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私の選んだ、時計の話

欲しい時計があった。

ティファニーのイーストウエスト。

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2019年。女性誌『oggi』のスクエア時計の特集記事で、敬愛する辻村深月さんのエッセイを通して、その時計を知った。ティファニーブルーの文字盤とグレーの革ベルトの組み合わせに、目が釘付けになった。こんなに洗練されて、かつ、柔らかな装飾品があることに驚いた。まさに、大人が選ぶ時計という印象。

その時計を、辻村深月さんが愛用されているという。そして、その時計選びにまつわるエッセイが名文だった。

会社員時代の取引先の女性が、カルティエのタンクを愛用していて、その方が周囲から信頼される働き方をしていたこと。その佇まいの美しさに惹かれたこと。そして、出産直後のタイミングで、ティファニーのイーストウエストに出会った時、即決で購入したことが書かれていた。その時の憧れが長い時間をかけて結実したのだと思う、という言葉とともに。

欲しい。

けれど、当時の価格で¥435,000。とてもじゃないけど、手を出せる金額ではなかった。

しかも私には、CITIZENの時計がある。EXCEEDと呼ばれるラインのもので、華美さはなくシック。それこそ一目惚れで購入した。この堅実な時計が似合う大人になりたかった。それに、電池交換不用、電波時計、ワールドウォッチ機能。この性能の良さを手放してまで、他の時計を買うメリットがなかった。

だけど結局、ティファニーのイーストウエストを買うに至った。

その過程が、私にとっては奇跡のようだったから。これからの願いとともに記しておきたくて。

2019年に、私は入籍し、その後、結婚式を計画し始めた。最初に定めた挙式予定日は、最初の緊急事態宣言の最中で、街中が臨時休業、結婚式などとてもできる状況ではなかった。延期したものの状況は良くならず、家族に医療関係者が多いこともあり、結局、2人きりで式だけを挙げた。そうして、貯めたお金が宙に浮いた。

(思う通りに結婚式ができなかったことは、全く後悔していない。ささやかだったけれど、とても楽しい時間だったから。)

その浮いたお金で、英会話と料理を習おうと思った。英語は仕事で少しだけ使うから。料理は、技術は勿論、調理や彩りの文化そのものを知りたかったから。手際が良くなれば、苦手意識が払拭されて、好きになれるかもしれないし。

災害でモノは簡単になくなる。けれど、知識や経験は私が生きる限り失われない。だから、一生モノの財産に替えようと思ったのだ。(これは東日本大震災以降、私が大切にしていることなのだけれど。大好きなアイドル・川島如恵留くんが同じようなことを話していて「知識と経験は永遠の財産」。本当に嬉しかったことを覚えている。)

資料も取り寄せて、あとは申し込むのみ!…という段階になって、妊娠が発覚した。正直、料理教室どころではなかった。つわりで何も食べられなかったから。

ならば。そのお金で、辻村深月さんと同じ時計を買ってしまおうと思った。憧れの辻村さんと同じシチュエーション、出産のタイミングで。

いざ購入しようと、時計について調べるうち、知ってしまった。現在は廃盤になってしまって、今店舗に残っている分しか在庫がないことを。

ブランドで調べていただくと、なんと、通勤圏内の店舗に、最後の1本が残っていた。こんな、運命みたいなことってある?!無事の出産を待っていたら、取り置き期間が終わってしまう!いましかない!

そうして、勢いのまま、買いに行ったのだった。

美しくラッピングされた大きな箱を渡された時、約37万円(価格改定後)という金額に見合うだけの、重厚感に慄いた。この時計とともに、私は時間を刻んでいくのかと。

私が思うこの時計の素敵なところは、文字盤が右回りに90度、回転しているところ。普通の時計で12時の位置に9時がある。ちょうど相手から見た時に、時刻が読み易く、自分側からは、慣れるまで少し読み難い。トラベルクロックに由来するデザインで、デスクにも置けるような形ゆえに、この角度になっているそう。

いきなり話は変わるが、私の大好きなアイドル、川島如恵留くん。彼と私の間には、ちょうど10歳の年齢差がある。

育った環境が違うのだから、価値観が違うのは当たり前としても。10歳の年齢差があると、世代間ギャップによる考え方の違いもあるように思う。

如恵留くんに出会って知ったモノの見方が、いくつもある。素敵な考え方をする如恵留くんだけど、如恵留くんだけが正しくて、私が間違っているのでも、その逆でもない。そこに、初めは大きな差異があったというだけ。着せ替え人形のように、如恵留くんの考えを丸ごと取り入れるというより、様々な本を読んだりして、常識をアップデートさせて、自分の価値観を再構築していくことが面白い。好きになったアイドルとの間に価値観の違いがあること、自分の意見を発信することや世界に働きかけることに自覚的な人を応援できることを、とても幸せに思う。

そうやって、価値観をアップデートさせて新しい世界を獲得していくことは、文字盤が90度回転している時計から、時刻を読む行為と似ていると思った。そして如恵留くんに関係ないところでも、価値観を育てていける大人でありたいなと願いながら、文字盤を見つめたりすることもある。

