえたろうが、相手が満足するまで持ち応えることができず、自分だけが先に行ってしまったときの後味の悪さ、蔑みの眼で見られるときの気恥ずかしさや居たたまれなさ……。そういったものが相当するかもしれない。
 そういうのが飛沫を上げる岩肌に沁み込み、徐々に徐々に苔のように触手を伸ばし周囲に広がって行って心の奥底深くに棲みつく。そしてなにかあると、むくむくと頭をもたげ、顔を出してきては正しい行動を択ることを阻むのだ。
 潜在的な欲望は刺激によって顕現する。さきの例は性欲に関する例だったが、性欲のないとき、ひとはセックスをしたがらない。それを強いて行うと、さきに言ったように義務感が先行し、あまり気持ちのいいセックスとはならない。
 つまり、欲望なくしての犯罪や失敗は存在しないのだ。欲望があるからこそ、つい誘惑に負けてしまう。誘惑に負けてしまうから、してはならないことをして失敗する。
 悪いことは重なるというが、根幹にそれがあるかぎり悪いことは続き、ちょっとしたことが切っ掛けで、またぞろ同じことが繰り返される……。
 未歩さんが言ったように、空間が変われば事態も変化する――のだ。空間か根幹のどちらかを変えなければ、生涯にわたって、事態は変わらない。
 無関心、無気力からは、新たな欲望は生まれない。
 あるひとが言っていたが、金を貯めようと思えば使わないことだ。そうすれば、必然的に金は貯まる――と。確かにそうだろう。まずは目移りしないことだ。
 それとまったく同じで、欲望は溜め込んでおくと、いつかは爆発する。溜まりに溜まったマグマは、ちょっとした刺激で心の奥底深くからあふれ出すのだ。だから、欲望は持たないことだ。欲を持たないことで、逆になにかを得ることもある。
 それが、失敗しないための、唯一の心の保ち方だ。
 だが、私はその苛立ちや目移りを抑えることができなかった。いつも同じ喩えで恐縮だが、したくないセックスを強要されているような気分だった。
 だからといって、その空間から逃げ出すことはできなかった――。
 私には、二度とそうすることは許されなかった。「最後の男になる」と啖呵を切った以上、もう後戻りすることはできなかった。たとえ、それが性欲のないときに強要されたセックスであったとしても、それを拒むことはできなかったのだ。
 義務として、男として、根幹を変えなければ――と思ったのだ。少なくとも、私と一緒になってくれた女性は、ひとし並みの感性を持った女性で、リュンやチッチやナオのように特異な感性をもった女性ではなかった。
 それには、私は男であらねばならなかった。一家を支えるだけの金員を稼ぎ出し、家族がいれば、それらが不自由なく過ごせる経済生活を維持するだけの胆力を備えていなければならなかった……。
 おそらくそれが、私に誘惑の魔手に触れさせた最大の要因だった。こともあろうに私は、もっともしてはならない裏切りを犯してしまったのだ。それは、今の会社を辞め、もっと高給をはずんでくれる会社への乗り換えという手段だった。
 まさにこの、ちょっとした心変わりが地獄の責め苦への道行となるのだったが、当時の私はグレイドアップすることにのぼせ上っていて、あとさきのことを考える余裕がなかった。恩を仇で返すような卑怯な振る舞いに罪の意識も感じることなく、私は悪魔の囁きに耳を貸してしまったのだった。

 十七 細い梯子を伝って屋根に昇る

 愛するひとの望みを叶えるというのは本来、楽しく嬉しい部類に入る。
 それが、たとえ冷蔵庫から当人の欲しいものを取り出して与えるという、たったそれだけのことでも喜びを感じる。なぜなら、相手がそうした行為を喜び、感謝の意を示してくれるからだ。ときには、ハグという行為で示してくれるかもしれない。
 だが、愛せなくなってしまうと、かつては喜びを感じ、命じられることが嬉しかったそんな簡単な行動すらも面倒臭く感じ、そんなことくらい、自分でやってくれよと願うようになる。それが人情だし、世の常というものだろう。
 そうなってくると、けだし面妖なもので、ハグという、あれほど嬉しかった相手側の優しさに満ちた行為も反吐が出るほど嫌悪感のある横暴な振る舞いとなり、触れられるのも、その息を嗅ぐのも、声を聴くのも嫌――ということになる。
 根幹が同じものであるかぎり、悪いことは重なる。背伸びした上に高下駄を穿くという、いかにも珍奇で愚かな生活が長続きするはずがない。
 当時の私の知的水準で行けば、実存主義の哲学者カール・ヤスパースがいみじくも措定しているように、人間は「屋根の上に立つ存在」に外ならず、油断すればすぐに足を滑らせて転落する、きわめて危うい存在のはずだった。
 ――にもかかわらず、私は知識として、そのことを識ってはいても、実感として受け止めていなかった。すなわち、うろ覚えの、付け焼刃な情報の一種としてしか捉えておらず、自家薬籠中のものとして骨肉化してはいなかったのだ。
 なんという学者が言ったのか、記憶は定かではないが、どこかで眼にし、感銘を受けた言葉に、変化から得られるものは不確実だが、変化によって失われるものは確実にある――という意味合いのものがあった。つまり、変わることで得るものは、変わらないで得られるものと比べれば、格段に差がある――ということだ。
 変化を求めれば、確実に失うものがある。その失うものは、まだ見ぬ不確かなものではない。現在、目の前にある確かなものが「確実に失われる」ということだ。
 変化がなければ、現在あるものは失われることはない――との謂いだろう。
 だが、本当に現在あるものが未来永劫、変わらないままであることができるのだろうか。果たして変化を求めなければ、ものごとは変わらないのだろうか――。
 変化のもたらすものは確かに、不確実なものになるのかもしれないが、ものごとは放っておくことによっても、勝手に変化するのではないか。なにもしないでも、ものは自然に変化していくのではないか……。
 もしそうなのであれば、確実に失われるものがあることを承知の上で、変化に取り組んでみることはどうなのだろう。
 それが想定内のできごとであるならば、なにも後悔することはない。
 屋根の上に立つ存在としての自分を自覚し、あらかじめ転落する時期と場所を設定しておくことができれば、少しでもその痛みを軽減することができるはずだ。うまくいけば、転落そのものを回避することができるかもしれない。
 まさにそれは、一種の賭けだった。失うのは、いまの苛立ちを伴った生活。ひと並みではない――という劣等感に苛まれる日々。得るのは、高給とそれによるリッチな日々。妻の幸せそうな顔とハグ。フロアにどっかと置かれた観葉植物……。
 まさに能天気で、都合のいい願望の羅列――。莫迦の極みの「欲望の産物」であったが、このようにして私の心のなかの前提条件は、徐々に整えられて行った。確実に失われるものの大切さに気付くことなく、私は深夜に徘徊する獣のごとく眼をらんらんと輝かせて、そうした願望をかなえてくれるチャンスを窺っていたのだ。
 自惚れによる思い込みだけが根拠の、まことに情けない願望だった。自分の能力を買いかぶり、身のほど知らずの大バカ者とは、この私のことだった。
 焦りとストレスと抑圧に身もだえするほどの苦痛に耐え、顔ならぬ胃の壁を歪めながら、私はその機会を待ち受けた。中小企業の集まりである異業種交流会にも顔を出し、名刺をばらまいては名前と顔を売った。酒こそは飲まなかったが、なにかのパーティに招待されれば、喜んで出かけて行き、乞われれば、苦手なひと前での講演や演説もしたし、ビジネススクールでのコピープランの書き方も伝授した……。
 そうしたとき、例のホテル支配人浜田氏が話を持ち掛けてきた。
 ホテル・ニューロワイヤルその他の娯楽施設や宿泊施設の経営母体であるサニーエンタテインメント・ホールディングズが、企画開発部のイベントプランナーを募集しているが、私にその気はないか。あるのであれば、しかるべき口利きはする。給料もそう悪くはないはずだ――というのだった。
 渡りに船とは、このことをいうのかもしれない……。
 私は内心、運が回ってきた――と喜んだが、もちろん顔には出さず、暫くは考える猶予がほしいといって、その場での返事は留保した。もとより妻が私に望んだことではなかったし、そのようにせよと命ぜられたわけでもなかった。
 すべては、私がその類いまれな劣等感ゆえに仕組んだ小手先の、しかも得手勝手な生活向上計画案だった。当時の流行り言葉でいえば、ハイソな感覚。いまどきのそれでいえば、セレブなイメージ……。それが、私には劣等意識を催させられる元凶だった。これを克服するためには、自らがそれを体現するしかなかった。
 私は、妻がもっとも機嫌のいいときがくるのを辛抱強く待った……。
 話を聞いてから二日が経ち、三日が過ぎ、四日目を迎えた日曜日の朝、ついにその機会がやってきた。その日は快晴で、五月の風が心地よく窓から入ってきて、妻の好きな白いレースのカーテンをゆっくりと揺らしていた。
 二人が正式に籍を入れてから、栞の定休日は日曜日にしていた。そうでないと、私と休みの日が合わず、色々と不都合なことが生じたからだった。どの道、日曜日は客の入りがよくなかったし、とくに私が通わなくなってしまってからは、坊主のときも多くなっていたらしいから、そうして正解だったと彼女は言っていた。
 この日、妻はすこぶる気分がよいらしく、昼からも猫の額ほどの庭で趣味のガーデニングに精を出しながら、鼻歌も出るくらいの機嫌のよさを見せていた。
「ねぇ、あなた――」
「なに」
「このあと、ホームセンターに行かない――」
「いいよ」
 私は読んでいた文庫本から目を離して言った。「手が空いたら、いつでも言って」
「買いたいものがあるのよ。今朝の新聞折り込みに出ていたカポック――」
「ああ、わかった」
 私は、しめた――と思った。彼女のいうホームセンターは例の、S県は湖畔沿いの県道脇にあるのだ。つまり、行楽ドライブを兼ねてのショッピングといっていい。その帰りに休憩を口実に喫茶店にでも入り、あのことを切り出せばいい……。
 私の背丈ほどもあるカポックと鉢植えのベンジャミンを買い、苦労してシビックに積み込んだあと、私たちは国道脇のレストランで早めの夕食をとることにした。
 そこは、全国チェーンのステーキ店で有名なレストランだったが、当時の私たちが好んで出入りしたお気に入りの店のひとつで、今回のような行楽ドライブやショッピングを愉しんだあと、ここに立ち寄ってステーキを頬張るのが、ふたりのささやかな和みのひとときにもなっていたのだった。
「久しぶりね、ここにくるのも……」
 彼女が感慨深げに言った。
「そうだね。春先に一度きて、それ以来だね――」
 私は何気ないふうを装って言った。「相変わらず、ここから見る湖は綺麗だ」
「あなたが担当しているホテルって、この近くにあるんじゃなかったっけ」
「ああ、そうだよ――」
 いいタイミングだ。私は鎌をかけてみた。「この先、五キロほど北に行ったところにあるんだ。行ってみるかい」
「嫌よ。あなたの仕事先になんか行きたくないわ。却って、あなたの顔を汚すことになるかもしれないもの――」
「そうか。じゃ、いいか」
 想定内だった――。彼女は、男の世界にちょこちょこ顔を出すタイプの女ではないのだ。私は内心、安堵した心境で言葉を繋いだ。「そのホテルといえば、浜田さんという、ぼくとほぼ同い年の支配人がいてね」
「ええ」
「ぼくに、仕事を手伝ってくれないか――と言うんだ」
「手伝って――って……。現に手伝ってるじゃない」
「それは、まあ、そうなんだけど……。もっと違った意味で、仕事をしてほしいらしいんだ」
「よくわかんないわね」
「つまり、そのホテルの親会社であるサニーエンタテインメント・ホールディングズが募集している企画開発部のスタッフにならないか――というんだ」
「それって、つまり、引き抜きっていうこと――」
「まあ、言いようによっては、そうなるかも……」
「大丈夫なの――」
「というと――」
「そのひと、信用できるひとなの」
「まあ、できると思うけど……」
「まあ――ってなによ。ずいぶん自信なげな言い方じゃない」
「聞きようによっては、そう聴こえるかもしれない。でも、そのひとはそれほど変なひとじゃないんだ。ある意味、大仰にものを語るひとではあるけれど、支配人に抜擢されたほどのひとだから、それなりに信用はできると思う」
「思う――だけでしょ。それも、あなたが……」
「まあ」
「うーん。それだけじゃ、なんとも言えないわね」
 彼女が腕を組んで考え込む間、私は以前にこのホテルの前々支配人にハメられたことを憶い出した。だが、そのことは口には出さなかった。これまでも話したことはなかった。チッチとのことが話題になるのを極力、避けたかったからだ。
 妻は、私の過去の女の話が出るのが好きではなかった。
 世間一般の常識で言えば、それは当然のことだったろう。彼女もまた、その例外ではなかった。本人自身は過去の男の、いかに立派であったかについて、ことあるごとに自慢するひとではあったのだが、それについてはまだここには書くまい……。
「返事するまで、暫く猶予をくれとは言ってある――」
 私は、強弁したくはなかったので、含みを持たせた言い方で切り抜けた。「きみが賛成してくれないなら、この話はなかったことにしてもいいんだ」
「そう決めつけられても困るけど、わたしとしては、いまのままのほうがいいと思うわ。専務にはずいぶんとよくしてもらっているんでしょ」
「ああ、それはそうなんだが……」
「だけど、それを決めるのは、わたしじゃなくてあなただから、わたしからはなにも言わないわ。本当にそれがしたいと心から望むなら、決めればいいじゃない」
 その言葉から、なんらかの言質らしきものをもぎ取るわけにも行かなかった。
 決めるのは、私自身であり、彼女ではなかった。私は、浜田支配人から差し出された一本の細い梯子に縋って、いまより少しでも高い屋根の上に昇ろうと思った。
 人生、六十年とすれば、私はその半分以上を費やしていた。年齢からゆけば、ちょうどその折り返し地点を過ぎた辺りだった。いまやらなければ、もう少しあとでは遅すぎる。私はただでさえ、ひとより出遅れているのだ――。
 勇気を出さなければ……。失敗を恐れていてはなにもできない……。
 妻からの確固とした応援の約束もなければ、やる気の出る激励の言葉もない、あまりにも殺風景な屋根の上の道行であるような気がしたが、少なくとも足元だけはしっかりと見定め、転び墜ちないようにしなければ――と心を引き締めた。彼女とその生活の向上のためにも……。

