見出し画像

【人生を生ききる】

うちの仕事は、広義の終末期に関わる仕事です。
 

対象の患者さんは高齢であり、数ヶ月〜数年で亡くなることが多い。そのため、人生の最期に「どう生きたか?」目の当たりにすることが多く、死の直前の「生きる!」ことに関わります。
 

 
 

先日、担当していた方が亡くなり、ご挨拶に行ってきた。
 

娘さんから、
「最期まで前向きに生きることができました。ありがとうございました。」と、言って頂けた。
 
  
・・・・・・・・・・・・
亡くなる2週間前
・・・・・・・・・・・・  
 
 
 

立ち上がることが出来ないほど筋力は低下し、座ることさえ困難な状態だった。しかし、本人は「動けるようになりたい」という。
 
 

関係者は、もう長くないことを知っていた。ご本人も薄々感じていたと思う。
 
 

しかし、今より動けるようになりたいと言う。
(でも、しんどいしやめとこうとも言う。そらそうだ。)
 
 
 
 

森下 : 立てますか??
 

( ;∀;)「無理です。。。」
 

森下 : じゃあ、立ってしまいますか?
 
 
(。´・ω・)? 「は???」
 

 

立ち上がることが出来なくても、立った姿勢で少し我慢することはできる。
 

本人は、10%しか力がない。
 
 
 
私は、89%を支える。
 
 

立つためには、1%足りない。

この1%を作ることで、自分の可能性に挑戦できる。
 
 
 
すると、できるんです。(メニュー選択によりますが)
 
 

「先生、自分で頑張って立てたよ!」
 

森下:そうですね!がんばって、立っていましたね!!

 

体力を温存することで、もしかしたら寿命は伸びていたかも知れない。しかし、本人とご家族は満足していた。
  

何より、全体的に弱っていったとしても、部分的に前向きに頑張ることができた瞬間は、本人にとっても残された家族にとっても最期まで生きた証として、記憶に残っている。
 
  

娘さんは、
「徐々に弱っていく母を見ているのが辛かった。こんなしんどい思いをして、頑張る意味はあるのだろうかと思っていた。でも、頑張ってできた後の嬉しそうな顔は今でも目に焼き付いている」と言う。
 

「これでよかったのでしょうか?」
 

と聞かれた。
 
 
(正解はわからない。。。)

とは、口に出さない。
 
 

ただ、
 
「がんばったこと、それを娘さんに見てもらえたこと、そして一緒に喜んでもらえたこと。それは、お母さんにとって嬉しい瞬間だったことは間違いないと思います。」
 

と伝えました。(事実そうだっだ。)
 
 

何が正解かわからないからこそ、間違いない事実を作ることが、正解に近づくことだと思う。
 

人の人生に関わり、「生ききった!」と言って頂くサポートをすることが、私達の役割だと思っている。
 
 

そして、その笑顔はこの仕事を選んでよかったと思える瞬間であり、更に人の可能性を探す原動力となる。
  

こちらこそ、最期に関わらせて頂き、ありがとうございました。

本当に長い間、お疲れ様でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?