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『東京會舘とわたし』、とわたし

2019年9月3日。

しっとりと降る雨に濡れた帝国劇場と、オフィスの灯りとヘッドライトが照らす日比谷の景色を、一生忘れたくない、と私は思っている。

2019年9月3日、辻村深月さんの小説『東京會舘とわたし』が文庫になった日。帝国劇場で、岸優太さん主演の舞台『DREAM BOYS』の初年度の幕が開いた日。

チケットは持っていなかった。けれど、どうしてもその日の帝劇の空気を感じたくて、会場の前を、ただ通り過ぎた。雨男で、秋の艶やかな空気を纏う岸くんのような細かな雨粒が、街の灯りにベールをかけたようで。賑わう帝劇の熱と雨の静けさをすごく綺麗だと思った。

この景色を見たから生きていける、という景色や、今日もあの建物が存在しているから、遠く離れた場所でも頑張ろうと思える、そういう風景や建物。そういうものが、確かに存在するということを、私は身をもって知っているし、そういうものに生かされている。

そんな、帝国劇場から始まる小説が、この『東京會舘とわたし』。

ジャニーズを好きな私にとって、バイブルのような小説だ。はじめは、今や当たり前のようにジャニーズが公演を行う帝国劇場の、創業当時のことを知れるのが新鮮だから、好きだと思った。そこがどれだけ煌びやかで特別な場所なのか、その空気を体感できることが嬉しかった。豪雨のような拍手や、この曲を今聴けるならただそれだけでよいと思えること、その体験が自分の中で生き続けること、それは私にとっての「憧れのあの人」との体験と、ぴったり重なった。

けれど、何度も読むうち、抱く思いは深まっていった。一部の選ばれた人たちの為だったエンターテイメントが、観劇が、小説が、音楽が、華やかな料理が、普通の人にも開かれていく様子が、時系列とともに描かれていくところも、今ではお気に入りポイントのひとつだ。その灯火の強さ、優しさ、温かさ、柔らかさ。中でも、会社員や紳士のものだけだったフランス料理を、家で待つ女性や子ども達にも伝えたい、と願い、持ち帰り用の菓子を開発するプロたちの話が印象深い。長く続けられるお菓子の在り方を考え、丁寧でおいしくなくては意味がないとこだわり続けた。それは、ジャニーズやジャニーさんがつくってきた文化と、重なるように私には思える。子どもにも買える金額のものを、提供し続けてくれたジャニーさん。よりよくあろうとすることを恥ずかしいことじゃないと教えてくれる、毎日を生きるための笑顔や言葉や背中をくれるタレントさん。

ジャニーズが舞台を原点とした芸能事務所でなかったら、私が帝国劇場や青山劇場やシアターオーブに足を運ぶことは、一生無かったかもしれない。ヒールが沈む絨毯を踏み締める経験も、劇場内の柔らかな電飾を見上げて気分が高まることも、なかったかもしれない。ミュージカルや舞台を観に行くのは一部の高尚な人のすることで、自分の現実と繋がった地続きのものと捉えなかったかもしれない。

「わたしにとってのあの公演」を語ること。その贅沢があたり前のようにある現在を、とても幸せなものに感じる。それは過去から連綿と続く日常の中で、誰かが少しずつ手を伸ばした結果かもしれないから。

この小説のすごい所は、それだけじゃない。読めば読むだけ、素敵なところが見つかって、素敵だと感じるエピソードが増えていく。中身は変わらないのに、味わいが深くなる。

私がこの小説を大好きな最大の理由は、他人が歩んだその人オリジナルの歴史を、職業人としてのプライドを、尊重することはどういうことかを見せてくれるところ。

夫が妻に言った、うれしいひとこと。例えそれが嘘だとしても、人の心を見抜く裁判官という職業の人がつく嘘ならば、それをありがたくいただこうと思い直す妻の心。

日本人青年の、バーテンダーとしての能力を信用し、敵味方を超えた判断をした米国人の支配人。

自分の知識をひけらかすのが好きで、困った夫だったと言いながら、人の知識についても話をよく聞く、勉強熱心な人でもあるということを忘れなかった妻。

東京會舘のクッキングスクールで学んだ積み重ねが、思いがけずフランス旅行で役に立った経験。定年を過ぎた夫が同じ料理教室に通いたいと言い出した時、まず応援しようと思った妻。妻の聖域である台所に立つなら、相応の配慮と準備をするようにという會舘の教えと、会社勤めをしていた男性達が真面目な生徒であることを素直に認める妻。(この話は、コツコツと学んだことや経験したことは何よりの財産で、そういう日常が身体レベルで自分を助ける話でもあると思っていて、それがとても好きです。)