 十八 自分ごとは自己責任で決める

 思う――だけでしょ。それも、あなたが……。
 妻の言葉が耳朶に突き刺さっていたが、私は強いて痛くないふりをした。
 ――というより、心の耳を閉ざした。そうすることによって、彼女の吐いた言葉が含む意味を回避しようとしたのだ。後半の「それも、あなたが――」の言いさしは、明らかにひとを見る眼のない私になにかを悟らせようとする言葉だった。
 若き日に詩の同人に入り、言葉に磨きをかけた経験のある彼女には、私のなにもかもはお見通しなのだ。人生の決断は、ひとの言葉を頼るのではなく、自己責任において判断すべき――というのが、彼女の伝えたかったことなのだろう。
 だからこそ、彼女は「本当にそれがしたいと心から望むなら、(自分で)決めればいいじゃない――」と冷たく私を突き離したのだ。敢えて「自分で」という単語を差し挟まなかったところに、彼女の知恵の奥行が見えた気がした。
 私は、そのことを踏まえた上で、あの話を進めることにした。
 だが、まずは、さもしい所業かもしれないが、そのメリット、デメリットを存分に検討吟味してからでなければならない。急いてはことをし損ずる。ことを進める順序を一歩でも間違うと、すべてはおじゃんになるのだ。
 一応、家庭内での処理は終わった。少なくとも自分勝手に進めたわけではない。
 言質こそ取れはしなかったものの、消極的な了承は得たのだ。
 つぎに必要なのは、相手がどれだけの誠意をもって遇してくれるかだ。
 それ次第では、この話はなかったことにすることもあり得る。両天秤に掛けるわけではないが、危険な綱渡りを決行する以上、その綱の向かう先にあるものが不明なものであっては、足を踏み入れることはできない。
 一回転して後戻り――どころか、逆向きに歩くという器用な芸当はできない。そんな体操は、小学校でも習ったことはなかった。
 第一に私は、地上回転でさえ成功体験のないスポーツ音痴だった。一旦、足を下した以上、否が応でも、そのぐらぐらとした緩いロープの上を、終端にあるはずの結び目に向かって、ただただ歩んでゆくしかない……。
 だから、専務にこの話をするのは最終的な処理段階――ということになる。
 私は、その翌日、浜田支配人にその後の段取りを訊ねてみた。私の待遇はどうなるのか。ペイはどのくらいなのか。その職掌は……。――などなど、買い手側の意向をまったく無視し、実に虫のいい項目だけを論った質問だった。
 だが、そんな厚かましい質問にも、彼は一句たりとも批難がましい言葉を口にせず、しかし、下手な言質を与えないよう細心の注意を払って応えた。
 基本的には、それらのすべては決裁権限のある社長が決めることであって、彼の任には及ばない。したがって、そうした諸々の要求・要望の類いは、売り手であるあなたの専権事項で、そこまでのお手伝いは勘弁してほしい――というのだ。
 とどのつまりは、ここでも私は、自分ごとは自己責任において進めよ――とのご託宣を賜ったことになるのだった。
 彼曰く、ついては、社長との面談日だけは自分のほうで設定させてもらうので、その日が決まったら、連絡する――ということになった。
 本来なら、この時点でなんらかの危険性を察知し、あの鳩山専務のように静観しておけばなんら問題なく、ことなきを得たかもしれない。
 だが、私は自ら仕掛けた罠に功を焦り、勇み足になっていた。いくら専務には打ち明けていないといっても、乗りかかった船は、すでに岸を離れている。期待への気持ちが昂り、下船を考える精神的余裕はなかった。裸で海へ飛び込めば、体力のない私のこと、泳ぐのに疲労困憊し、溺れ死ぬのを待つだけの身となる……。
 私は、それでも構わないとオーケーし、彼の返事を待った。
 五日後、彼から連絡があった。K市の別荘地ともいうべき景勝地の一角にある社長の自宅に、わたしも行くから一緒にお願いしよう――と言ってくれたのだった。
 着いて見ると、さすがに別荘地にも値しようという景勝地の一角だけあって、その地域一帯には、広大な屋敷がつぎからつぎへと建ち並んでいた。そのなかでもひと際、威風堂々とした造りの、眼を惹く邸宅があったが、それが社長の自宅だった。
「浜田です。三崎さんをお連れしました――」
 タクシーを降りた私を先導するように前に立って歩いた浜田支配人は、ベンツが五台ほど左右に並べられるくらい広い間口の端にあるインターフォンに向かって言った。ほどなく女性の声で、待っていた旨の言葉とお入りくださいとの応答があり、私たちは自動的に開いた重厚な門のドアを抜けて、母屋のある玄関に向かった。
 そこには、和服を着た年配の女性が待っており、私たちを見て上品な会釈をしたあと、こちらへどうぞ――と先に立って応接室に案内した。
 通された部屋で待っていると、お茶が運ばれてきて、もう少しお待ちくださいと言われた。さきほどの女性とは、また違った若い女性だった。やはりその彼女も和服姿だった。私たちは、お茶が運ばれてきたあと、それには口を付けなかった。
 暫くそうしていると、鏡とも見紛うほど磨き抜かれた卓の上のお茶からは、これまでに嗅いだこともない芳ばしい香りが漂ってきた。数多くあるであろう他の部屋からは、なんの物音も聴こえなかった。
 森とした沈黙だけが、心に届いているような気がした。
 よほどよい茶葉を使っているのだろう――緑茶にはあまり縁のない私は、適当なことを考えて時間をやり過ごした。緊張をほぐすには、精神を落ち着け、リラックスした気分でいるのが一番いいのだ。その間、浜田支配人は溜め息ばかり吐いていた。
「いやあ、お待たせしましたな」
 背の高くすらりとした中年の男性が、これまた和服姿で現れ、私たちの前に腰を下ろしながら言った。「わざわざ拙宅にまでお越しいただき申し訳ありません。これでなかなか忙しい身でしてね。時間があまり取れんのですよ……」
「この度は貴重な時間をお取りいただき、誠に申し訳ありません――」
 浜田支配人が心からそう思っているように、深く頭を下げて言った。その後ろ姿が私にもそうせよ――と仄めかしているように思えて、私も同様に頭を下げた。
「いやいや、そういう意味で言ったのではありません」
 社長は軽く手を振って往なし、私を見て続けた。「三崎さんも、どうかお気になさらずに――。どうもこの浜田は、なにごとも大仰に捉えるクセがありましてな。誇大解釈癖とでも申しますか、立ち居振る舞いもどちらかと言えば大仰なんですよ」
「いえいえ、そんなことは……」
 と、私が否定しようとすると、社長はにこりと笑って私を制し、私の隣で相変わらず畏まって二周りも縮んでしまったような浜田支配人に眼をやって続けた。
「いやいや、遠慮なさらずともよろしい。この浜田とは今後、一緒にやって行ってもらわんといかん間柄です。まずは、仲よくしてもらわんと――。入社前から、こんな調子では先が思いやられる……。な、そうだろ。浜田くん」
「あ、はい。そ、そのとおりです」
 浜田支配人はいつもに似ず、ややどもりながら言った。
 それから私たちは、社長の自慢めいた長話を延々と聞かされることになった。
 そこには、将来の海外展開に向けての展望あり、上場会社に向けてのビジョンあり、システムとしてのチーム編制プランあり、果ては社員の家族全員に対する、この会社独自の福利厚生案あり――と種々のものが複雑に入り混じっていた。よいものもあれば、陳腐なものもあった。大きなものもあれば、小さなものもあった。
 だが、それらがいつの時代かはともかく、実現するときがくると仮定すれば、総じて悪いことはないように思えた。ときおり交えられる社長自身の生い立ちから今日に至るまでの苦労話も、それなりに私の心を打っていた……。
「で、どうだろうね、三崎さん――」
 社長はひとしきり話し終わったあと、傍らの湯呑茶碗に手を伸ばし、茶を一口ばかり啜って、それを元あった場所に戻して言った。「これでひととおり、わたしの思い付くまま、弊社にまつわる話をさせてもらったことになるわけだが、貴君にはわたしどもの会社に入るご意志はおあり――と解釈してよろしいのかな」
「こんなことを言うと、お気を悪くされるかもしれませんが……」
 私は一瞬、返事に詰まったが、勇を鼓してそれだけを言った。数秒間の沈黙が三人の間に漂ったのち、社長がそのあとを繋ぐように続けた。
「どんなことでも構いません。どうかご遠慮なく仰ってください。なにごとにも確認や承認の類いは必要です。それなくしては、ものごとは進みませんし、あとあと面倒なことになります」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて単刀直入にお訊ねしますが、ペイはいかほど頂戴できるのでしょうか」
「ほほう、これはこれは――。確かにお言葉どおり、単刀直入ですな」
 社長は、高らかな笑い声を上げたあと、にこやかな笑みを湛えて言った。「では、こちらも単刀直入にお訊ねすることにしましょう。三崎さんとしては、いかほどならばよい――とお考えなのでしょうかな」
「ざっと三十万。額面ではなく、手取りで――です」
 私は間髪を入れずに言った。
 これまで何度も頭のなかで繰り返してきた言葉だ。こんな場合、返事に窮していては足元を見られる。即座に応えてこそ、効果があるのだ。相手がなにも答えないのを見て、私は続けた。「正直言って、この金額はわたしがいまもらっている給料の倍です。しかし、倍とはいっても、もともとの給料が安過ぎるのです」
「確かに、そのお歳で、その給料は安いですな」
 社長は鷹揚に構えて言った。「額面でいうと大体、年齢×一万円が相場と言いますからな。わかりました。当方は三十八万出しましょう。それで、よろしいかな」
「ありがとうございます」
 私は頭を下げて言った。傍らで浜田支配人も頭を下げているのが見えた。
「三崎さん、あなたは実に堅実な方だ――」
 社長は、大きく眼を見開いて言った。「それくらいならば、手取り額はご要望どおりになるでしょう。だが、嘘は言わない、要望をはっきりと主張する――。その姿勢にはいたく感服しました。あなたは、うちにこそ相応しい人材だ。浜田くんが推奨した意味が、ここではっきりわかりましたよ」
「お褒めをいただき、ありがとうございます」
 浜田支配人が頭を下げて言った。
「いやいや。それはともかく、あとは浜田くん、きみに一任するから、彼の入社日その他のことについては、きみが一切を仕切ってくれ」
「承知いたしました」
「頼んだぞ――」
 社長は、浜田支配人の顔を見据えて言ったあと、私に眼をやって行った。「三崎さん、あとのことは、この浜田に任せましたので、万事よろしくお願いします」
「ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします」
「では、わたしはこれで失敬するよ」
「ありがとうございました」
 浜田支配人が言うと同時に、私も同様に唱和した――。
 私は頭を下げている間、ほっと胸を撫で下ろしている自分を感じていた。本来、優柔不断で声を荒らげたこともない私が、勇を鼓してこれだけのことが言えたのだ。
 あとは、鳩山専務にどういう切り口で承諾を得るか――だ。私は、帰りのタクシーのなかで腕を組みながら、その方策を探っていた。その姿をなにかと勘違いしたのだろう浜田支配人が横から言った。
「なにも難しく考えることはない。これからは、ふたり一緒だ。なにか問題があれば相談に乗るから、心配しないでいいよ」
「ああ、ありがとうございました。お蔭で、今日は随分と助けられました。感謝しています」
「いいよ、もう。他人行儀な言葉遣いはやめにしようよ。これからは、仲間だからね」
「いや、ほんとにありがとうございます。これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」
「だから、その手の小賢しい言葉遣いは止めようよ」
「わかりました、先輩。これからはタメグチで話すようにします」
「そうこなくちゃ――。ただし、仕事中はタブーだよ」
「もちろんですよ」
 ふたりは笑った。タクシーの車窓から見る夜景が妙に美しく見えた瞬間だった。

