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未だ

私は失敗をしてこなかった人間だ。

なんでって、まずとても真面目で人の言うことを聞く子だった。
人が望む通りに生きていたから怒られることもほとんどなかった。
周りの言うことは何でもそうだよねって言って受け入れて、大勢の人についていったから。

失敗なんかしなかった。

でもある時から、どう思う?と聞かれたとき見事に自分の意見が言えなくなった。
少し注意されたらすぐ泣くようになった。
周りの言うことにそうだよねって言ってから、自分に嘘をついているような罪悪感を抱くことが増えた。

私は気づいた。
失敗をしないように生きていたこと、それが大きな失敗だったということに。


長い時間かけて作られた、この自分を変えるのはとても難しかった。
人は周りの環境に強い影響を受けながら、それを自分の基準として学んで成長していくものだから、自分を根本から見直すには環境も見直す必要があった。

ただ環境を変えるにも自分がどうしたいか考えて意見を言う必要があって、そんなこと考えたことのない私は結局レールの上を歩いていた。


あーあ、

もっとあの人みたいに自分の軸をしっかり持てて、

皆を引っ張っていけて、

誰に対しても同じ態度で強く自分を見せられる人になりたかったな。

そんなことを百億ループくらい考えた。

弱虫でへにょへにょで見栄だけ張ったコーティング人間。
嘘をつきながらヘラヘラ笑ってる自分に気づいた時、そんな自分が心の底からムカついたし、変わりたいって死ぬほど強く思った。


ただ自分を変えるのは相当難しいことだ。
最初は無理して元気を作ってサバサバ性格を装ってみた。
サバサバした子が寄ってきて、最初は、おっ、なんか自分違うぞ、と思った。
しかし瞬時のスピードと対応力で自分を装っていた私は、気づいたら充電切れになって、低電力モードでさえ運転し続けることができなかった。

次に、周りで少し理解のある人に自分の言いたいことをとにかく言ってみようと思った。
例えば家族。自分を受け入れてくれる絶対的安心感があった。
しかしこれまた調子にのってしまった。
なんでわかってくれないのか、なんでこういう自分になったのか、家族に押し付ける形になってしまったのだ。
同時に偉そうな態度も取ってしまった。

また自分に嘘をついて、大切な人たちまで傷つけてしまった。

ありのままで、無理をせずに、強くなること。
そんなことできるのか?理想論じゃないのか?


そう思った。


実は未だに答えが出ていない。今もレールを歩き続けている。
ただレールの分岐点に立った時、ちゃんと自分がどちらに行きたいのか考えることができるようになった。

自分を変えるのは相当難しい。
でも、最近は自分を変えることが必ずしも必要なことではないと考えるようになり、今まで自分が歩んできた道のりを否定することだけはやめようと思っている。
そうすることは、自分自身を否定することになる。
自分のことは大切にしたいから、今までの自分を受け入れて、新たな価値観に出会って成長したい。


そして幸運なことに私は今日まで人に恵まれて生きてきた。
それに気づかずに、優しい友だちと本当の自分で対話できなかったり、大好きな家族を傷つけたりしていた。
でも私に大切なことを教えてくれたのはそんな友だちや家族だった。
なんでだろう。なんて優しいんだろう。
もうこれからは、この人たちの優しさを無駄にはしたくない。
そう思ってる。

あの頃の何も貫けなかった自分から、少しずつでも変われている気がする。
失敗は自分で気づけた時、それほど価値が高いものはない。きっとこれから一生私の人生を奮い立たせてくれる。


失敗ができなかった失敗を経験して、私は自分を変えたいと思った。
それは死ぬほど難しくて、それが正しいのかさえわからなくて、何回も同じレールをぐるぐる歩いてきた。
それでも今は、上に広がる天気空と、下に咲いてる小さな草たちと、ちゃんと目を合わせられるようになっている。



そこにある、大切なものを見落とさないで。
大切な人を、手放さないで。

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