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名脇役とアンダルシア

写真は、誰かさんの誕生花、マーガレットです。

花言葉の本を買ったという誰かさんの受け売りによると、マーガレットの花言葉は「真実の愛」だそうですが。白いマーガレットには、「信頼」という意味もあるのだそう。

今回は、その誰かさん。如恵留くんへの「信頼」のはなし。

少年倶楽部でOAされた、トラジャ全員のソロ曲。初月を見て、ソロコンから1曲選ぶスタイルであることを把握した瞬間から。如恵留くんは何を選ぶのかなぁ?って、めちゃめちゃ楽しみだった。どの曲も好きだったから、どの曲も観たくて。きっともう決まっていて、収録も終わっているだろうけど、勝手にあれかな、これかな、って想像しては楽しんで。楽しみすぎて、まだ先の出来事なのに心臓が飛び出そうだった。どの曲も世界中に観て欲しかった。何よりわたしが観たかった。はやく、はやく、はやく観たかった。

如恵留くんの歴史と好きと憧れとこれからを詰め込んだのえぱらが、本当に本当に素敵でキラキラしていて宝箱みたいで。そんな風に心をつくりあげてきた如恵留くんが大好きで、どの曲も等しく素敵な1ピースだったけれど。

等しく大切な前提で、わたしが1番を選ぶとすれば。ダントツで『名脇役』でした。リアコ大魔神がこの曲を選んだという事件性、同じ人間としてうっかり恋心を抱かせる切ない歌詞、美しく広がるノスタルジックなメロディ、「それでもあなたを好きになってよかった」と思わせるような真っ直ぐに伸びる歌声とその説得力、儚い白シャツ姿、役者としての可能性、檜山くんと青木くんと作り上げる美しい三角形、2人を個性を活かして多くの役割を担わせたこととその信頼、様々な解釈の余白がある演出、それを明確に意図したこと、後日、多くの文字数を割いて語られた如恵留くんの答え、たった数分のパフォーマンスが問題意識を持たせたその芸術性、以降世界の見方が少しだけ変えてしまうその力、簡単に答えを出せないことに出会わせてくれた感謝、それでも尚それ以外の解釈が許されていること、圧倒的に精神が大人であることと、きっとずっと大人として生きてきたであろうこと。そして、お伽話のような曲の幕引き。きっとこんなうつくしい余韻には、もう一生出会わない、出会いたくない。

『名脇役』をやってくれたらどんなにいいかと思った。三人で演じる三角形と、あの尺の長さを実現させるのは難しいとは分かっているけど、なんとかならないものかと真剣に念じた。だって、わたしの夏は、わたしの心は、あの曲が全部持っていったから。それくらい大好きだったから。残って欲しくて。

だけど。如恵留くんが選んだのは『アンダルシアに憧れて』だった。

じゃあ、わたしはがっかりしたかというと。そんなことは全然なかった。

『名脇役』でも、そりゃあ嬉しかったと思う。だけど、『アンダルシア』の方が数倍嬉しい。『名脇役』だった世界線を体験するまでもなく、分かってしまった(ワンチャンあってもいい)。この、自分が好きな人が選んだのが、他でもない『アンダルシア』だった時の、天にものぼる気持ちと言ったら。このしあわせ、世界中に自慢したい、見せびらかしたい。

蓋を開けた今なら分かる。そりゃそうだよ、『アンダルシア』しかないじゃん、逆に、なんでそれ以外だと思ったんだろう?それくらい、『アンダルシア』であることが自然だった。そして、選ぶ精神性と同じかそれ以上に、パフォーマンスが美しかった。自身がどう見えているのかという客観性、仕草や視線の細部の粋、圧倒的なアクロバット、華麗なジャケットプレイ。そして何より、クラシカルにうつくしい舞いと、深い声。自分こそが、ジャニーさんが愛した伝統を引き継ぐのだという力強さと、強い自負が伝わる。

自分が好きな曲をやってくれたら、そりゃ嬉しい。だけど、好きな曲をやるかどうかは分からない、でもそのことが、その人のことをもっと好きにさせた、というのは、どういう気持ちからくるものなんだろう。不思議だった。

いつも思った通りに動いてくれる。命令したことを過不足なく遂行してくれる。というのは、安心だと思う。だけど、自担のソロ曲って、いくら願ったとしてもその通りではないことが多い(そりゃそう)。それを楽しんだり、そこでその人をもっと好きになるっていうのは、「信頼」によるものじゃないかな、そうであったらいいなと思うのです。

思っていたものとは違うとしても、素晴らしいものを見せてくれるだろう、この人ならやってくれるだろう、という信頼。それって、当たり前のようで、当たり前ではないんじゃないかな。だってそれには、日頃から素敵だと思わせるベースが必要だから。小さな根拠を積み重ねてくれているから。いつも気を抜くなと言っているのではなくて、裏切るなと言っているのでもなくて(思っていた人物像と違っていたから裏切りだと切り捨てるのは、こちら側の問題だと思う)。なんていうか、豊かな関係性をありがとう、と言いたいのです。

それとやっぱり、圧倒的なパフォーマンス。言葉がなくなるほど、素敵だと思わせるその力。そういうのを体験したくて、アイドルを如恵留くんを追いかけるのだろう。コンサートに行くのだろう。そう、ありたい。「こんなもんだろう」と思う隙がないというのは、はからなくていい、というのは、なんてしあわせなんだろう。

曲を選んだことに対して、こんなに長々文章を書くのって、大袈裟かもしれないけど。わたしにはそれくらい、その選曲が嬉しい事件だったし、全てでした。どれくらい嬉しかったかが、この文字数で伝わっていたら嬉しいです。

うつくしいものを、ありがとう。

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