 十九 「神対応」の救いの手

「で、どうする」
 浜田支配人がタクシーの運転手のほうを見ながら訊ねた。
「どうするって――」
「いつから来れるか――ってことだよ」
「ああ、それは会社と話してみなければわからない。ぼくとしては喧嘩別れをするんじゃなくて、できるだけ円満に退職したいからね。少なくとも、引継ぎのことも計算に入れれば、ふた月か三月は要かると思う……」
「そうか……。――だろうね。そう簡単には辞められないよな」
「何れにせよ、世話になった専務にだけは、恨みを持たれたくないんだよ」
 私は専務の落胆する顔を想像して、気分が重くなった。なにくれとなく可愛がってくれた専務を袖にする感覚というのは、どうにもいただけなかった。後ろ髪を引かれる思いではあったが、船はすでに遥か先の対岸に向かって突き進んでいた。
 嵐にでも遭わないかぎり、引き返すことはもうないだろう……。
 しかし、いくら考えても、専務の気持ちを納得させる口実が見つからなかった。これまでの行きがかり上、直接お願いする方法は、あまりにも辛過ぎる。ここは、ワンクッションを置いた搦め手で行くしかないのか……。
 将を射んと欲すれば、先ず馬を射よ――という。
 だとすれば、ここは井上部長に活躍してもらうしかない。私は腹を決めた。まずは、井上部長の洗脳から始めなければ……。
「近々のうちに上司に打ち明け、説得してみる。だから、最短でもそれくらいは待ってほしいな」
「わかった。人事のほうにはそのように報告しておく――」
 浜田支配人はそう言ったあと、やや強張った声で付け加えた。「ただし、あまりに長いと、この浜田もフォローできなくなるから、その積りで――」
「なるべく早く片を付けられるよう、頑張るよ」
「ああ、頼むよ。浜田の力にも限度があるからね」
「わかった」
 私は、私の肩を叩いてタクシーを降りた彼と別れたあとも、戦略を考え続けた。
 だが、どんな名案も浮かんでこなかった。いくら凡庸でひとのよい井上部長相手でも、説得力のある言い訳がなければ説き伏せることはできなかった。自分が納得できない理由をいくら思いついても、説得力がなければなんの意味もない。
 結局、タクシーに乗っている間には結論が出ず、暗澹とした思いを抱えたまま、家路についた。新居は、前の駅とはふた駅しか離れていなかったが、駅前からバスを使わず歩いて帰ると、十五分ほど要かった。
 その間にも考え続けたが、やはり結論は出なかった。
 できるだけ、もっともらしい――のがいい。例の田丸くんがやったような見え透いた言い訳は、父親のいない私には使えない。母子家庭で育った私には、継ぐべき家業などないのだ。かと言って、親戚を持ち出すわけにも行かない。
 K市はもとより、T市にも頼るべき親戚はない。なぜなら、T市は私の母が捨ててきた故郷だからだ。私は、考えあぐねた――。
 やはりここは、正攻法で行くしかないのだろうか。まともな所帯を持ちたいから給料を値上げしてくれ。でないと、それに見合う給料をくれる会社に行く――。
 と、そういうのは、あまりにも身勝手すぎる。しかも、順序がまるで逆だ。まずは値上げ交渉をし、それが駄目となって初めて、他の会社を当たるべきだろう。
 それとも、先に勤め先を確保しておいてから交渉すべきなのだろうか。
 しかし、それでは望み通りの額の昇給オーケーとなったとき、私の入社を当てにしていた会社はどうなるのか。まさに当て馬。馬鹿にするにもほどがある――ということになるのではないか。
 では、最初から給料のことは持ち出さず、かくかくしかじかの理由で、その会社に移りたい。将来的に考えると、私にはそこがもっとも相応しいと思っている。まことに勝手な言い分で申し訳ないが、この会社を辞めることを許していただきたい――と、そういうことにしたほうがよいのだろうか……。
 ここまで考えてきて、私は三番目のアイデアがいいような気がした。――というより、これくらいしか良案めいたものは思い浮かばなかった。問題は、その「かくかくしかじか」の部分だった。それをどうするかが問題だった。
「お帰りなさい。面接は、どうだった。上手く行った」
 台所にいた妻が調理の手を止め、帰宅した私を振り向いて訊ねた。
「ああ。一応、こちらの言い分は呑んでもらったよ」
 私は、洋服ダンスの前に立ち、ネクタイをほどきながら答えた。
「そう。それはよかった」
 彼女は、手際よく調理を済ませ、その料理を配膳しながら続けた。「ひょっとして駄目かもしれないと思っていたから、ほんとよかったわ。つぎは、会社と話をする番ね――」
「ああ、それが問題なんだ……」
 私はテーブルに腰を落ち着けながら答えた。「いまもそれを考えていたんだけど、どう言ったものか、いい考えが思いつかなくてね」
「確かに難しいわね。ことと次第によっては、最悪のパターンにもなるし、今後のあなたにとっては禍根を残すことにもなるわ」
「そうだね」
 私は、専務の屈託を知らない、柔らかな笑顔を思い浮かべて続けた。「ぼくとしては、できるだけ穏便にことを済ませたい。他の社員はともかく、あの専務にだけは、悪く思ってほしくないんだ」
「そうね、わかるわ。でも、わたし、思うんだけど……」
「続けて――」
「本当に専務が、あなたのことを愛してくれているのなら、きっと許してくれるわ」
「なんで――」
「だって、今回の話って、いわば引き抜きでしょ」
「ああ」
「少なくとも、あなたから売り込んだわけじゃない」
「そう。ぼくから頼んだわけじゃない」
「だったら、安心していいわ」
「なんで――」
「だから、専務にしてみれば、それは一種の勲章なのよ」
「クンショーって、あの『勲章』のこと――」
「ええ」
「それは、またどうして……」
「引き抜かれるっていうことは、どういうこと――」
「会社にしてみれば、恥ずかしいこと――」
 私は少し考えてから答えた。「育てた人材を余所に持って行かれるわけだからね」
「違うわよ。その社員が優秀だから――ってことでしょ」
「ま、そうも言えるね」
「優秀だから、引き抜かれるのよ」
「それは、そうだ」
「他社に認められるほどの人材を育てた会社――。つまり、それだけ優秀な会社の専務として、そのことが誇りにならないはずはないわ」
「確かに――。きみは頭がいいね」
「頭がいい悪いは別にして、その線から攻めたらどうかしら……」
「そういえば、ある会社の門番だか受付だかが社長の顔を知らなくて、『わたしは社長だ』という男性に身分証を提示しないかぎり、決してなかには入れなかったという話がある――。つまりは、その門衛は立派に職務を果たしたということで、会社から表彰されたというんだが、それとまったく同じコンセプトだよね」
「でも、専務、受け入れはしても、悲しむでしょうね」
「ああ」
 私は、この妻と一緒になってよかったと思った。自分独りなら、決してこのような発想はできなかったろう。自滅寸前の破壊的言動で、喧嘩別れになっていたかもしれない。まして給料をネタに話をするなんて、まるでヤクザのすることだった。
 ユスリ・タカリのチンピラならいざ知らず、歴としたビジネスマンが切り口とすべき戦略ではなかった。私は、この案件を彼女に漏らしたことを神に感謝した。
 もっとも、クリスチャンでもなく、プロテスタントでもない私が、本当に神に祈ったり、感謝の意を述べたりしたというわけではない。ただ言葉の綾として用いてみたまでなのだが、それほどに私の頭のなかは混乱し助けを求めていた。
 私のような小心者にとっては、社長とのあのような交渉ごとですら、緊張を強いる最大の山場だったし、その山場を成功裡に終わらせられたこと自体が奇跡だった。
 それこそ、妻が言っていたように、ひよっとして「駄目かもしれない」山場だったのかもしれなかったのだ。あの知恵の働かせ方は、まさに「いま流」に言えば、「神対応」の賜物と言えたろう。多分、気の弱く口下手な私の性格を知っている彼女のこと、おそらくその予測は悪いほうのものだったのだろう。
 だからこその「駄目かもしれないと思っていた――」だったはずだ。
 とまれ、その救いの手があってこその「いま」であり、「明日」だった。私は改めて心のなかで彼女に感謝し、神に安堵した旨を報告したのだった。

