〈即興ライブレポート〉 高原朝彦(10弦ギター)・本田ヨシ子(ヴォイス)・林栄一(アルトサックス)

2022年9月4日 横浜「エアジン」にて
 
 高原は両者と共演を重ねており、本田と林も一緒に演奏したことはあるが、この三人では初顔合わせという。サックスは「最も肉声に近い楽器」と言われる上に、音量では圧倒的にでかいだけに、本田のヴォイスとの共存のあり方が肝になる。「声」をつかさどるプレイヤーが二人いるので、リーダー役を務める立場の高原のかじ取りが難しい。これがデュオならまた違うのだろうが、二管でありつつ、打ち合わせたアンサンブルではなく、また本田は技や力やスピードでバトルやチェイスを繰り広げるタイプではない。そこでいきなりの即興演奏をどう成り立たせるか。

 ある意味ゲスト的な存在の林はその辺にかなり気を使いつつ、しかし自分の演奏は遠慮なく展開する、という構え。こういう異色の取り合わせの時ほど、林はジャズの人なんだな、ということを実感する。相手のフレーズのしっぽをとらえて、それを自分の演奏に取り入れて変形させ展開する、という定番の手法が多用される。ところどころ立ち止まって手探りの演奏を試しつつ、やはりあくまで自分のことをやるという感じで、前へ前へとのめっていくジャズのリズム感で押し渡っていく。それに対して本田は無時間的な、静止した時間で空間だけが膨張していくような、アンビエント・ミュージックにも通ずる表現を得意とする。
 
 このまったく異質な両者の間で、高原は爪弾きで明確なビートとフレーズがある演奏と、反対に複数の弦を一気に叩くようにかきむしることでノイジーな音響を発声させるという、二種類のパターンを使い分けて、前者で林の、後者では本田の潜在能力を引き出そうとする。ライブ主宰者としての苦心のほどがうかがえる。

 三者三様に自分の音楽をぶつけ合う、というものではなく、どうやってこの三者でステージを成り立たせるか、落としどころを探る状況が続く。ぎこちなくも緊張感に満ちた演奏。しかし、おそらくもともとの資質や相性から、次第に高原と林のジャズ的なアンサンブルに比重が移っていき、それへ本田がどういう声を載せていくか、思案しながらいろいろなパターンを試していく、という展開が目立つ。そこで本田がいつもと違う面を披露して、楽器のように幾何学的に声を上下に操るとか、演技的な方法を意図的に仕掛ける、限界まで絹を裂くような音を張り上げる、という様々な角度で自己の可能性を拡張しようという面白さがあった。言い換えれば、既存の他のヴォイス・パフォーマーのような肉体的なアクションに挑戦する機会でもあった。逆に本田のソロを聴く時のように、聴き手が呪文に操られた人の瞑想状態のように無意識へ沈潜していって、クサい言い方だが胎内回帰みたいな幻想を見る、という有機的な結合は起きなかった。

 また、たとえば清水亮司と本田とのデュオでは、おそらく清水が本田の音楽を熟知しているがゆえに、そこに寄り添って十分その世界に入りこんだ上で、それを内側から打ち破るようにして自分の音楽をぶつけていったがゆえに、根本的に異質な両者の火花を散らすようなバトルが、同時に見事なコラボレーションになっている、という結果が生じたのだが、林は本田の領域にはまったく浸透してこない。それが本質的な異質感からなのか、お互いの了解不足からくるのかは判然としない、というか、演奏者各人が演奏しながらまさに今そこを量っているように見えた。
 
 非常に明快で力強いトーンと、多彩な技を織り交ぜて緻密に組み上げていく林のプレイはさすがだが、一方で自分の音楽が持つメンタリティと接点を見出しづらいヴォイスを、どうやって活かせばいいのかという気遣いから、十分におのれを炸裂しえないもどかしさを抱えながらの演奏。その困惑をどう楽しむかという課題に三人で取り組んでいく。

 フリージャズの大立者たちがまったく自己のコンボやソロに専念していき、異種混交の場にあまり姿を見せなくなっている中、いまだに貪欲に未知の相手との共演にチャレンジしていく林の姿勢は称賛されるべきもの。聴き手としても「いつものスカッとしたやつを聴いてうまい酒を飲もう」というような安易な姿勢ではありえず、自分にとって音楽とは何なのかを深く考えさせられる思索的なステージであった。

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