小説家になりたい息子と、息子が堅い職業に就くものだと疑わない父。見識を広く持つというものさしと、世の中の役に立つというものさしがぶつかり合い、反目し合うけれど。その父が陰ながら息子を応援し、直木賞受賞の時に贈ったものが、作家としての名前入りの万年筆であったこと。

他人の仕事に、歴史に敬意を払う。その尊さを、こんなに自然に温かく伝えてくれる小説を、私は他に知らない。

それと。辻村深月さんの作品に共通する軸として、目に見えないものを見ることの豊かさがあると、私は思っていて。そういうエピソードがさりげなくたくさん散りばめられていることにも、辻村深月さんの磨かれた力強さを感じる。もはや、地の文のどこを読んでも、温かさと真面目さと煌びやかさで泣けてくる、、、

夫が生前に何を思っていたかを、東京會舘の建築からなぞっていく妻。その真意に気付いた時、「気付かずごめんなさい」という感想だとしても、自分が思っていたより遥かに好きな夫の姿に、また会えたのではないか。舞台を前に震える大スターの背中を見て、仕事に「慣れる」のをやめた真面目な若者が、大成していく様子。偉大な音楽家との邂逅で芸術を掴んだように感じた青年が、実際に芸術を創り出し、世の中に影響を与えること。

「いないはずの人に見守られる」というのは、誰にも自然に備わる感情かもしれないけれど、それでも、豊かさであると私は思う。というか、私はそれを、辻村深月さんの作品たちから教えていただいた。

辻村深月さんを大尊敬している私の、辻村深月ランキングだったら。ずっと、『スロウハイツの神様』と『東京會舘とわたし』が同率1位だった。本当に選べなかった。

けれど今は、『東京會舘とわたし』が1位だとはっきりと言える。

それは、大好きな、Travis Japanの川島如恵留くんに影響を受けたから。

彼のソロコンサートが本当に素敵なものだったから。コンサートを観た後、積み重ねてきた歌やダンスレッスンの重み、アイドルという職業の捉え方の深さ、ミュージカルや舞台が好きという気持ちや、その心を大切に育ててきた如恵留くんの歩みに、頭が下がる思いがした。中でも、「アンダルシアに憧れて」の後、ジャニーズの伝統というものを受け継ぎ、前を向いて進んでいきたい、と話していたことが心に残っていて。如恵留くんは、ジャニーさんが亡くなったことに対して、悲しみとか不安以上に、大好きなジャニーズらしさを残していくことを考えたのではないかと感じた。そういう風に、遺したものを継承しようとする如恵留くんを、とても素敵だと思いました。

その如恵留くんの真面目すぎるほどの真面目さが、ミュージカルへの、ジャニーズへの、Travis Japanへの愛情の深さが本当に美しくて。東京會舘という建物の中で、他人の真面目さを決して笑わない人達の歩みが、教科書には載らないとしても、歴史にしっかりと刻まれていく。それが、私の思う如恵留くんの美点と重なった。

最後に。私自身、『東京會舘とわたし』に憧れて、何度か東京會舘に足を運んだ。

ごはんが驚くほど美味しい。中でもコンソメスープは、澄んだ色がうつくしく絶品で、これをまた食べに来るために働き続けようと誓った。食事のプランとして、一輪のお花をいただいたのだけれど、その薔薇のトゲが、滑らかになっていたことも、忘れたくない。

以上。読書感想文とは随分かけ離れた、等身大の感想です。誰かが真面目に生きることが、その姿が、人に忘れ難い印象を残すこと、それらに助けられて新しい何かが生み出されていくこと、その温かさや奇跡のような煌きが、少しでも伝わっていたら嬉しいです。『DREAM BOYS』も、Travis Japanも、川島如恵留くんも、『東京會舘とわたし』も。ベストセラーでありながら、ロングセラーでありますように、と強く強く願う。

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