 二十 後足で砂を掛ける犬

 心配し、案じていてくれたからこその述懐――。自分でも、それなりの覚悟をしていたからこその安堵感――。それが私の心に伝わった。言葉こそ簡便でさりげなかったが、その内実は、きっと神に祈るような真摯さだったに違いない。
 私たちが入籍するとき、彼女は、私たちが偶然出遭った、あの神社に行こう――と言った。結婚式や披露宴などはしないが、せめてふたりだけでも神前での誓いをしておこうと思ったのだろう。
 彼女もまた、私のようにクリスチャンでもなく、プロテスタントでもないが、私の横で真剣に手を合わせ、頭を垂れて祈る姿は健気さを訴えたし、私の心を打つものがあった。私も私なりに、行く末の平安と、本当の意味で、彼女の最後の男になれますように――と祈ったのだった。
 まさにそのときと同じように、彼女はひと知れず、私のために祈ってくれていたのに違いない。しかし、彼女は決して、そのことは口にしないだろう。彼女にしてみれば、なにごとも私の意志で、私の決断で、ことをなしてほしかったのだ。
 そのためには命じてはならないし、懇願してもいけない。
 あくまでも本人の自主性、そして発起心に促されての自発的アクションでなければならなかった。そうして初めて、彼は男として起つことができる――そんな思いが、いや、願いが、家に帰り着いた夫から首尾のほどを聞くその瞬間まで、彼女の心を支配し、ひとつところに留まっていたに違いない。
 彼女の突き放したような冷たさは、いつもそうした深い慮りと表裏一体となっていた。気も小さく臆病で、自信もない――。なにごとも誰かに聞かなければ、動くことすらできない――。放っておけば、いつまでも同じ服を着ている――。
 そんな男に、違う服に着替えさせ、新たな行動を起こさせるには、自信を持たせるのが一番だ。一旦、自信をもてば、その規範に従って、独自の行動を起こせるようになる。どんなことでもいい――。成功体験を覚えれば、そのときの達成感をまた追体験したくなって、新たな行動が喚び起こせる……。
 ひとは、そのようにして大人になって行くのだ。きっと彼女は、そう思っていたのだろう。これまでの彼女の生き方を見ていると、本当にそうだ――と思う。
 自信が、これまでの彼女を形成してきたのだ。私もそうならねば――と、静かな寝息を立てるベッドの上の彼女の横顔を見ながら、秘かに思った。明日は、堂々と専務に報告し、自慢できる社員として送り出してもらうんだ。私は、静かに頭の上のベッドスタンドの灯りを消し、朝までぐっすりと眠った……。
 翌朝、出社すると、会社は大騒ぎだった。社長が、突然死したというのだ。
 話を聞くと、社長には公然の秘密のお妾さんがおり、土日は必ず、そちらのほうで寝泊まりしていたらしいのだが、昨夜、急に苦しみだし、救急車が来るまでに妾宅で息を引き取ったというのだった。
 そういえば、ここ暫くのことだが、疲れた、体調が悪い――などといって、応接室のソファに横になっている社長を何度か見かけたことがあった。考えてみれば、あのあたりから、社長は身体の異状を感じていたのだろう。
 傍目にも、その姿は辛そうだった。この私も、その具合の悪さを尋ねたくらいだ。おそらく妾宅でも、あんな感じで辛さをやり過ごすため、横たわっていたのだろう。
 だが、それより驚かされたのは、その妾宅というのが、「栞」から五十メートルも離れていないところにある喫茶店「翠」だ――というのだった。この店には、私も「栞」の存在を知る前、何度か行ったことがあるが、あまり流行っていなかった。
 ママも相当なお婆さんで、あまり愛想はよくなかったし、なによりもカレーが美味しくなかった。ほかにも軽食はあったが、スパゲティにしてもソテーライスにしても脂でギトギトしていて食べられたものではなかったのだ。
 そんな話はともかく、今夜は急遽、私たち社員だけで内々の通夜を済ませ、一昼夜明けたあと、本通夜を菩提寺の近くにある本宅で行い、四明後日には葬式をするという段取りになった。葬儀はやはり、会社の社長でもあるということと、本妻が高齢過ぎて喪主が務められないということから、社葬にしようということになり、私たち社員全員がそのお手伝いも買って出ることとなった。
 こうなっては、引き抜きの話どころではない。専務にしたところで、後継社長の選抜やら引継ぎ云々の事務処理などで、そんな心の余裕はないだろう。
 私は、この騒ぎが一段落するまで待つことにした……。
 そうして無事、葬儀も終え、四十九日も過ぎたところで、新人事が発表された。
 鳩山専務が社長に就任、井上部長が専務に昇格する人事が発令され、その他役員も順繰り昇格し、この新体制下で会社が運営されることとなった。
 しかし、芸術家肌で商業美術業界でもエピゴーネンの多かった前社長とは違い、鳩山社長はもともと経理畑一筋でやってきた生粋の経理マンだった。経理的センスこそ優れていたが、顔もさほど広くなく、営業的なセンスもあまりなかった。
 しかも、もともとこの会社は、前社長の志しに呼応して集まった者同志で形成された任意の団体だったので、一種独特の文化があった。つまり、前社長は、商業的アイデア集団の総帥としての役割を果たしていたのだ。
 だから、役員会議では、その独特の企業風土を愛して仕事をくれていたクライアントがどれだけ離れずに顧客でいてくれるかということが取り沙汰され、鳩山専務を新社長とするか新たに外部から招聘するかで、ちょっとしたいざこざが起こった。
 だが、幸いにして前社長が率先して進めてきたアイデアマン育成風土ともいうべき美風が依然として残っており、それを堅実に発展させていくことで、会社をこれまで以上に盛り立てて行こう――ということで役員全員の一致を見たのだった。
 こうなってくると、私はますます言い出しにくくなっていた。
 全社員が一丸となって会社を盛り立てて行こうというそんなときに、その機運を削ぐようなことは、どうしても言い出せなかった。機運を削ぐどころか、社員全員から顰蹙のこもった白い眼で睨まれるのは眼に見えていた。
 そうなれば、円満退職どころではなかった。それこそ懲戒解雇となっても可笑しくなかった。ときがときだけに、こんなところで裏切者扱いされたくなかった。下手をすれば、ヤクザの回状ではないが、どの得意先にも顔を出せなくなるのだ。
 だが、いつまでもぐずぐずしてはいられない――。それも事実だった。
 期日こそあってないようなものの、その決行日だけは確実に迫っているのだ。私の脳裡に浜田支配人の、あのときの横顔が浮かび、その声が耳許で響いた。
 浜田の力にも限度があるからね……。
 その意味は、言わずもがな、あまり長引くと、この浜田でもフォローしきれないから、その積りで――ということだ。いつも口癖のように「そこはわたくし浜田が決して悪いようにはしません」と豪語する、あの自信家の浜田が吐露した真情なのだ。
 新任の支配人として、彼には彼なりの会社における限界というものが見切れているのだろう。その一線を超えれば、いかな彼とて私を救えない――ということだ。
 私は焦った――。もう妻の知恵は借りられない。逆に言えば、あの方法でしかこの場を切り抜ける方法はない。つまりは、正攻法での体当たりだ。
 思い切りぶつかって乗り切るしかない。彼女の読みが正しいことを信じて、ここは専務、いや、新社長に直談判しよう――私は奥歯を噛みしめ、気合を入れた。
 幸か不幸か、その日の朝、鳩山新社長はすこぶる上機嫌だった。
「やあ、三崎くん。久しぶりにどうかね。ここんとこ、色々と忙しかったから、きみも疲れたろう。帰りに一杯やらないか」
 鳩山社長に話しかけようと思って近づくと、機先を制されて、社長のほうから話しかけられてしまった。もっけの幸い。実にタイミングがいい。
 私は、喜んでご一緒します――と言い、実は、わたしも社長に聞いてもらいたいことがあるんです――と付け加えた。
「そうか。なにかは知らんが、そのときに聞かせてもらうとしよう――」
 社長はそう言ったあと、傍らに置いていたやや厚めの書類フォルダを手に取り、私に手渡しながら言った。「ところでその前に、ざっとでもいいから、それを読んでおいてほしい――。わが社の中長期プランだ。プランナーとしてのきみにも、忌憚のない意見を聞かせてほしいと思ってね。いくらでも修正の余地はある。若いからといって遠慮せず、思うところを正直に言ってくれればいい。これにはなんといっても、社員全員のコンセンサスが大事だからね」
「わかりました――。読ませていただきます」
 自分の机に戻り、改めてタイトルを見てみると、「新コンセプトによる経営戦略案(社外秘)」とあった。おそらく新役員たちが頭を絞ってまとめ上げたものだろう。
 ぱらぱらとめくって項目を見てみると、経営方針の策定に始まって各種事業計画案、目標達成のためのシステムの在り方、果ては中途採用者の育成の仕方まで、微に入り細にわたって書かれてあった。
 大項目だけ挙げても、その数ざっと十数項目。小項目ともなると、百以上はあるかと思われた。これだけの中身を策定し実行に移すには、相当な時間と労力を必要とすることだろう。その気の遠くなるような計画案を見て、私は新社長である鳩山さんの意気込みとその真剣さを思わないわけには行かなかった。
 会社は、その服を着替えようとしている。そして新たな目標に向かって新たな行動を起こそうとしている。私もまた、新たな服を着、新たな行動を起こしたいと思っている――。一種、アンビバレンツな感覚が私を襲った。
 今夜、私の感想を求めるはずの鳩山社長の落胆ぶりが眼に見えるようで、身震いするような恐怖感を覚えた。私は、なんという罪深いことをしでかそうとしているのだろう。これでは、後足で砂を掛ける犬より劣る所業ではないか――。

 二十一 別れの言葉を送る言葉に替える

 私は、いい意味での「さよなら」を言いたかったのだが、そういうことにはならなかった。というのも、別れというのは、結局は、永遠に別れなければならないその発端の一現象に過ぎないからだ。
 またまた、年寄りの先走りが出てしまった――。
 私が、そのひとと永遠の別れをするなどとは思いもしなかったが、本当にそういうことはあり得たのだ。
 いま憶い出しても、涙があふれ出そうになる。
 しかし、少なくとも、亡くなるその一週間前には、そのひとの手を握りながら、涙交じりの笑顔を交わせられた――というその事実が、いまも私の心の救いとはなっているのだが……。
 そのひと、とは――誰あろう、今夜逢おうとしている鳩山社長そのひとだった。
 このときはまだ、お互いがどのような人生を歩むかを知る由もないときだったので、そんな気配は毫も感じなかった。
 能天気というのではない。ひとは、与り知らないことには興味を示さないものだ。同様に興味のないことについては、なにも知らないし、知ろうともしない。
 私たちも、その例外ではなかった。
 だから、私はその夜、酷とも思える我儘を押し通せたのだ。
 もし、事前にそのことに気づいていたら、そして誰かに知らされていたら、決してそんなことはしなかったろう。恐らくは、全身全霊を尽くして彼の許にいて、その胸に心を預けていたことだろう。そうして初めて私は、彼の許を去ったはずだ。
 例の斑猫がまた、路地のどこかから現れて、私を冷たい眼で見ていた。
 お前はいったい、あのひとを裏切ってどうするつもりなのだ。この難局を乗り越えようと、得意分野でもない荒野へ乗り込もうとしている社長を放っておいて、お前はどこへ行こうとしているのだ――と、その眼は言っているようだった。
「今夜、例の件について社長と話すことになった。向こうから誘われたんだけど、この機会に話そうと思う。だから、今夜は食事の支度はしなくていいよ」
「あ、そう。わかったわ、頑張ってね――」
 妻は、いつものように何気ない言葉遣いで電話を切ったが、その受話器の置き方には若干、いつもと違う間隙があった。いかにも細心の注意を払って受話器を沈め、その音も聞かせないようにしている気配が窺えたのだ。漫画風にいうならガチャンという音がせず、そのままふっと映像ごと消えてしまったような感じだった。
 彼女の祈りが私の心に伝わり、暫くの間、私は沈黙を保って動こうともしない電話機を眺めていた。今夜に起こることは、ひとの心を傷つけるためのものではないはずだ。丁寧に誠意をもって話せば、社長もきっとわかってくれる……。
 お互い、人間なのだ。人間には、それぞれの思いもあれば、生活もある。社長にも社長の生活や思いがあるはずだ。私にも、それはある……。
 それをしっかり伝えれば、きっと理解してもらえるはずだ。時刻は六時を過ぎている――。私は、そんな思いを胸に秘めて、社長のいる階下に向かった。
 一階フロアには来客用の応接セットと社員が休憩するためのそれがあり、そのさらに奥のほうに同じくパーティションで区切られた社長室専用ゾーンともいうべきコーナーに社長机があった。私が階段を下りてそのコーナーに辿り着く前に、ひょいと顔を出した社長が、私の姿を認めて言った。
「おお、きみか――。ちょうどよかった。いま出かけようとしていたんだ」
 気分はすこぶる好調のようで、社長は私の肩に手を当て、前に進むよう促しながら言った。「まさか、わたしが立ち上がるのを見計らって降りてきたんではないだろうが、いつもながら、きみのタイミングのよさに感心させられるよ」
「いえいえ、とんでもありません」
「で、どうだ。ビールなんかでいいだろ。ちょうど今日から、ホテル・ニューイレブンがビアガーデンを始めるんだ。少し早いが、夕焼けを眺めながらグィーっとやるのもなかなかいいもんだぞ」
「お任せします」
「そうか。では、行こう――」
 私たちは通りに出て、タクシーを拾い、ホテル・ニューイレブンに向かった。七月の初旬だけあって、辺りはまだ明るかった。ホテルまでは十分と要からなかった。道はそれなりに空いていたし、信号にもあまり引っかからなかった。
 ホテルに着いてエレベーターで屋上に上がると、そこは夏の到来を告げる設えがそこここに施されていた。私たちは市街が一望できる席に腰を下ろし、やってきたウェイターに「とりあえずビール」とばかり、中ジョッキと枝豆、鶏の唐揚げを一人前ずつ頼んだ。冷たさと新鮮さを愉しむには、中ジョッキがいいのだ。
 大のそれでは、飲んでいるうちに温くなってしまう。あとは、適当に好きなものを思いついたときに頼めばいい……。
「じゃ、とりあえず乾杯と行こうか――」
 社長が、届けられた生ビールのジョッキを持ち上げて言った。
「乾杯――」
 私も同様に唱和し、それに口を付けた。冷たくて旨かった。
 喉を通って行くその感覚と、口中に広がる生ビール独特のコクのある味わいは、瓶ビールの比ではない気がした。
「やはり、この季節はこれにかぎるね」
 社長がジョッキをテーブルに置き、枝豆をつまみながら言った。
「そうですね」
 私は答えたが、そのつぎになにを言っていいかわからなかった。黙っていれば、計画書の話が振られそうな気がしたので、自分から口火を切ることにした。「計画書を読ませてもらいましたが……」
「ああ。それで、どうだった――」
 社長が興味深そうに、私の眼を見つめて訊ねた。「存外、悪くなかったろ」
「ええ、そうですね」
 私は変に気取られるのが嫌で、最前から考えていた台詞を即座に口にした。これさえ先に言っておけば、あとはなんとでも言葉を繋ぐことはできる。「確かに悪くはありませんでした。生意気な言い方ですが、よく考えられてあるなと思いました」
「ほんとに――」
「はい。あの計画は、微に入り細にわたって、よく練られていると思います。とくに中途採用者の処遇というか、訓練の仕方がいいと……」
「それだけ」
「もちろん、そのほかにも色々ありますが……」
「そうか――。きみにしちゃ、ずいぶん素っ気ない言い方じゃないか。本当はなにか言いたいことがあるんじゃないか」
 社長は一瞬、顔を曇らせたものの、決して怒ってなんかいないぞ――と言わんばかり、にこやかな笑みを湛えて言った。「お追従なんかじゃなく、きみには率直な意見を聞かせてもらいたいんだがな……。ま、いい――。このことは追々、色んな意見を集約しながら改良していくとして、さっき、わたしに話があると言っていたね」
「はい。ぜひお耳に入れておきたい話があります」
「それは、いいことかね。それとも……」
「いずれも正解と言えます」
「話してみたまえ――」
 ついに、そのときが来た――。私は思った。ここが正念場だ。
「わたくしごとではありますが、率直に言わせていただきます」
「うむ――」
「実は、三ヶ月ほど前、サニーエンタテインメント・ホールディングズから引き合いがありまして……」
「サニーエンタテインメント・ホールディングズといえば、ホテル・ニューロワイヤルの親会社じゃないか」
「はい」
 私は敢えて、はきはきとした印象になるよう機敏に応えた。「その親会社から、ウチにこないか――と言われました」
「――というのは、つまり、きみにきてほしいと……」
「はい」
 社長の顔から笑みが消え、ふたりの間に沈黙が訪れた。
 数秒後、社長が口を開いた。
「で、きみは、それにどう応えたのかな」
「行く――と答えました。先方の社長とも面談を済ませ、ご了承いただきました。社長には申し訳ないと思ったのですが、前社長の死去やその後のごたごたもあり、機会を窺いつつも、今日までなかなか言い出すことができませんでした」
「そうか。そういうことだったのか――」
 社長は、なぜか合点が行ったような笑みを浮かべて続けた。「いや、実を言うと、この前から気になっていたんだ。きみの様子がおかしい――とね……」
「申し訳ありません――」
「だから、今日はひとつ、きみに元気を出してもらおうと思って、誘ってみたんだがね。まさか、そういうことだったとは――」
「本当にすみません」
「いや、謝ることはない――。わたしはなにもきみを責めてはいないし、その気もない。そちらに行くも、わが社に残るも、それはきみの自由だ。いつも言うようにわたしには、そういう権限や資格はない。きみのような人材を失うというのは、それだけわたしに徳が備わっていなかった――ということの証なんだから」
「いえ、そんなことはありません」
 私は即座に否定した。「これは、あくまでもわたしの我が儘でしたことで、社長の責任ではありません――。社長には、専務の時代から色々とお世話になり、妻ともどもとても感謝しています。このご恩は、決して忘れませんし、何年経っても、社長とは再会の機会を設けていただければ、いつでもお会いしたいと思っています」
「ま、いい――。事前に相談してくれなかったことに対しては、少々残念でもあり、腹立たしい部分もあるが、素直にその辞意を認めることとしよう。きみにも色々と考えがあるのだろうからね」
「ありがとうございます」
「わかった。みんなにはきみの辞意を伝え、いい意味で、エールの送れる送別会を催すこととしよう。まさか、そんなことまで嫌だ――とは言うまいね」
「もちろんです。ありがとうございます」
 私は内心、ほっと胸を撫でおろしながら、平身低頭した。
「ついては、いつがいいのだろう」
「私としては、完全に引継ぎが終わり、各所に挨拶や連絡を済ませてからにしたいと考えています」
「それには、最低、二ヶ月くらいは要かるだろう。それでいいのかな」
「構いません」
「結構――」
 難関をクリアした瞬間だった。やはり、妻の読みは外れていなかったのだ。
 社長は、何度か頷いたあと、おもむろに口を開いた。
「もちろん、わたしとしては慰留する気はないし、甘やかす積りもないが、これだけは言っておく――。わたしは、きみを追い出すわけではない。心から喜んで送り出すのだ。その証拠に、わたしがここの社長であるかぎり、きみがいつ帰ってきても歓迎する。それが、せめてもの、わたしからのはなむけの言葉だと思ってほしい」
 私には、その言葉が有難すぎて、返す言葉を思いつかなかった……。
 しかし、そこをなんとか堪えて、さきほどの言葉を絞り出すようにして言った。
「ありがとうございます。なんといっていいか、これ以上の感謝の言葉を思いつきません。ですが、これだけは約束させてください――。一年に一度、最低一年に一度だけは必ず、その後のわたしを報告させていただきます。せめて、そのときだけは貴重なお時間をお割きくださいませんか」
「よかろう――。きみがそれほどに言うなら最低、年に一度は必ず逢う時間を設けることにする。きみがその後、どのように成長するか、楽しみにしているよ」
「ありがとうございます。必ず約束は守ります」
 私は思わず社長の手を両手で握り締めて、そう言ったのだった。
 こんなに善良なひとが、この世にいるだろうか――。このときの私の気持ちは、ここに記すまでもないだろう。別れの言葉を送る言葉に替えた社長の心遣いに感謝の念がありこそすれ、それが悔いの念に変わろうとは思いもしなかったのだ。

