死を考える

私は学生だが時々自身の死について考えることがある。別に精神病んでいて死を想像しているわけではない。死を想像することで、普段の生活の質が向上するかもしれないと思ったからだ。

なぜか、まず人間は現段階の科学技術では不老不死は不可能である。よって誰もが死を経験することになる。死が訪れるのは人それぞれ異なるが時間は平等に1日24時間与えられる。

だが、1日24時間という平等な時間を毎日過ごしていると1日1日の価値がわからなくなってしまう。仕事や学校に行き、帰宅後に就寝すると明日を迎える。その連続に過ぎない。

時間を一方的に捉えると上記のように捉えられるが、死というものを設定し人生を逆算することで現在の生活、これからの生活においてより具体的なイメージや活力、焦りなどが湧いてくるのではないか。

この逆算力は何事にも重要であると思う。テストの日程が分かれば逆算していつから勉強を始めれば良い、就職活動解禁が3月だから12月から志望企業を見つけ出そう。逆算とはこのように私たちが生活するなかでありとあらゆる場面に用いられている。

だがこの逆算をする時に死を考える人はいるだろうか?少なくとも日本人は平均寿命が80歳以上なのでそんな先のことなど考える人はほとんど存在しないだろう。

しかしながら、死は避けては通れない道であることは事実である。だからこそ私たちは死から逆算して人生の目標や目的を考えることで、普段の何気ない生活が全て意味のある生活に考えが変化するのではないかと考えている。

私が大学4年生になりこのnoteで文章を書き始めたのも人生の逆算をしたとき、この先の人生において必ずと言っていいほど文章を書くスキルが必要になってくるし、語彙力や教養など社会人としてのスキルを少しでも鍛えたいと感じたからだ。

残念ながら逆算をするだけで満足してしまうのが大抵の人間の特徴である。しかし何事も完璧に実行出来る人はいないが、自分自身をもう一度振り返り死から逆算する考えを持っている人なら有限である時間を無駄に使う人はいないと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?