ネット上のお付き合いと、自己肯定力の保ち方
学生時代によく「ノエは自分のこと好きでしょ?」とか「ノエは自分に自信あるでしょ?」なんて言われて不思議に思ったものですが、今考えると自己肯定力についての見解だったのかなぁと。
自分のことを好きかというとちょっとピンとこないというか・・・「呼吸するの好きでしょ」と聞かれるのと同じような・・・生まれたときからこの自分で、生きるために必然な自分なので、好きも嫌いもない気がしています。
自信については後述します。
そしてこんなにネガティブな性格の自分でも意外なことに自己肯定力が低くない実感がありますが、それはひとえに自分を価値ある存在にしてくれている環境のおかげでしかないと思っています。
周りのみんなが自分を認めてくれているのに、自分が自分を否定してしまったら、それは結局周りのみんなのことも信じられず否定することになってしまうのではないでしょうか・・・?
「人はなりたい自分になる性質がある」とウィリアム・ジェームズの名言にありますが、これについては本当にそう感じていて、子供の頃から「こういう人生が送れたら幸せかも」とふんわり思い描いていたことが不思議と現実になっています。
なので人生としては幸せなのですが、ネット上では色々気になるというか難しいことも多いです。
前に記事でチラッと書いたのですが、誤解を招く部分もあったかなぁと思い、少し詳しく書きます。
ネット上の関係で厄介なのは、実際には会ったこともない見ず知らずの人なのに、下手したら毎日関わったり目に付いたりしてしまうところですよね。
学校や職場の人間は毎日顔を合わせるけどそれは生活していくために必要な関係性で、でもネット上の関係はそうではないのに半ば強制的に目に入るところはそれに近い感覚です。
そんな毎日のフィールドで、例えばSNSだと「この人は自分のことだけ無視してるなぁ」とか、オンラインゲームだと「他の人とは遊ぶのに自分とは遊びたくなさそうだなぁ」とか、具体例を挙げてみると響きは軽いのですが、これが日々繰り返されていくとそこは負の環境でしかなくなります。
このあたりのことは、「気付かない・気にしない」ができればそれに越したことはないと本当に思います。
最初は「思い過ごしかな?」と思っても、結局のところいつかは目を背けられなくなるわけで・・・そういう行動を取られてしまうというのは、相手が自分のことを価値ある存在と思っていないか視界に入っていないかのどちらかだと思うのですが、こういったデータに気付いてしまうと良いことってなにもないどころか、前述した「自分を価値ある存在にしてくれている環境」にヒビが入ってしまうと思うのです。
そうなると「なりたい自分」からなにか欠けてしまったり自尊心が損なわれてしまうこともありそうなので、そういった場所や人からは思いきって自分から離れてみるのも必要なのではないでしょうか。
実社会でそういうことが起きたら対処するのは大変だけど、単にネット上の付き合いであればただ離れるだけで済みますよね。
自分の場合はX(旧Twitter)も、ある意味そういう理由から離れたところがあります。
Xについては、たまたまnoteのおすすめに出ていた記事に感銘を受けまして。
自分の場合はこういう壮絶なことではないけれど、特に仲良いと思っている人たちに無視されちゃうのはかなりきつかったです。
特にいざこざがあったわけでもないので。
ただ、今までは自分の心を無視して「ネット社会での付き合いってこういうかんじなのかな」とごまかしちゃってました。
でも普通(実社会の付き合いと同じ)に接してくれるかたもいるというか、それが大多数なんですよね。
ネット上でなければ、その場にいる人や話しかけてくる人のことを無視したりしないですもんね。
今までそういう経験をしたことはないけれど、話しかけたのに無視って、実際に起きたら暴力に近いものがありそうで怖いです・・・。
ネット上の付き合いでどうしてそういうことが起こるのかについては考えても仕方ないというか、理由はその人たちに聞かないとわからないことだし、でもそんなことを聞いてゴタゴタを起こすのも嫌だし、さらに言うと無理して付き合わないといけない関係性でもないので・・・「原因がわかったところで今後の人生に役立つことではないかもしれない」と考えて諦めています(乱暴ですが・・・)。
負の環境を作り出さないためにネット上の人間関係で自分にできることは、自分ばかり頑張りすぎず「相手のスタンスに合わせる」ということでしょうか。
好意も押し付けになってはいけないですしね。
なので今まで一方的すぎた付き合い方は清算するか、あるいはしばらく自分からはアクションを起こさないようにしようと反省しました。
また、今うまくいっている関係性に関してはお互いの努力の賜物だと思うので、今後も同じように大事にしていくつもりです。
今までの自分の経験を踏まえて「無視されている」と感じさせてしまうような言動だけは、絶対に取りたくないです・・・。
そして冒頭の自信についての話ですが、それなりに優れた人間に備わっているものが自信なのだと思っていました。
自分は人より秀でたところは特にないので、そういう意味では自分に自信がないです。
ただ、「自分には価値があると周りの人に思ってもらえている」と信じることを「自信」という言葉の定義にするのであれば、「ノエは自分に自信があるでしょ?」と言われてきたことについても納得できます。
こういった自信は自己肯定力につながるし、そしてその自信を脅かすフィールドがあるときは可能であればそこから遠ざかるのが自己肯定力を保つために大事なのではないか・・・というのが今回出した自分なりの結論です。
思い出は楽しく美しいからお別れはつらいけど、自分にとって(たぶん相手にとっても)それ以上価値のあるものになることを願っています。