 二十二 星影のワルツ

 誰が提唱したのかは知らないが、「プロスペクト理論」というのがあるそうだ。それによると、「損失を発生させている人間は、その局面において無謀な賭けに出てしまう傾向がある」らしいのだ。
 なにかの本で読んだ「また聞き」の受け売りで、正しい理解になっているかどうかは心許ないが、どうやら私も、その例外ではなかったらしい――。
 これまた老人の先走りで、思わせぶりな書き方をしてしまったが、確かに失敗続きの人生だと、それを凌駕しようと、つい無理を承知で、無茶なことをしたがるもののようだ。ベルクソンだったかが唱えた「エランヴィタール(生命の飛躍)」とまではいかないにしても、ひとはときに大それたことをしたがるものだ。
 とくにいまの理論が言うように、運動暴発的な動きというのは、自暴自棄に近い行動ということもあって、失敗に終わる確率が非常に高い。なぜなら、そこには計算がなく、計画性もなく、なんとか挽回しなくては――という情念のみがあるからだ。
 退職のための引き継ぎ業務を開始してから三週間後、浜田支配人から、その後を訊ねる電話があった。私は出遅れはしたが、その後は順調に進んでいる――と答えた。
 言われてみれば、先方社長との面談日から三月近くが優に過ぎようとしていた。彼にすれば、リミットぎりぎりのところでの最終確認だったのだろう。
 ホテル・ニューロワイヤルとの取引は、在籍のまま継続すると、癒着云々などと変な噂や疑心を生む惧れもある。私としては大事を取って、私の代わりとなる担当者をヘルプとして繋いでおき、その間、個人的な連絡は一切しないでおいたのだ。
 あれは、しかし、確認というより、いまさら変更は許されないぞ――という駄目押しの電話だったに違いない。私からの無音は、彼には不安そのものだったろう。
 わかった――、あと二週間は待つ。それ以上は無理だ。彼は言った。
 我が社の社長が亡くなり、鳩山専務が新社長に就任したのは彼も知っていたし、新社長も就任の挨拶にニューロワイヤルに赴いたこともあった……。
 それだけに彼としても、私のために色々と腐心してくれたのではあったろう。いずれにせよ、面談帰りのタクシーのなかで期限を訊かれたとき、「ふた月か三月は要かると思う――」と答えておいたのだけは正解だった――と思う。
「ありがとう。その時までにちゃんとケリはつけるよ」
 彼の十八番ではないが、私は自信に満ちた声音で応じた。「三崎は、必ず二週間後の月曜日朝一番に、そちらの本社に出社するようにする」
 その後の私の業務引継ぎ作業は、新社長の号令一下、急ピッチで進み、担当部員全員が精力的に手伝ってくれたお蔭でとんとんと進んだ。井上専務同行の得意先回りも当初予測を遥かに上回り、一ヶ月ほどの超スピードで終えることができた。
 まさに綱渡り――。新社長が催してくれるという送別会は、入社日まであと二日を残すばかり、ちょうど前々日の土曜日に当たっていたのだった。
 送別会当日の夜、若手の営業社員や制作部のデザイナーたちは別行動をしたいということで、そのほとんどが一次会で散ってしまった。
 若手は若手で思い切り騒ぎたいのだ。年寄りは年寄りで倹しくやろう――と井上専務が言い、私たちは社長の知り合いの女性がやっているというカラオケスナックで二次会を行うことになった。二次会には、鳩山社長本人と井上専務、そして私のヘルプをしてくれていた野々村君と中原君がきてくれた。
 その夜は、気の置けない者同士の少人数の会だけあって、和気藹々としてとても楽しいものだった。私を除いた四人は、とても愉しそうに十八番の歌を歌った。
 その席上、社長と井上専務がデュエットで「知床慕情」を歌っているときに、野々村君が私に苦言を呈した。私は、どちらかといえば酒に弱く、こうした席はあまり好きなほうではなかった。というより、本心から言えば、苦手中の苦手だった。よほど気の置けない連中とでなければ、打ち解けられない性質だった。
 それを見抜いたのだろう――。
「三崎さんは、ひと見知りなところがあるから、こういうときは積極的に絡んでいったほうがいいですよ」
「――というのは……」
 怪訝な顔で訊ねる私に野々村君が続けた。
「三崎さんは、どちらかというと、近づき難いんです。それで多分、誤解されやすいところがあるんです。なんとなく、自分は敬遠されているなぁ――って感じたことはありませんか」
「ああ、確かに。そういうところはある――」
「ですから、今度のところに行っても、いまのような引っ込み思案ではなくて、もっと積極的にそういう輪のなかに入って行ったほうがいいと思うんです」
「そうですよ――」
 中原君が真剣な表情になって、野々村君のあとを継いで言った。「ぼくのような後輩が偉そうな口を叩くようで申し訳ありませんが、本当に野々村さんが言う通りだと思います。確かに三崎さんは魅力的なひとですが、そういうところで損をしているんです。逆に言えば、もう少しズッコケるところがあっていいと思います」
「ズッコケる……」
「はい。そうすれば、三崎さんって、こんなに面白いひとなんだ――と思って、ひとは近づいてきてくれます」
「なるほど――」
 私は、素直に感謝した。彼らが真剣に私のことを思って忠告してくれているのが心底、有難かった。これまで私に面と向かって、この手の忠告をしてくれるひとは一人もいなかった。それもひとつは、私が近づき難かったからだろう……。
 本人には、その気はなかったが、傍から見ると、私はお高く留まっているように見えるようだった。なかには社長や井上専務のように、そんな私を気に入って可愛がってくれるひともいたが、それはよほど気心が知れ合ってからのことだった。
 私がひとの心に取り入れられるには、それなりの時間が要かった。
 野々村君や中原君が言ってくれているのは、そうした私の性格を知って、敢えてひとには積極的に接近して行かなければ、ひとは自分を理解してくれない――ということだった。初めてそうした苦言に接した私は、眼から鱗が落ちた気がした。
 月並みな表現だが、いままで自分の瞳に覆いかぶさっていた半透明のプラスチックのようなものがすっぱりと剥がれ落ち、これまでに見えなかったなにか大切なものが見えてくるような気がしたのだ。
「ありがとう、野々村君、中原君。言いにくいことをよく言ってくれたね」
 私はふたりの手をとり、固く握り締めて言った。「確かにこれまでのぼくは、みんなの善意や行為に甘え過ぎていたのかもしれない。だからこそ、我が儘がまかり通ってきた。それはみんなが、そんなぼくを許していてくれたからだ。ありがとう。本当にありがとう。これからは、きみたちの言葉を肝に銘じて精一杯、自分から働きかけて行くことにするよ」
「頑張ってください――」
 野々村君が、私の手を強く握り返して言った。「三崎さんならできますよ」
「そうですよ――」
 中原君も、私の手を強く握りながら言った。「大丈夫です。先輩なら、きっとみんなに愛され、リーダーシップを発揮できるひとになりますよ」
「おやおや、なにをみんなで盛り上がってるんだ」
 社長が井上専務とテーブルに戻ってきて、三人の様子を眺めながら言った。「まったく――。きみたちを見ていると、今生の別れのようじゃないか」
「社長、そろそろ時間ですよ」
 専務がマイクを社長に手渡しながら言った。「最後に、三崎君のために、なにか一曲歌ってやってくれませんか」
「ああ、そうだな。あまり奥さんを待たせるのも可哀想だからな」
 社長は専務からマイクとブックを受け取り、リクエスト曲を指で専務に示して言った。「こいつで、どうだろ――」
「ああ、いいですねぇ」
「な、今宵の締めにピッタシだろ――」
「ええ、完璧ですよ。これ以外にありません」
 専務が、その曲のナンバーをママに伝えた。「じゃ、ママ、この曲を最後にお願いします」
 社長がマイクを手に席を立ち、ステージに向かった。社長がステージに着くとほぼ同時に、その曲のイントロが流れた。短調のメロディ……。
 曲は、千昌夫の「星影のワルツ」だった。
 社長は、曲に合わせ、情感たっぷりに歌い始めた。

 別れることは つらいけど
 仕方がないんだ 君のため
 別れに星影の ワルツをうたおう
 冷たい心じゃ ないんだよ
 冷たい心じゃ ないんだよ
 今でも好きだ 死ぬ程に

 一緒になれる 幸せを
 二人で夢見た ほほえんだ
 別れに星影の ワルツをうたおう
 あんなに愛した 仲なのに
 あんなに愛した 仲なのに
 涙がにじむ 夜の窓

 さよならなんて どうしても
 いえないだろうな 泣くだろうな
 別れに星影の ワルツをうたおう
 遠くで祈ろう 幸せを
 遠くで祈ろう 幸せを
 今夜も星が 降るようだ……

 私はあとにも先にも、これほど情感の籠った歌声を聴いたことがない。
 またこれほど状況が、この場にぴったしくる歌詞もなかったろう。社長の声は、歌詞のとおり、本当に涙声になっていたし、それを聞く私の眼にも熱いものが込みあげてきていた。社長の歌声が佳境に達し、三番のサビの部分になると唱和する者が出てきて、最後は四人が一緒になって私に向かって歌ってくれたのだった。