いま、私がアップデートしたいこと。

それは、結婚したり、子供が生まれたり。その時、人は自由を失うのだろうか?ということ。

うちは互いに放任主義だけど、それでも結婚した時、自由な時間の使い方ができないことに戸惑ったし、未だによくイライラしている。仕事で気分が張り詰めていても、ご飯を作るために、なるべく早く家に帰る。頑張って働いても、帰ったら私には家事が待ってる、サービス残業かよ。TVはほとんどリアタイできない(ながら見ならできる場合もあるけれど、できればじっくり見たい)、録画は消化できない、レコーダーを整理する時間もない、動画も思うままには見られない、お気に入りの場面をリピートできない、できることなら外野がいないところで集中して観たい。(全部オタクごと)

独身時代と比べて、自分の時間は、確実に減った(私だけじゃなく、相手も同じように感じていて当然)。子どもが生まれたら、きっと、その比ではない気がする。

妊娠が発覚したから、12年続けた習い事を、続けられなくなった。とっくに能力の限界なのは知りつつ、ただ好きで好きで、時に泣きながら通い続けた習い事。私にとっては遅くに出会えた青春そのもので、苦しかったけど、もっともっと続けたかった。

仕立ての良さそうなお洋服は、どうせ汚れるだろうから…と購入を諦めざるを得ない。洋服が似合うモデル体型だったけれど(自分で言う)、もう、お気に入りのベルトも、細身のパンツも、サイズが合わなくなるかもしれない。これからは、香水も、メイクも。もしかしたら、大好きなジャニーズも、読書も、仕事も。しばらくは、諦めること、後回しにすることが桁違いに増えるのだろう。贅沢なことを承知で言うと、めちゃめちゃ子どもが欲しい訳ではなかったし、苦手だから、いまはまだ、「できなくなる」側面ばかりが、思い浮かぶ。

けれど。時間の使い方、オシャレ、恋人、居住環境、習い事。何でも自由に選べること、自分の意のままになることだけが、自由、なのだろうか?

私はそんなことないと思うし、これからもそう思っていられる人でありたい。

結婚して、確かに自分の時間は減ったし、他にも減った選択肢はあるのかもしれない。だけどそれ以上に、他人と暮らすことの豊かさを得た。(経済的な安定とは別。いつか離婚する可能性だってあるのだから、経済的にはある程度自立していたい。)尊敬をベースに、時にはしょうがないなぁと笑いに変えながら、日々の暮らしを作り上げるのは、結構クリエイティブ。そういう精神性を獲得していくことは、物理的な自由より、よっぽど自由なのではないかと思ったりする。暮らしを共につくりあげてくれ、私にそう感じさせてくれるパートナーがいてこそ思えることで、本当に感謝しかない。

言葉や暗黙の了解が通じない、子どもという存在を迎えた時、同じことを思えるかは、正直分からない。分からないけれど、そう思えるようになりたいと、祈るような気持ちで、毎日を過ごしている。自分のことを最優先してきた女に、いつまでも子どものような女に、人並みの常識がないかもしれない女に、果たして子育てなどできるのだろうかと、迫り来る出産に怯える毎日ではあるけれど。

そんな時に思い浮かべるのは。

辻村深月さんの小説『ツナグ 想い人の心得』に出てくる「まぁ、大丈夫。あなたは絶対に大丈夫よ!」の言葉。

過去に不慮の事故で子どもを亡くしてしまった母親が、第二子を身ごもり、「自信が、ないんです。私なんかが母親になって、いいのかどうか」と見ず知らずの老婦人に告白する場面。背景を何も知らない人だからこそ、掛けられる言葉があり、その何も知らない人から言われた言葉だからこそ、響くこともある。でも実は、その老婦人にも娘を亡くした過去があって…。

その老婦人が、娘さんへ向けてきた愛情の在り方が、本当にかっこよくて。彼女が私の憧れの女性なのだけれど。その憧れの女性から、その背景にいる辻村深月さんから、勝手に勇気をもらっている。一方通行の片想いだからこそ。

辻村さんの苦しい程の青春小説は、私にとってのバイブル。だけど、様々な自由の形を想像させてくれる近著も、違うベクトルに同じくらい、とても好き。その近著の在り方が、ご自身の育児と関係しているかは分からないけれど、私もそんな風に、見える選択肢がひとつだったとしても、見えない選択肢を、たくさん提示できる大人になりたい。

かつて、カルティエのタンクを相棒に、信頼される仕事をしていた女性への憧れが、スクエア時計の購入として結実した辻村さん。私はその辻村さんの仕事に惹かれ、豊かな大人の在り方に憧れ、同じ時計を選んだのかもしれません。

ティファニーブルーとグレーの、柔らかな配色。90度回転した文字盤。柔らかく、モノの見方をアップデートできますように、物理的な制限の中でも豊かな時間を刻めますようにと、祈りを込めた時計。

どうか、これからの私を見守って下さい。



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