 二十三 不純なパッション

 あのときのパッションは、どこへ行ったのか。きみは知らないだろう――。
 なぜかなら、それは純粋なパッションではなく、偽りの情熱だったからだ。
 偽りの情熱は長続きしない。もし本当に情熱をものにしたいのなら、変化を求めてはならない。情熱とは、なにも栄光を求めず、どこにも辿り着かないことを知っていて成す行為の先にあるものなのだ。
 偽りの情熱、すなわち「拘り」を捨てれば、安寧がやってくる。ひとには「徒労」と見えるその行為の連続が、真のパッションを生む――。口惜しさや憎しみ、高邁な思想、そして哲学、深い思念……。そんなものが、きみを奮い立たせていたときがあったのだとしたら、それほど不幸なことはなかったろう。
 幸い、きみには、そうしたものはなかった。きみには思索や思案はあったが、思想というものはなかった。劣等感はあったが、優越感はなかった。きみは、きみとして自分の技量を知って、それ以上の高みを望まなかった。
 なのに、きみはどうしてあんなことをしたのか――。
 私は、きみに託けて自問自答した。――というより、自分に「問うこと」しかできなかった。質問攻めにすることしかできなかった。つぎつぎと矢継ぎ早に発される、その問いに答えることはできなかった。私には、答えはわからなかった。
 考えてみれば私は、世間一般でいう、柔らかな団欒の日々を、つまりは平凡な日常の続く人生を、妻と過ごしたかっただけなのだ。それも、定年までの僅か十五年か二十数年の間、ひと様とさほど変わらぬ経済生活を送りたかっただけなのだ。
 そこには、大それた望みなどなかった……。
 ささやかな、極めてささやかな、温もりが欲しかっただけなのだ――。しかし、不純なパッションに塗れた私は、まだそのことに気づいてはいなかった。
 月曜日の朝、私はいつもより一時間も早く起きて出勤の準備をした。
 朝一番に出社すると浜田支配人に約束した以上、遅刻するわけに行かなかった。この日は、彼の言によれば、各地の支店長や課長が本社のあるK市に集まり、月一回の全体会議を行う日で、そのときに併せて、新しく入社する私の紹介を兼ねる日となっている――というのだった。
 サニーエンタテインメント・ホールディングズは、社内ではサニーのS、エンタテインメントのE、ホールディングズのHDSと、それぞれの頭文字を連ねてSEHDSすなわち「シーズ」と呼び習わす習慣があった。
 したがって、その会議名も「シーズ・ミーティング」というらしかった。
「シーズ・ミーティングというのは――」
 支配人は最終確認してきたときの電話口で、皮肉交じりに語っていた。「その言葉どおり、さまざまのビジネス・シーズを持ち寄る儀式的な会議でもあってね。ある意味、新ネタの品評会みたいな趣きのある会議なんだ。そういうと、なかなか素晴らしい会議のようにも聞こえるが、その実は、SE会議と陰口を叩かれている。その心は、『サッサとエンドにしてほしい会議』というわけさ」
「なるほど、巧いね。皮肉が効いて最高だ」
 私は能天気に彼の話に頷いたが、まだなにもわかっていなかった。
 この当時、エンドユーザーの購買欲求を刺激するものという意味合いで、ウォンツだのニーズだの、シーズだのといった広告業界の専門用語らしきものが、富を生み出す打ち出の小槌かなんかのように重宝がられていた。ご多分に漏れず、この社のお偉いさんたちもその思想にかぶれているのだろう――くらいに思っていた。
 しかし、あとになってわかったことなのだが、この会議は「さっさと終わってほしい会議」どころではなかった。SはSでも「剣」を意味するSで「剣(sword)でもって確実にとどめを刺す(ensure)会議」でもあったのだ。
 とまれ、私は朝一番に六階フロアにある本社に着き、エレベーターを降りてすぐ眼の前にあった「サニーエンタテインメントHD」のドアを開けたのだった。
 開けた途端、そこからは大勢の人間の出す声が一斉に聴こえてきた。それは活気に満ちた話し声だった。ドアの前に受付を兼ねたようなカウンターがあり、その近くのデスクにいた女性が私に気づき、席を立って近づいてきた。
「いらっしゃいませ。ご用件をお伺いしてよろしいでしょうか」
「わたくし、このほど、こちらに入社が決まりまして――」
 私は周りの音に負けないよう、比較的大きな声で言った。「ホテル・ニューロワイヤルの浜田支配人から聞いておられることと思いますが……」
「あ、はい――。三崎さんですね。承っております」
 女性はやや緊張した面持ちになったが、すぐに先ほどの笑顔を取り戻し、右手で方向を示して言った。「ご案内します。どうぞ、こちらへおいでください」
 背の低いパーティションで区切られた応接フロアに着くと、彼女が言った。
「いま、お茶をお淹れしますから、暫くここでお待ちください。会議が始まるまで、あと小一時間ほどありますから、ごゆっくりなさってくださいね」
「ああ、ありがとうございます。あまりに早く来過ぎたのかもしれません」
「いいえ、そんなことはありません」
 彼女は先ほどの笑顔を返して言った。「ご覧のとおり、みんな早いんです」
「そうみたいですね」
 私は、パーティションの間から見えるフロアの様子を眺めながら言った。「結構、皆さん、お忙しそうですね」
「いつも、朝はこうなんです。シーズ・ミーティングのある日は、特に……」
 彼女は、私と一緒に見ていたフロアから目を戻して、胸元のネームプレートに手をやって言った。「あの、わたし、和倉睦と言います。人事総務を担当しています。この会社には、人事部という独立したものはなく、総務部が兼務しているんです。それで、名称が人事総務部という変な名前になっているんです」
「そうなんですか――。それで、わたしの名前をご存知なのですね。挨拶が遅れました。三崎龍三郎といいます。よろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ、よろしくお願いします。時間がくるまで、もう少しお待ちください。すぐお茶をお持ちしますので……」
 彼女がお茶を淹れ、盆にのせて戻ってきたとき、あの夜、浜田支配人と一緒に行った社長の自宅で嗅いだのと同じお茶の匂いがした。しかし、銘柄を訊ねるのも野暮になると考え直し、口には出さないでおいた。
「ありがとうございます。あの、ちょっとお訊ねしていいでしょうか」
 私は、テーブルの上に茶を置き終え、会釈して去ろうとする彼女に訊ねた。
「はい、なんでしょう――」
 彼女が振り返って姿勢を正し、両手で盆を支えた。その顔に優しさの籠った笑みが浮かんでいた。なんでも聞いてくださっていいですよ――という風情だった。
「浜田支配人は、今日は、こちらにはおいでにならないのでしょうか」
 さきほどからフロアの全域を見渡していたのだが、どうにもそれらしい姿が見当たらないので、訊いてみたのだった。
「え。あの、浜田さんは――」
 彼女は、私の質問を聞いた途端、表情を曇らせて答えた。「この二十日付で退職されていますが……」
「え、退職――ですか」
 私は驚いて訊ねた。「――って、それはどういうことでしょうか」
「やはり、ご存知なかったんですね」
 彼女、いや、和倉さんは下がった眉をさらに下げ、同情の気味を帯びた眼で私を見詰めて言った。「ご承知だとばかり思っていたのですが……」
 ご存知あるもご承知ないも、まったくの寝耳に水だった。先々週の確認電話のときは、そんなことはおくびにも出していなかった。
 二十日といえば、ほんの五日前のことではないか……。
 わざと言わなかったのか。それとも私を騙すためにそれをしたのか。私の心臓と脳の血管は、怒りと戦きで、いまにも破裂しそうだった。そんな莫迦なことがあってたまるものか。私は会社を辞めてまで、ここにきたのだ。
「なぜなんです。一体どうしてそんなことに――」
私は、彼女の明確な返答を待った。返事の内容次第では、彼に断固、抗議するつもりだった。だが、彼女の返答は、実に呆気ないものだった。
「それが、わからないんです」
「わからない――。なにが、わからないんですか」
「辞める動機っていうか、原因が――です」
「じゃ、なにも言わずに辞めたっていうことですか」
「はい。二週間ほど前、二十日付で退職するとの辞表を出されたのですが、以来なんの音沙汰もないので。それで一応、退職扱いにさせていただいたわけで……」
「その辞表には、どんな退職理由が書かれてあったんですか」
「それが、一身上の都合――としか……」
「彼の住所や電話番号はわかりますか」
「いえ、申し訳ありません。わたしたちも色々、手を尽くして調べてはみたのですが、その後すぐに引っ越してしまわれたようで、行先もわからないんです。ご親戚などの連絡先もわかりません。以前の住所なら、わかるんですが……」
「そんな莫迦な。これじゃ、まるで詐欺じゃないですか――」
「申し訳ありません」
「ああ、ごめんなさい。なにも、あなたに怒ったわけじゃないんです」
 私は、申し訳なさそうに頭を下げる彼女に言った。「悪いのは、支配人のほうなんですから……」
「連絡を差し上げられればよかったのでしょうけれど――」
 彼女は一層、申し訳なさそうな顔をしておずおずと続けた。「お話は伺っていたのですが、浜田さんは、三崎さんの住所や電話番号を仰いませんでしたので、それで人事総務としては、この日がくるまでお待ちするしかないかと……」
 そういえば、私たちはお互い、会社の電話機だけを使って連絡し合っていた。それ以外の連絡手段は、郵便物も含め一切、用いていなかったのだ。
 しかも、あまりにもだらしないことに、履歴書の類いですら紙ベースで提出していなかった。すべてがすべて口頭のやり取りでの契約に過ぎなかったのだ。
 迂闊――といえば、迂闊だった。あの社長の面談のときも、すべて口頭でのやり取りで、書面の類いは一切、取り交わしていなかった。私は、社長があの約束を反故にするのではないかと、急に心配になってきた。それとも、そんな話は聞いたことがないと白を切るのか――。いずれの場合も、可能性があるように思えてきた。
 私は突然、目の前が真っ暗になるのを感じ、その場に頽れた。
「あ、三崎さん、大丈夫ですか」
 彼女の慌てふためく声が、どこか遠くから聴こえてくる気がした。私はまるで湖の底に沈み、そこに横たわっているようだった。そしてその姿勢のまま、動きが取れず、湖面から幽かに届く女性や男性の声や足音を聞いていた。
 あの斑猫が、またどこかから現れて、嘲るような眼で私を一瞥したあと、例のように尻尾を高々と上げて去って行くのが見えた。その顔は、ふん、だから気をつけろと言ったじゃないかと言っているようだった。馬鹿な奴め、不純なパッションほど当てにならないものはないんだぞ――と……。

 二十四 サドとマゾが犇めく悪環境

 気が付いたとき、私は応接室のソファの上に横たわっていた。
 応接室とはいっても、ただパーティションで区切られただけの設えだったが、それでも周囲からの視線は避けることができていたようだった。
「気がつかれましたか――」
 私がうっすらと眼を開けたのに気付いた和倉さんが、私の顔を覗き込むようにして言った。「話の途中で、急に倒れられて、吃驚しました……」
「ああ、すみません――」
 私は、そのときの情況を憶い出して言った。そうなのだ。私は、浜田支配人が辞めたということを聞いて、不覚にもその場で気を失ってしまったのだ。
「申し訳ありません。なんだか気が遠くなってしまって……」
「よほどショック――だったのでしょうね」
 和倉さんは、同情を込めた面持ちで言った。「わたしがその立場だったら、もっと取り乱していたと思います」
「いや、確かにショックでした――」
 私は素直に認めた。この怒りは、どこにも持って行けない……。
 和倉さんには、なんの罪もないのだ。今日、たまたま知り合ったばかりの彼女に愚痴を言ったり怒りをぶつけたりしてみたところで、なにが解決するわけでもない。
 私は、彼女の思いやりに満ちた心に感謝して続けた――。
「でも、お気になさらないでください。これは、あくまでもわたしの個人的な問題ですから、和倉さんが気をもむ必要なんてないんです」
「それは、そうでしょうけれど――。いまとなっては、三崎さんもわたしたちの仲間ですもの。心配しないわけには行きませんわ。水を入れてきましたので、まずはこれを飲んで気を落ち着けてください」
「ありがとうございます」
 私はソファに上体を起こしたあと、たっぷりと水の入ったガラスコップを彼女から受け取り、三口ほどですべてを飲み干した。それは冷たくて、一気に私の脳を覚醒させ、生き返ったような気になった。
「幸い、みんなバタバタしていて、なにも気づいていませんわ」
 彼女は、パーティションの向こうにさっと眼をやって言った。「ほんの五分ほど気を失っておられただけです。会議もまだ始まっておりませんし、時間もたっぷりあります。その間に気分を落ち着けて、それから会議に出られればいいんです」
「あ、いや。ほんとになにからなにまで、ありがとうございます」
 私は頭を下げて言った。「和倉さんには、なんと言っていいか……」
「礼には及びません」
 彼女は私を安心させるかのように、穏やかな笑顔を見せて言った。「だって、同じ社員なんですもの――。お気持ちはわかりますが、済んだことは済んだこととして、これからのことを考えるようにされたほうがいいと思いますよ」
「はい、ありがとうございます」
 私は心の底から、彼女への感謝の気持ちが沸き上がってくるのを感じた。
 梯子を外された不愉快な気分は消えなかったものの、いまさら自分の愚かさを詰ってみても始まらない。相手を責めれば責めるほど、その責めは自分自身に返ってくるのだ。見ず知らずの人間ばかりが右往左往するこの騒々しい会社で唯一、頼りにできる存在となってくれたひとがいる……。
 そんな彼女に感謝以外のなにができたろう――。これが初対面でさえなければ、私は涙を見せていたかも知れなかった。それほどに心細かったのだ。
 そんな風にして、私の入社第一日目は始まったのだが……。
 例のシーズ・ミーティングは予想以上に凄まじいものだった。それこそ、浜田支配人ではないが、略してSM会議と言っていいくらいのものだった。つまり、サドとマゾの戦いの場が「シーズ・ミーティング」だったのだ。
 切った張ったの質疑応答が何度も同じパターンで繰り返され、問われるほうも問うほうも、ほとんどクタクタだった。
 ブレーン・ストーミングという言葉があるが、まさに「脳味噌の嵐」だった。言い方を変えれば、サドとマゾのロールプレイング・ゲームと言えたろう。
 サドはあくまでもサド役に徹し、マゾはマゾで徹底的に弄られぬくのだ。罵られても詰られても、怒鳴られても徹底的に耐えぬき、口を堅く切り結んで抗弁せず、ただただ上から浴びせられる言葉に頭を垂れるばかり……。
 傍からみていても、これでは辞める者が続出しても無理はないだろうと思えるほどの惨状だった。おそらくあの浜田支配人も、こんな風に各役員からの叱責や罵詈雑言の洗礼を受けたのだろう。それが一回だったのか、毎回だったのかは知らない。
 だが、ただの一度きりであろうとなかろうと、気概のある者は耐え、それのない者は去って行ったであろうことは想像に難くなかった。
 おそらく、浜田支配人は後者のほうではなかったろうか……。
 その頃は、まだ「体育会系」などと言う言葉はなかった。強いて言えば、硬派に当たるのだろうが、いわゆる純粋な文系で軟弱な私にもその気持ちはよく分かった。もともと団体行動に馴染みのなかった私は、浜田支配人も少なからずそうだったのだろうが、初めて見る光景に怖気を震わざるを得なかったのだ。
 そこで、初めて私は、浜田支配人がなぜあんなに大仰な素振りや物言いをしなければならなかったのか、そして磊落なふりをしなければならなかったのか――の謎が解けたような気がした。つまりは、そういう態度を取らなければ相手から見下され、対等とは見做されなくなる――と信じ込んでいるからだった。
 その虚勢の張り方が、門外漢の私には不自然に見えたのだ。
 内部にいれば、それがわからない。そうした態度をとることが普通だ――と看做され、習い性になるからだ。この社にあっては、自信無げな態度や物腰は矯正させられる。さも自信ありげに話してこそ、SEマンとして歓迎される。
 いつも堂々(D)とした態度(T)で、悠揚(Y)迫らず、鷹揚(O)に話す――。
 D・T・Y・O。それがSEマンに必要とされる資質であり、ビジネスマナーなのだった。企業文化に特有の個性とはいうものの、外部から見たそれは、ある意味、滑稽であり異常だった。だからこそ、私には彼の態度が奇異に思えたのだろう。
 それが様にならないのは、本人が心底からそれを信じて行っていないからだ。
 どうしても、取ってつけたような不自然さが残る。鈍感な私にもそれが感じられたということは、彼は、その典型例だったのかもしれない……。
 それから三ヵ月、私はサニーエンタテインメントHD(以下「サ社」)で唯一信用のでき、気を遣わないで話のできる和倉さんに色々と社内の情報を教えてもらいながら、業務の粗方を覚えた。企画開発部というのは、総務と大いにかかわりのある部署で、人材育成やその開発(採用及び新人教育)も含めて担当し、新部門立ち上げのときは、その人材を充てるということを行っていた。いってみれば、M&Aの走りのようなことをしているのだった。
 したがって、私の職掌はイベントプランナーというよりは、アントレプレナーの養成とかM&A後の新規事業者の誘致やセッティングといったような仕事と言えた。その意味では、浜田支配人の言っていた内容とはイメージがぐんと違っていたが、いまさら文句を言ったところで、どうしようもなかった。
 それこそ、嫌なら辞めればいい――のだ。私ひとりがいなくなったところで、会社としてはなんの痛痒も感じないし、代わりはいくらもいる。
 和倉さんがその後も言ってくれているように、これからのことを前向きに捉えることで、展望が拓けてくる場合も考えられる。要は、気の持ちようなのだ。自らに与えられたそれが運命なら、受けて立つしかない……。
 和倉さんは、その実態ともいうべき「惨状」を見て、そう思った――という。度胸の座った女性だった。ある意味、痛々しかったが、負け犬にはなりたくなかったという彼女のポジティブ思考には頭が下がった。
 ただ、妻には、この実情は知らしていなかった。
 勘のいい彼女のこと――。私の言葉の端々から、きっとなにかを嗅ぎだしてくるのは間違いなかった。それならいっそ、内緒にしておくにしくはないのだ。給料も大幅にアップし、彼女はとても喜んでいる。栞での稼ぎも順調。申し分ないらしい。巧く行けば、いまの店舗付き住宅を居ぬきで買えるかもしれない……。
 それでいいのだ――。
 私は内心、ほっとしていた。毎日、妻の笑顔が見られるのが嬉しかった。
 私の上司の企画開発部長は、飯田といい、頭の切れる中年の男性だった。私より十五ほど年上で、私と同じ大学を出ており、端正な顔立ちをしていた。
 和倉さんも彼を評価しており、彼のほうでもまた彼女を信頼し評価していた。
 その意味では、私たち三人はいい関係だった。なぜかなら、彼女は私を評価してくれていたし、彼のほうでもまた私を評価してくれていた。その点では、私はそのふたりとも完全に信頼し評価していた。
 評価という視点は、いま流にいえば「上から目線」なのではないかという解釈の仕方もあろう。だが、私たちは純粋な意味で互いに評価し合っており、そこには上下の発想や視座はなかった。
 その意味では、評価というよりは「リスペクトし合っていた」という、いま流の表現のほうが理解を得やすいかもしれない。
 とまれ、私たちは、サドとマゾが犇めく悪環境にあっても、比較的気楽に仕事をこなしていた。というのも、企画開発部は、その発端を提起する場所でもあったので、その発端が事業として巧くいかなければ、さっさと切り上げて、つぎのターゲットに挑めばよかったからだった。
 もっとも、その成功可能性に関しては色々と難癖をつけられはしたが、それなりに会社に貢献する利益や実績も出ていたので、それらと相殺されたのか、あまり文句を付けられることはなかった。基本、経営組織としての利益が出ているか否かで判断されたから、実績が左肩下がりになっていない以上、誰かから罵詈雑言を浴びせられる筋合いそのものがなかったのだった。
 この頃、私たちが手掛けた事業でそれなりの実績を上げていたものに、ゲームセンターの誘致を行い、そこへゲーム機を納入するビジネスだった。ゲーム機は若者の人気を浚い、飛ぶように売れていった。会社は、ほくほく顔だった。
 社名にエンタテインメントと銘打つだけあって、娯楽に関することは大体なんでも手掛けていた。パチンコ屋もそうだったし、遊園地の娯楽設備もそうだった。もともとホテル旅館にゲームコーナーや遊戯施設を備えさせて、サイドビジネスとしての販促企画を提案していた会社だった。
 それが、折からのブームに乗って、あのとき、社長も言及していたように上場しようかというほどの勢いになっていたのだった。

 二十五 心の穴を埋める存在

 ひょんなことで、リュンのその後を知ることとなった。
 それは、出勤前に自宅で朝刊に眼を走らせていたときのこと――。文化面の全十五段を費やして、彼女の特集記事が載っていたのだった。
 半五段を使ってレイアウトされた彼女の姿は、とても美しかった。やや愁いを帯びて理知的なその顔は、当時のそれと変わりはなかった。この記事は、彼女がシャンソン歌手としてレビューを果たしたときのものだったが、全国紙に登場することによって、私にその後の消息を知らせているのだと思った。
 だが、そのいっぽうで、私はといえば、そのような形での「露出」を図れるどころか、地方紙のそれも地域版にすら登場できないほどの体たらくだったのだ。小説もなにかしら書いて送っていたが、どの作品も入賞しなかった。
 そのほとんどが五百枚くらいのもので、出版社に知り合いがいるわけでもなく、頼る伝手もなかった私は、いわゆる懸賞小説に応募していたのだった。
 いまではタイトルも忘れてしまったが、自分でも駄作だったと思う。
 家内流の辛辣な言い方をすれば、あまりにもつまらな過ぎて「箸にも棒にも掛からなかった」のだ。しかし、私が私として露出を謀る方法は、それくらいしか思いつかなかったし、事実、それしかなかった。
 リュンはその克己心の強さで、私より一歩も二歩も先んじていた。いや、その後の活躍を見ると、私など彼女の足元にも及ばないほどになっていたのだ。だが、例のお節介老人癖をよしにし、これ以上の先走りはすまい……。
 現在を知る者にとって、過去をしたり顔に語ることは容易い。
 だが、その当時に遡って身をおけば、未来の様子や結果を知っているだけに、そう簡単に書き綴ることができなくなってしまうのだ。知っているのに知らぬふりをして、結果がわかっているのに気づかないふりをして、その時点における未来のことごとを能天気に書き進める――。これほど辛いことはない。
 書き手がその物語における神であるとしても、一体、どんな口実を設ければ登場人物の意や心情に反したことを書くことができるというのだろう。
 あくまでも登場人物たちは、その物語のなかで一生懸命、途上の真を生きているのだ。そこに嘘・偽りがあってはならない。気づこうにも気づけず、知ろうにも知り得ない未来に向かって、彼らは彼らの生を懸命に生き続けている。
 なのに、どうして神ならぬ私が、彼らの希望や夢を打ち砕くことができよう。
 たとえ知っていても、それを告げることは許されない。そのときがくるまで、知らせてはならないのだ。知れば、きっと彼らはその先の生を諦めるだろう。自らがいま、挑もうとしていることが無駄と知って、誰がその行為を継続するだろう。
 無駄ではない――と思うから、ひとは努力するのだ。努力するから、そのなにかがやがて実を結ぶ――と信じて、ひとはその行為を継続するのだ。
 だから、私もその素質や才能のあるなしに拘わらず、小説は書き続けた。それ以外に彼女の眼に触れる方法は考えられなかった。彼女には、小説を書くことを奨められたが、それはひとつには互いの存在を胸中に置いておく――ということだった。
 ひとはよく、心のなかにぽっかりと穴が空いた――という。その穴を埋めるものがあれば、ひとは生きられる。その穴が埋まっているからこそ、ひとは前に進める。
 生きる――ということは、そういうことなのだ。
 心が空洞のままでは、ひとは生きられない。誰かが、その穴を埋めてやらなければならない。穴が多くあれば、その数だけ、穴は塞がれる必要がある。私には、その穴がいくつもあった。彼女は、その穴の数か所を埋めてくれているひとりだった。
 その意味では、きみもそのうちのひとりだった。だが、いまその穴は、きみが不在になることによって、ぽっかりと空いたままだ。恐らくこの穴は、私がこの世を去るまで埋まることはないだろう。
 あの世があることは信じないが、この世にある者は、あの世に逝った者が自分の心のなかに生を得て生きていることを知っている。つまり、ひとはこの世にこそ、生を残すことができるのだ。
 あの世に生あらず、この世に生あり――。
 そう思えば、生きていて初めて死者は死ぬことができる。弔われた者はあの世へ行き、弔われぬ者はこの世に生き続ける……。仮に私が死んだとき、誰が私を生かしてくれるだろう。あるいはまた、誰が私を殺してくれるだろう。
 そうして穴だらけになった私は、ようやく死ぬことを自分に許すだろう。
 埋められぬ穴をもったまま、ひとは生き続けられないのだ。
 この時点では、私はまだ空いた穴は持っていなかった。あの史絵先生にしてさえ、その後どうなったかを知らないのだ。年齢的に考え、おそらく亡くなっている可能性は大だが、私の心のなかではしっかり生きている。
 まだあの温もりは、私の身体のなかに生きている。やせ細った身体を抱きしめてくれた、あの優しい抱擁を私の幼い心は忘れていない。
 先生は、まだ生きているのだ――。
 私は、新聞を横に置き、窓の外を見た。
 猫の額のような庭の向こうに、青い空が広がっていた。季節は夏に入り、梅雨が明けた爽やかな空気を風が運んできていた。新聞の日付は、七月七日になっていた。こんな偶然は、どんな神意を用いてもあり得まい。
 おそらく、彼女がこの日を要望したのだろう。私は、この日を掲載日に指定することで、彼女が私を鼓舞しようとしているのだと感じた。
 あなたがどこにいて、なにをしているかは知らない。だけど、わたしはこのように頑張っているよ、だから、あなたも頑張ってよ――と言っているように思えた。
 ツヴァイザムカイト――。私の耳に、その言葉が蘇った。
 ふたつながらひとつであること。その言葉の意味が、私のなかで遠いものになっていた。彼女はこれだけの努力をし、着々と己を実現していってるというのに、自分は一体、なにをやっているんだろう。
 そう思った途端、例の斑猫がやって来て、私を下から見上げて言った。
 そうだ。お前は一体、なにをやっているんだ。いくら企画開発部が和気藹々で業績が上がっているからといって、浮かれているんじゃないぞ。もともと、あんなゲーム機の一台や二台が売れたところで、一喜一憂する男じゃなかったはずだ。
 お前は一体、なにがやりたくてこの会社に移ったと思ってんだ。
 猫はそう言ったあと、例のように尻尾を高く上げてぷいっと後ろを向くと、その場を去りながら吐き捨てた。それを考えろ。このうすら馬鹿――。
 もちろん、こうなったには、私が彼女の真なる汝ではなく、他の汝であった可能性も否定できないだろう。だが、おそらくこの時点までは、私は彼女の穴を埋めるひとりであったと思っている。あまり、物語の先走りはしたくないが、これだけは言わせてもらおう。彼女は最後まで独り身で、弟に看取られて死んだ――と。
 しかし、その事実は、それから三十年以上も経って初めて知ったことだ。
 このときは、まだ私にとっては汝だったし、彼女もまた私を汝と思っていてくれたはずだ。ただそのときどきにおいて、彼女には彼女なりの汝がいたし、そのことを匂わせてもいた。彼女がそこに辿り着くまでの間に色々なことがあり、様々なことが起こったろう。それらはすべて、彼女がひとりで背負った。
 いつだったか、O市の終着駅近くにあるY川の河畔を歩きながら、対岸の街の佇まいに眼をやりながら言っていたのを憶い出す。
 あのホテル街にもよく行ったわ。そしてその近くにある産科にも……。
 言いさしたまま、彼女は黙ったが、私はそれ以上、さきのことは聞けなかった。恐ろしくて聞けなかったのだ。卑怯なことこの上ないが、私はそれが私の子でないことを祈った。いまでもそのことを思うと、恐ろしさに身震いがする。卑怯な男――。
 そんな男を、本当に汝だと思ってくれていたのだろうか。自己欺瞞ではあろうが、唯一の救いは、その最期が独り身だったことだけだ。それ以外にどんな救いがあったというのだろう。彼女にとっても、私にとっても――。
 彼女のファンは、おそらく誰もそのことを知るまい。最後まで歌を伴侶とし、病魔と闘って死んだ、美しくも薄幸な女性歌手……。それでいいのだ。
 だが、それは三十年も先の話――。このときはまだ、彼女は私の汝であり、私の心に空いた穴を埋めてくれる存在だった。
 私は、猫の額のような庭で、せっせとガーデニングをしている妻(この頃はまだ他人に対して「家内」とか「女房」とは言っていなかった――)に言った。
「シィーちゃん」
「なあに」
「切りのいいところで切り上げて、久しぶりにドライブに行かないか。例のショッピングも兼ねてさ」
「いいわね。でも、もう少し待って、あと少しで終わるから――」
「いいよ。そのときがきたら、言って」
「わかった」
 私は、その日の新聞をしっかり折り畳んで、マガジンラックに放り込んだ。
 そして最近、なぜか文庫本で続々と出版され始めたので、まとめて買っておいたフィリップ・K・ディックの小説を一冊、書架から取り出して読み始めた。不慣れな英語で読むと、どうしても想像が多くなり、どう訳したものかと思い悩むので、なかなか進まない。それで、名人が訳したものを読むようになっていたのだった。
 それで気づいたのだが、原書で読んでいたときと言葉の意味や仕様が随分と違うように感じた。それだけ、勝手な読み方をしていたのだ――と気づかされ、自分で自分を嗤った。随分と頓馬な訳をしてお笑いなのもあったが、ここには記すまい。

二十六 土砂降りの雨の日に

 気がつけば、サ社に入社してから一年近くが経とうとしていた。
 私が前の会社「SK広告」を辞めたのは、ほぼ一年前の八月の二十三日のことだった。サ社の業績は相変わらず伸びていたし、私が担当する部署もそれなりに実績を上げていた。私が――というよりも、飯田部長の指示に従って行う業務が――というべきだろうけれど、それらのすべてが順調に推移していた。
 これなら、堂々と報告ができる――。おそらく、鳩山社長も喜んでくれることだろう。ひょっとすれば、仕事のお手伝いもさせてもらえるかもしれない……。
 私は、二日前にSK広告に電話を入れた。少なくとも年に一度は逢ってくださいとお願いした手前、その期日が近づいたいま、こちらから事前に確認の電話を入れるのが筋と思ったからだ。当日に直接、赴くのはあまりにもおこがましい。
 だが、電話に出てくれた社長は、私の声をとても懐かしんでくれたものの、一転、声の調子をがらりと変えて、妙なことを告げたのだった。
「三崎くん。きみとの約束は覚えているし、忘れもしないが、どうも身体の調子が悪くてね。いまから専務に車に乗せてもらって、病院へ行こうと思ってるんだ」
「え、どうされたんですか」
「それが、お腹が急に痛くなってね。昨夜から七転八倒、痛くて痛くて寝ていられないんだ。腸が捻じられているように痛い。ひょっとして、腸捻転というやつかもしれない。立っているのもやっとなんだ。悪いが、きみと逢う件は、また今度――ということにしてくれないかな……」
「それは、大変――。どうか大事になさってください。わたしのことは、どうでもいいですから、身体のほうを優先なさってください」
「すまないね。きみとの約束は、必ず守るから……」
「ありがとうございます――」
 私は急いで付け足した。「また適当なときを見計らって、こちらから連絡しますので、お気を遣わないでください」
「ありがとう。ほんとにすまないね……」
 社長は、こちらのほうが恐縮するほど申し訳なさそうな声を振り絞って言うのだった。「せっかく三崎君が誘ってくれた日だというのに――。その意に沿えず申し訳ないな。また、きみと逢える日を楽しみにしているよ」
「なに言ってるんですか。変なこと言わないでくださいよ」
 私は努めて明るく言った。「また電話しますから、そのときは元気になっていてくださいよ」
「ああ、わかった――」
 それが、元気な鳩山社長と言葉を交わした最後だった。
 携帯電話もない時代だった。携帯という言葉が電話に冠せられるというイメージすら湧かなかった時代だった。思い起こしてみれば、民間レベルでそのようなものが各社の役員クラスのひとたちに売り込まれてはいたが、大きさも重さも片手で持つのがやっとの代物で、あまり使いものにはならなかった。
 それから、二ヶ月が経過した。その間、お互いになんの連絡もしなかった。
 私はサ社の電話番号を鳩山社長には教えていなかったし、鳩山社長のほうもまた私の自宅に電話してはこなかった。私も仕事でバタバタと忙しくしていたし、社長のほうもそうだろうと思っていたのだった。
 そんな折、私の耳に鳩山社長がどうやら入院しており、病状があまりよくないらしい――という噂が入ってきた。確固とした情報ではなく、文字どおりの「噂」だった。不確かな情報ほど信憑性が増すものだが、この噂もそれに匹敵するものだった。
 噂になって耳に届くということは、その情報源であるSK広告が箝口令を敷いているということだ。
 ――と、そう読んだ私は、例の野々村君に探りを入れてみた。
「そうなんですよ、三崎さん」
 野々村君は電話口に手を宛がい、周囲に声が漏れないようにして話し始めた。「実を言うと、専務からは言うな――と言われているんですが、社長はどうもヤバそうなんです。持って二ヶ月だろうと言われてます」
「つまり、なに。それは、癌かなにかっていうこと――」
「大腸癌――だそうです」
「腸捻転かもしれないとかって言っていたけど、癌だったんだ……」
 私は、あのときの社長の絞り出すような声を憶い出した。その声は、本当に苦しげだった。おそらく、あのまま入院したに違いなかった。
「で、病院はどこ――」
「市大病院です」
 ――と答えたものの、彼は口ごもって続けた。「でも、社長としては、三崎さんには知らせたくないみたいですよ」
「なんで――」
「だって、かつての部下に醜態というか、格好悪いところを見せるんでしょ」
「そうだな」
「無様な自分をさらけ出すってのは、ほんと苦しいっすよ。まして社長ですよ。死に際の情けない姿を見られたくないですよ」
「確かに……」
 私は迷った。見舞いに行っていいものかどうかを躊躇したのだ。私は家に帰り、妻にそのことを報告した。そしてその迷いを告げた。
「駄目よ――」
 彼女は私の言葉を聞くや否や、現下に言い放った。「行ってあげなくちゃ。だって、それっきりになってしまうかもしれないのよ。あなたは、それでもいいの」
「いや、そうは思わないけど……」
「だったら、行きなさいよ。後悔するわよ」
「わかった。きみの言うとおりにする――」
「待って――。近くの花屋さんでお見舞い用の花を買ってから行くのよ」
 彼女は、その足ですぐ出て行こうとする私を押しとどめて言った。「それと、これはお見舞金。これもお見舞い用の封筒に入れてから渡してね」
「ありがとう」
 私は妻から三万円を受け取り、近くの花屋でお見舞い用の花を見繕ってもらうついでに文房具店の場所を教えてもらって、そこに向かい、妻がくれた金額を封筒に入れて市大病院に向かった。
 受付で、鳩山社長の名前を言うと、すぐにその病室は見つかった。
 病室は表の表札によると、二人部屋になっているらしかったが、ベッドは一つしか見当たらなかった。そしてそのベッドの上には、薄い布団を腰辺りまで掛けたパジャマ姿の見知らぬ中年男性がこちらを向いて横たわっていた。
 静かに近づいて行って、その顔を見たが、どうやらその姿勢のまま、眠っているようだった。さらに近づいてよく見ると、やはりその顔は鳩山社長のものだった。頭髪はそのほとんどが抜け落ちたのだろう。丸坊主のようになった頭には赤ん坊のように細く弱々し気な毛がうっすらと立って、その周囲を覆っていた。
 静かに寝息を立てるその姿をみていると、声を掛けるのがためらわれた。まるで息をしていないようだった。私は、傍らの小さなテーブルに花束と金封を置き、そのまま帰ろうかとさえ思った。だが、このまま帰るにはあまりにも忍びなかった。
「鳩山さん」
 私は、彼の耳許で小さくその名を呼んでみた。「ぼくです。三崎です」
 その声に気づいたのか、鳩山社長は、うっすらと眼を開け、眩しそうに私を見た。そして徐々に眼を見開くと、そこに私がいるのがわかったようだった。
「ああ、三崎君か……」
「はい。三崎です。悪いと思いましたが、来てしまいました……」
「来てくれたんだな」
「はい。来てしまいました――」
「この間は、済まなかったね」
「いえ」
「せっかく来てくれたというのに、こんなで悪いね」
「なにを言うんですか。しっかりしてくださいよ」
 私は思わず、手を伸ばして社長の手を取り、握り締めて言った。「ぼくは、このとおり、その後も頑張っています。社長も頑張っていてくれなくちゃ、困るんです」
「そうか。その後も順調なんだな。それはよかった」
 社長は、私の手を握り返し、その力を強めながら言った。「もしうまく行っていなかったら――と心配していたんだ。そうか、それはよかった。安心だ」
「ありがとうございます」
「これで、わたしも安心して死ねるよ」
「なにを莫迦なことを言ってるんですか。早く元気になって、ぼくと一緒に食事に行きましょうよ」
「いや。わたしはもう駄目だ。自分にはわかるんだ。ありがとう。三崎君。きみのような社員を持つことができて幸せに思っているよ」
「社長」
 私は涙声になっていた。私たちは互いに手を握り合ったまま、暫くそうしていた。 社長の眼にも涙が溢れ出しているのが見えた。その手に籠っていた力がすうっと失せ、私の手から離れたとき、彼が深い眠りに落ちて行くのがわかった。
 そのとき、ドアが軽く二回ノックされる音が聴こえ、二名の看護婦さんがストレッチャーを引いて現れた。
「さあ、鳩山さん。診療のお時間ですよー。診療室にいきましょうねー」
 ――とそう言って、彼女たちは手際よく社長の身体をストレッチャーに載せて去って行った。その場に取り残されたような形になった私は、暫く彼の帰りを待っていたが、一応、挨拶は交わせたのだし、これでもいいか――と病室を出たのだった。
 その一週間後、土砂降りの雨の日に、鳩山社長の訃報が野々村君によってもたらされた。まともに口が利けたのは、あの日が最後だったという。
 私の耳に社長が最後に歌ってくれた千昌夫の歌が聴こえ、マイクをもつ社長や専務、野々村君たちの合唱する姿が浮かんできた。
 ああ、私はなんといい会社を見捨てたのだろう。なんといいひとたちが私を見送ってくれたのだろう。私はその有難さと悔しさを改めて悔悟した。




第五章 転落編に続く。https://note.com/noels_note/n/n11f7c01873a2/edit

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